19、直感の女
アンナは優雅に紅茶を飲んでいた。
もしもアンナの計算が正しければあかりは約束の時間までには絶対にこの場所に辿り着くことはないはずであるが、途中で移動したりせずにきっちりと午後3時まで待ってあげようとアンナは思っている。
「おいしい♪」
静けさの中でティーカップを傾けながら、やっぱりここの紅茶は美味しいなとアンナは思った。随分と孤独な香りがするお茶会であるが、至福のひと時というのはもっぱらこのような一人きりで楽しめる時間のことを言うので、孤高の天才少女であるアンナにとっては何の翳りもない幸せの時間である。アンナはカーテンの隙間に輝く五月の青い空を穏やかな眼差しで見つめていた。
果たしてあかりたちはアンナは見つけることが出来るのだろうか。
「すげえ、時計台見えるじゃん!」
連休の最終日なのでシャランドゥレタワーの展望室は混雑しているが、ここへ来る観光客は妙に上品で落ち着いた人が多いため、絶景に興奮する舞がかなり浮いている。
「舞・・・はしゃいでないでちゃんと小熊先輩探してよ」
小熊アンナ様を探す一行は電車で隣り街まで移動し、その駅周辺や広大なショッピングモールを一生懸命見て回っているが、彼女の足取りは依然掴めていない。
この展望室へ昇るには専用のエレベーターを使わなければいけないこともあり普通は有料なのだが、舞の姉がここのスタッフなので彼女に事情を説明したらあっさりと全員無料で入れてくれた。カッコイイ白いスーツを着て「恋のお手伝いでしたら喜んで」などとキザなことを言う女性なので舞の姉っぽい雰囲気は少ないが、肌の質感や顔の骨格、ついでに声がかなり似ているので舞の恋人である遥は妙に緊張してしまった。遥にとっては義理の姉みたいなものだから仕方が無い。
さて、小熊先輩捜索への集中力が切れた舞ちゃんは眼下の街並を眺めてあほみたいに騒いでいるが、他のメンバーたちは真面目に探している様子である。本日の主役であるあかりに至っては観光客たちのロングスカートの中まで確認する徹底ぶりだ。
「あかり様・・・」
そんなあかりの様子を見て月乃はちょっぴり胸が痛んだ。確かにあかり様はマイペースにして奇妙奇天烈、つかみどころの無い強引な物腰で月乃のお嬢様像を容赦なく破壊していくクレイジーな少女だが、このゴールデンウィークですっかり彼女に対する友情が芽吹いてしまったので、あかり様が抱えている恋心を小熊様に告げることもできないまま時間が過ぎてしまうのは忍びないのである。なんとかしてあかり様と小熊様を会わせてあげたいが、月乃の知恵では手伝えることにも限界がある。賢くて頼りになる従姉の紫乃様の助けを借りに行くことも考えたが、久々の休養を楽しんでいるはずの紫乃様のお手を煩わせるのはちょっと気が引けてしまうし、紫乃様を呼びに行くだけでもかなりのタイムロスになってしまうから、今は目の前の作業に集中して全力を出すしかない。
展望室に飾られたストレリチアの大きな白い鉢を必死になって動かし、その裏に小熊先輩が隠れていないことを確認したあかりは、ここで腕を組んでじっと目をつむり考え事を始めた。頭の使い方は人それぞれだが、あかりの考え事というのは導き出そうとする答えに向かって過去の記憶を整理していくスタイルではなく、頭の中になにかが浮かんでくるのをじっと待ち、浮かんできたものに素直に従うタイプのものである。あかりは根拠のない自分の直感を信じる能力に長けている野性的な少女なのだ。
「お!」
あかりの頭の中になにやら天啓が下りてきたらしい。エレベーターの脇でネコと一緒に彼女の様子を見ていた月乃は、急にあかりがこっちに向かって駆けてきたのでびっくりした。
「そうか! すっかり頭に無かったよ!!」
「あ、あかり様、どうしましたの?」
月乃の隣りでお座りして自分の耳をなでなでしていたネコの前にあかりは勢い良くしゃがんだ。これにはネコも驚いて肩をビクッとさせた。
ちなみにこのネコちゃんは別に月乃がここまで連れて来たわけではなく、ショッピングモール内を勝手に付いて歩いてきた上に、妙に人間に馴れ馴れしい態度が舞の姉に気に入られてちゃっかりエレベーターに乗せてもらえちゃったからここにいるのだ。こうなってしまったら仕方が無いから、周囲の人に気づかれて騒ぎにならないようぬいぐるみのフリをしてじっとしていることが条件で、月乃はネコちゃんに同行を許可したところなのである。
「ネコちゃん! 実はキミの力も借りたいんだ!」
「ニャ・・・」
ネコは単に月乃のそばでのんびりしていたいだけなので、あかりたちが先程から何を一生懸命探しているのか全く興味が無かったから、突然巻き込まれて驚いている。人生の超重要な場面でアニマルの知恵を借りようなどと考えつくのは日本広しと言えどあかりくらいである。
あかりはパーカーのポケットから小熊先輩の写真を取り出してネコに見せた。
「ほら、見て」
「あかり様・・・さすがにネコでは力になれないと思いますわ」
確かにこのネコちゃんは舞と遥の運命を結びつけるのに一役買ってくれた優秀な子だが、相手があの小熊先輩で、しかも制限時間ありのこの局面で頼らなくても良いのにと月乃は思った。
「ネコちゃん、私たちはこの写真のおねえさんを探してるんだけど、見た事なぁい?」
ネコは目を丸くして写真に見入っている。なにか心当たりがあるのだろうか。
「ニャア・・・?」
ネコはちょっと驚いた様子で月乃を見上げ、首をかしげた。『え? まさかお前たちはこの女を探して歩き回っていたのかニャ?』とでも言いたげである。
「もしかして・・・知ってるんですの?」
「ニャア」
ネコは月乃とあかりの足元を8の字でぐるぐるっと回ってからエレベーターに飛び乗った。どうやら何か知っているらしい。
「ネコちゃん! よし行こう!」
「す、少しお待ちになって。他の皆さんも呼んで参りますわ」
しかしネコは珍しく月乃たちに協力する心のスイッチが入っており、ぴょんぴょんジャンプしてエレベーターのボタンを押そうとしている。このままでは月乃もエレベーターに乗り遅れてしまう。
「月乃ちゃん早くっ!」
「え! で、でも」
あかりが手を差し出してきた。月乃は盤石な日々を生きているお嬢様なので咄嗟の判断は遅い。
「ほら月乃ちゃん、閉まっちゃうよ〜♪」
何を楽しんでいるのか。
「わ、わかりましたわ・・・!」
月乃が乗り込んだ瞬間に扉は閉まった。あかりと月乃はネコちゃんと共に青いライトの素敵なエレベーターで地上を目指して降りていくのであった。
「あの、安斎さま」
「ん」
舞は後輩の美紗に声をかけられた。忘れられがちだが舞の苗字は安斎である。
「雪乃さんが見たらしいんですが、あかり様と月乃様が三毛猫さんを追ってエレベーターで下りていってしまったようです」
「まじで!?」
「は、はい。何か手がかりがあったのかも知れません」
「ほえー。はぐれちったか」
舞は椅子に腰掛けて遠い雲を眺めながら、ギフトショップの隣りに据えられた自販機で買ったメロンソーダをグビッと飲んだ。広い展望室を探しまわった遥、美紗、雪乃の3人も舞と一緒に長椅子に座った。気づいてみるとみんな足がじんじんするほど疲れている。
「美紗ちゃん、雪乃ちゃん。足大丈夫? 疲れてない?」
遥は後輩たちの体調を心配している。普段運動をしている体力自慢の舞や遥と違って美紗たちはか弱き乙女であるから、これだけたくさん歩いていると相当の疲労だろうと思ったのだ。
「わ、私は大丈夫です!」
「大丈夫」
美紗のみならず雪乃ちゃんまでもが弱音を吐かずに大丈夫だと答えてくれた。あかりのために頑張りたいという強い気持ちがメンバーたちの心と体を支えているのだ。
「んー。それにしても、あかりと月乃はどこ行ったんだ。急いでたらしいけど・・・」
腕を組みながらつぶやく舞のかっこいい横顔を見て遥はちょっと照れてしまった。
「とにかく、展望室から降りようか」
「お、いいこと思いついた」
舞は立ち上がった。
「メンバーが二人はぐれたんだから、仲間を二人増やそう」
「増やす? あ、もしかして」
舞が言っている二人とはもちろん、学園の伝説となって卒業していったあの美少女たちのことである。
「久々に休みだから今日一日はゆっくりさせてあげましょうみたいなことを月乃が言ってたけど、あかりの大事なイベントだし、まああいつらなら協力してくれるっしょ」
それもそうだなと遥は思った。美紗も雪乃もこれには大賛成である。
「おーし! 倉木たちのマンション行くぞぉ!」
みんな弓奈と紫乃のことが大好きなので、彼女たちのことを考えると胸が高鳴って元気が出てくるのだ。なんだか疲れがふっとんだ気がする4人は小走りで下りエレベーターに向かった。
その頃、あかりと月乃は軽快に走っていくネコのしっぽを必死に追いかけていた。
「も、もう少しゆっくり走って欲しいですわっ・・・」
「ニャア」
「ニャアじゃありませんわ・・・」
月乃は硬派なお嬢様なので街中で息を切らせながら走りたくはないのだが、ネコちゃんとあかりがどんどん前へ離れていってしまうので仕方が無いのだ。一体どれ程の自信があれば人を案内する時にこれほどの全力疾走を見せられるのか・・・ネコの感覚は理解できない。
「ネコちゃあああああん!」
「ちょ、ちょっとあかり様!」
街の大きな教会を過ぎた辺りで、ずっと黙って走っていたあかりが騒ぎ始めた。
「ネッコちゃあああああん!」
「お、お静かに・・・!」
残り1時間ちょっとしかないという状況でネコを信じるという常人では考えもつかないとんでもない賭けに出たためか、あかりの精神が謎の高揚感に包まれたのである。大きな不安と、そしてなぜかハッキリと輝いて見える希望とがあかりの胸を震わし、何かを叫ばなければ収まりがつかなくなったのだ。ネコを追いかけながら街角で大きな声を出す女子高生と一緒にいる月乃ちゃんはさぞかし恥ずかしいだろうが、これもあかりの青春の大切な1ページなので大目に見てあげて欲しいところである。
プラタナス並木を過ぎて、コーヒーの香りも飛び越えた二人が辿り着いたのは、つい先程6人でやってきた駅前だった。おまけにネコはそのまま真っ直ぐに改札口へ飛び込んでいったのである。
「えっ」
「こ、この街ではなかったということですの!?」
学園に最寄りの駅の周辺は既に捜索済みだから電車に乗って隣り街へやって来たというのに、このエリアも違うとなるともはやあかりたちに思い当たる場所など無い。一体ネコはどこへ向かっているのか。
「行こう月乃ちゃん!」
「あ、あかり様! 少しお待ちになって」
「ん?」
改札機にICカードをピッとする前に月乃はあかりに最後の確認を行った。
「本当にいいんですの? あのネコについて行って。今ならまだ引き返せますのよ。もう一度よく考え直して、可能性がある別の場所を探していくのも手ですわ」
あかりは少しのあいだ髪をふわふわ風に揺らして月乃を見つめていたが、やがて正面から月乃の両肩に手をポンと置いて年上っぽくないカワイイ笑顔を見せた。
「大丈夫だよ月乃くん! ボクは自分の感覚を信じてるんだ。その感覚があのネコちゃんを信じてるんだから、ここで引き返したら一生大後悔時代だよ。今は徹底的に駆けたいのだ!」
「そ、そうですの・・・?」
なんて凄まじい度胸だろうか。
「それに、『考え直す』って言うけど、私はさっきからずーっと考えてるんだよ」
あかりは月乃の肩をモミモミしながらそっと顔を月乃に近づけて囁いた。
「小熊先輩様のことをね♪」
もしかしたらこの人は凄い人なのかもしれない・・・あかりのウインクにちょっとドキッとしながら月乃はそう感じた。不思議なことに彼女の瞳を見ていると、何の根拠もないものを無邪気に信じて、駆けてみたいという気持ちになってしまうのである。そして大成功か大失敗しかない本当の恋の勝負の世界に、共に駆け出そうと月乃を誘ってくれているあかりの言葉から溢れる偽りのない友情に月乃の胸は熱くなった。
「月乃ちゃん! 一緒に来てくれる?」
「あかり様・・・ご一緒させて頂きますわ」
「よぉし! 行こう!」
「はい!」
あかり様には幸せになって欲しい・・・改札口を風のように駆け抜けながら月乃は心からそう思った。




