第45話 モンテ拠点 ダルグ砦
ジンビ王国、西端の黒岩高地の南。
風すらも寄せ付けぬ不毛の岩地。その地の果てに、沈黙のように佇む漆黒の要塞があった。
名を「ダルグ砦」という。
その巨砦は、上級悪魔モンテが築き上げたものであり、今でこそ表層は荒れ果て忘れられた、廃墟のような佇まいを見せているが、砦の地下には今なお、熱と湿気が充満した坑道が広がり、そこでは数百の人間奴隷たちが絶えず鉱石を掘り続けていた。
彼らの掘り出す鉱石の中には、禁断の毒素を含むものもあり、それらは古の武具や呪具として精製され、かつて幾度となく戦の闇に姿を現してきた。今はただ、沈黙の中でその牙を研ぎながら、再び地上に放たれる時を待っている。
そんな砦の中心、かつて多くの会議と処刑が行われた広間に、一つの足音が響いた。
低く、重く、だが確固たる意志を秘めた歩みだった。
現れたのは、ひとりの人間の青年――ドロワ。まだ二十代前半と見える若さだが、その瞳には、世を穿つような冷めた光が宿っていた。かつて奴隷商代表であり父であったドクワの影に生き、その後継として闇の交易を支えた男。その血に悪魔の因子こそ含まれぬものの、その生き方は、ある意味では父以上に非情で、そして戦略的だった。
「……モンテ様。交易は順調に推移しています。しかし、ムロロン王国とムーカワ国における奴隷制度の廃止の動きが、私たちの経済圏に徐々に影を落とし始めています」
広間に響くその声は低く、よく通るが、どこかにひと匙の挑戦的な響きを含んでいた。
黒き玉座に深く腰掛けていた上級悪魔モンテは、しばし沈黙のままにその言葉を噛みしめるように黙していた。やがて、ゆっくりと立ち上がり、背を向けたまま、かすれた声で呟く。
「……そうか。だが、まだ完全に風は変わってはおらぬ。奴隷制度を必要とする者も、我らの側に多くいる……しばらくは様子を見るのだな」
「……かしこまりました」
ドロワは深く頭を下げ、その場を静かに後にした。
だが、扉を閉じたその瞬間から、彼の内には別の炎が渦を巻き始めていた。
(……奴の言葉に従い続けるべきではない。父はモンテと、その配下ドラツに踊らされ、最期は無様に捨てられた。あの道を、自分もなぞるわけにはいかない)
彼はすでに、別の道を歩み始めていた。
自らの名義で新たに設立した交易商会においては、奴隷たちに賃金を与え、休息と衣食住の安定を保証し、より長期的に「働かせる」仕組み――いわば、世界初の派遣業をひそやかに導入していた。
表向きは従来の奴隷制を保ちながら、実質的にはその構造をゆっくりと変化させていく。奴隷でありながら、意識の上ではすでに労働者。その変化に気付く者はまだ少ない。だが、時間をかければ、制度そのものが音を立てて崩れていくのは必然だった。
しかし――
その変化を、誰よりも早く察知したのが、他ならぬモンテだった。
不変の支配を望む彼にとって、ドロワの動きは明らかな裏切りに映った。表情こそ変えぬまま、内には怒りと警戒の焔が灯っていた。
そして、彼は動き出す。
忠実なる下級悪魔たちを次々とダルグ砦に招集し、かつての戦で名を上げたジンビ族を傘下に引き込んだ。
目的はただひとつ。――反抗の芽を摘むこと。新たな秩序を力で封殺し、奴隷制度を永遠のものとすること。
正義と狂気。
契約と暴力。
異なる価値を掲げる二つの支配が、今、ジンビ王国で静かに対峙し始めていた。
この争いが、やがて血の雨を呼ぶことを、誰もが薄々感じていた。
そしてその中から、誰も予想しなかった第三の火種が、静かに、しかし確かに芽吹き始めていたのだった――。




