第二章 第五部:命をつなぐ術
伊藤たちが村人への対応を重ねる一方、駐屯地内では別の“戦い”が始まっていた。
先日、外山は言った。
『我々は補給を断たれた。電力は基地内の自家発電と備蓄燃料で当面は維持できる。水は谷の小川を浄化して使える。弾薬も、実弾訓練を控えれば当面は足りる。だが――燃料と食料は、減る一方の有限資産だ。これをどうにかする必要がある。』
現代社会から切り離された我々にとって、これらの存続は死活問題だ。
燃料の消費は抑えてはいるが、それでもガス燃料も石油燃料もそう長くは持たないだろう。当面の熱源は周囲の樹木の伐採で補い、電力はソーラーパネルとバッテリーを主軸にしつつ使用量を抑え、発電機の稼働は緊急時のみに限定する――さらに工務班がすでに、水力発電や木質バイオマス(薪)を利用した持続可能なボイラーや電力設備の模索に動いていた。
さらに重要なのが食料だった。この“自給自足”への転換を支えたのは、転移に巻き込まれた民間人たちだった。彼らも、自分たちにできることをしようと動き出していた。
駐屯地の裏手、山地の森の一角で、数名の隊員が座り込んで足元を凝視し、一人の男の話に耳を傾けていた。山菜採りをしていた現地の民間人、滝口一弥だ。
「……これは食えます。こっちは、一見似てますが毒がある」
地面に広げられた布の上に、様々な草や木の芽が並べられる。 隊員の一人が首を傾げた。
「……ただの雑草にしか見えませんが」
「見分け方があるんです。葉の縁の形、葉脈の走り方、葉の付き方、茎の断面、産毛の有無……今の季節ならこれが主ですが、季節が変わればまた別の山菜や果物、キノコなんかも採れます」
滝口は地図のない山容を、あたかも透視しているかのように歩き回った。五十を過ぎたその男は、この里山で育ち、この里山を愛し、この里山を守るため環境コンサルタントとして働く傍ら、趣味でこの里山を歩き回り、自然の恵みを享受していた。
この山を知り尽くしていた。
そして、転移後も自発的に山に入り、食えるもの、危ないもの、避けるべき場所を洗い出していた。熊の痕跡、獣道の交差、湧き水の場所。彼の語る情報は、土地の輪郭を鮮明に描き出していた。
そこへ、登山客の老夫、安藤善蔵が近づいてきた。
「はあぁ……」
トレッキングポールを地面に刺し、広げられた山菜を覗き込んで口元を緩め、感心したように溜息を吐く。
「山菜ですか。素晴らしいですね。備蓄の尽きる日は必ず来ます。この地で糧を得る術は非常に重要ですね」
安藤はその場にしゃがみ込み、別の話を始めた。
「今ある備蓄は、節約してもこの夏を越せるかどうか……といったところでしょうか」
「はい……そう思われます」
隊員が地面を見つめながら苦い顔をする。
「山菜や獣肉、川魚で食いつなぐことはできるでしょう。ですが、自然の恵みはどうしたって気まぐれだ。安定はしない。不安が残ります」
滝口が補足する。
安藤は指で地面の土をなぞり、ゆっくりと立ち上がった。農業試験場に技官として勤めていた経歴を持つ安藤は、より長期的な視点を持っていた。
「……畑でも、やりましょうか」
隊員が戸惑った声を上げる。
「そんな、何の知識も道具もない我々にできるものでしょうか」
「ふふ、これでも多少の心得はあるつもりですよ。今後のことを考えるなら、今のうちに畑を起こし、種を増やしておくのが賢明でしょう」
誰かが、ふと小谷の村への期待を口にした。
「弥吉さんの村から、分けてもらうわけには……」
安藤は静かに首を振った。
「期待はしない方がいいでしょう。あの村も余裕があるようには見えません。それに、他者に依存する前提で動けば、その前提が崩れた時に取り返しがつかなくなります」
それは、温厚な老人の口から出た、冷徹で現実的な生存論だった。
「今、駐屯地にある野菜――根菜は拓いた畑に植えましょう。果菜は追熟して種を取りましょう。芯や茎のある野菜は、これを捨てずに水に差しておいてください。根が出たら育てて種を取りましょう。野菜によっては、夏には最初の収穫ができると思います。あと、先日弥吉さん用に頂いた薬草も、念のため少し植えてみましょう」
滝口が、遠くの平地を指差した。
「畑にするなら、谷向こうのあの平地がいい。水が近場で日当たりも良く、霜も遅い」
その場にいた全員が、無言で頷いた。 白峰駐屯地は、もはや単なる軍事施設ではなく、ここで生き抜くための“集落”へと変貌しつつあった。
翌日から、具体的な“狩猟と農耕”が始まった。
滝口は隊員を連れ、再び山に入った。
「熊避けに銃は携帯してもらいますが、弾は貴重なので使わずに済むといいですね。でも、何かを仕留めたらそれはそれで貴重な食料になりますが」
彼は笑いながら歩くと、沢沿いの獣道で足を止めた。草が不自然に寝ている。
「ここ、通り道です。鹿。三頭。昨夜通ってますね。罠は『逃げ場を潰す』のが基本です」
地形を利用し、滑りやすい斜面と岩の間の獣道に、ワイヤーを使ったくくり罠を設置する。設置場所の目印をつけると、次は川へ向かった。
川では、石を動かして流れを変え、上流から追い込む“追い込み漁”を教えた。
「水の流れ、川底の癖を見れば、網がなくても魚は獲れます。」
隊員が上流側で音を立てながら追い立てる。魚が下流の袋小路へと逃げる。そこを、滝口が素手で押さえ込む。獲れたのは数匹。だが、糧を得られることが分かった。
「今日はこれで十分、明日もありますから。ゆくゆくは網を作ったり、ヤナ漁をしたり、色々試してみましょう」
一方、駐屯地の一角では重機が唸りを上げていた。 バックホウが硬い土を掘り起こしていく。安藤が少し離れた場所から指揮を執っていた。
「石や木の根は徹底的にどかしてください。山から腐葉土を積んだトラックが来たら、昨日作った草木灰と一緒に畑に鋤き込みます」
隊員たちは慣れないスコップ捌きで、安藤の指示通りに土を作っていく。安藤は、開墾される大地を愛おしげに見つめた。
山菜採りの男も、畑予定地を歩き回っていた。
「見事なものですな。いつごろから使えそうですか」
「まだまともな野菜を育てられる土じゃぁありませんが、種を取るだけなら2週間もならせばいいでしょう。その頃には根菜も、水に差した野菜も、充分に根を出すでしょう。あれが、次の命になる」
老夫は、畑を見守りながら言った。
伊藤が、その様子を眺めていた。
銃声もない。敵もいない。
だが、これは紛れもなく、明日を迎えるための壮絶な“戦い”だった。
食卓に、この土地で獲れた山菜や川魚、そして罠にかかった獣の肉が並んだ。 決して豪勢ではない。だが、隊員たちの表情はどこか明るかった。
この場所で生き延びる道が、確実に見えはじめていた。




