第58話 アゴルの戦い開戦
ジンビ王国東の荒野、シュンカク王国との国境に広がる《アゴル荒野》。
ここは風が強く、木々すら根を張らぬ不毛の地。
かつては流浪の民が夜を凌ぐ一時の地でしかなかったこの荒野が、いまや二つの軍勢によって埋め尽くされていた。
空を裂くように掲げられた旗。
その下に集うは、ジンビ王国軍の主力兵士五千と、コウガン王国軍から来た兵士百名、そして連れ出された奴隷兵二千。合わせて七千百名。
ジンビ王国軍の半数以上は近接戦に長けた重装馬歩兵。
ケンタウロスは馬の体に人の上半身がある姿の亜人で、ひとりで馬と人の役割が果たせるゆえ、馬歩兵と呼称されていた。
鋼鉄の仮面と背中に刺青をもつ血誓の部隊が、前列を固める。
その後列には、鎖で繋がれた人間の奴隷兵たち。
使い捨ての捨て駒に等しいその部隊にも、牙を研ぎ続けた者たちが確かに存在していた。
コウガン族の遊撃騎兵部隊も百名配備され、戦列の両翼に展開。
すべては、ムロロン=ムーカワ=シュンカク三国連合軍を「一気に殲滅する」という一撃に賭けていた。
ジンビ族将軍ドゥランは、戦の開始を前に叫んだ。
「我らが生きるためには! 支配するか! 滅びるかだ!」
一方。
東方、アゴル荒野の岩陰に設けられた陣営から、ゆっくりと歩み出るのは――
ミノタウロス七千、ハイオーク三千、そして人間兵士三千からなる強大な混成軍。総勢一万三千名。
その中央、堂々と進むのは、ムロロン王ガルマ。
厚い胸板、戦装束に身を包んだその雄姿は、見る者に地そのものを連想させる圧力を放っていた。
彼の隣、鮮やかな銀の羽飾りをつけた射手たち――それは、ナム率いるハイオーク弓隊。
「矢を放つ時は、風と語れ。敵を見るな。魂を見ろ」
そう語るナムの目は、戦士というより預言者のような静けさを湛えていた。
その背後には、同じくシュンカク族の軽装馬歩兵が姿を現し、万全の陣形を整えていく。
「戦端は避けられなかった。だがこれを機に、血ではなく制度で終戦の秩序を築かねばならん」
ドロワもまた、後方本陣にて戦況を見守っていた。
直接戦闘には関わらないが、シュンカク族との物資連携と戦後復興を見据えた交渉調整を任されていた。
そして――
その時、空が唸った。
太陽を遮るような黒い雲が、アゴル荒野の上空を覆っていく。
突風が荒野を走り、先頭に立っていたジンビ族の兵の旗が一瞬、逆さに翻った。
「来るぞ……ッ!」
その声が終わる前に、
――「突撃!」
ジンビ族側の先鋒が雄叫びを上げて、一斉に前進を始めた。
地響きが広がる。
奴隷兵たちも鎖を引きずりながら吶喊する。
叫びと怒号と、戦場特有の金属音が空を裂いた。
ミノタウロス側もまた、巨躯が地を蹴る。
槍と斧を構え、盾兵を前に、後列の弓隊がすでに照準を合わせる。
ナムが小さく囁いた。
「……風、来い」
その瞬間、突風が右から左へ吹き、矢の軌道を補正した。
――ヒュゥウッ!
次の瞬間、魔力を帯びた矢が、夜の星のように空を駆け、ジンビ族の先陣を貫いた。
それは、開戦の合図だった。
戦は始まったばかり。
その決着がつくのは、明日か、あるいは数週間後か。
ただ一つ言えるのは――
この戦いは、単なる国境の争いではない。
「旧制度 vs 新秩序」
「恐怖による支配 vs 意志による結集」
この戦に勝った陣営が、トママイ連合の未来を定義する。
そして、その地下では――
サーティーンが、産声を待っていた。
地上に血が溢れれば溢れるほど、その胎動は強くなっていく。
――これは、ただの戦争ではない。
風が時代を裂く、その瞬間である。




