表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/22

15、帰宅

 

 さて、これは弓奈たちのお話である。

 様々な意味で劇的な高校時代を過ごした弓奈は、大学生になってようやく穏やかになってきた自分の人生にほっと胸を撫で下ろしたところである。

 弓奈の高校時代を振り返ってみると、それは誤解とすれ違いばかりであった。高校に入って初めての友達である鈴原紫乃ちゃんは、同性からモテまくって困っている弓奈にとってはまさに救世主的存在の、恋なんかに全く興味がない硬派なお嬢様だった。弓奈は彼女のそんなクールな態度を慕い、紫乃のほうも同性から受けるラブリーなアプローチに悩む弓奈のことを信頼している様子だった。しかし実はいつしか二人は両思いになっており、お互いに自分の気持ちを打ち明けられずに長い月日が流れていたのだ。ずっと我慢していた分、お互いの愛はとっても深いものになっており、今の二人は最高にラブラブである。

 しかし、最高にラブラブなのはあくまでも二人っきりの世界の話であり、普段大学で勉強したり、アルバイト先で働いている時などは二人はほとんどべたべたしない。それは紫乃ちゃんが大変な恥ずかしがり屋であり、人前では絶対に弓奈に甘えないからである。弓奈のほうもそれをよく知っているので、余程我慢ができない時以外は紫乃と手をつなぐことも控えている。紫乃ちゃんはあくまでもクールな少女だからだ。

「150円のお返しです。ありがとうございましたっ」

「キャア! ありがとうございますー!!」

 本日弓奈はレジ係をやっている。お金を受け取っておつりを返すのが弓奈の仕事であり、すぐ隣りにいる紫乃ちゃんはお客様のパンをお洒落な紙袋に適当に詰め込んで渡す係である。

「ありがとうございました、次はこんな混んでる日に来ないでください」

「キャア! 紫乃様もステキですー!!」

 丁寧な対応をする弓奈と、冷ややかな態度でパンを詰めてくれる紫乃のコントラストがお客様から大人気であり、学園からのみならず全国各地から連日彼女たちのファンが押し寄せているのだ。パンの売れ行きは去年のゴールデンウィークの100倍らしいが、どうやってそれだけの量のパンを窯で焼いているのかは謎である。



 今の弓奈はとっても幸せなので悩みなんてものは無いのだが、強いて言えば少し気がかりなことがある。それは紫乃に関することだ。

 弓奈は非常に健康的で丈夫な体をしておりスポーツも得意なのでゴールデンウィークのアルバイトの多忙さにも対応できるし楽しむ余裕もあるのだが、紫乃はそうもいかないのである。紫乃は頭脳労働でこそ本領を発揮できるインドア少女であるため、パンのような重い物体を袋に詰めてお客様に手渡しする作業などをしていたら肩や足腰に大きな負担がかかるのだ。表にはなかなか出さないものの、最近の紫乃ちゃんはかなり疲れている様子であり、お風呂から上がるとすぐにベッドの上でうつぶせに倒れ込んで眠ってしまうのだ。弓奈はそんな彼女にお布団をかけてあげて、やわらかいほっぺに優しくキスをしてから隣りで寝ることにしている。この連休中だけのことだし、明日の夜になればいつも通り二人きりでのんびり過ごせるのだが、やはり紫乃ちゃんの体調が心配ではある。



 二人は5日間あるゴールデンウィークのうち4日間を頑張ったため、今日は少し早くバイトを終わらせてもらえることになっている。しかも明日は完全に休みなので夢も希望も広がるではないか。

「お会計680円です!」

 あまりの混雑に整理券まで配っているのだが、いよいよこれが弓奈たちがレジを担当する最後のお客様だ。

「倉木さまステキです! 写真集で見るよりずっとお美しいです・・・!」

「あ、ありがとうございます。1000円おあずかり致します」

 一体いつ弓奈の写真集が出たのか。

「320円のお返しです。ありがとうございました!」

「わぁ・・・ありがとうございます!」

「はい、パンです。よく味わって食べてください」

「鈴原さまもステキです!」

「いいから早く受け取ってください」

「ありがとうございます!」

「はい、ありがとうございました。次はもっと空いている時間か、私たちが居ないタイミングにきてください」

 クールな紫乃ちゃんのひと言で本日のお仕事は終了である。二人はお客様たちに頭を下げてから裏の更衣室へ戻った。

「終わったねー紫乃ちゃん」

「人が多すぎです。途中からみんな同じ顔に見えてきました」

 紫乃は疲れ切っている。これは早く家に帰って休まなければならない。

 ちなみにこのパン屋の制服は少々脱ぎにくく、紫乃は背中のボタンを外すのにいつも苦戦するため弓奈が手伝ってあげることがある。紫乃ちゃんが何も言わずに前に立って背中を向けてきたらボタン外してくださいの合図だ。そんな時弓奈は何も言わずに紫乃のボタンを外して、「外したよ」と言う代わりに髪をやさしく撫でてあげるのだ。プライドが高くて恥ずかしがり屋でちょっと不器用な紫乃ちゃんと仲良く暮らすには言葉を使わないコミュニケーションも必要であり、紫乃と心が通じ合っている弓奈にはそれが出来るのである。

「それでは先に出てます。弓奈さんは2分くらいしたら出て来てください」

「はーい」

 お客様たちに気づかれないように店を出るための時間差作戦である。紫乃ちゃんはパンの袋で顔を隠して外に出て行った。そんな状態じゃ逆に怪しまれるんじゃないのと弓奈は思っているが、紫乃曰くサングラスとかを掛けてるほうが100倍怪しいとのことだ。

 弓奈は更衣室のベージュの長椅子に腰掛けてあやとりをしながら時間を潰した。ちなみに弓奈は先週の土曜日にあやとりで超リアルなヴァイオリンを作ることに成功し、わざわざ石津さんに見せに行ったりした。

 そろそろ2分経ったので弓奈も店を出るべきかもしれない。弓奈は誕生日にあかりちゃんから貰ったイースター風のかわいい絵柄の帽子を目深に被って外に出た。弓奈はとにかく地味な服が好きなのだが、だからこそこういう可愛さを前面に出した派手な物が変装グッズになるのである。

 店を出て人混みの中を小走りにすり抜けエスカレーターの方へ向かっていると、弓奈は何者かに急に手を握られて立ち止まった。

「えっ」

「弓奈ちゃん、アルバイトおつかれさま♪」

 小熊先輩だった。

「あ、こんにちは」

「こんにちは♪ ちょっと弓奈ちゃんに相談したいことがあるんだけど、話聞いてくれる?」

 小熊先輩は距離感が他の人とちょっと異なるのでしゃべる時に顔や体が妙に近いから、背筋を少し後ろに反らせながら会話する技術が必要になる。

「もちろんいいですけど、あっちに紫乃ちゃんもいますよ」

「んーとりあえず弓奈ちゃんだけがいいかなぁ」

 よく分からないが弓奈は小熊先輩に促されるままにパン屋から見えない位置のベンチに並んで腰掛けた。このショッピングモールの椅子はやたら座り心地が良いのでつい長居してしまうのが難点である。

「実はね弓奈ちゃん」

「は、はい」

 小熊先輩は結構な頻度で髪型が変わるのだが、今日は馴染み深い巻き髪である。おそらく小熊先輩の本来の髪はストレートなのだが、本人はコロネみたいな巻き髪を気に入っているのだろう。

「あかりちゃんのことなんだけど」

「あかりちゃんですか?」

「うん。最近のあかりちゃんと私、見ていて何かおかしいところとか、不思議なところあるかしら」

「不思議なところ・・・ですか」

 あかりちゃんは相変わらずはちゃめちゃな思考の持ち主であり、この前も弓奈たちをビックリさせようと巨大なタケノコのぬいぐるみを持って来てくれたりした。どうしてタケノコなのかとか、なぜそのままの状態でここまで持って来たのかとか、常人の弓奈には理解できない点ばかりだった。人を喜ばせたり驚かせたりする能力に長けており、生徒会長として学園をまとめる謎のカリスマ性を持っているあたりは尊敬できるが、基本的に不思議なところばかりである。

 小熊先輩のほうも相変わらず天才的な頭脳の持ち主であり、今日こうやっておしゃべりしてくれているのも、ただの雑談ではなく何かの下調べをしているとか、物事のタイミングをずらしているとか、何か裏があるのかもしれない。卓越した頭脳を人の幸せのために使ってくれるあたりはとても尊敬できるが、弓奈には不可解なところばかりである。

「・・・どちらもすごい不思議なところばっかりですけど」

「あら? そうなの」

「は、はい」

「ふーん」

 小熊先輩は綺麗な人差し指をあごに当てて天井を見上げ、考え事を始めた。まつ毛がすごい長いなと弓奈は思った。

「さすが弓奈ちゃんね、とっても参考になったわ」

「な、なったんですか?」

「ええ。それじゃまた近いうちにね♪」

 そう言って立ち上がった小熊先輩は左手で弓奈の髪を撫で、そのどさくさに紛れて右手の人差し指で弓奈の胸をむにっとつつくという高度なテクニックを披露して笑顔で去っていった。

「うう・・・」

 油断していた弓奈がわるい。胸を押さえたまましばらくうなだれていた弓奈だったが、紫乃が待っていることを思い出して席を立った。こんな時は紫乃ちゃんになぐさめて貰うのが一番である。



 だいたい紫乃ちゃんがいつも弓奈を待っている場所はエスカレーターの脇あたりなのだが、そこへ来てみても彼女がいない。

「あれ」

 紫乃ちゃんは物になりきるのが得意なのでその辺の案内板や柱にその身を同化させている可能性もあるが、どうも今回は違うらしい。何か用事があって移動したのだろうか。

「んー」

 紫乃ちゃんを探して少し歩いてみようかなと思い始めた頃に彼女が戻ってきた。珍しく少し息を切らしているので走って来たのかもしれない。

「あ、紫乃ちゃんどこか行ってたの?」

「あ・・・べ、別にどこにも行ってないです」

 明らかに今どこかから戻ってきたのにどこにも行ってないですと紫乃ちゃんが答えたので弓奈は少し笑ってしまった。

「それなぁに?」

「あ、これは・・・」

 弓奈が気になったものは、紫乃がついさっき月乃から貰ってきたお菓子入りの大きな缶である。紫乃にしてみれば何もやましいところなど無いので、素直に「さっき私の従妹の月乃さんに会いました。これはお土産みたいです」と弓奈に言えばいいのだが、冷静になって考えてみるとそれには少し問題がある。

 仮にここで月乃の名前を出せば、フレンドリーな弓奈さんのことだから「へー! 紫乃ちゃん従妹いたんだ。近くに来てるの? 私も会いたいなぁ!」みたいなことを言うに決まっており、もし弓奈さんと月乃さんが会うようなことになれば「・・・紫乃様・・・この女性とはどのようなご関係ですの?」と月乃さんに鋭く問われるに違いない。それでは恋に興味がないクールな女性としての紫乃様像が月乃さんの中で崩れてしまう。

「これは・・・さっきくじ引きで当てました」

「ほんとに? すごいね!」

「は、はい。お菓子みたいです」

 ショッピングモールは土日や祝日によく福引きを開催しており、運が良すぎる弓奈はテレビや冷蔵庫など高価で巨大な物ばかり当選してしまうため最近は避けているキャンペーンだが、紫乃ちゃんなら丁度いい感じのものを当ててくれるんだなと弓奈は思った。

「じゃ、帰ろっか」

「はい」

 二人一緒に歩く時間はとても幸せである。弓奈が右側を歩き、紫乃が左側を歩くのがいつの間にか二人の定位置になっており、逆の状態で歩き出すと「あ、反対だね」と言って入れ替わるくらいである。ちなみに人の心臓は左側に寄っているため、誰かが自分の左に立つと必要以上に緊張してしまうことがあるから、接客をする時はお客様の右に立ったほうが良いという噂がある。

「紫乃ちゃん」

「なんですか」

「手ぇつないじゃだめ?」

「・・・ダメです」

 紫乃が頬を染めてそっぽを向く様子が見たくて弓奈はわざとそう尋ねてみたのだ。二人きりになるまでそういうのはおあずけであることは弓奈もよく分かっている。

 二人が一緒に暮らしているマンションはショッピングモールから歩いてすぐの場所である。駅まではバスに乗りたくなる距離だが、その他の生活に必要なあらゆる施設が近所にあるため不便のない毎日を送っている。セキュリティが厳重なので一階のエントランスは当然のようにオートロックだ。

「今だれかいる?」

 エレベーターの辺りで誰かと一緒になると軽く挨拶くらいした方がいいかも知れないので、心の準備のためにロックを開ける前になんとなくいつもガラス越しに中を確認してみるのだ。どうやら今は誰もいないタイミングだったらしい。

 二人はエントランスに入ってエレベーターを呼ぶスイッチを押した

「紫乃ちゃん」

「はい」

「手ぇつないでいい?」

「・・・ダメです」

 紫乃は冷たく断ってぷいっと弓奈に背中を向けた。これも弓奈の想定内であり、ガラス越しに外から見えてしまうようなところで仲良くお手手を繋ぐなんて出来ない。

 やってきたエレベーターに二人は乗り込んだ。ドアが閉じた瞬間が合図である。

 紫乃は正面から弓奈に抱きついて、おっぱいに顔をうずめた。二人きりになると弓奈が何も言わなくても紫乃のほうからラブラブなスキンシップを始めてくれる。弓奈は一日がんばった紫乃ちゃんの疲れを少しでも癒してあげたくて、自分の胸を服越しにはむはむする紫乃ちゃんのあたまを優しく撫でてあげた。誰かが途中で乗って来たらあせってしまう状況だが、ここはマンションのエレベーターなので上りの場合は基本的に一階の時点で誰かに遭遇していなければ安全なのである。紫乃はそのまま顔も上げずに弓奈にぎゅうぎゅう抱きついて甘え続けた。

「着いたよ、紫乃ちゃん」

 エレベーターが止まるとあっという間にいつも通りの紫乃ちゃんに戻る。少し乱れた髪を格好よくサッと整え、背筋を伸ばしてすたすた歩き出すのだ。たった今まで赤ちゃんみたいにおっぱいに甘えていたとは思えないメリハリである。

「ただいまー」

 誰かが待っているわけではないが弓奈は部屋に着いたらとりあえずただいまを言ってしまう。弓奈が靴を脱ごうとすると、紫乃は再び抱きついてきた。玄関を入ればそこはもう二人だけの世界なのだから仕方が無い。

「あっ・・・紫乃ちゃん」

「クーン・・・」

「よしよし、今日もよくがんばったね」

「クーン・・・」

「分かった分かった、あとでいっぱいなでなでしようね」

 紫乃が甘えた声で鳴き出したらそれは完全に警戒心を解いた証拠である。弓奈はしばらく紫乃の頭を撫でたあと、彼女にしがみつかれたまま手洗いうがいをするために洗面所へ向かった。



 晩ご飯はほうれん草のグラタンと生野菜サラダである。

 弓奈はなんだかんだいって非常に器用な女なので料理も出来てしまうから、基本的に彼女がごはんを作る係である。ただし今日はサラダがあるので紫乃ちゃんも一緒に手伝ってくれた。紫乃がぶった切ってくれた野菜には素人では出せない豪快さがあるため弓奈からも好評を得ている。

 実は晩ご飯にはちょっぴり早い時間なのだが、せっかくアルバイトが夕方で終わったことだし、お風呂上がりから寝るまでの時間を少しでも長く確保したいという弓奈の考えからこのタイミングに決まったのだ。

「じゃこれ、テーブルに運んでくれる?」

「はい」

 食器などをテーブルに並べながら、こっそり紫乃は先程のお菓子の缶を取りに行った。ご飯の前にお菓子を食べるのはあまり良いことではないが、もしもこのお菓子に月乃さんが言っていたような元気が出るような効果効能があるとするならばお腹が空いている時に食べてみたほうがより力を発揮してくれるかもしれない。

「んー」

 紫乃は缶を開けてみた。ホールケーキのような形の缶の中には、まるで一輪の大きな花のように美しく並べられたお菓子がたっぷり入っていた。全て小袋に分けられており、クッキーなどは同じ場所に数枚重なって配置されているから、一枚くらい先に食べてしまっても弓奈さんにはバレないに違いない。紫乃はチョコレートクッキーをひとつ選んで食べてみることにした。

「ん!」

 衝撃的な美味しさである。しっとりしていてコクがあり、口に入れた瞬間に深みのあるとっても上品な風味が口いっぱいに広がった。月乃さんのお菓子センスの良さに紫乃も脱帽である。

 しかしこれで本当に元気が出るかどうかはまだ分からない。確かに飛び跳ねたくなるくらい美味しいのだが、この美味しさが疲労回復に繋がってくれるかどうかはしばらく様子を見る必要がある。果たして今夜の紫乃ちゃんはお風呂上がりにぐったりせずに弓奈さんに甘えることができるのだろうか。

「紫乃ちゃーん、ごはんだよー」

 紫乃はドキドキしながら食卓に向かった。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ