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自衛隊転移ー衛るべきものー  作者: GoGoGorilla


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第一章 第一部:消失

ここから本編に入ります。

朝の刺すような冷気が和らぎ、柔らかな陽光が山の芽吹きを照らす四月二十五日。 白峰駐屯地は、いつもと変わらぬ規律正しい朝を迎えていた。


駐屯地の北側境界は山の稜線にまで及ぶが、万が一の流れ弾被害を防ぐため、実弾射撃を伴う訓練は中腹の演習区域までに制限されている。それより上は原生林が生い茂り、行軍演習や管理のために立ち入ることはあっても、常時人がいる場所ではない。山の稜線に沿って境界を示す金網と「立入禁止」の標識があり、その向こう側は、時折物好きな登山客が訪れる平穏な国有林だ。


その平穏なはずの山中で、最初に「異変」の鱗片に触れたのは、自衛官ではなかった。


「……おじいさん、あれ。人じゃありませんか?」 登山道を歩いていた老婦人が、唐突に足を止めて声を上げた。 隣を歩く夫、安藤善蔵あんどう ぜんぞうは眼鏡を押し上げ、妻が指差す先を凝視して息を呑んだ。 登山道から少し外れた木立の影、湿った落ち葉の積もった斜面に、何かが横たわっている。


紛れもなく、人だった。 若い男が仰向けに倒れている。 その服装は、善蔵の目には酷く奇妙に映った。登山用にしては薄手で、作業着でもない。化学繊維のような、だが金属的な光沢を孕んだ未知の素材。 善蔵は斜面を降りて男に駆け寄り、その肩を揺さぶった。 「もし!もし!! 大丈夫ですか!」 返事はない。男の顔からは血の気が失せ、唇は青白い。呼吸は糸のようにか細い。 「まずいな……」 善蔵はポケットから携帯電話を取り出したが、画面の隅には無情な「圏外」の二文字が並んでいる。 「私、ここでこの子を見てるから。あなた、大急ぎで下りて人を呼んできて!」 妻の安藤はるの即座の判断に、善蔵は力強く頷いた。


善蔵が管理用の山道まで駆け下りたとき、幸運が彼を待っていた。 路肩に、泥を被った古いワゴン車が停まっている。 だが、のぞき込むと中に人の姿はなく、荷台には籠と縄、刃物の鞘が転がっている。「おーい! 誰かいませんか! 人が倒れてるんです!」息を切らし 枯れ果てた声を絞り出すと、薮を分ける音が響き、一人の男が姿を現した。 滝口一弥たきぐち かずや。この土地で生まれ育ち、山の隅々までを知り尽くした男だった。腰には年季の入った鉈、背には山菜の詰め込まれた背負子を背負っている。 「倒れてる? どこですか?」男は事情を聞くと、即座に頷いた。「わかりました、とりあえず案内してください。」 滝口の言葉には、迷いも躊躇もなかった。


三人が合流したところで、はるは救われた思いだった。 若い男の意識は依然として戻らない。体は冷え切っている。しかし、首筋に触れた滝口は「まだいける」と短く言った。 二人の男が若者を担ぎ上げ、老婦人が荷物をもって先導し、斜面を下る。


「病院は……いや、それより近い場所がある」 ワゴン車まで辿り着いたとき、滝口は南の空を仰いだ。 「麓の病院まで下りてたら間に合わん。山の向こうの自衛隊に行きましょう。あそこなら、医者も設備も揃ってます。」


白峰駐屯地の正門。 警衛勤務に就いていた隊員が、すごい速度で接近する民間車両を察知した。 「車両、停止。ここから先、陸上自衛隊白峰駐屯地ですが、どうしました?」 事情を聴取するや否や、駐屯地内に鋭い報告が走る。 衛生課が医務室で態勢を整え、正門にはすぐさまストレッチャーが滑り込んできた。安藤夫妻と滝口は、導かれるままにその巨大な鉄の門の中へと足を踏み入れた。


医務室へ運び込まれた男に対し、迅速な処置が始まった。 「脱水、および高度の低体温。目立った外傷はありませんが、意識レベルが低い。加温と補液を優先して」 医官の佐野玲奈さの れいな二尉の指示は落ち着き、的確だった。


「……ひとまず、命の危険はありません。」処置を終え、佐野が告げると、安藤夫妻は崩れ落ちるように椅子に座り、胸を撫で下ろした。滝口は壁際に立ち、無機質な医務室の空気を居心地悪そうに眺めている。


その時だった。


床の底から突き上げるような、不気味な微振動が伝わってきた。 最初は、大型車両の一斉移動かと思われた。だが、振動は次第に大きくなり、医療器具のトレイが激しく鳴り始める。 「地震……?」 誰かが呟いた、その直後だった。


光が、溢れた。次いで、窓の外の風景が、一瞬にして色を失う。 それは白でも黒でもなく、全波長の光が次々襲い来るような、名付けようのない虹色の奔流だった。 音が消える。 それと同時に、内臓がせり上がるような奇妙な浮遊感が一同を襲った。重力の糸が切れ、自分が立っているのか、あるいは虚空を漂っているのかさえ判別できない。 「おじいさん!」 はるが叫び、夫の腕にしがみつく。滝口は壁に指を食い込ませ、奥歯を噛み締めて耐えた。 自衛官たちも、民間人も、そのあまりに強大な異常感覚の前に、抗う術を持たなかった。 ベッドの上で、死んだように眠っていた若い男の指先が、僅かに跳ねた。


そして、皆の意識は、深い闇へと沈んだ。


どれほどの時間が経過したのか、誰にもわからなかった。

数時間だったかもしれないし、あるいは一瞬だったのかもしれない。


不意に、感覚が戻った。 耳鳴りがするような静寂のあと、遠くで鳥の囀りが聞こえた。 足の裏に伝わる床の感触。重力。消毒薬の匂い。 「……今の、は……」 誰かが掠れた声を出したが、答えられる者はいない。 医務室にいた者たち、演習場で泥を這っていた隊員たち、そして庁舎で指揮を執っていた外山そとやま司令。 白峰駐屯地にいた三百余名のすべてが、その瞬間、同じ現象に巻き込まれていた。

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