第3話 冥界の主、誕生
サーティーンが天使から悪魔へと変化していく最中、眠りにつく彼の身体を世話していたのは、上級悪魔ルサールカだった。
彼女の希望(あるいは試し)により、サーティーンは彼女を「ルカ」と呼ぶようになっていた。
「ルカがどんな存在かは理解した。警戒すべき点も分かった。……それで、他の悪魔たちの動向はどうなっている?」
問いかけに対し、ルカは優雅に一礼する。
「現状ですが――悪魔ナンバーⅠ、極悪魔アバドンが勢力を拡大しております」
「アバドン……か」
その名を耳にした瞬間、サーティーンの表情にかすかな陰が落ちる。
アバドン――極悪魔の頂点に立つ、初めて生まれた「初源の悪魔」。その戦闘力と魔力は熾天使ミカイルにも匹敵し、暗黒神の意思を体現する存在。いまや彼は右腕としてナンバーⅡであるベルゼブブを従え、悪魔全体を掌握しつつあった。
「他の極悪魔たちは?」
「逆らう者はおりません。ただし、忠実に命に従う者もいれば、欲望のままに振る舞う者もおります。暗黒神様への忠誠心はまちまちで、完全な統制には至っておりません」
「なるほど……。全員が一枚岩ならば、アバドンを倒すしかなかったが……まだ策を練る余地はあるわけだ」
「はい。後ほど、それぞれの支配地域や所在をまとめてご報告いたします」
極悪魔たちは闇国に拠点を築き、命を受ける者もいれば、ただ自らの欲望を追う者もいる。――まだ、完全な支配には遠かった。
「魔王と勇者の現状は?」
「現在は第五魔王カレンが誕生しております。しかし、新たな勇者はまだ。……色欲のアスモタンが光国に潜入し、勇者候補を探し回っているとの報がございます」
「勇者が育つ前に摘み取ろうというわけか……」
「目的までは分かりかねます」
「……分かった。まずは悪魔どもの掌握から始めるとしよう。それにしても……ここが魔界か?」
ルカは軽く首をかしげた。
「いえ。正確にはサーティーン様専用の亜空間。位置づけは地獄第九階層――無間地獄のさらに下です。この空間は魔界とも異なり、サーティーン様が完全に制御可能な領域。建物も風景も自在に創造でき、許可なき者は一歩も立ち入れません」
「……なるほどな。地獄最深部にして、魔界にも属さぬ場所。俺が支配する魂の深淵。……この性質ならば、冥界と呼ぶにふさわしい」
「仰せのままに。以後、この地を冥界と呼称いたします」
言葉に力を込めたその瞬間、サーティーンはふと疑念を覚える。
「……ルカ。お前はどうやってここに入った?」
「サーティーン様がお休み中に、ちょちょっと……」
「ちょちょっとって何を?」
「……申し上げるには、公序良俗に反するかと」
「まさか、恥ずかしいコレクションに……」
「ふふ……ご想像にお任せいたします」
サーティーンはわざとらしく咳払いをして、強がるように答えた。
「……まあいい。趣味嗜好の範囲なら問題はない」
(強がるその姿さえ、愛おしい……)
ルカは心中で微笑みつつ、彼の背を見守った。
サーティーンはリビングを出て外に出る。紫がかった空、果てしなく続く荒涼たる大地――何もない光景が広がっていた。
「……空虚だな」
窓越しに覗くルカの視線を感じつつ、彼は小さく呟く。
「そういえば、ここは何でも創れるのだったな」
(……ルサぴょんを思い出してウサギを出すに一票!)
「グングニル!」
(……出るわけありませんわ)
何も現れなかった。ルカは心の中で額を押さえる。
「モーニングスター! グラビティビット! シャイニングフィンガー!」
(だから無理だと……)
天使だった頃の力は、もう彼の中にない。ルカはついに窓を開けて声をかけた。
「サーティーン様。天使時代の力は失われていますが、新たな武器やスキルがございます。発動の際にはダーク、ブラック、デーモンなどを冠するのがコツです」
「……そうか。……ところで、お前、ずっと見ていただろう?」
「い、いえ、見てません!」
「………」
「………」
サーティーンは気にせず呟く。
「ブラックビット!」
直径五センチほどの黒い球体が宙に浮かぶ。光を飲み込み、空間を歪める漆黒の力。
「……おお、黒いな」
その力はただの闇ではない。対象を吸収し、侵入すれば肉体を操り、さらには時間すら弄ぶ――彼だけの特異な力だった。
「次は……ダークフィンガー。これは相手がいないと試せんか」
その力は、天使を堕天させ、人間には絶望を植え付け、悪魔には破壊を与える。
サーティーンは新たな力を確かめながら、同時に胸の奥でわずかな喪失感を覚えていた。
かつての光はもう手に入らない。だが、この闇こそが今の自分の存在意義――冥界の主として歩む第一歩なのだと。




