18、あかりの呟き
月乃の今日の朝食はトマトサラダとミニオムレツ、バターロールである。
西の窓にはまだ星影がうっすらと輝いている時間なのに開店と同時に少女が一人でホテルの食堂にやってきたのでウェイトレスさんたちも驚いているようだ。せっかく観光ホテルに滞在しているのだから朝くらいゆっくりすればいいのだが、今日の月乃は忙しいので仕方がない。
「お客様、ミルクはいかがですか」
「あ、ミルクですの? いただきますわ」
「ドレッシングおかけいたしましょうか」
「ド、ドレッシングですの? お願いしますわ」
他にお客さんがいなくてヒマな従業員のおねえさんたちが月乃の周りに集まってしまって少々食べにくいが、ここで照れていてはお嬢様度が下がってしまうので月乃は背筋を伸ばし、お世話係が周りに4、5人いるのは普通のことですのよみたいな涼し気な顔をしながらトマトを頬張った。なかなか新鮮で食感が良いトマトだったのでちょっぴり緊張も和らいだ気がした。
トマトに癒される不思議な朝食を終え、部屋で荷物をまとめた月乃は早速フロントへチェックアウトに向かった。
「チャックアウトですわ」
「はい。キーのご返却をお願いします」
月乃はしっかり物なのでもちろんルームキーを忘れずに持ってきている。
「はい、キーですわ」
「あ・・・お客様・・・」
「あら、なんですの?」
「お靴を・・・」
「あっ」
月乃は靴に履き替えるのを完全に忘れており、スリッパでフロントへ来てしまったのだ。月乃は顔を真っ赤にして靴を取りに戻った。
平日であれば1時間目の授業が始まる頃、生徒会室にメンバーが集結した。
生徒会の常連あかり、美紗、雪乃の三人に加え、元テニス部の恋人たち舞と遥、そして旅のお嬢様月乃の6人である。石津さんは横浜のラジオ局へ行ったし、香山先生は事務室のお菓子をつまみ食いしていたことが学園長にバレてしまい今日は職員室でおとなしく仕事をさせられているということだから大人の手を借りることはできない状況である。月乃は昨日小熊先輩から聴いた今日のミニゲーム的課題についてあかりに詳しく説明した。小熊先輩に告白をするには彼女を探し出す必要があり、タイムリミットは今日の15時である。
「本気で隠れる場所を選ぶから頑張って探して欲しいとおっしゃってましたわ」
「むぅ・・・さすが先輩様。これは難問だよ」
あかりは食器棚をにらんだまま腕を組んで考えた。ちなみに生徒会室は舞カップルのお祝いをしたままの状態なので色紙の輪を連ねたド派手な装飾が壁じゅうに張り巡らされている。
「こういう時は鈴原でしょ。あいつに知恵借りたらいいんじゃないの」
舞が雪乃の頭をがしがし撫でながら提案した。舞が言っている鈴原とは雪乃のことではなく姉の紫乃のことである。
「なあ鈴原のいとこ」
「な、なんですの」
「昨日鈴原たちに会ったんでしょ。今日の予定とか言ってなかった? あいつらもしかしたらヒマかもよ」
「・・・本当は紫乃様もお誘いしようと思ったくらいなのですが、あのお方は4連勤を終えて、ようやく今日が休日ですのよ。お手を煩わせるわけにはいきませんわ」
「んー、じゃああいつらは最終手段か。鈴原の知恵か、そうじゃなかったら倉木の運だな。倉木なら適当に指差したところに小熊先輩いるっしょ」
あ、また倉木様という女性が話に登場したなと月乃は思った。これはいい機会だから倉木様について尋ねてみることにした。
「あの、度々耳にするんですけど倉木様って一体どんな方ですの?」
「んあ? 倉木は倉木だよ。倉木は鈴原の・・・」
「わっかりましたぁあー!!」
あとちょっとで倉木様について教えてもらえるところだったのに空気を読めないあかり様の叫び声で話が遮られてしまった。
「な、なにが分かったんですかっ?」
あかりの大声にビックリした雪乃が飛びついてきたことにビックリした美紗が慌てた様子で尋ねた。ドミノ倒し式ビックリである。
「小熊先輩様は私たちが探そうとする場所をすでに予想していると思われる!」
あかりは会長専用の椅子の上に立って演説を始めた。彼女のすぐ横には天井の蛍光灯からぶら下げられた大きなクス玉が揺れており、おそらくこれはあかり様と小熊様と結ばれた時のお祝い用だろうなと月乃は思った。あの紐を引っ張ると紙吹雪と共に『祝! 私と先輩様、恋人化!』みたいなシュールな垂れ幕がおりてくるに違いない。
「であるから、今からみんな順番に今日探すべきだと思う場所を挙げていってもらって、そこに挙らなかった場所を探してみればいいんじゃないかね!」
「なるほどぉ。先輩に読み勝つには裏の裏を読むわけだな。お前にしてはなかなか賢い作戦じゃん」
あかりの意見に舞は賛成なようである。
「んー、でもさ」
舞の彼女であるしっかり者の遥ちゃんが疑問を投げかける。
「それって、予想したところを敢えて探さないで全然違うところに行ってみるってことでしょ?」
「うむ」
「小熊先輩はそのこともちゃんと計算してるんじゃないかな」
「え・・・」
考えるほど深みにはまっていく思考の泥沼へようこそである。あかりは頭を抱えた。
「うおおおお!」
雪乃様が怯えるから余り大きな声を出さないで欲しいなと月乃は思った。
小熊先輩の裏をかこうとしても、その作戦すらも彼女に読まれている可能性があり、どうにも動けなくなってしまった6人の会議は難航したが、あまり長時間悩んでいても仕方が無いのでとりあえず動くことにした。
「とにかく、ここは心当たりの場所を当たってみようと思う! 皆の者、準備はよいか!」
「おーす」
返事をしたのは舞だけだが月乃たちも荷物をまとめて立ち上がった。あかりの告白を応援したいという気持ちは皆同じである。
「あら、あかり様?」
一行は生徒会室を出て昇降口へ向かうために歩き始めたが、あかりが生徒会室の扉の前で立ち止まり部屋の中を振り返っていることに月乃は気がついた。
「なにをしていますの」
「あのクス玉、なかなか様になってるね」
自画自賛である。
「小熊様と結ばれた時のお祝い用ですの?」
「その通りだよ月乃くん。でも」
「でも?」
「中の垂れ幕に書くこと、ちょっと間違えたかも知れない」
「な、なんと書いてしまいましたの?」
「うーん、なんか急に魔が差して変なこと書いちゃったんだよねぇ」
万が一小熊先輩への告白が上手くいったとして、お祝いパーティーで変なクス玉が原因で空気が凍るのは勘弁して欲しいなと月乃は思った。
手分けして探すべきではないかと月乃は提案してみたが、あかりがいなければ告白ができず、せっかく先輩を発見してもあかりを呼びに行っているあいだに天才的雲隠れをされてしまう可能性もあるからみんなまとまって行動することになった。あかりたちの本意としては今日の夕方にこの街を去ってしまう月乃ちゃんと少しでも長く一緒にいたいのである。
「まず最初に探すのは・・・」
バスを下りたあかりが指差したのは学園に最寄りの駅前広場である。
「このあたり!!!」
小熊先輩は弓奈たちと同じマンションに住んでいるため主な生活圏は電車で1駅移動した隣街のはずだが、まずはこの辺りを捜索する必要があるとあかりは判断したのである。
月乃は周囲をよく確認しながらあかりたちと一緒に商店街のほうへに向かって歩き出したが、不意にソックスとスカートの間にふわっと柔らかい毛並みを感じて飛び上がった。
「ひっ」
いつの間にか足元にいつもの三毛猫ちゃんがやってきていたのだ。
「ま、またあなたですの・・・?」
「ニャア」
「ニャアじゃありませんわ・・・」
バス停の前で居眠りしながら月乃を待っていたらしい。ここまでしつこいと月乃のことをママかなにかと勘違いしている可能性すらある。
「今日は忙しいんですの。付いて来ないで下さる?」
ネコはにょーんと伸びをしてから月乃と一緒に歩き出した。全く月乃の話をきかないネコちゃんである。
商店街はお洒落な洋服屋が多く並んでいるため、かくれんぼをされてしまうと発見が難しいエリアでもある。
「コートの隙間とか、試着室とか・・・探すところがいっぱいです・・・」
美紗が早くもくじけそうになっている。
「がんばろ」
そんな美紗を応援したのは彼女と手をつないで歩いていた雪乃ちゃんである。雪乃もすっかりたくましくなったものである。
「がんばろ、美紗」
「は、は、はい!」
美紗は顔を赤くして高い声でお返事をした。実にいいコンビである。
「おい遥、CD屋寄ってこ」
「は?」
「先輩いるかもしれないじゃん」
「舞が行きたいだけでしょ」
舞カップルもラブラブなのだが美紗たちとは大分雰囲気が違いサバサバしたやりとりに聴こえる。しかし、実はこのとき遥は自分の名前を読んでもらえてとても幸せな気持ちになっていたりする。
「あかり、うちらこのCD屋見とくね」
「よろしく!」
舞がCD屋に入りたいのには訳があった。実はちょうどこの時間からは横浜のミナトFMのラジオに石津さんが出演しており、このCDショップではその番組が店内放送されているのだ。
『今回はクラシックをテーマにお送りしているんですが、Akaneさんには何か思い入れがあるクラシック曲などございますか?』
『ん?』
『好きな曲ですとか』
『そうだな、私の友人がよく歌っていて気に入ったのだが、かなりやや雨降りお月さん、それから少しマイナーかも知れないが啄木の詩にメロディを付けた初恋という曲なんかには強く惹かれている。あ、待て、この道もかなり好きだな・・・。畢竟音楽の魅力はメロディであると断言されることがあるが、童謡にはそっと耳を傾けたくなる詩が多いから、音楽鑑賞の深みについて再認識できること請け合いだ』
『あ、あの、クラシック曲のお話なんですが・・・』
『そもそも私は詞と曲とが別のものであるとは思っていない。メロディは音とリズムだが、歌詞も音とリズムだ。メロディから情景が浮かぶ人も多かろうと思うが、歌詞からも情景は浮かぶだろう。本質的には大差ないんだ』
『は、はい・・・ありがとうございました』
石津さんは物凄い恥ずかしがり屋なのだが、顔が見えないラジオ番組ではやたらおしゃべりであり、ちょっとズレたことをクールに、それでいてしつこく語るため司会のおねえさんはかなりの頻度で困っており、その様子をリスナーが楽しむという奇妙な構図が出来上がっている。
「いやぁ、やっぱAkane最高だわ!」
「どうせ家でこの番組録音してるんでしょ。ほらいくよ」
「はいはい」
舞は引き続き石津さんの節約術トークに耳を傾けていたが、遥に引っ張られて店を出た。石津さんは人気すぎて一日じゅうラジオに出させてもらっているので、聴き続けていたら何もできないのだ。彼女のラジオをリアルタイムでずっと聴けるのは中々のヒマ人ということになる。
「香山先生、真面目にお仕事されていますか?」
「は、は〜いぃ! やってます〜♪」
職員室に顔を出した鈴原学園長の声に香山先生は慌ててイヤホンを外した。
「あかり様、このお店にもいらっしゃらないようですわ・・・」
「うーん」
試着室のカーテンの隙間を覗いて、中にいる人にキャアと叫ばれることに慣れていく自分が少しずつ悲しくなってきたところで月乃はあかりに声をかけた。あかりは人差し指をおでこに当ててじっと考え事をしている。5分以上店の中にいると外で待たせているネコが入ってきてしまうので月乃はちょっと焦っている。
「しかたない、商店街を出よう」
「そうですわね」
6人と1匹は駅前へ戻ることにした。やはり小熊先輩が本気で身を隠せばそう簡単には発見させてくれないようである。
「んー、ドーナツ屋にもいないか」
あの優雅な小熊先輩が長時間身を隠す場所なのだから、椅子やテーブルがある場所はかなり怪しいのだが、その予想を裏切ってくる可能性もあるので捜索箇所を絞ることはできない。
「あかり様、やはり隣り街かも知れませんわね」
「よし、じゃあ電車で隣街に移動!」
「ほーい」
「・・・の前にドーナツ屋でお昼を食べて行こう!」
元気にお返事までして歩き出した舞はずっこけてしまった。まだ11時だが、あかりは今朝ものすごい早起きしてクス玉を作っていたので朝食のエネルギーはもう切れかかっているし、隣り街の広大なエリアに向かう前に英気を養っておくのもわるくないと思ったのである。
「あかり様は」
「ん?」
「あかり様は小熊様のどのようなところに惹かれるんですの?」
ダブルベリーパイを上品にナイフとフォークで食べながら月乃はあかりに尋ねてみた。
「それはもちろん、エッチなところだよ!」
「・・・訊いて損しましたわ」
ドーナツ屋の大きなボックス席を占領してあかりたちはお昼を食べ始めた。ちなみにネコちゃんは月乃に店外待機を命じられてちょっと不機嫌になったらしく、窓ガラス越しに月乃からよく見える位置にお座りして月乃のことをジトっとした目で見つめている。余程ドーナツが食べたかったのだろうが、さすがに飲食店にネコは入れない。
「まあ小熊先輩の魅力って言ったら天才的な頭脳と、あとはやっぱビジュアルかね」
舞はそう言いながらジュースのフタとストローを取り外して直接ぐびぐびとコーラを飲んだ。彼女はストローを使わない流派の者らしい。
「その通りです! 先輩様のあの瞳・・・ああ、見つめられただけでとろけそう・・・」
あかりは口の周りに生クリームを付けながらうっとりしている。小学生の雪乃もいるのだからもっと年上らしく品のある顔でロマンスを語って頂きたいところだが、雪乃は美紗の膝の上に乗ってコロネをしっぽから食べながら、窓の外のネコに小さく手を振っている状態なのであかりの顔など全く目に入っていないからセーフである。
「小熊先輩って裁縫できる?」
「遥なに急に訳分かんないこと言い出してんの」
「いや、なんか先輩が在学中にずっと思ってたんだけどさ、あの人の制服だけ襟とかスカートとか微妙に普通の奴と違ってなかった?」
「違ってないよーん」
舞は何も考えていない系女子なので返事は誰よりも早いのである。
「遥先輩さすがです! 実は小熊先輩様はご自分で制服をアレンジしてたんです。美術のセンスがすごいですからねぇ」
「やっぱそうなんだ。制服越しに見ても腰のくびれとか綺麗だったけどあれは素の状態?」
「はい。あのオリオン座もびっくりの美しいくびれは小熊先輩様の天然のくびれです。水着姿を拝見した時はどうにかなってしまいそうでしたぁ〜」
月乃が聴いた話によると小熊様は元生徒会長ということだが、そんな人が勝手に学校の制服に手を加えていいのか月乃には大いなる疑問である。
「つまりまあ、えっちで綺麗で天才で美的センス抜群なところに惹かれたわけだ。小熊先輩、すごい人だからなぁ」
星座の名前とかが出て来て途中から話がよく分からなくなっていた舞がこんな感じでまとめた。
「その通りです!」
あかりは元気に相づちを打ってクリームドーナツを頬張った。彼女のモコモコ素材のパーカーにお砂糖がパラパラとこぼれているのが月乃は物凄く気になってしまった。
「あと・・・」
不意にあかりは目を伏せて、随分と小さな声になってこう続けた。
「・・・ちょっとさみしそうなお背中とか」
「え?」
ちょっと意外なセリフを聴いてしまった月乃は思わず声を漏らしてしまったが、舞たちには聴こえないくらいの小さな呟きだったので月乃の聴き間違いだった可能性もある。
『ずどどどどどどど』
「わぁ!」
「な、なんだ?」
妙な物音が始まったので窓のほうを見ると、待ちきれなくなったネコが月乃たちをにらみながら前足を交互に使って窓を叩いていた。さすがに待ちくたびれたらしい。
「よしみんな、そろそろしゅっぱーつ!」
「ほーい」
「徹底的に探して小熊様を見つけ出し、絶対に告白を成功させます!!」
あかりがいつもの元気で立ち上がった。月乃はあかりの横顔をなんとなく見つめながら先程のつぶやきの意味を考えていた。
「ん、月乃ちゃんどうかした?」
「あ! い、いえ、なんでもありませんわ」
あかりの口の周りにはまだクリームが付いているので、本当はなんでもないことはないのだが、月乃は思わずそんな風にごまかしてしまった。
時計はまもなく12時を回ろうとしていた。