第34話 砕かれた鎖、新時代の礎
ムロロン城に繋がる地下水路を抜け、静かに、しかし確かな足取りで城内へと突入したガルマ率いる精鋭部隊。彼らの目的はただひとつ──王ガルマルクの座する玉座の間に辿り着くことだった。
他の兵がぶつかる中、やがてガルマは、黒と金に彩られた玉座の間に足を踏み入れた。重厚な柱が並ぶその奥、影の中に一人の男が立っていた。全身を黒鉄の鎧で包み、手にしているのは剣ではなく、戦場で数多の命を奪ってきたであろう巨大な戦斧。
その姿に、かつての「父」の面影はなかった。支配者としての威圧が、空間の温度を下げるように満ちていた。
「……ガルマ。よくここまで来たな」
低く冷えた声音が、玉座の床を震わせるように響いた。
「父上。奴隷制度の廃止を──どうか、承認してください」
ガルマの声は静かだった。しかしその奥には、決意の火が灯っている。
王ガルマルクは、重い溜息を吐いた。
「それは……出来ぬ。……だが、どうしても成すというのなら、私を倒し、自ら王としてなすがいい」
言葉とともに、ガルマは剣を抜いた。怒りはなかった。ただ覚悟だけが、瞳に宿っていた。
「覚悟は、とうに出来ています。……私はこの国の未来を信じて、あなたを討ちます」
「来い、ガルマ!」
鋼がぶつかり合う轟音が玉座の間に響き渡る。ガルマは民のために磨いた剣術をもって父の斧に立ち向かう。だがガルマルクの技量もまた、戦場にて鍛え上げられた真の力だった。
柱は折れ、床石は砕け、壁に血が飛び散る。壮絶な親子の死闘が、そこにあった。
そして、ついに──
ガルマの剣が、父の肩口を深々と貫いた。
「……終わりです、父上! 改革を認めてください」
王の身体がぐらりと揺れた。しかしその口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。
「ふふ……見事だ、ガルマ。だが……詰めが甘いな」
空間が歪み、闇が爆ぜた。
王ガルマルクの体を覆う黒煙は渦を巻きながら凝縮し、やがて肉と鉄の境を失った異形へと変貌していく。
眼は紅に燃え、息づくたびに空気が焼け、床の石が鳴った。
――悪魔が、ガルマルクの身体を完全に奪ったのだ。
「……我はナンバーⅩⅡ、モンテ! 憤怒の王アバドンの配下にして、地獄の狗。小僧の理想など──我が蹄で踏み潰してくれるわ!」
爆ぜるような声とともに、玉座の間の空気が一瞬で重く沈む。
ガルマは剣を構えるが、その威圧だけで膝が震えた。
息を吸えば、肺が灼ける。恐怖と怒りが、心臓の鼓動を打ち鳴らした。
「まさか悪魔か? 父上……やめてください! その力に魂を売ってまで、何を守ろうというんです!」
叫びは祈りだった。
しかし、その祈りを踏み潰すように、モンテの瞳が嗤う。
「守る? 違うな。あまちゃんに育ってしまった貴様に、王は心底怒っておるぞ? 支配し民を導くのが王の責務。弱き者に権利などない! ゆえに我は血と恐怖で従わせる、それが新しいこの国の秩序となるのだ!」
モンテが一歩踏み出す。そのたびに床石が割れ、黒い亀裂が走る。
振り下ろされた戦斧が風を裂き、衝撃波が壁を砕いた。
ガルマは剣で受け止めたが、骨が軋み、視界が白く弾ける。
壁に叩きつけられながらも、彼は立ち上がる。
血に濡れた唇を拭い、叫ぶ。
「それでも、私は信じている! 人は、力ではなく絆で結ばれる……と!」
渾身の一撃を放つ。
剣閃がモンテの肩を裂き、黒い血が飛び散る。
だが、モンテはかすかに笑った。
「……ぬるいな。この期に及んでも、貴様の剣は情に濡れすぎている」
掌が開かれると同時に、見えぬ圧が爆ぜた。
ガルマの身体が宙に浮き、無数の力が内臓を圧し潰す。
「ぐ……はぁっ……!」
「見よ、父の姿をしたこの私を、お前はまだ情けなく父上と呼ぶのか? さぁ怒れ! 憤怒こそが我の嗜好よ!」
その嘲りに、ガルマの瞳がわずかに揺れた。
血の混じった息を吐きながら、彼はゆっくりと呟く。
「……そうだな……もう……あなたは……父上じゃない……」
握り直す剣先が、決意の光を宿す。
「――悪魔モンテ。私は、父の魂を取り戻すために、お前を討つ!」
モンテの表情が歪み、咆哮が玉座の間を震わせる。
戦斧が再び閃き、地獄の炎が床を走る。
ガルマは剣を交差させ、火花の中で必死に応戦した。
その剣筋は研ぎ澄まされ、もはや迷いはない。
だが、力の差はあまりに絶望的だった。
モンテの一撃が防御を貫き、剣が弾かれる。
斧が振り抜かれ、刃がガルマの左肩を深く抉った。
「がはっ……! ……こんな……こんな結末を……望んだわけじゃない……!」
膝が崩れ、血が床を染める。
それでもガルマは、震える声でなお言葉を放った。
「……ガルマルク……いや……父上……あなたは……この国を……本当は……愛していたはずだ……!」
紅い瞳がわずかに揺れた。
その奥に、かすかな迷いがあった。
――まだ、父の心が残っているのかもしれない。
ガルマは、そう信じたかった。
血に染まっても、悪魔に堕ちても、父・ガルマルクが完全に失われたわけではないと。
だが、その淡い希望は、次の瞬間に打ち砕かれた。
「血で救えぬなら、炎で清めよう! 奴隷も民も、我が秩序の礎とせん!」
モンテの咆哮が、玉座の間を揺るがす。
父ではなく、怪物の声だった。
その宣告は、ムロロン王国そのものに対する――滅びの判決。
ガルマの心に、深い絶望が走る。
この国を信じ、共に立ち上がった仲間たちの顔が脳裏をよぎった。
血に塗れ、命を賭して戦った反乱の同志たち。
彼らの想いを、ここで無にするわけにはいかない。
たとえそれが父と同じ、悪魔にすがることになろうとも――。
その瞬間ガルマの胸元から古びた紙片がはらりと舞い落ちた。
ムーカワ国の親書に添えられていた、悪魔召喚の七芒星。
紙の上に、ガルマの血が一滴、ぽたりと落ちる。
途端に、黒紫の光が脈動し始めた。
「エリナ、テナ、バルザーク……諦めたくない……頼む……誰でもいい……誰か……俺に……力を……!」
それは祈りだった。ガルマに残された、かすかな希望の叫び。
――血に染まった七芒星が、異界の闇を開く。
次の瞬間、空間がねじれ、瘴気と共に一人の男が現れた。
漆黒の外套、闇を映すような黒髪。
そして、紅い瞳に宿る狂気と愉悦。
極悪魔――サーティーン。
「坊っちゃんかと思っていたが――よく折れずにいたな。本気で力を貸す気になったぞ、ガルマとやら」
「ど、どう扱われようと……いい……。
私には……守らなきゃならない……仲間が……いる……。だから……力を……。
まだ……終われない…………」
「その執念、確かに受け取った」
突如現れた少年の姿をした者、そのただならぬ気配にモンテがわずかに身を引いた。
その隙を見逃さず、サーティーンは瞬時にモンテの前に移動し、軽く人差し指を伸ばした。
その一撃で、モンテの鎧が砕け、巨体が壁に叩きつけられる。
「ぐぶっ……き、貴様……何者だ……」
「俺か? 悪の中の悪ってとこだな。正義の味方より……タチが悪いぞ?」
「まさか貴様か?……ゲオークを殺したのは……」
「ゲオーク? あぁ、いたなそんなの。もうどうでもいいが」
「ぐっ……この場は引いてやる……!」
モンテは虚空を裂き、転移の呪文を発動した。
退くしかないと悟ったのだ。
「覚えていろ……!」
闇の中へと姿を消すモンテ。
その声は、呪いのように響いた。
静まり返る玉座の間で、ガルマは意識を失い、サーティーンの腕に崩れ落ちた。
「逃げたか……まぁいい。印は刻ませてもらったからな」
サーティーンは薄く笑い、虚空に声をかけた。
「ペコ、いるか?」
「は〜い。王子様のお手当てね」
「頼む」
ペコが現れ、ガルマを浮かせて冥界へと運び去っていく。
サーティーンはゆっくりと玉座の間を見渡し、駆けつけて来たギーブと賢者ルモルンへ告げた。
「王は退けられた。ガルマが勝者だと、城兵たちに伝えろ」
その一言が、旧秩序による長きにわたる支配を終わらせ、新たな秩序の始まりであった。




