3、迷子
まるで雪が降るように、違和感が月乃の胸に少しずつ降り積もってきた。
なにしろ窓から見えるシャランドゥレタワーはどんどん遠ざかっていくし、乗客は高校生くらいのおねえさんばかりで大人や小さいこどもが見当たらない。おまけにバスはどこかに停車する気配もなく、目的地にまっすぐ向かっている様子である。
本当は近くの席のおねえさんに「このバスでシャランドゥレグランドホテルへ行けますの?」と訊きたいところだが、月乃はプライドが高いタイプの恥ずかしがり屋なのでそんなことはできない。内心あせりながら澄まし顔で窓の外を眺めつつバスの停車を待つしかなかった。
『まもなく終点サンキスト女学園です。お忘れ物のないようご注意ください』
月乃は肩をビクッと震わせ顔を真っ赤にした。どうやら自分は知らない学園の生徒たちに混ざって通学バスに乗ってしまっていたらしい。ゴールデンウィークとはいえ学校に行くなら一般人みたいな格好をせずにちゃんと全員制服を着ておいて欲しいと月乃は思った。乗車していた少女たちの半数以上が学園を見に来たただの観光客たちだとも知らないで月乃ちゃんはお怒りである。
「困りましたわ・・・」
バスを降りたはいいが既にここは学園の敷地内だし、駅に戻るにはどうすればいいか考えながらこうしてウロウロしているだけで怪しまれてしまう可能性がある。おまわりさんを呼ばれてしまう事だってあるかもしれない。細川家の名誉にかけてそんなことは決してあってはならないので、とりあえず月乃はロータリーの脇で咲く藤棚のそばで、五月の青空と紫のグラデーションを味わう風流人のフリをしつつこの後の作戦を練ることにした。常識的に考えて駅に戻るバスもあるはずだが、午後2時という中途半端な時間にバスがあるかどうか分からないし、そもそもどこに乗り場があるのかも分からない。
「んー・・・」
人生において道を拓くヒントは案外身近に転がっているものだから、こういう時は落ち着いて周囲を見渡すことが肝要だ。月乃は藤棚の下で左足を軸に優雅なターンを決めながら辺りの様子を探ってみた。
こうして見てみると、かなり綺麗な学校だ。桜の葉漏れ日が静かに降り注ぐ並木道の先に、ひらけた青空の中で仲良く並ぶ白い雲と学舎が見える。この落ち着いた雰囲気はおそらくお天気や立地によるもののみではなく、この学園の校風の、ひいては生徒達の心の美しさの表出に違いないと月乃は思った。きっとこの学園の生徒会長様は心優しくて節度も重んじる素晴らしい女性に違いないのだ。
「・・・紫乃先輩?」
「わ!」
月乃が当初の脳内会議から脱線して学園に関する勝手な妄想を始めた頃、またしても彼女は背後から突然声を掛けられた。硬派なお嬢様のはずなのに声を掛けやすい背中をしているらしい。
「な、なんですの・・・?」
「紫乃先輩ですか!?」
「え?」
「きゃあ! 紫乃先輩のそっくりさんですかぁ!? それとも妹さん!? 三姉妹だったなんて聞いてなかったですぅ!」
制服姿のかしましいネエちゃんが現れた。見た目も言動も月乃より幼い気がしないでもないが、一応この学校の生徒なのだろう。
「わ・・・わたくしは月乃と申しますの」
「つきのちゃん? 名前に乃が付いてるってことは、やっぱり紫乃先輩の妹!?」
「シノ先輩・・・?」
偶然か知らないが月乃の従姉の名前がまさに紫乃である。
「もしかして・・・鈴原紫乃様のことをおっしゃっていますの?」
「そう! 紫乃先輩は私の先輩で、つまり先輩なんだよ!」
「そういうことでしたの・・・」
月乃はようやく理解した。どうやら自分は従姉の出身校に来てしまったらしく、度々人違いをされるのは顔がよく似た従姉の紫乃様がこの界隈で有名だからなのだ。
「わたくしは細川月乃と申しますの。鈴原紫乃様の従妹ですのよ」
「いとこなんだぁ! 高校生?」
「中学3年生ですわ」
「へー! なんか大人っぽいねぇ!」
「そ・・・そうですの?」
大人っぽいと言われたことは正直とても嬉しかった。が、どさくさに紛れて少女が肩を密着させて髪を撫でてきたことのほうが気になってしまった。
「それで月乃ちゃんは学園に何をしにきたの? 紫乃先輩はもう卒業しちゃって隣り街に住んでるし、妹の雪乃ちゃんも今日はお出かけ中だよ」
「そ、それは・・・」
月乃は頬を染めて少女から目を逸らした。大人っぽくてしっかりしてるはずの月乃ちゃんが、間違って知らない学校に来てしまった挙げ句帰り方も分からないだなんて言えるわけがない。
「月乃ちゃん・・・もしかして・・・」
「う・・・」
「来年ここを受験しようと思ってて、この辺りを見に来たんだね!」
「え?」
そんなつもりは全くなかったのだが、ここはそういうことにしておいてこのやたら陽気な少女の手助けを仰ぐのも悪くないかもしれない。
「そ、その通りですわ・・・」
「やっぱり!」
少女は月乃の背中にそこそこな大きさの胸を押し付けて背後から抱きついてきた。月乃はこういうフィジカルなコミュニーケーションが大の苦手である。
「そ、それで・・・次は駅の周辺を見に行きたいのですけど、どのようにして行けばいいかご存知ですかしら」
「もっちろんだとも月乃くん!!」
耳元で騒がないで頂きたい。
「お、教えて頂きたいんですの・・・」
「んー、教えてあげてもいいけど、私に協力してくれる?」
「協力・・・ですの?」
今度はほっぺを合わせてきた。ふわっとやわらかくてとても温かいが耳のあたりがひんやりしていてゾクッとするし、ついでに髪もくすぐったいのでやめて欲しい。
「うん。私に協力するって約束することが条件だよ」
「わるい事には協力いたしかねますわよ・・・」
「そんな事させないって! 私を信じるんだ!」
少女は背後から月乃の腰に手を回したまま月乃の体をゆっくり左右に揺らし始めた。赤ちゃんかペットのネコちゃんみたいな扱いに月乃は恥ずかしくて頬がじんわり熱くなった。
「わ、分かりましたわ・・・分かりましたからもう放してください・・・」
「じゃあ約束ね」
「・・・はい」
この状況ではやむを得ない。
「やったぁ! 駅に行くバスなら15分に1回このロータリーに来るよ」
「そ、それだけですの!?」
「うん。さ、協力してもらうよ! ここじゃ話しづらいから私の部屋に来たまえ!」
「ええっ!」
なんだかだまされた気分である。
人影のない管理棟らしき建物の昇降口でスリッパに履き替えさせられた月乃は少女に尋ねた。
「そういえば・・・」
「ん? どうした月乃くん!」
「まだお名前をおうかがいしておりませんでしたわ」
身の安全のためにもとりあえずこのマイペースでハイテンションで詐欺紛いの契約を結ばせる怪しい女子生徒のプロフィールを把握しなければならない。
「あ、わたし津久田あかり! ここの生徒会長だよ」
「え!?」
聞き間違いかと思った。
「あ、あなたが生徒会長様ですの!?」
「おうよ!」
どうやら月乃はとんでもない学校を訪れてしまったらしい。