終わりと始まり
今回は、戦闘シーンはありませんが、死などの表現を用いている部分があります。ご注意ください。
ザッ。
しとしとと雨の降る夜。
「彼」はまた、初めてこの街に来た時と同じ所に戻って来ていた。
─ここか…
「彼」は、ほっとするような、呆れるような、変な気分でそこを見た。
ここに戻って来るまでの数日間、彼は様々な手を使って生き延びて来た。「彼」にしか使えないような手も使った。
だが、それももう限界に達していた。
ここに戻って来たのは、死ぬ場所を探す最中だったのだ。
勿論最初は、ここを死に場所にするつもりなど全くなかった。戻って来たのも、全くの偶然だ。
けれど実際戻って来てみると、ここで死ぬのが一番良いような気がした。
「彼」は、フラフラとそこに座り込んだ。
動くのももう限界だ。ここを死に場所に選択したのは、色々な意味で正解だったのかもしれない。
─人間の姿で死ねば、哀れんでくれる人も多いだろう。
そんなことを考えながら、「彼」はゆっくりと目を閉じた。
降り続く雨が体温を奪い、意識も段々と遠退き始めた、その時だった。
「もしもし?あなた、大丈夫?」
女性の声がすると同時に、肩に手が置かれた。
「彼」は、そっと目を開けた。
そこには、差した傘を彼の方に傾けながら、「彼」を覗き込む女性がいた。
「はい、とりあえず傷口塞いだよ」
彼女は消毒液や絆創膏、包帯などを片付けながら微笑みかけてきた。それから立ち上がり、キッチンに歩いていく。
「彼」は黙ったまま、傷口に巻かれた絆創膏や包帯を眺めた。
「まだ完全に塞がったわけじゃないから、勝手に剥がしたり無理な運動しちゃ駄目だよ」
彼女はキッチンに向かいながら声をかけてきた。
「今、スープ作ってるから。出来るまで待ってて」
「…何故助けた」
「彼」はぼそりと言った。
キッチンから不思議そうな彼女の顔が覗いた。天真燗漫な彼女の顔が、「彼」は逆に不愉快だった。
「どうせ僕は死ぬしか無いのに。こんな中途半端な救いは、哀しくなるだけだ」
「彼」は怒りを込めて続けた。
怪我を治されて、食べ物を与えられてまた追い出されても、至る結果は同じだ。なら、救われない方が良かった。
「どういうこと?死のうとしてるの?」
彼女は「彼」の隣に戻って来て聞いた。「彼」は頷いた。
「どうして?ご家族が哀しむよ。それに…」
「家族なんかいない」
話す彼女の言葉を遮って、「彼」は言った。
「両親も、兄弟も、みんな人間共に殺された」
「…<人間共>?」
同じ人間を言うのに、言い方に違和感を感じたのだろう。彼女は、驚きながらも不思議そうに聞き返した。
「僕の家族は、人間じゃないから」
「…?」
「猫なんだ」
「彼」はそう言ってしまってから目を伏せた。
この事は、言うつもりはなかった。自分の辛い思い出。それを、こんな、初対面で、しかもすぐ別れることになるであろう女性に喋ってしまうとは思っていなかった。けれど彼女には、何故かとても話したくなったのだ。
聞かされた彼女は、少し驚いた顔をして、更に何か尋ねようとしたようだったが、「彼」を見てすぐ口をつぐんだ。
「…深いことは聞くべきじゃないみたいだね。でも、だからって死ぬのは良くないよ。とりあえず、頭を冷やす為にも、一旦家に帰ろう。スープ食べたら、後で家の場所教えて。送ってくよ」
「家なんかあったら、死のうとなんかしないよ」
「彼」はまた言った。彼女はもっと驚いた様子だった。
「どういう…こと?」
「だから。僕は今、何も持ってないんだ。家は勿論、お金も、食べ物も、水も。数日前、ある場所から逃げてきた。この街に着いたのはごく最近だ。今日まで、何とかして生き延びてきた。でも、それももう限界だ。だから、あそこで死のうとしていたんだよ」
「彼」は淡々と、何でもないことのようにそれを話した。
でも彼女は、驚くような、悲しむような、複雑な表情をしていた。
初めて聞いたはずなのに、まるで自分がその体験をしたかのような表情だった。
「とにかくそういうわけで、僕はもう何もしていらない。スープも良い。君が食べてくれ。またこの街のどこかで僕が倒れているのを見掛けても、もう放っておいてくれていいから。じゃあ」
そう言って、「彼」は立ち上がった。けれど、
くいっ。
袖を掴まれる感覚を感じたかと思うと、引っ張られて、倒れるように座らされた。
見ると、彼女が袖を掴んでいる。
「な…!?君、話を聞いていなかったのか!?もう放っておいてくれと言ったんだ!!」
慌てて叫ぶ。
「ちゃんと聞いてたよ。だから引き留めたの」
「え?」
「行く場所が無いなら、ここに住んでいいよ」
「…は?」
突然の申し出に、「彼」は呆然とした。彼女はまた言った。
「私、今一人暮らしだから、部屋は空いてるの。お願い、簡単に死ぬなんて言わないで」
何故か、彼女は哀願するような瞳をしていた。その瞳に釣られ、「彼」は思わず頷いた。彼女はとても嬉しそうに微笑んだ。可愛らしい笑顔だった。
哀願するような瞳には耐えられなかったので、笑ってくれたのにはほっとしたが、「彼」は内心驚いていた。
まさかこんな風に、生活する場所を見つけられるとは思わなかった。家は見つけられず、誰にも深くは悲しまれずに死んで行くのだと思い込んでいた。
「そう言えば、あなたの名前まだ聞いていなかったよね。何ていう名前なの?」
思い出したように彼女が聞いた。
「名前…?」
「うん。私は神崎まどか。神様の神と、やまへんに奇数の奇の崎で神崎だよ。まどかは平仮名。あなたは?」
「…無いよ、そんな物」
その答えに、まどかは目を見開いた。
「僕の両親は、言ったように猫だったから、そんな物を作る術は知らなかった。その後引き取られた場所─つまり僕が逃げてきた場所だけど─は、僕たちのことは番号等で呼んでいた。研究所だからね」
「け、研究所?」
まどかが素頓狂な声を挙げた。その時、
くんくんっ。
「彼」は、匂うはずのない匂いを感じた。
「何だか…焦臭くないか?」
「彼」のその言葉に、まどかはハッとキッチンを見た。
「ああ~っっ!!忘れてた!スープ!!!」
そう悲鳴に近い叫び声を挙げると、まどかはドドドドドッとキッチンへ突進して行った。
それから、ピッ、と火を消す音が聞こえ、続いてカチャカチャと器を用意する音が聞こえた。
…少しとしても焦げたスープを他人に食べさせようとするとは。変わった考え方の人だ…
そんな風に思っているうちに、まどかが盆にスープ皿を乗せて戻って来た。スープ皿からは湯気が立ち上っている。
「ごめん、ちょっと焦げちゃった。焦げた所を削っちゃわないよう気を付けて掬ったから、それほど味に影響はないと思うんだけど…少しでも不味いって思ったら、遠慮なく残してくれていいから」
まどかはそう言って、ことんとスープ皿を置いた。
スープ皿には、野菜がたっぷり入った美味しそうなスープがなみなみと注がれていた。
「彼」には、焦げたという事実より、目の前の美味しそうなスープを食べたいという気持ちの方が明らかに強かった。
「彼」は早速スープを一口掬って食べた。
温かいスープがじんわりと身に染み渡り、雨に濡れて冷えた体を温め、数日間歩き続けたことで疲れた体を癒し、何より数日間まともな物を少しも食べなかったことによる空腹を和らげた。
ほう、と「彼」は一息ついて、またもう一口掬って口へ運んだ。
「ど…どう?美味しく…ない?」
何も言わない「彼」に不安になったのか、まどかが尋ねた。
「彼」は、放心したまま答えた。
「凄く…美味しい。」
その答えに、まどかは顔を輝かせた。そして、微笑みながら無言で一口一口味わって食べる「彼」を見つめていた。
「…美味しかった。ありがとう」
スープを食べ終えてから、「彼」はまどかにお礼を言った。
「ううん、私も気に入って貰えて嬉しい!綺麗に食べてくれてありがとう」
まどかは笑ってそう言うと、立ち上ってスープ皿を片付けに行った。
戻って来て、まどかはまた「彼」に尋ねた。
「食べる前に言ってたことについてだけど。説明して貰って良い?」
まどかはそう言って椅子に座って頬杖をついた。完全に聞く体勢だ。
「彼」ももう話すつもりになっていたので、話し始めた。
「僕は、逃げてきたって言ったけど、捕まっていたとかそういうわけじゃない。いや、捕まっていたような物だが、監禁されていたとかそういうわけじゃないんだ。僕がいさせられていたのは研究所。勿論、そこの研究対象物としてだ」
「何の研究なの?」
「僕の、いや、僕たちの能力についてだよ」
まどかは、また驚いた表情をした。
「知らないと思うけど、世界には、変な能力を持った人がいるんだ。火を作り出す能力とか、手で触れずに物を持ち上げる能力とか。その能力が現れるタイミングも様々だ。僕みたいに生まれつきの人もいるし、後天的になった人もいる。そういう人たちを集めて、謎を究明しているんだよ。まだ確かな情報が得られてないから、極秘にされているんだけどね」
「…」
「僕の番号は、A-724。一番最初のアルファベット、僕の場合Aは、研究対象としての価値というか階級というか、を表している。SSから始まって、下がってS、また下がってAになり、そこからアルファベット順にABC…と下がって行って、一番下がEだ。まあ、一番上であるSSは滅多に出ないから、事実上Sが一番上のような物だけどね。決め方は基本的に能力の強さだ。Aの一番上とまでなると、Dレベルの者を総動員しても勝てないくらいにまで行く。まあ─」
そういって、一旦「彼」は言葉を切った。
「僕がAにいる理由は、能力が滅多に無い変化系であることがほとんどなんだけどね」
「えっと…ちなみに、あなたの能力は何なの?」
まどかが尋ねた。
「さっきから、<生まれつき>とか<変化系>とかみたいな、ヒントみたいな言葉はいくつか出てきたけど、肝心の能力はまだ教えて貰ってないよ!教えてくれるんだよね?」
「両親が猫だって言っただろう?そこから想像はつくんじゃないか?」
「…もしかして」
「そのもしかしてだろうね、おそらく」
そう言って、「彼」は立ち上がった。
「僕の能力は」
彼が手を広げる。周りに風が巻いた。
「猫になることだ」
次の瞬間。
まどかの隣に立っていたのは、黒ずくめの少年ではなく、真っ黒な猫だった。
闇のような黒い毛の中で、赤い瞳が燃えている。
ミャァ~オ。
黒猫が、一つ鳴いた。
まどかはその黒猫を見て、口を開いた。
「…か、
かわいい~~~っっっ!!!!!」
そう叫んで、まどかはその黒猫を強く抱き締めた。まどかの腕の中で、黒猫がジタバタと暴れた。
その黒猫は、確かに可愛かった。
確かに、黒くて綺麗な毛波や、燃えるような赤い瞳、すらりとした立ち姿など、“「彼」を猫にしたらこんな感じ”というイメージをピッタリ表現したような猫ではあった。
だが、雰囲気はそうでも、つまりは猫。可愛いことに変わりはなく、むしろ「彼」の刺々しい雰囲気が可愛さを引き立たせている。
にゃ~~~っ!!!
猫は絶叫すると、まどかの腕から素早く逃れ、すぐさま人間姿に戻った。
「な…何をするんだ、いきなり!?」
戻った「彼」は焦った様子で怒鳴る。そう言っている「彼」の頬は真っ赤になっていた。
「ご、ごめんっ!あまりに可愛かったものだから、その、つい…」
慌ててまどかは謝った。目は「もう一回猫になってくれないかな~」と言っていたが。
「と、とにかく!これが僕の能力。持って生まれたものだ。何故この能力が生まれたのかは分からない。両親は猫だから、猫に変化する能力と言うより、人間に変化する能力と言った方が正しいかもね」
顔を赤らめたまま一気にそう言うと、「彼」は溜め息を付きまた続けた。
「そう…僕の能力は、他の奴らよりもっと謎に包まれている。だから、Aクラスに入れられたんだ。だけど、研究所にいても、謎は少しも解かれなかった。むしろ、謎が深まるばかりだった。例えば、元は猫なのに、勉強の能力があったりしてね。この能力は僕にしかない。だから、研究価値も高くてね。Aクラスは低すぎる、Sクラスにするべきだっていう話も出ていた。それでも断ったりして何とか逃れていたんだが、ついに、SSクラスを作ってそこに入れようという話が出てしまった」
「!」
「僕はそんな上の階級に行きたいなんて思っていない。それに、Aクラスにいる今の時点で、Cクラス辺りに僕のことを睨んでいる奴らがいたんだ。不本意なことに加えて、これ以上敵を増やすなんてまっぴらだった。だから逃げたんだ」
「…」
「もともと、いつかは逃げようと思っていたからね。良いタイミングだったんだよ」
そう言って、彼は溜め息をついた。
「…そんな所から、よく逃げ出せたね…」
「ああ…普通なら無理だよ。そんな重要な研究をしているところだからね。警備にはすさまじいものがある。だが、警備員によくしてくれる人がいてね、その人に協力してもらった」
「…そ、その人は、大丈夫なの?」
「ああ、多分大丈夫。普段忠実な人だから。多分疑われないよ」
「彼」はそう言ってから遠くを見る目をした。口ではそんなことを言っていても、内心心配なのだろう。
まどかは、そんな彼の様子を見ながら、意を決して彼に声をかけた。
「あっ、あのね!」
「…ん?」
「あなた、名前ないって言ってたよね。なら、あなたの名前、私が付けてもいいかな!?」
瞬間、「彼」はまどかを見てわけが分からないという表情をした。
「えっと、人間姿と猫姿を見て、どうしてもイメージに合う名前を思い付いちゃったの。それで、あなたが迷惑じゃないなら、その名前にしてもらいたいなぁって」
まどかはもじもじと言った。
「ほら、これからずっと名前無しで行くわけにも行かないでしょ?呼ぶときとか色々と不便だし。だから、名前、作っておいた方が良いんじゃないかな?」
「ふむ…それもそうだな。研究所なんかに付けられた番号を使い続けるなんてまっぴらだし…かと言って思い付く名前もないしな…」
「彼」は腕を組んで考え込んだ。そんな少しの動作さえ格好が決まっている。
腕を解くと、まどかに答えた。
「分かった。君が考えてくれた名前を使おう」
まどかはぱああっと顔を輝かせた。
「本当!?やったあっ!!」
と、両手を挙げて飛び回って喜んだ。
思わず「彼」はくすりと笑った。笑ってから驚いた。笑ったのは何年ぶりだろうか。もしかすると、研究所にいた頃は一度も笑わなかったかもしれない。いい出会いって本当にあるんだな、と「彼」は心の中で呟いた。
「じゃあまず、人間名ね。人間名は、ツキヤナイト!月の夜に、騎士と書いてナイトだよ。黒ずくめの格好とか、立ち姿とか、なんか雰囲気がピッタリだったから。それから、猫名はナハト。nachtって書いてナハトだよ」
「綴りなんかに重要な意味などあるのか?」
「大ありだよ!!nachtはドイツ語で夜っていう意味なんだから。そこのところしっかり分かっておいてもらわないと」
熱く語るまどか。目は真剣そのものだ。
「君、ドイツ語が好きなのか?」
騎士が聞いてみると、
「うん、て言うか、ヨーロッパ辺りの言葉が好き。なんて言うか格好良いでしょ!?」
まどかは目を輝かせて答えた。何て単純明解な理由だ…
「と、言うわけで。あなたの名前はたった今から月夜騎士!!猫の方はnachtだよ、分かった?」
「ああ。ありがとう、神崎さん」
騎士は少し微笑んで答えた。答えた後、自分で驚いた。こんなに自然に笑顔を出せたことに。
けれど、まどかは首を振った。
「名字かつさん付けなんて他人行儀なことしなくて良いよ。私も騎士って呼ぶから、騎士もまどかって呼んで」
まどかはにっこりと微笑んだ。騎士には真似出来ない、眩しい程の笑顔だった。
騎士は手を差し出して言った。
「分かった。これからよろしく頼む、まどか」
「うんっ!!」
まどかは、両手で差し出された騎士の手を包み込んだ。
普通の人間と猫人間の、一風変わった生活の始まりだった。
こんにちは、侑乃です。
さて、第二話というか、第一話後編のようなものが出来上がりました(でもややこしいので、今後は二話とさせていただきます)。
そして、「彼」にやっと名前が付きました。ちなみに騎士の名前は人間名・猫名共に完全に私の趣味です。ヨーロッパの言語も大好きです。つまりまどかと私の(少なくとも言語についての)趣味は同じです。語り合ってみたいですね。
さて、すでに作ってあるのはここまでです。途中から離脱して番外編っぽいのを作ってしまったので…それらもいつか入れたいです。今は頑張って続きを携帯でカチカチ打ってます。上げるときはパソコンですが。
今回は説明で終わりました。次あたりでちょっと争いを入れる予定ですが、今の所平和です。平和じゃない所を書くのは相当先になりそうです…
千里の道も一歩から!まずは作っている第三話を書き上げたいと思います!
色々忙しい高校生なので、時間がかかりそうですが、気長に待ってやってください。
それではまたお会いしましょう。Haben gut traum.
**special thanks**ディレクターのお畳さん、守護霊のこだまさん、アイディア提供の源太郎さん他 ありがとう!