第31話 血と鉄の楔(くさび) ムロロン王国の乱
大陸中央から南西に位置し、ムーカワ国の西にあるムロロン王国。
そこは古くからミノタウロス族が統治する、力を至上とする鉄と斧の国であった。農業と製鉄が盛んで、国北部の鉱山からは希少な鉱物資源が掘り出されている。だがその採掘量は少なく、東の隣国ムーカワ国からの輸入に依存していた。
ムロロンはその代償として、ムーカワの町々を魔物の脅威から守るため、自慢の傭兵団を派遣していた。しかし、その交易の裏にはもう一つの密約があった。──人間の奴隷である。
長きにわたり、ムーカワ国王マルカスの密命により、定期的に奴隷商から労働力がムロロンに送られていた。地下鉱脈を掘り、兵站を支え、王国の礎を担う、使い捨ての存在として。
だが、時代は変わりつつあった。数ヶ月前──マルカス王の死去により、王妃ヤンナが即位。彼女は即座に奴隷制度の段階的な廃止を宣言し、ムロロン国への供給を徐々に減らしていた。
その余波は、ムロロン国の中枢へと静かに、だが確実に及び始めていた。
黒曜石で築かれたムロロン城。
その中心にある謁見の間は、まるで鋭利な斧の刃のような緊張と威圧感に満ちていた。王座に鎮座するのは、黒鉄の重鎧を身に纏った巨躯の王、ガルマルク四世。
額には幾多の戦と統治の刻印が刻まれているが、その眼光は衰えを知らず、なお猛獣の如く鋭い。
その前に進み出たのは、彼の息子──若き王子ガルマであった。堂々とした体躯、だがその眼には怒りではなく、深い憂いが宿っていた。
「父上……今日こそ、申し上げたいことがございます」
王の目がわずかに細められる。
「またか、ガルマ。今度は何だ。鉱山の制度か? 税か?」
「いいえ、奴隷制度についてです」
その瞬間、空気が凍りついた。石壁さえ、主の意志に逆らう言葉を拒絶するように軋む。
「人間たちは、ただの道具ではありません。彼らには意志があり、家族があり、夢があります。……我々は、いつまでこの古き罪に縛られ続けるのですか?」
「罪だと?」 老王の声が低く唸った。
「貴様はこの王国の何を見てきた。地下を掘るのは誰だ? 兵に食を運び、鉄を打つのは誰だ? すべて人間どもだ。奴らがいなければ、この国は立たぬ! 貴様の甘き夢想に、国を預けられるものか!」
ガルマは唇を噛みしめた。幾度となく訴えてきた。だが、父は変わらぬ。だが今、情勢が変わった。
「……ムーカワ国が供給を減らして来ております。このままでは、我が国は立ち行かなくなります。人間奴隷に依存しない国作りを早急に行うべきです。それでもなお、制度に固執なさるおつもりですか?」
「ならば、自らの軍をもって奴隷を捕らえるまでだ!」
怒声が石の壁に反響し、謁見の間に轟いた。
「人間は這いつくばるしかない。黙って砕ける。それが自然の摂理だ。ムロロンに逆らう愚者など、砕けてよい!」
だがガルマは動かず、沈黙のまま父の前に立ち続けた。
──父は変わらない。ならば、変えるべきは自分なのだ。
その夜。王宮の塔の一室にて。
ガルマは炎のランプの灯を見つめながら、一通の書簡を手にしていた。
謁見の直前に、密かに届けられたもの。差出人はムーカワ国女王、ヤンナ・ムーカワ。
『ムロロンに変革の意志ありと聞きました。
もし我らが盟を結ぶ時が来るのなら、援軍を派遣する準備がございます。
ご連絡、お待ちしております──ヤンナ・ムーカワ』
彼は想いを馳せた。制度に疑問を抱き始めた若き将校たち。
人間の子どもたちに密かに学問を教える異端の学者たち。
──そして、幼い自分に物語を読み聞かせてくれた、あの奴隷の少女のことを。
この国には、まだ希望の火がある。
「父上……私は、貴方を敬愛しています。それでも……私は、貴方と敵になる」
彼は立ち上がり、決意のこもった声で衛兵に言った。
「この書簡を、ムーカワ国へ届けてくれ」
「了解いたしました」
その瞬間から、ムロロン王国の未来を揺るがす──血と信念の戦いが始まった。
そして、ムーカワ城。
玉座の裏手、闇に包まれた政庁空間。
そこには呪符と魔印が刻まれ、空気は緊張と魔力で凍りついている。
集まったのは五人の中枢者たち──
極悪魔サーティーン。
上級悪魔でムーカワ国、宰相のルサールカ。
ムーカワ国、政務官ナタル。(傲慢の上級悪魔)
ムーカワ国、執政官のギーブ。(傲慢の中級悪魔)
そしてムーカワ国女王、ヤンナ・ムーカワ。
ヤンナが進み出て、静かに一礼を捧げる。
「──サーティーン様。ついにガルマ王子から返書が届きました」
その場に、黒曜石の机を介して文が浮かび上がる。
サーティーンの指先が光を放ち、文字が闇の炎に照らされて声となり響く。
『私は、父の暴政を終わらせたい。
人の尊厳を踏みにじる体制は、どれほど強かろうと滅ぶべきだ。
どうか、あなたの国の助力を──』
ナタルは目を伏せながら呟いた。
「なかなか純度の高い意志を持っていますね……」
ギーブがにやりと笑う。
「正義漢だな。あの愚王の血とは思えん。昔ガルマルク王と会ったときは、俺もナタルも気分が悪くなった。あれは完全に人間を虫けらと見ていた」
ヤンナは一歩進み、頭を垂れた。
「私は、ガルマ王子の決断を歴史の転換点と見ています。
混乱を乗り越え、同盟国家として新たな礎を築くには、サーティーン様の後見が必要です」
静かに椅子から立ち上がるサーティーン。
その身からほとばしる魔力が空間を歪め、三人を見下ろすようにして宣言する。
「いいだろう。ギーブは五百の重武装ハイオークを率いて、ムロロン東の森林地帯で待機だ。現地でガルマと合流し、指示に従え」
「了解しました」
「ヤンナとナタルは、奴隷制度改革の会議に備えよ。……この件には、どうも別の悪魔の気配がする」
「了解いたしました」
サーティーンがさらに口を開く。
「俺は先行して、ヒラーク城で奴隷の受け入れ態勢を整える。あとからムロロンにも顔を出すが、ガルマには悪魔召喚紙を持たせておけ」
ルサールカが頷く。
「かしこまりました」
──こうして、二つの国の運命を分ける戦が、静かに幕を開けた。
それは、血と犠牲と希望によって描かれる、新時代の序章であった。




