第二章 第七部:後戻りはできない
その日、村から来たのは一人だけだった。
いつもとは違い、もうすぐ日が沈むころ、年嵩の男でも、若い衆でもない。子供――あの、外周で見かけるようになった子だった。
息が荒い。足元は泥だらけで血が滲み、何度も転んだことが分かる。
門に向けて走りながら、必死に声を張り上げた。
「 ……おじさん! 」
誰に向けたとも分からない呼びかけ。
「 村が…… 」
言葉が続かない。
衛生課が動こうとした瞬間、伊藤が制した。
「 話を聞け 」
子供は、涙をこらえながら言った。
「 知らない人たちが……来る途中、山のほうに…… 」
伊藤は、静かに問い返す。
「 何人だ 」
「 いっぱい…… 」
子供は、両手を広げた。
「 刀を……持ってた 」
伊藤は、橋谷を見る。
「 弥吉の話にあった野盗でしょう」
領主の庇護が弱いこの時代、この地では、度々野盗が村々を襲うらしい。
「 ……来たか 」
伊藤は短く息を吐いた。それでも、即断はしない。
「 お前は、どうしてここに来た 」
「 ……大人が、行くなって……でも…… 」
子供は、うつむいた。
「 でも……弥吉が……助けてもらったって…… 」
その言葉が、場の空気を変えた。誰も声を出さなかった。伊藤はしばらく沈黙し、そして、問いを重ねる。
「 村は、まだ無事か 」
「 ……まだ 」
「 奪われた物は 」
「 ……まだ 」
つまり、これからだ。
「 仕方ない、ひとまず、この子の手当てを 」
伊藤は、衛生課の隊員に静かに言った。子供は、目を見開いた。
「 ……来て、くれるの? 」
伊藤は、答えなかった。ただ、子供の肩に軽く手を置いた。
「 佐野、この子は任せる。基地内は見せるな 」
衛生課の佐野は頷き、心配そうに振り返る子供を門の横の警衛所に連れていった。
その背中が見えなくなってから、伊藤は、ようやく口を開いた。
「 ……選択肢を整理する 」
誰も、軽口を叩かなかった。
「 行かなければ、村は、略奪される 」
「 死者は? 」
「 出る 」
それは、断定だった。
「 行けば 」
伊藤は、言葉を切る。
「 歴史が、変わる 」
橋谷が呟く。
「 ……大きな影響をもたらすわけには…… 」
伊藤は頷いた。後方で、若い隊員――宮本が拳を握りしめていた。
「 ……見捨てるんですか 」
伊藤は、振り返った。
「 見捨てない 」
はっきりと、言った。
「 だが、救いもしない 。影響は最小で済ませる 」
矛盾した言葉だった。伊藤は、地図を広げる。
「 介入は限定。村の者に姿は見せない。私から司令に説明する。司令の許可が下り次第、作戦を開始する」
伊藤は、左腕の時計に一瞬目を落とした。現代の秒針が刻む正確なリズムとは裏腹に、吹き抜ける風が湿った土と古い薪の煙の匂いを運んでくる。
伊藤は、心の中でだけ呟いた。
( ――もう、戻れないな )




