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Eclipse~SS  作者: 楪美
13/14

Fever





「お客様にお知らせいたします。ただ今この先の駅で非常停止ボタンが操作され…」

「大丈夫か」

「大丈夫」




声を出してから、反射的に手が出ていたことに気づいた。




ひどい満員電車だった。昼食を終えて大学を出て駅に入ると、普段使用している路線が運転を見合せていた。気候とコンディションがよければ、マンションまで徒歩三十分弱の道を歩いて帰るという選択肢もあり得た。だが、気温三十六度で天気は快晴、おまけに都内屈指の交通量の多さで名高いメインストリート沿いのルートという状況では、冗談抜きで命の危険が伴う。相談するまでもなく、俺たちは振替乗車で地下鉄の改札を通り抜けた。




覚悟はしていたものの、地上から流れた乗客は相当な数だった。一本見送ってようやく乗った車両は、人間の頭で埋め尽くされていた。発車してもスピードは上がらず、前の電車との間隔をとるために徐行と停止の繰り返しだった。そんな中、発車したと思った次の瞬間に急ブレーキがかかり、多くの乗客たちが慣性に逆らえず一斉にバランスを崩した。俺の正面でリュックを抱えていたルナも、大きくよろけかけた。咄嗟に出した腕は、彼女の肩あたりと誰のものだかわからない腕に挟まりながら、一応その小さな身体を支えている。




「ごめんね」

「いいよ」

「痛くない?」

「いや。おまえは」

「平気」




俺よりも頭一つ分以上背の低いルナは、意識的になのか自然にか、少し顎を上へ向け、白い喉元を晒すようにしながら俺の目を探す。長い睫毛が、瞬くたびに揺れるように動く。近距離と熱気とのせいで増している彼女の香りが、鼻腔から脳をやんわりと刺激する。




「お待たせしました。電車が動きます。ご注意ください」




聞き取り辛い車内アナウンスと大きな揺れののち、電車は運転を再開した。腕を挟んでいた重みが和らいだ一瞬の隙に、肘を引いて脱出させる。目線を戻すと、ルナは俺と身体向き合わせたまま、正面を見つめていた。こうなってしまうと、表情は見えない。仕方なく、果てなく繰り返している行き先表示の液晶を眺めた。




彼女の肌に触れていた側の皮膚だけが、離れてからも熱いまま脈打っているのを感じていた。











「ちょっとだけ、休んでいい?」




やっと到着した降車駅で、今度はホームへ降りようとする乗客の洪水に巻き込まれた。流されていってしまったルナをかろうじて目だけで追い、人波をかき分けて夢中で進んだ。なんとか傍へ辿り着いた途端に、まとわりつくような熱と汗を感じた。ルナの方はもともと白い顔からさらに色素が奪われていて、気だるげに目を細めながら、ベンチへ座った。




「人酔いしたのかもな」

「たぶん。あんな混んでる電車乗ったの久しぶりだよ」




通気孔からの風を浴びるように上を向いて首を反らせたまま、ルナは応える。風に靡いて揺れる長い髪と、声とともに動く喉元に、目が引き付けられて離れない。




「朝より酷かったな」

「晃斗くんは?」

「ん?」

「座らなくて平気?」

「平気」




口が勝手に動いていた。ついでに、なんの意図もなく、ベンチに座らずルナのもとでしゃがみながら、目線を合わせていた。やけに思考が鈍っているのは、暑さのせいだと言い聞かせる。




「気分は?」

「よくなってきた気がする」




普段よりもほんの少し短い、多分俺だけが知っている間を空けての答えだった。微笑む顔は、タイミングよく切り取られたように完璧で、慣れた違和感を胸のあたりにもたらす。




「無理すんな」




言うと、今度は目元と頬を緩ませ、切なげにルナは笑ってみせた。また、何も考えられなくなる。彼女の心のままの表情は、いつものように容易く俺を奪っていく。




ベンチから立ち上がったルナに、また無意識に合わせて一緒に立ち上がる。見上げるルナの瞳に、俺の影が映っている。同じように、その澄んだ瞳を見つめ返す。




ふ と、その視線が落ちたと思った瞬間、甘い香りが満ちて、柔らかな身体が触れた。




背中には両手の、胸元から下にはルナの身体の感触を、狂ったような熱とともに感じていた。暴走一歩手前の両手から力を抜いて、艶やかな髪と華奢な肩に触れ、抱き寄せる。




音も、声も聞こえなかった。左胸から繰り出される鼓動が、その少し下から伝わるルナの胸の音と共鳴していた。一つに溶け合っていくそれは心地よく、燃えるように熱されていた身体を、心の内を、穏やかに鎮めていく。




あったかい




ルナの声が、心臓の音と一緒に沁みてきた。




眠りに似た浮遊感の中、長いクラクションが轟音とともに迫ってきて、通り過ぎていった。




小さな頭をなるべくそっと撫でてから、身体と身体の間に隙間を作る。蕩けたようなルナの瞳が、またゆっくりと瞬く。




「もう、大丈夫」

「うん」

「帰ろう」

「ああ」




リュックを背負った彼女と並び、音と温度と景色が戻ってきた駅を、街を歩いて帰った。






束の間でも確かに溶け合ったあの時が夢ではなかったと、太陽のせいではない、全身から生まれてくる熱が、冷めることなく教えていた。





「Heat」の晃斗視点

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