第66話 降伏勧告、咆哮の果てに
開戦を目前に控えた両軍は、張り詰めた緊張に包まれていた。
風が静かに吹き抜け、乾いた草が揺れる音だけが耳に届く。そんな静寂を破るように、突如として高らかな角笛の音が、エルディナ草原の空に響き渡った。
その音は、まるで戦の神が目覚めたかのように凛とした響きを持っていた。シュンカク王国の陣営では、将兵たちが一斉に身を正す。前衛部隊の一角が静かに割れ、数騎の使者たちが白布の旗を高く掲げながらゆっくりと前に進み出た。
その白布には「降伏勧告」と太く黒く染め抜かれており、強い意思が感じられた。まるで風に揺れる旗そのものが、エルディナ草原に嵐を呼び込もうとしているかのようだ。
コウガン王国軍の陣営では、中央の高台に堂々と立つザイ・コウガンが、その旗を見据えて眉をひそめていた。隣に控える副将ライが、低く声をかける。
「国王、敵より使者が参りました」
ザイは一瞬の間を置き、深く息をついた。大地を踏みしめる兵の視線が、自分に集まる。彼は冷静に軍扇を軽く開き、鋭い瞳で使者を見つめた。
「よかろう。話だけは聞いてやる」
やがて、使者のハイオークが一歩前に進み出て、巻物を掲げた。静まり返った草原に、その声が響く。
「国王ヤズール・シュンカクより、ザイ・コウガン王に告ぐ!」
風が一瞬止んだかのように、草原は張り詰めた緊張に包まれた。使者の声は続く。
「貴殿は、ジンビ王国との密約と癒着を重ね、我が軍に戦を仕掛けている。コウガン王国は長らく中立を装っていたが、その実態はジンビ王国と手を組み、我々を陥れようとする裏切りに他ならない。すでに我らは確たる証拠を掴んだ。ジンビ王国は秘密裏に北域に軍を送り込み、貴殿を背後より討とうとしていたことを」
ザイの眉がわずかに動いた。心の奥で何かが揺れるが、それはすぐに引き締められた。
「ゆえに、ここに最後の勧告をする。ジンビ王国は貴殿の味方ではない。今こそ武を納め、この戦を退けよ。そうすれば、シュンカク王国は貴殿の退路を保障しよう」
草原に静寂が戻った。使者の言葉が重く響く中、一瞬の沈黙が続く。
ザイ・コウガンは使者をじっと見据え、厳しい声で呟いた。
「……終わりか?」
使者はゆっくりと頷き、言葉を返した。
「以上である」
ザイは軍扇をゆっくりとたたみ、背後の将兵たちに向き直る。彼の声は鋼のように冷たく、全軍の心に刺さった。
「嘘も大義も、口にすればただの風に過ぎぬ。ヤズール・シュンカク……貴様こそ、偽善者の化身だ」
そのまま、軍扇を振り下ろすように指示を出す。
「――総軍、突撃。正面突破だ」
角笛が二度、三度と響き渡り、エルディナ草原は一気に戦の咆哮に満たされた。
こうして、長きにわたる戦の幕が上がったのだ。
戦は苛烈を極め、互いの突撃は激しくぶつかり合った。初日、二日目と草原の中央は血と泥に染まり、兵士たちの叫び声が響き渡った。幾度となく波状攻撃が繰り返され、両陣営の士気が試される日々が続いた。
三日目の朝、コウガン王国軍の陣営に一報がもたらされた。副将ライが叫ぶように報告を告げる。
「ジンビ王国軍とシュンカク連合軍との戦いで、ジンビ王国軍、壊滅! ムロロン、ムーカワ、シュンカクの連合軍が国境沿いの戦いで勝利! ジンビ王国軍、将軍ドュランは敗走したとのことです!」
ザイ・コウガンはわずかに目を細めたが、すぐに視線を前に戻した。
「……関係ない。我らが進む道に、ジンビなど最初から要らぬ」
その言葉は虚勢か、強固な信念か。彼の決意は揺らぐことなく、攻勢の手を緩めることはなかった。
そして五日目の朝。
戦場の空には新たな風が吹いた。東の丘陵のかなたから、二つの影が駆けてくる。
一人はコウガン王国の王の息子――ナム。誇り高きケンタウロスの若き戦士。もう一人は、薄紅の衣を纏い、弓の名手として知られる側近のユラだった。
彼らの到来は、この戦場の勝敗を揺るがす「希望」となるのか、それとも「終焉」への序曲となるのか。まだ誰にも分からなかった――。




