聖女に選ばれたのは姉ではなく自分でした
双子の姉、ルナ・アストレアは強い人間だ。
体を動かすのが好きで、そのせいか女性にしては体格もしっかりしている。
剣の腕を磨くためなら夜明け前から鍛錬場に立つし、社交の場ではドレスでエスコートされるよりタキシードでエスコートする方がずっと様になっていた。
一方自分……ソル・アストレアは運動が苦手だ。
外出も得意ではない。剣なんて重くて持ち上げる気にもなれない。得意なことといえば刺繍で、趣味は詩を読むこと。甘いケーキが大好きで、キラキラでフリフリなドレスに子供の頃から憧れていた。
典型的なご令嬢が好みそうなものを、まるごと好きになってしまった人間だ。
母親は子供を可愛く着飾るのが夢だったようで、よく自分にドレスを選んでくれた。姉のルナは女性らしいドレスを頑なに拒否したから、母親の着飾らせたい欲求は全部自分に向いた。
自分には綺麗なアクセサリーやドレスを、姉には立派な剣や武具を。
渡すものは違えど、母は二人を等しく愛してくれた。
だから姉との仲は良好だった。
社交界デビューの後は、パーティーには大抵姉と参加した。姉がエスコートし、自分はエスコートされる。どうやらその姿は絵になるようで、周囲からはよく「素敵な兄妹ですね」と声をかけられた。
何か勘違いしているみたいだけど、まあいいか。
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この国では成人した女性は、聖堂で魔力検査を受けることが義務付けられている。
というのも、この国には聖女という存在がいるらしく、聖女が祈りを捧げることでこの国が護られるという。
王宮にある屋敷で生活するという決まりはあるが、基本的に聖女の待遇は破格。
また、「選ばれし者」という称号に憧れる女性も少なくなかった。
まぁ聖女の適正がある人間なんてごく稀で、大抵はがっかりしながら聖堂を後にするらしいけど。
受付にて。
姉を見た係員が「男性の方は検査の必要はなくて……」と声をかけた。
失礼な。姉は立派な女性だ。
少々手こずったが、付き添いの母が必死に説得して、何とか検査してもらえることになった。
姉が祭壇にある神石に手をかざした。
神石が青く光った。
神父が光を見て「これは……!」と息をのんだ。
まさか、姉に聖女の適正が……
「戦闘魔力が、とてつもない量だ……!」
あ、はい。そうですか。
「光栄です」と姉は言った。それはそれは満足そうな顔で。
確かに、姉は聖女適正があると言われるより、戦闘魔力が強いと言われる方が嬉しいだろうな。
「では次」
神父が自分の方を向いた。
首を振って必死に拒否する。自分に聖女の適正なんてあるわけない。
「義務ですから、さぁどうぞ」
じりじりと背中を押され、渋々祭壇に向かった。
仕方なく手をかざすと神石は金色に光り輝いた。
うわ、眩しい。
「せ、聖女の証だ……!」
は?
「これほどの光は見たことがない! すぐ王宮に報告だ!」
はい?
「おめでとう! 君は聖女の適正がある! どうかその祈りでこの国をお護りください!」
何を言っているんだこの人は。
おそるおそる後ろを振り返る。
姉は茫然としているし、母も困惑している。
そりゃそうだ。自分も意味が分からない。
だって……
俺、男だもん。
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俺はソル・アストレア。
子供のころから令嬢向けのドレスに憧れた。
キラキラ輝く宝石が好きだった。
一針一針丁寧に刺繡を施していると心が落ち着いた。
恋心を綴った詩を読むときゅんとした。
甘いケーキを食べると幸せな気分になった。
いや、別に女になりたいとかではない。
全然、自分の性別が男なのが嫌だとか、違和感があるとかそういうものはない。
ただ自分の好みが、一般的なご令嬢が好みがちなものに偏っただけ。
外に出なかったせいか色白で、小食のせいか身長が低めで、体も細くて、それ故か可愛いドレスが意外と似合ってしまって。
母からは可愛い可愛いと褒められる上に、アクセサリーやドレスも沢山与えられるものだからつい嬉しくなって、次第にスキンケアや化粧も学ぶようになって、髪も伸ばしていって……
その結果誕生したのが、どこからどう見てもご令嬢なご令息だ。
そして、そのご令息は何故か聖女に選ばれた。
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聖女の任期は3~5年。
その間、聖女は毎朝聖堂で祈って、国に張られている魔物を防ぐ結界を強化したり、騎士団の魔物討伐に付き添い、戦場で騎士団を強化したり、教会に赴き重篤な怪我人や病人を治癒したりするのが仕事だ。
聖女は手厚く保護されるし、実家にも厚遇が与えられる。
じゃあやるしかない。
なぜ男の俺に聖女の適正があったのかはわからないが、実家が潤うというなら完璧に聖女をやってやろう。
というわけで俺は設定を作った。
俺の声は低い。成長期にしっかり声変わりを得て、そこそこ低く野太い声を手に入れている。
声を出したら男とバレる。男とバレて余計な混乱が起こるのは避けたい。できれば平穏に聖女生活を謳歌したい。
王宮の使者や神父には、この子は体質で声を出せないと母親に説明してもらって、内気で少々引っ込み思案な聖女という事にした。
聖女の力があれば多少難ありでもOKなのか、あっさりとそれは受け入れられ、筆談の配慮をしてもらった。
そして、聖女は俺以外にも3名ほどいて、全員王宮内の同じ屋敷で生活するのが決まりらしい。
俺以外の聖女の名前はセイラ、エマ、そしてレイという。
セイラは聖女の中で一番の年長者だ。
公爵家のご令嬢で、皆のお姉様的存在。その立ち居振る舞いには育ちの良さが滲み出ている。胸元の豊かさに聖女の清らかさは欠片もないが、笑顔は本物の優しさを持っていた。いつも朗らかで、屋敷全体のことをよく見ている人だ。
エマは逆に一番年少者だ。
王家の分家の生まれで、国王陛下は叔父にあたる。幼いころに聖女の適正が判明し、そのまま聖女として育てられた特殊な存在で、彼女には任期という概念がない。話し方は少々おっとりしていて、年相応に可愛らしい子だ。だから聖女歴が一番長いと聞いた時は少し驚いた。
レイ。
俺に対しては笑顔もなく、言葉も素っ気ない。正直、一番苦手な人だと思った。
ただ、その立ち居振る舞いは凛として隙がなく、言葉遣いも所作も完璧だった。この人はいったい何者なんだろう、と思った。
俺は、そんな彼女たちと聖女の生活を送ることになった。
そして、一緒に過ごすうちに、少しずつ見えてくるものがあった。
セイラは戦場に出ると人が変わる。
屋敷では朗らかで、よく笑って、俺たちのことをよく気にかけてくれる。なのに負傷した騎士に祈る瞬間は笑顔が消える。そして緊急時の指示は的確で無駄がない。あの柔らかい人がこんな顔をするのかと、初めて見た時は少し呆然とした。
また、聖女たちと王宮上層部の間をうまく取り持っているのも彼女だった。
エマは戦場でも表情が変わらない。
凄惨な光景を前にしても顔色ひとつ乱れない。
彼女は幼いころから聖女として育てられている。だから慣れるしかなかったのかもしれない。
そう気づいてから、エマのおっとりした笑顔が少し違って見えるようになった。
レイのことは、ある日ふと知った。
彼女が実は平民出身だということ。貴族社会のことは聖女になって初めて知ったのだということ。
あの完璧な所作も、凛とした言葉遣いも、全部自分で努力し、必死に身につけたものだった。
初対面の当たりの強さも合点がいった。慣れない場所で、信用できるかもわからない相手に最初から心を開けるわけがない。
だが、信用した相手にはちゃんと柔らかくなる。それがわかったのは、もう少し後の話だ。
聖女の生活はかなり豊かだ。
個室は与えられているし、食事は王宮が用意してくれる。家事はメイドが管理してくれるから、生活の中で特別誰かと協力しなければならない場面もない。筆談で乗り切れると思っていた。
たかをくくっていた。完全に間違いだった。
聖女同士の距離は、思っていたよりずっと近かった。
共に戦場へ赴き、共に祈り、時には目を背けたくなるような惨状を目にすることもある。救えなかった命を前に言葉を失って、それでも翌朝にはまた祭壇の前に立って祈りを捧げる。
それを何度も何度も何度も繰り返す。
嫌でも絆が生まれた。信頼が生まれた。
俺は油断したのだ。
バレたのは、とある討伐の現場でのことだった。
騎士団が別の場所で魔物と交戦している間、俺たちは祈りで騎士団の援護をしていた。
気づいたのは偶然だった。討伐し損ねた魔物が一体、祈りに集中しているレイの背後に近づいていたのだ。
騎士はいない。俺以外の二人も祈りの最中だ。
「レイ、後ろ!!」
気づいた時には声が出ていた。
低く野太い声が。
レイはとっさに回避し、慌てて駆け寄ってきた騎士によって魔物は討伐された。
よかった、と息をついた次の瞬間、三人の視線が俺に集まっていた。
罪悪感はずっとあった。
聖女としてお互いの距離が縮まっていく中で、一人だけ秘密を抱えているのは思ったより辛い。
打ち明けようとしたことは一度や二度ではない。でも、その度に踏み出せなかった。
仲間を騙し続けていた。それは事実。
どんな言葉が返ってきても仕方ないと思っていた。
そう覚悟していたが、三人は受け入れてくれた。
最初に口を開いたのはセイラだった。
「……なるほどねぇ」
しばらく俺の顔をしげしげと眺めてから、感心したように言った。
「このメイク、自分でやってるの? 腕がいいわねぇ。どうりで違和感がなかったわけね」
怒るでも責めるでもなく、まず技術を褒めるのがいかにもセイラらしかった。
「じゃあソルは……お兄様、なのですね」
エマが顔を上げた。嬉しそうな少し照れたような、そんな表情だった。
「お兄様がいたら良いなって、ずっと思ってたのです」
そんなことを言われるとは思っていなかった。
なんと返せばいいかわからなくて、俺はただ頷いた。
レイは最後まで黙っていた。
やがて、静かに言った。
「声を出すのが怖かったでしょう。それでも声を出して、私を助けてくれた」
真っ直ぐに俺を見ていた。
「ありがとう」
三人に葛藤がなかったわけじゃないと思う。
騙されていたのは事実で、それは変わらない。
でも、共に祈った事実も消えない。
三人はそれをわかった上で、受け入れてくれた。
俺は、情けないくらい安堵した。
それからの日々は、思いのほか穏やかだった。
声を出せるようになったのは大きかった。
セイラとは他愛ない話をするようになったし、エマには「お兄様」と慕われて、気づけば頭を撫でるのが習慣になっていた。レイは相変わらず素っ気ないが、以前より言葉が増えた気がする。多分。
聖女の仕事は相変わらず過酷だ。
眠れない夜もあるし、救えなかった命を引きずることもある。それは変わらない。
でも帰ってくる屋敷があって、俺を受け入れてくれた仲間がいる。
正直に言えば、幸せだった。
そんなある日、巨大な魔物の討伐を祝うパーティーへの参加が決まった。
華やかな会場、着飾った貴族や騎士たち、祝いの酒。
いつも通りの社交の場のはずだった。
事件は、そこで起きた。
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「聖女レイ。君との婚約を破棄する!」
巨大な魔物の討伐を祝うパーティーの会場に、ヴァン第一王子の声が響き渡った。
顔立ちの整ったそれなりに見栄えのする王子だ。普段であれば場を引き締めるような声量も、今この瞬間だけは完全に悪目立ちしていた。
華やかな音楽が途切れ、貴族たちのざわめきが広がる。
レイは王子を見据えたまま、表情ひとつ変えなかった。
そう。レイはヴァン王子の婚約者だ。
この国では聖女は最上位に置かれる。貴族の令嬢より、平民であっても王家は聖女を選ぶ。レイが選ばれたのもその理屈だ。聖女の力があって王子と歳が近い。ただそれだけの理由で上が勝手に決めた婚約だった。
そしてその婚約が、今破棄されようとしていた。
「……理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか」
レイの声は相変わらず凛としていた。
ただ、俺には少しわかった。その声にわずかに焦りがある。
「僕は真実の愛に目覚めたのだ!」
「……真実の愛、とは」
「惹かれる女性がいるのだ!」
これ……どっかで読んだことある展開だ。
愛読書の恋愛小説でよく見る、王道中の王道だ。
まさか現実で見ることになるとは思わなかったけど。
「それは、どなたで」
「この場にいる!」
レイの目がほんの一瞬だけ泳いだ。
言い切ったヴァン王子は、まっすぐこちらへ向かってきた。
俺へ。
……は?
「聖女ソル! 君こそが僕の運命の相手だ!」
……あ?
何を言っているんだこの王子は。
ちらりと周りを見た。レイはうつむいている。……おい、肩震えてるぞ。
セイラとエマも顔を手で覆っていた。こちらも肩がプルプルと震えている。
聖女全員笑ってるな。これ。
「聖女ソル。君の微笑みは僕の心を癒してくれた。刺繡を施す手つきは女神のようだ。僕の言葉を受け止めてくれた君は天使……」
聖女なのか女神なのか天使なのかはっきりしてくれ。
ていうかどうしてこうなった。俺、王子とそんなに交流……
……してたわ。
レイの婚約者として、ヴァン王子は定期的に屋敷を訪れていた。だがレイと王子の仲はそこまで深くない。
顔を合わせても会話は弾まず、どこか義務的なものだった。
だから自然と、王子は俺に話しかけるようになった。俺も同性と交流できるのがちょっと嬉しくて、声は出せないから筆談で会話して、そして王子とは思いのほか気が合って、気づけば距離が縮まっていて……
……なんか近いなとは思っていたんだ。それがまさかこんな形で爆発するとは。
俺は震えたまま固まっていた。
「お、お待ちください!」
会場に別の声が飛び込んできた。
王宮の騎士服に身を包んだ姉、ルナだった。俺が聖女になった後に王宮の騎士となったのだ。騎士服姿は誰より様になっているが、今その顔は真っ青だった。
「この聖女との婚約は不可能です! どうかお考え直しください!」
ナイスねーちゃん! そのままゴリ押してくれ!
姉は一歩前に出て、ヴァン王子を真正面から見据えた。騎士として鍛え上げた体躯と、その眼光は確かに迫力がある。めっちゃ頼もしい。
だが、ヴァン王子は怯まなかった。
「なぜ不可能なのだ? 僕はもともと聖女レイと婚約していた。聖女ソルは歳も近い。レイと何も変わらないではないか」
姉の眉がぴくりと動いた。
「そ……それは……。……くっ」
いや諦めないでくれ姉上!!
「聖女ソル。僕の愛を受け取ってほしい。僕と婚約してくれ!」
王子がまた俺に向き直った。
ど、どどどうすればいい……!?
頷くわけにはいかない。かといって声を出すわけにもいかない。筆談できる状況でもない。
俺は助けを求めるように周囲を見回した。
セイラは口元を押さえたまま動かない。エマも同じだ。二人とも肩が震えている。
うん。戦力外だ。
姉は歯を食いしばっている。助けたいのに助けられない。その顔が全てを物語っていた。
詰んだ。
そこへ、俺と王子の間に腕が割り込んできた。
レイだった。
婚約破棄を宣言されたばかりだというのに、その顔はいつも通り凛としていた。
「王子、婚約の破棄は了承します。ですが、王子とソルの婚約は認めません」
レイ……!
「私がソルと婚約します!」
レイ!?
「なん、だと……!?」
「ソルと真に結ばれるべきは私です。聖女として共に祈り、共に戦場へ赴き、共に生活してきた。ソルのことを一番知っているのは私です。私が一番ソルを愛しています!」
王子の顔がみるみる険しくなった。
確かに反論しづらい。聖女として過ごした時間の長さで言えば、王子より俺たちの方がずっと深く長い。王子もそれはわかっているのだろう。
いや、でも根本的に……
「だが、じょ……女性同士で婚約など……! 聖女だというのに神に盾突く気か!」
うん、それな。
全くもってド正論だ。
「聖書では男性同士の婚姻は禁じられていますが、女性同士については言及されていません」
あ、そうなんだ。
「くっ……」
王子が怯んだ。が、すぐに立て直してレイを睨んだ。
「な……ならば、ここで口づけを交わしてみろ! 二人の愛が本物ならばできるだろう!」
いや、苦し紛れにもほどがある。
だがレイは眉ひとつ動かさなかった。
「ええ、やってやるわよ。ソル!」
レイが俺の方を向いた。
え、待て待て待て。本気か?
いや、あかん。レイは本当にやる。この人は言ったことは必ずやる人だ。
待ってくれ。
こんなことのために女の子の、レイの……唇を……
俺はとっさにレイを押しのけた。
「ふぁ……ファーストキスは大切にしろ!! レイ!!」
思わず声が出た。
低く野太い声が、静まり返った会場に響いた。
一瞬、時が止まったような気がした。
「っ!?」
王子が固まった。
レイも固まった。
セイラとエマも、笑いをこらえていた顔のまま固まった。
「あんの馬鹿……!」
姉が真っ青になって呟いた。
……あ、やらかした。
頭が冷えるのと状況を理解するのがほぼ同時だった。
会場中の視線が俺に集まっているのがわかる。音楽は止まっている。ざわめきもない。あるのは沈黙のみ。
「い……今の声は……?」
王子がゆっくりと俺を見た。整った顔がかつてないほど間抜けに歪んでいた。
ごほん、と姉が咳払いした。
一歩前に出て、背筋を伸ばして、できる限り落ち着いた声で言った。
「えー……この度は、私の『弟』がご迷惑をおかけしました!!」
沈黙。
「お、弟ぉぉぉぉ!?!?!?」
会場は大混乱に陥った。
---
後日。
俺含む聖女たちは王宮に呼び出された。
「この度は、俺の事情により皆様を欺く形となってしまい、誠に申し訳ありませんでした」
床を見つめながら必死に言葉を選ぶ。
「俺は男です。混乱を避けるため、声を出せないという偽りの説明をいたしました。すべて俺の判断です。どのような処罰も受ける覚悟です」
重臣たちがざわめく気配がした。神官たちも顔を見合わせているのが、視界の端に見えた。
「陛下」
レイの声が静かに響いた。
一歩前に出る足音がした。
「確かに彼は男です。ですが、聖女の役目をしっかり果たしてくれました。決して聖女を騙っていたわけではありません」
レイの声はいつも通り凛としていた。
「魔物討伐では騎士を癒やし、結界の祈りでは誰より長く祭壇に立ちました。病に倒れた子供たちを救ったのも彼です。私たちは共に祈りました。彼の力が本物であることは、私たち聖女が証言します」
「し、しかし……」
「レイの言う通りよ、陛下」
セイラの声がした。反対側から、もう一つの足音。
「これだけははっきり言えるわ。彼の祈りで救われた命は確かにある。それはどんな事情があっても、消えない事実よ」
重臣の一人が口を開きかけた。
「おじ様!」
エマの声がそれを遮った。
いつもおっとりしたエマが、真剣な顔で前に出ていた。
「ソルは仲間なのです。一緒に戦って、一緒に祈って……ずっと一緒にいたのです。どうか、酷いことはしないでほしいのです!」
三人が俺の前に並んでいた。
聖女たちは俺を庇ってくれている。
国王陛下はしばらく沈黙した。
玉座の間がしんと静まり返る。重臣たちも神官たちも、誰も口を開かなかった。
やがて、国王陛下は深く息を吐いた。
「正直に言おう。困惑している」
ですよねー……
「だが」
国王陛下の目が、俺を真っ直ぐに見た。
「神石が誤ったとは考えにくい。聖女たちの証言もある。功績もこちらで確認している」
国王陛下は重臣たちをゆっくりと見渡した。
「ソル・アストレアを偽物として裁くことはしない」
俺は息をのんだ。
レイがかすかに息を吐くのが聞こえた。
「……ありがとうございます」
俺はもう一度深く頭を下げた。
よかった……
顔を上げた時、ふと気になってしまった。
「あの……ヴァン王子は、今どちらに」
国王陛下の眉間に深い皺が寄った。
「寝込んでいる」
「……はい?」
「衝撃が大きかったらしい」
なんとも言えない沈黙が落ちた。
安堵した空気が一気に微妙になった。
隣でレイが口元を押さえた。肩が揺れている。
笑うな。
「だが」
国王陛下の声が硬くなった。
「公の場で婚約破棄を宣言した件は擁護できぬ。相手が聖女である以前に、婚約者への侮辱だ。次期王としての資質にも関わる」
重臣たちが静かに頷いた。神官たちも異論はないようだった。
「継承順位の見直し、または一定期間の謹慎。いずれにせよ、何らかの処分は下す」
そして、国王陛下は俺を見た。
「ソル・アストレア。此度は我が息子が迷惑をかけた。詫びとして、何か望みはあるか」
……望み。
宝石。ドレス。刺繍糸。ケーキ。
いろいろ浮かんだ。
でも、口から出たのは別の言葉だった。
「聖女の検査を、男性にも広げてください」
国王陛下の目が細くなった。
「男性にも?」
「はい」
俺は一度、息を整えた。
「聖女の仕事は過酷です。傷ついた人を沢山見ることもある。救えなかった命を目の当たりにすることもある。何日も祈り続けて、眠れない夜もあります」
それは全部、俺が経験してきたことだ。
聖女はただ祈って終わりじゃない。苦しくて、悔しくて、それでも祈り続けなければならない夜がある。
セイラ、エマ、レイが、静かに俺を見ていた。
「でも、それでも聖女は祈ります。国を守るために。民を救うために」
俺は拳を握った。
「もし男にも適正を持つ者がいるなら、その力を眠らせておくのは惜しいです。一人でも適正のある者が増えれば、聖女たちの負担を少しでも分けられるかもしれない」
玉座の間が静まり返った。
国王陛下はしばらく黙って俺を見ていた。やがて、玉座の肘掛けにゆっくりと手を置いた。
「……なるほど」
「聖女の適正は女性にのみ現れる。そう信じられてきた。だが、目の前に例外がいる」
国王陛下の視線が重臣たちへ向いた。
「ならば、制度を改める必要があるな」
重臣たちがざわめいた。神官たちも顔を見合わせる。
だが国王陛下は、その反応を一瞥してからはっきりと言った。
「今後の検査は男性も対象に加える」
……こうして、王子婚約破棄事件は幕を閉じた。
---
そして、聖女検査の対象が男性にも広がった。
だが女性でもまれな存在の聖女だ。男性で適正がある者などいなかった。
……ただ一人を除いて。
「ぼ、僕が……聖女に……!?」
ヴァン王子が、口を両手で押さえながら言った。
神石は、淡く金色に輝いていた。
---
ヴァン王子が適正持ちと判明してから数日後。
謹慎の明けた王子が、聖女(?)として屋敷にやってきた。
屋敷の共有リビングに、聖女三人と俺、そしてヴァン王子、五人の人間が集まった。
テーブルには紅茶とお菓子が並んでいる。いつもと変わらない光景のはずなのに、空気だけがどこかぎこちなかった。
「まさか王子に聖女適正があったとはねぇ……」
セイラがティーカップを手にしみじみと言った。
王子は複雑な顔でソファに腰を下ろしていた。
まぁそうだろうな。あんな一件の後で聖女になれと言われたのだから。
エマがちらりと王子とレイを見比べてから、俺の袖をそっとつまんだ。
「でも、お二人は大丈夫なのですか。婚約破棄されたレイと王子が一緒に聖女だなんて……気まずいと思ってしまうのでは」
それに関しては俺も少し心配していた。
というかこの一件は俺のせいでもある気がして、ずっとどこかが落ち着かない。
レイはソファに腰掛けたまま、紅茶のカップをテーブルに置いた。いつも通り凛とした顔で。
「あの件はショックでも何でもないわ」
きっぱりと言った。
「上が勝手に決めた婚約だから、むしろ解消されて良かったくらい。……まぁ、やり方はどうなのとは思ったけど」
最後の一言には若干の棘があった。
その棘を感じ取ったのか、王子がわずかに身を乗り出した。
「……君が言ったんだろう」
「は?」
「大々的な婚約破棄の方が後々撤回しづらいと! 最近はそういうのが流行りだと!」
……え?
俺は思わずレイを見た。レイの視線が微妙に逸れた。
「前に僕に話していたじゃないか。パーティーで派手にやってしまえば破棄は覆しようがないと!」
「だからってまさか本当にやる馬鹿がいるとは思わなかったのよ!」
えぇ……?
「あら」
セイラがカップを置いた。納得したような、楽しんでいるような顔だった。
「つまり、あの婚約破棄はレイちゃんの全くあずかり知らぬ話ってわけでもなかったのねぇ」
なるほど……?
つまり、二人とも上が勝手に決めた婚約に辟易していた。レイは冗談半分で大々的な婚約破棄の話を王子にした。王子はそれを真に受けて、パーティーで実行した。と。
レイが呆れたように続けた。
「しかも運命の相手がソルって……。貴方、他に愛し合っているご令嬢はいなかったの?」
「勝手に決められたとはいえ、婚約者がいるのに別に恋人を作るのは……なんか違うだろう」
あ、そこらへんの倫理観はちゃんと?してるんだ。
「それでソルにした、と?」
「同じ聖女の方が上も納得するかなと思ったし……。それに、ソルのことが気になっていたのは事実だから……」
王子が少し声を落とした。
婚約破棄ついでに告白……
なんとも王子らしい一本気な発想だ。
「ソルは男よ」
レイが淡々と言う。
「そっ、そんなのわかるわけないだろう!」
王子が声を上げた。
リビングがしんと静まり返った。
すると、王子の眉がわかりやすく下がった。声のトーンが落ちる。
「……本当に好きだったのに」
わお、思ったより真剣だった。
場の空気がさっきとは違う重さになった。俺は返す言葉に詰まったが、何とか声を出して謝った。
「な、なんかごめん……」
「……見た目と声の差が凄まじいな」
王子は俺をまじまじと見ていた。どこからどう見ても令嬢にしか見えない顔と、そこから発せられる低く野太い声。その落差をどうにかして咀嚼しているような顔だった。
「ご、ごめん……」
「慣れよ、慣れ」
レイは涼しい顔で紅茶を飲んでいた。テーブルの上のクッキーを一枚取って、何事もなかったように口に運んでいる。
すると、エマがふと顔を上げた。何かを思い出したようにぱちりと瞬きをした。
「ああ、だからレイはおじ様に王子の減刑を求めたのですね!」
「は?」
「ちょっ……ちょっとエマ!」
レイが珍しく慌てた声を出した。
「あら、エマちゃん。どういう事?」
セイラが身を乗り出す。その目が輝いていた。
「おじ様から聞いたのです。あの後、おじ様はレイにも『詫びとして何か望みはあるか』と聞いたそうなのです。そうしたらレイが、王子の謹慎を短くしてほしいとお願いしてきたと」
リビングがしんと静まり返った。
「やけに謹慎が短いと思ったら……そういうことだったのか」
ヴァン王子がゆっくりとレイを見た。
「っ……」
レイは視線を逸らした。
「王子ばかり責められるのは、ちょっと気分が悪かっただけよ。私にも一因がないわけじゃないし……」
それだけ言って紅茶を一口飲んだ。
王子は何も言わなかった。
ただ、さっきより少しだけ肩の力が抜けたように見えた。
静かな空気を破ったのはセイラだった。
「ま、お互い様ってことで丸く収まるのなら良しとしましょ」
ぱん、と手を叩く。その音一つでリビングの空気がふっと軽くなった。こういう時のセイラは本当に頼もしい。
「それよりも、今後の事について話しましょう」
そうだ。これからヴァン王子は聖女として共に活動するのだ。
……聖女って名称どうにかならないかな。
「日々の生活の事についてはソルちゃんが教えてあげて。同性だし、その方が良いでしょう?」
「ああ、わかった」
俺は王子の方を向いて、手を差し出した。
「よろしくな」
王子は、その手をしばらく見ていた。
受け取るかと思ったが、動かない。
「……王子?」
「いや……その前に、謝らなければと思って」
王子が顔を上げた。
「公の場で君に告白して、騒ぎを起こして、事情を話さざるを得なくさせた。君にも迷惑をかけた。……本当に申し訳ない」
頭を下げた。
王子が俺に頭を下げている。
「……はは、なんだそんな事」
「え……」
王子が顔を上げた。拍子抜けしたような表情をしていた。
「まぁ大変なこともあったけど、最終的には男性にも検査が広がって、俺以外にも適正がある人間が現れた。この国にとっては全部プラスだろ?」
「……」
王子はしばらく黙っていた。
それから、差し出したままだった俺の手をしっかりと握った。
俺は笑って言った。
「……これから一緒に祈っていこう。よろしくな」
「! ……ああ!」
握り返してきた手に力があった。
「わぁ、ハッピーエンドなのです!」
エマが嬉しそうに言った。
「ふふ、そうねぇ」
セイラが目を細める。
「……」
レイは何も言わなかった。ただ、口元がわずかに緩んでいた。
よし。これからこの五人で国を守っていくぞ。
なんだかんだあったけど、悪くない仲間が揃った気がする。
……あれ、俺、何かを忘れてないか?
---
その夜、俺は眠れなかった。
明日からまた色々変わる。ヴァン王子が加わって、聖女(?)として共に活動することになって。
変化のせいか、なんとなく頭が落ち着かなかった。
天井を眺めていても仕方ないので、俺はバルコニーに出た。
夜風が頬に当たった。思ったより冷たくて少しだけ頭が冷える気がした。
屋敷の庭が月明かりに静かに照らされている。
しばらくそうしていると、隣のバルコニーで物音がした。
扉が開く音。
……レイだった。
髪を下ろして薄い夜着のまま。いつもの凛とした雰囲気とは少し違っていた。
「……少し、頭冷やしたくて」
俺の視線に気づいたレイが小さく言った。
「俺も」
思わず苦笑すると、レイも少しだけ口元を緩めた。
二人並んで夜空を見上げた。特に何を話すわけでもない。こういう沈黙が苦じゃないのは長い時間を一緒に過ごしてきたからだろうか。
その時、ようやく思い出した。
『私がソルと婚約します!』
そうだ、レイのあの言葉について。
「……なぁ、レイ」
「なに?」
「婚約破棄のとき、言ってたよな。俺と婚約するとか……」
レイの手が手すりの上でぴたりと止まった。
「っ、あ、あれは……!」
「あ、冗談なのはわかってるから」
俺は笑って続けた。
「俺を庇ってくれたんだろ? 気にしなくていいよ。ただ……一応、皆には訂正入れておいた方がいいのかな、と思って」
少し考えてから、首を傾けた。
「……まぁ、俺が男だったってのに引っ張られて、皆忘れてる気もするけど」
特に返事を待っていたわけじゃない。俺はまた夜空に目を向けた。
だから気づかなかった。
レイがうつむいていたことに。
一度だけ小さく息を吸ったことに。
「……冗談のつもりじゃないから」
静かな声だった。
「え?」
レイはまっすぐ前を向いていた。その横顔は月明かりの中でもはっきり赤かった。
「あれ、冗談のつもりで言ったんじゃないから」
「あの時の言葉、全部本気だから!」
そう言って、レイは扉に手をかけた。
「ちょ、レイ」
「おやすみなさい」
「待っ……」
「おやすみなさい!!」
扉が閉まった。
俺は一人、夜風の中に取り残された。
……。
…………。
俺は手すりを掴んだまましばらく動けなかった。
夜風が冷たいのに、頬だけがじわじわと熱かった。
あの言葉は、冗談じゃなかった。
『私がソルと婚約します!』
『聖女として共に祈り、共に戦場へ赴き、共に生活してきた』
『ソルのことを一番知っているのは私です。私が一番ソルを愛しています!』
……どうしよう。
本当にどうしよう。
星に聞いても当然答えは返ってこなかった。
ただ、一つだけわかったことがある。
明日から、レイの顔をまともに見れる気がしない。




