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第55話 胎動する光と闇

 メッザ交易所襲撃、あの夜の炎を最後に、交易商人ドロワと上級悪魔モンテの間に明確な戦火は上がらなかった。


 それは一見、冷却期間とも思える空白だったが、実際には、双方が息を潜め、次の一手を探る静かな攻防の只中にあった――血も流さず、言葉も交わさず、ただ静かに、深く潜って。


 ドロワは経済圏の拡大を進める一方で、秘密裏に情報部門を設立。少数の目立たぬ者たちを、モンテの拠点「ダルグ砦」へと送り込んでいた。


 選ばれたのは、元奴隷でありながら教育と訓練を経て自立し始めた者たち。彼らは元来、存在すら無視されてきたからこそ、敵の目を欺くには最適だった。


 スパイの一人、コルミナは、かつてジンビ族の下働きとして売られていた人間の娘。今は姿を偽装し「ダルグ砦」へと潜入していた。


 彼女が目にしたのは、予定とは程遠い――いや、明らかな工事の遅延と崩壊の兆しだった。


 奴隷不足。


 モンテは依然として奴隷制度に固執し、新たな労働力を服従で支配しようとしていた。しかし、最大の供給元だったムーカワ国が奴隷制度を見直し始めたことで、その供給網は著しく縮小。シュンカク王国も撤退し、奴隷の供給元はジンビ王国とコウガン王国のみに絞られていた。


 だが、ジンビ王国も長期戦への耐性が乏しく、逃亡者や反乱が相次いでいた。


 さらに、魔力を供給すべき「白魂」は劣化が進み、ライモンドが展開した怠惰の結界すら、不安定になりつつあった。


 砦内部では病が発生し、工区の半分が放棄されるという事態に陥っていた。


 それでも、モンテはひとつも軌道修正を行わなかった。


 いや、できなかった。


 過去の栄光と支配の論理に取り憑かれた彼には、改革も転換も屈辱でしかなく、自らの手を汚してまで労働の再設計を行うことすら拒絶していた。


 こうしてダルグ砦、城塞計画は、未完成のまま、不気味な廃墟へと変貌しつつあった。


 ドロワは報告を受け、内心で確信する。


(――勝ったとは思わない。ただ、崩れ始めたのだ。奴は、自壊する)


 それでも彼は動かなかった。


 あえて、動かずにいた。


 その裏で、彼は経済圏を「人道的労働共同体」として制度化しながら広げていった。商会の信用は増し、彼の名は「奴隷解放後の新秩序の設計者」として、徐々に囁かれるようになっていった。


 

 そして――その頃、サーティーンは動いていた。


 彼が手を伸ばしていたのは、表の世界ではなく、地の底だった。


 トママイ連合国の広大な地下。かつて豊かな鉱脈が広がっていたその土壌に、サーティーンはゲオラークと共に、幾筋ものトンネルを完成させていた。


 音も魔力反応も遮断する結界で覆われたその通路は、ヒラーク城を起点に、三部族の拠点となる城や砦、そして交易都市メッザやタリマの丘へと繋がっていた。


 そこを通って、何が来るのか。何を運ぶつもりなのか――誰にも分からない。


 ただひとり、ナタルだけがその動きを察知し、恐れに似た声を漏らした。


「サーティーン様……まさか、世界そのものを繋ぐおつもりですか?」


「ふふ……違うな。世界を割るのだ。道とは、繋ぐためだけにあるものではない。時に、真っ二つに裂くためにこそ開かれる」


 それは秩序と異端を繋ぐ道ではない。


 世界を真に引き裂く――裂け目そのものだった。


 

 同じ頃、光国側で密かに、ひとつの噂が広まり始めていた。


「――勇者が誕生したらしい」


 それだけで真偽は定かでなかったが、それでも人々はすでに待っていた。


 かつて幾度となく、闇に飲まれた世界を救ってきた、あの者の再来を。


 それが誰なのか。どこから来るのか。


 そして、それが救世なのか破滅なのか――


 それを知る者は、まだ誰もいなかった。


 ただ、世界は静かに、確実に――次の転機を迎えようとしていた。




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