Eclipse~an easy day
Eclipse~ an easy day
「俺さ、結婚するわ」
「…あっそ」
このやり取りだけで殴られる意味がわからない。しかも拳で。キャベツを刻んでいた包丁を滑らせて落とさなかったのは、ほぼ奇跡だ。
「もっと喜べ!そして祝え!というか信じろ!」
「今日が何の日かくらい俺だって知ってるっつの」
「ったく、ノリ悪いなてめえはよ」
もう一度叩こうとしているおっさんの平手をかわし、俺はまたキャベツの千切りを再開した。
嘘をついても許される日だからと言って、どっかの国の新聞や大手の検索サイトのように、くだらなくも気の効いたジョークを飛ばせるような度量など俺にはない。わかりきった嘘にわざと大袈裟なリアクションをとれるような寛大さもない。世の中が沸き立つ日であろうと、俺みたいな人間には特に代わり映えのない、むしろ面倒とすら感じる春の一日だ。
時計の針はまだ十時前。
今日残りあといくつ、嘘を捌いていけばいいのかを考えると、うんざりするしかなかった。
* * *
「笑いすぎだよ、馨さん」
だって、とか、ないわ、とかの単語を最早聞き取れないくらいに途切れ途切れに洩らす隣人は、玄関先でお腹を抑えながら盛大に笑っている。僕は頭を掻いた。髪の毛の感触はなく、頭皮を燃した柔らかい素材にそのまま爪の先が触れている。我ながら上出来だ。
「でも、思ったより楽でいいね。頭が軽いし、触り心地も」
「やめて!もう無理!まともに見られない」
言いつつ、馨さんの目は僕の禿頭を見て、また身体を折って大笑いする。
「すごいよね、特殊メイクって。この中にちゃんと全部髪の毛が収まっちゃうんだもん」
カツラは思ったより簡単に外れ、蒸れていた頭が空気に触れる。馨さんはあー笑った とようやく落ち着きを取り戻した。
「もうダメ、私の負け。こんなの敵うはずないわ」
「やった。凝った甲斐があったよ」
「それにしても凄いわね。何時間かかったの?」
「二時間ちょいかな。プロ技だよね。こんなの自分じゃ絶対できないよ」
普段はメイクを仕事にして食べている知り合い渾身の力作だった。冗談半分でオファーしたら、すぐにノリノリで承諾してくれた。ここまで笑わせてくれた彼には、お礼を弾まないといけない。
じゃあ、もう仕事行くね と未だに笑いの収まっていな彼女を、僕は呼び止めた。
「馨さんは、どんな嘘の予定だったの?」
その瞬間ジャキン と金属音がして、黒い塊が視界に入った。続いて、振り向いた彼女と、冷たい、色のない瞳が映る。
「ごめんね。仕事なの」
無表情な彼女の声に一歩遅れて、破裂音が響く。
煙のあとに、頭を抱えた顔文字と「wwwww」の文字が入った旗がはためいた。
「充分凝ってるじゃん」
「さっきの頭で言われてもね」
それからまたしばらく爆笑して、結局彼女が出掛けたのはそれから十数分経ってからだった。
* * *
「紹介するね。俺の新しい恋人」
目を疑った。と言うよりも、自分の脳を疑った。
夢、じゃない。
つねった手の甲がひりひりする。
学校に成績確認をしに足を運んだ帰り道。久しぶりの電話で、彼は大事な話があるんだ と神妙に言った。その口調から、ただ事じゃないと感じた。だから、今日の日付を確認するのも忘れていた。
学食で待っていたのは、征景さんともう一人、学ランを着た男の子だった。笑みを浮かべた征景さんと対照的にうつむき加減で、上目使いでちらちらこちらを見ている。
綺麗な二重と肌が印象的で、可愛い男の子だな、と思った矢先だった。
「可愛い子だね」
当たり障りのないことしか言えなかった。
言葉になるまえの思考が、頭の中でぐるぐる回る。
男の子、だよね
喉仏出てるし、うっすらだけど髭のあともある
制服?ってことは高校生?未成年?
これは、性別とか以前に、犯罪?
でも、お互いがいいなら別に私の意見なんて
というか、え?
なんで、私に?
そこまで考えたところで、ようやくくすくす笑う声が耳に届いた。
さっきまで恥ずかしそうに下を向いていた男の子は口元を押さえて肩を震わせて、征景さんに至ってはお腹を抱えて笑っている。
「なに?なになに?」
「ルナちゃん。今日、何月何日?」
訳のわからないまま腕時計を見た。
デジタル表示の日付の表示は
「4月、1日」
男二人の爆笑が学食に響いた。
ぐちゃぐちゃになりかけていた考えの糸がほどけて消えた直後、すう っと、胸の中が冷たくなった。ゆっくり空気を吸い込んで、零下に冷やしたそれを、ゆっくりとまた吐きだした。
「何、やってんの?」
* * *
予想は的中した。
普段飲んで食う以外には口を開こうとしないような親爺や、甲高い声で喋り倒す中年女グループ、誰も彼もが他愛ない冗談をかましては、「エイプリルフール」だと口を揃えて言ってまた笑う。
おっさんは常連客のジョークの相手に早々に飽きて、奥で作業すると言って引っ込んでしまった。もともと暇な店ではあるが、客がうそぶくのをいちいち突っ込むこともできずにただ聞いているしかできない身にしてみれば、これほど疲れる一日はない。
ランチタイム終了間際の十七時十分前、ようやく客もいなくなり、一服しようとした頃だった。
カラン とドアベルが鳴り、木製の扉が開く。
追い払おうと思ったが、その見慣れたロングヘアが目に入り、そのまま何も言わず煙草に火をつけた。
「どうした?」
煙草をふかしても座りにこない彼女に声をかける。入り口に佇んだままだった彼女は、ようやくうん と返事をしてカウンターに腰掛けた。いつもなら挨拶の一つでも交わすところなのだが、何故か互いに声をたてることはなかった。他の客同様、彼女も何か冗談の一つでも吹っ掛けてくると身構えていたのが馬鹿らしくなった。
注文はなかったが、とりあえずいつも頼むアイスティーを出す。彼女はありがとう、と呟いたあと、また視線を下に戻した。
意を決し、何かあったのかと訊ねた。余計なお節介を妬くのは性に合わなかったが、彼女の表情は放っておくにはあまりに沈んでいた。顔をあげた彼女は俺をじっと見て、それから、どうしよう と洩らした。
「私、進級できない」
「え」
「登録ミスで、去年一年分の単位全部落としちゃってた。もう一年、一年生やんなくちゃ」
「それって」
「留年 ってこと」
俺は大学のシステムはよくわからない。それでも、学生にとって単位というものが重要であり、また留年が大きな問題であることは知っていた。
「どうしよう、授業料もう一年分なんてないよ。バイトしてもそんなに稼げない。このままじゃ、学校行けないよ」
涙声になっているように見えたのは、気のせいだったかも知れない。ただ、うつむいて消え入るように話す彼女は、普段の様子からは考えられないくらいに落ち込んでいた。
「家には」
「言える訳ない」
それ以上、彼女は喋ろうとしなかった。
何も言えない自分がもどかしかった。
誰かに振られた冗談を、どうやってかわそうかとしか考えてなかったことへの後悔が沸き上がってきた。こういう時に何も言えない無力感が、これほどまでに重いものなのか。言葉の一つさえ思い浮かばない使えない頭を呪った。
考えたすえ、何か食うかと聞いた。
「好きなもの作ってやるよ」
「でも」
「いいよ。おっさんいねえし」
この状況で金をとるほどがめつくねえよ。言うと、彼女は一瞬目を見開いて、それからようやく笑った。そして、一呼吸置いたあと、ごめんなさい と頭を下げた。
「うそ」
「へ?」
「嘘つきました。ちゃんと進級できるよ」
言って、彼女はリュックから一枚の紙を取り出した。渡されたそれに目を通す。
「成績票?」
「ちょっと、自慢したかったんだ」
科目名らしい欄の隣に、優とか良とかの文字が並んでいる。可の文字もところどころあったが、見た印象でそれなりにいい成績なのだということは理解できた。
「なんで」
「ほら、今日は」
「じゃなくて、何で俺の、ウチの店に」
「嘘をね、ついてみたかったの」
アイスティーを一口飲んでから、彼女は話してくれた。
今日が前の年の成績票が出る日であったこと。
心配のあまり、四月一日であることを忘れていたこと。
予想以上の成績がとれたことを誰かに伝えたかったこと。
その第一候補に、同姓の恋人ができた と見事に騙されたこと。
「会社の同僚の弟で、俳優志望の子だったんだって。確かに可愛い顔してたけど、やっぱりなんかこう、イラっときちゃったよ。私の心配と安心を返せ!って」
「それで、むしゃくしゃしてやったと」
「むしゃくしゃ半分と、確認半分」
「確認?」
「ジョークなのに、騙されてムカついちゃった私は心狭いのかなーって思っちゃって。それで、何となく晃斗さんとおじさんならどういう反応するのかなって思い浮かんだの。おじさんは多分ちょっと疑いながらも信じてくれて、晃斗さんは」
「俺は?」
聞き返すと、彼女はくす っと笑って言った。
「嘘だってわかっても、最後まで聞いてくれると思った」
「何だそりゃ」
「え、もしかして信じてくれてたの?」
この女。
「俺を何だと思ってんだよ」
「そっかー。ちゃんと騙されてくれたんだ」
上機嫌にアイスティーを飲み干す彼女を見てると、呆れる気も起きなかった。だが、腹もたたなかった、と言えば嘘になる。
まったく
「バカだな」
「あ、今バカって言った」
「君のことじゃない」
首をかしげる彼女の前に、伝票を置いてやった。
「がめつくないんじゃなかったの?」
「これでチャラな」
「はーい」
むくれながらも素直に財布を出すところが憎めない。気を抜くと、借りが増える一方だ。
「でも、よかった」
「何が?」
「騙されれば、誰だって少しはネガティブになるよね。怒ったり、へこんだり。心の底から笑い飛ばせなくても、別にいいんだよね」
そうか と得心がいった。
俺の退屈と憂鬱の原因が、ようやくわかった気がした。
「騙されんのも、悪くないかもな」
と、喉まで出掛けた言葉を飲み込む。
余計なことは口にせず、バイトに向かうと言った彼女を、店の出口で見送った。
腕時計の時刻は17時20分。
日付は、四月一日。
たったの三十分で、一気にバカになり下がってしまった。
「帰ったか、ルナちゃん」
店の奥から、おっさんが声をかけてきた。どうせ嫌らしい顔をしていると予想はつくので、そちらに目は向けない。
「ああ」
「随分楽しそうに話してたじゃんか」
「別に」
そこで、おっさんの方を見て俺は言った。
「大した話じゃねえよ」
END
こんにちは、エイプリルフールにロクな嘘をつけなかった楪美です。
嘘の代わりに、四月馬鹿ネタを書きました。
時系列は今公開しているより大分先のお話です。
それでも、連載に支障のないように書きました、つもりです。
いや、ちょーっとフライングしてます。ホントにちょっと。
だって、早く書きたいんだもん(←書けよ
本編も頑張ります。ありがとうございました!
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