第61話 ドコバル城沈黙の間際
北風が荒野を渡っていた。
乾いた風が地表の砂塵を巻き上げる中、ナムとユラは黙々と歩みを進めていた。二人は、ガルマ王の許可を得て連合軍の野営地を離れ、北方にあるコウガン王国とシュンカク王国の戦いの最前線を目指していた。
ナムは、自らの足で大地を踏みしめ、再び父に会うことを選んだのだ。彼の視線の先には、遠くそびえる岩山が見えていた。その山の向こうに――彼の父がいる。
風に髪をなびかせながら、ナムは一度足を止め、深く息を吸い込んだ。
「……父さんは、あの先にいる」
その背を見つめていたユラは、何も言わず、ただ静かに頷いた。彼の決意が、言葉よりも強く伝わっていた。
その頃、ムロロン国王ガルマは、主帳の中に将軍バルザークを呼び寄せていた。
「ガルマ様、ジンビ族と和平交渉を……本気でお進めになりますか?」
バルザークの声には、驚きと戸惑いがにじんでいた。
ガルマはゆっくりと頷く。
「当然だ。今こそ、血の連鎖を断ち切る好機だ。ジンビ王国のガリ王がどう出るかは分からないが……それでも、対話を試みてみる」
戦場を駆けてきた武人として、そして王として。数えきれぬ死と喪失を重ねてきたガルマは、ようやく今、終わりの形を模索していた。
バルザークは深く頭を下げる。
「ただちに、使者の準備に取りかかります。こちらの代表には、誰を――」
「任せる。ただし、決して挑発するな。怒りを煽る者は要らぬ」
「お任せを」
バルザークが天幕を出ていくと、ガルマは静かに天井を仰ぎ見た。風に揺れる幕の隙間から見えるアゴルの空。その雲の向こうに、まだ見ぬ戦のない未来を思い描こうとしていた。
一方その頃――ジンビ族の本拠、ドコバル城。
冷たい石の壁に囲まれた一室に、ガリ・ジンビ王の怒声が響き渡った。
「シュンカク族に負けただと? ドュランが、あの連合軍にしてやられたというのか!」
荒々しい声が石壁を震わせる。王の前にひざまずく兵士は、背中に冷や汗をにじませながら、必死に言葉を絞り出す。
「……もはや、東の荒野は連合側に制圧され……将軍も今は未確認にございます」
「未確認だと……? 使えぬ!」
怒りに任せて、ガリは拳で肘掛けを叩いた。鋭い音が室内に響き渡る。
しかし、次の瞬間には拳を握りしめたまま動かなくなった。目を伏せ、歯を噛みしめ、悔しさを胸の奥に押し殺す。
――なぜだ。なぜ、ドュランまでもが。
名もない時から目をかけてやった、ドュランは誰よりも忠実で、誰よりも強く、そして誰よりも誇り高い将になったのだ。信じていた。任せられると思っていた。だが、それがこの結果。連合の進軍を許し、拠点を失い、部下の生死すら掴めぬとは。
ガリは重く沈んだ息を吐いた。
「……よい。モンテと連絡を取れる者はいるか?」
「はっ! 密使を一名、ダルグ砦へ向かわせましょう」
「遅らせるな。今すぐに行け。何としても、次の指示を得ねばならぬ」
「御意!」
兵士が走り去ると、ガリは立ち上がり、壁に掛けられた大地図を睨みつけた。
色とりどりの駒で示された勢力図。シュンカクの旗が、ドコバル城にまで迫っていた。
「……我らの誇りは、まだ潰えてはおらぬ。ここドコバル城で、徹底抗戦の構えを取る。奴らに、ジンビ族の牙の鋭さを思い知らせてやる……!」
その言葉に込められた激情は本物だったが――その奥底には、渦巻く迷いがあった。
部屋の隅に控えていたもう一人の将校が、一歩前に進み出る。
「国王。……このままでは、兵の士気が持ちません。民の間にも、和平を望む声が出始めています」
「……何?」
思わず漏れたその声には、かすかな焦りがにじんでいた。
「本日だけで、後方の村々から『これ以上の戦は無意味』との文書が届いております」
重たい沈黙が場を包んだ。
ガリの瞳が、怒りに燃え上がる。だがその輝きは、どこか濁っていた。怒りの裏側――それは、認めたくない現実を突きつけられたときの、屈辱と動揺だった。
「……皆、恐れをなしたか? 我らが牙を抜かれて生き延びたとして、それが何になる? 誇りなきジンビ族など、屍と変わらん!」
震えるような声だった。誇り。それだけを支えにここまで来た。敗北も屈辱も、すべてはその言葉の下に押し込めてきたのだ。
「……その誇りを守るためにこそ、戦を終わらせる道もあるのでは、と……一部の若手将校が考えております」
「戯言を!」
再び怒声が響いた。だが、先ほどまでのような威圧感はない。言葉に迷いが混じり、音に濁りがあった。
誇りとは何か。戦いとは何のためか。自らが選び続けた道を、いま、自問しなければならなくなっていた。
戦いは、次の舞台へと進む。
ガリ王、ガルマ王、それぞれの決断が、戦の行方を左右しようとしていた。




