第7話 不快
翌日の午後、サーティーンは再びサマル町を訪れた。
昨日見た穏やかな町の面影は、そこにはなかった。町の出入口から目に映る光景は、建物が壊され、破壊の痕が町全体を覆っていた。
(……魔物の仕業か?)
警戒を緩めることなく町に足を踏み入れたサーティーンは、昨日訪れた町人Aの家を目指して歩き出した。道端には負傷した町人たちが横たわり、呻き声があちこちから聞こえる。血の匂いが風に乗って漂っていた。
そんな中、一人の男が彼の前に立ちふさがった。昨日の町人Aではない。怒りを滲ませた目でサーティーンを睨みつけている。
「……昨日、町人Aを助けた少年だな?」
サーティーンは無言で相手を見据えた。
「お前のせいで……町はこんな有様になったんだぞ!」
サーティーンは一拍置き、冷静に答えた。
「……俺は、身に降りかかった火の粉を払っただけだ。あいつを助けたつもりも、庇った覚えもない」
男は記憶を辿る。確かに、この少年は、盗賊に絡まれていた町人Aを見ていただけ、そして少年に絡みに行ったのは盗賊からで、そこから戦いが始まったのだ。だが、それでも怒りは収まらなかった。
「……とにかく出て行ってくれ。ここは、余所者が居座る町じゃない。……昨日までは、平穏だったんだ……」
その言葉を聞き、サーティーンは何も言わずに背を向けた。
町人Aの家にたどり着くと、家が完全に崩壊し燃やされたのであろう、瓦礫と灰が残っていた。彼は周囲を見渡し正面に、防風林を見つけ先へと歩みを進める。
防風林を抜けると、一面に畑が広がっていた。奇妙なことに、畑はほとんど荒らされていない。静寂の中、風だけが通り抜けていく。
ふと、視線の先に何かが倒れているのが見えた。
サーティーンは歩を速め、そこへ向かう。やがて、その姿がはっきりと見えてきた。
──町人Aだった。
血に濡れた土の上、男は横たわっていた。全身に痣を負い、内臓が破裂したのか、口元から血を流している。まだ、かすかに呼吸はあったが、助からないのは明白だった。
「……昨日のお若い方、ですね……」
かすれた声が、口から漏れた。
「何があった?」
「……午前中に……昨日の盗賊の仲間たちが……二十人ほど……畑が荒らさずに済んだのは……種を……撒いたから……」
最後の言葉を絞り出した直後、町人Aの目から光が消えた。
その瞬間、空中に亀裂が走り、漆黒のマントを纏った死神が現れた。
死神とは魂を天空界へと導く存在であり、悪魔とは異なる勢力に属している。
「……悪魔がいると、我々の仕事の邪魔になるのですよ」
死神は冷ややかにサーティーンを見つめた。
「……俺は邪魔するつもりはない。ただ、こいつがどんな目にあったか、それを知りたかっただけだ」
「奇妙な悪魔だ。……ふむ、集団から長時間の暴行。普通ならとっくに死んでいたでしょう」
「そうか」
サーティーンは一言だけ呟くと、踵を返した。やがて町人Aの魂は死神に導かれ、静かに上空へと昇っていった。
その姿を見送る……悲しくはなかった。人間がどうなろうと、知ったことではない。
ルシフィスがすべての人間を守ろうとした、その理由もサーティーンには理解できない。
──だが。
心の奥底で、説明のつかない「不快」が渦巻いていた。
それは怒りでも哀しみでもない。ただ、どうしようもなく胸の奥に残る、澱のような感情だった。
町の出入口に戻ると、今度は小さな叫び声が耳に入った。見ると、十代ほどの少年が、大人たちに必死に助けを求めている。
「お願いします! 妹が、盗賊団に連れていかれたんです!」
必死の訴え。しかし周囲の大人たちは目を伏せ、誰一人動こうとはしない。
サーティーンはその少年に近づき、静かに声をかけた。
「……何があった。詳しく話せ」
少年はサーティーンの顔を見て、一瞬言葉を失った。そして、苛立ちをぶつけるように叫んだ。
「相手は盗賊団だ……子どものお前に、何ができる! 話にならない!」
サーティーンは微動だにせず、それ以上何も言わなかった。
彼にとって、助けるかどうかは問題ではない。ただ、何があったのかを知る必要があると思ったから声をかけた──それだけのことだった。
少年は涙を拭いながらサーティーンの前から去り、再び周囲の大人たちに助けを求めていた。
サーティーンは振り返ることなく、ただ一度だけ町を見やり、静かに冥界へと歩み去った。
風が町を吹き抜ける。
その余韻の中に残ったのは、誰にも伝わらない、彼ひとりの胸を満たす不快感だけだった。




