Eclipse-My Melty Valentine
2/14。
神に背いた男と女を祝福した、神の従者へと祈る日。
日本中の製菓メーカーが、狂ったようにあの甘くて苦い菓子を売り捌く日。
普段のヘタレっぷりはどこへやら、聖なる記念にこじつけて、若いヤツらがサカる日。
どれも違う。
バレンタイン・デーは
休息の日だ。
飲食店など掃いて捨てても夢の島が溢れるほどあるこの街では、どの店も少しでも売上を増やそうとバレンタイン商戦に明け暮れている。スイーツ食べ放題やらカップル向けコースやらを用意しているような居酒屋やレストランならいざ知らず、酒とつまみしか置いてない狭いウチの店にわざわざ聖なる一夜を過ごしにくる客は少ない。だから毎年特にイベントを企画するだとか特別メニューを作るだとかをするでもなく、時たま店に来る客と話題に出す以外は、まだクソ寒い冬真っ盛りのうちの1日でしかなかった。
それが、今年はどうも違う。
テーブルにはハートをかたどったキャンドルが飾られ、窓辺や植え込みは柊やポインセチア、シクラメン等の冬の花に彩られ、さらにBGMは、名曲「My Funny Valentine」のアレンジオンパレードだ。
例年に似ず完全なイベント仕様だが、当然ながら俺のチョイスではない。
「おじさん、これも飾っていい?」
返事をする前に、天使をデフォルメしたような男女の子どもの置物が、カウンターの隅に陣取られていた。
「悪いなあルナちゃん。いろいろやってもらっちゃって」
「全然。こうやって飾り付けするの楽しいし」
「俺も晃斗もセンス皆無だから助かるよ」
「単に思いつきもしなかっただけだろうが」
雪やハートをモチーフにした飾りを窓辺にふちどりながら、晃斗が呟く。正直に言わなくても、似合ってない。
「てめえもまんざらでもねえくせに」
「うるせ。普段からちったあこうやって営業努力しやがれ」
「はいはい喧嘩しないの」
ぱんぱん と手を叩くルナちゃんに諭され、晃斗ははあ と溜息をつきつつも飾り付けを再開する。その背中は、やはりまんざらでもなさそうだ。
「じゃあ、電気付けるね」
ルナちゃんの声とともに、店の入口や壁に飾ったイルミネーションがちかちかと灯る。カウンターの奥から出てきた彼女の一歩後ろについて、外へ出た。
「綺麗ー」
「苦労してセッティングした甲斐があったな」
寂れた通りに散りばめられた淡い桃色と白の光は、なかなか見ごたえがあった。実際コードを設置したのは晃斗だが。
「うん、いい感じ」
「じゃあ、店開けるか」
第一回、「ルーチェ」のバレンタイン・ナイトへようこそ。
少しの工夫の効果は、ぼちぼちあった。客が少ないのは相変わらずだったが、普段は来ないような若いカップルが3組ほど来て、グラス一杯で粘っていくような常連客よりはまとまった金を落としていってくれた。
若者たちは世に言うリア充という生き物らしく、始終見つめあったり手を握りあったり、カウンター席に座ってた奴らは肩と肩をくっつけて寄り添ったりと、独り身の中年には見ていて腹の中がくすぐられるような気分だった。
だが、もうひと組、四十を過ぎた親爺には理解に苦しむ、じれったくてもどかしくい奴らがいた。
「ねえーお願い。一杯でいいの」
「ダメだっつってんだろ、未成年」
「いじわるー」
「いじわる結構。俺が怒られんだよ」
ぷうっと頬を膨らませるお嬢様を軽くあしらいつつも、シンクに向かう横顔は口元が緩んでいる。客の入りも少なく、ましてや恋人たちが浮かれる夜に同じ時を過ごせるのがたまらなく嬉しいんだろう。このむっつりスケベが。
「おじさーん」
「未成年とわかっちゃ飲ませるわけにはいかねえよ。ごめんな」
甘えるように視線を送ってくるこの娘もまた、罪な女だ。20以上も歳の離れた俺ですら、邪気や媚を見抜けない。恋愛経験のない若造なんざ、イチコロだろう。
「いいもん。帰り道に買ってくから」
「そりゃいかんな。晃斗、送ってやれ」
「了解」
「こういうときばっかり意見合わせるんだから」
そう言ってまた膨れ面をしてみせながらも、彼女もまたこの時を楽しみ味わっているようだった。会話のない間も、忙しなく動く晃斗の背を眺めながら微笑み、また言葉を交わしては笑う。
そんな若者たちを茶化してやる役目もあったが、今日くらいは野暮な真似はしないでやってもいいかもしれない。俺のお供は、煙草で充分だ。
「おじさん。晃斗さんも」
そんなふうに思いながら機嫌の悪いマッチを何回か擦って灯したところで、ルナちゃんが手招きをする。野郎二人が並んで覗きこんだカウンターには、綺麗にラッピングされた包みが二つ、乗せられていた。
「おじさんのはお酒結構入れたから、かなり味濃いかも。晃斗くんのはカカオ70%のチョコレート使ってるんだけど」
「悪いなあ、俺にまで。おら晃斗、なに固まってんだよ」
音が出るほど背中を叩いても、いつものような反撃はおろか罵声すら来ない。相変わらず眉間に皺が刻まれてはいたが、そうでもしなきゃ顔が崩れちまうんだろう。
「こいつさ、甘いものダメだって教えただろう?もらえないんじゃねえかってからかったら、マジでヘコんでたんだぜ」
「そうなの?」
「へこんでねえよ。余計なこと言うな」
「晃斗くん、もしかして本当にチョコレート食べれないとか」
「そんなことねえって」
ようやくありがとう と受け取った晃斗に、ルナちゃんもほっとしたように笑う。最初から素直に言ってやればいいものを。
茶々を入れるのもはばかられるような空気に耐えきれず、働け とさっきと同じところをひっぱたいてやった。
「お疲れ様」
「ああ」
「おじさんは、もう上がったの?」
「多分。一服してるんじゃねえの」
閉店後の薄暗いバーカウンターで、隣り合って並ぶ若者二人。と、パーティションの影から聞き耳をたてるオヤジ。聞こえちまうんだから、正確には聞き耳でもなんでもないんだが。
「チョコレート」
「ん?」
「嫌いだって聞いたから、どうしようかと思ったんだよ」
「だから、嫌いじゃねえって。好きこのんで食わないだけで」
「食べてくれないの」
「食ったよ、さっき一個。美味かった」
「本当に?」
「本当に」
本来なら店を閉めたあと必ず一服するあいつが、ルナちゃんを送るようになってからこの時間帯は吸わなくなった。少し前までは、人の分まで平気でかっさらうニコチン中毒だったくせに、だ。
静寂が流れ、キスでもしてんのかと隙間から覗くと、違った。ルナちゃんがいつものリュックから、さっきとは別の包みを出している。
「じゃあ、これはいらない?」
どうやら「本命」というヤツらしい。さっきもらったのとは、ラッピングの力の入れようが違うことは、遠くからでもわかった。
「晃斗くんがチョコもらってくれなかったら、こっちを渡そうと思ってたんだよ」
「…甘くない」
「ジンジャークッキーだよ。チョコレート使ったのはトッピング分だけ」
「わざわざ、作ったのか」
「いらなかった?」
またしても沈黙。あまりにも背中がむず痒く、わざと音を立てて寄りかかっていたパーティションから離れる。
「あとで、食べてね」
「ああ」
気まずさと殺意のこもった視線を感じつつ、奥の部屋にひっこんだ。遠くで、ドアベルがカラン と二人を見送ったのが聞こえた。
「ったく」
戻った部屋でひとりごちつつ、ルナちゃんにもらったチョコレートを舌の上で溶かす。
効きすぎたブランデーが、ほんの少し苦い。
「どいつもこいつも」
写真の中で笑うもうひと組のリア充どもに、ひと欠片ずつ、オトナの味のそれを分けてやった。
恋なんて忘れちまったオヤジでも
今夜くらいは、浸ってもいいよな?
シュウさん視点のバレンタインでした。
最後の方にちょっとだけ、おっさんの秘密を出してみました。
しかしこいつら、ゲロ甘い…
本編徐々に暗くしていく予定だから今のうちに幸せなのを書いておきます。
ありがとうございましたー!!