第29話 異世界転移者 後編
ザイアックに協力することになってから、もうすぐ一ヶ月が経とうとしていた。
ザイアックの指示により、私と奈々は教室をしばらく休む事にし、ミホロ町を後にした。南東へ――長い道のりを経て、ようやく辿り着いたのは「ハジメの町」だった。
この町は、アレスの勇者育成計画における出発点とされている。
広場には冒険者志望の若者たちが集い、笑い声と希望の言葉が溢れていた。
その光景を眺めながら、胸の奥がひりつくのを感じた。――あれが、かつての私たちの姿だったのかもしれない。
そのとき、広場の中心に一人の老人が立っていた。
白い髭をたくわえ、ボロボロのローブをまとったその姿は、どこか神聖ですらある。
老人は、まるで教祖のように人々へ語りかけていた。
「まずは南のドリード王国へ行きなされ。そこには古の戦士の血を引く男がいる。そして南西のミラー城塞には、稀代の魔法剣士の噂が……」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が冷たくなった。
ゲームで何処に行けと、繰り返しヒントを言う人物。
――間違いない。あいつが、アレスが仕込んだナビゲーターだ。
私は奈々の手を握り、合図を送った。
奈々は黙ってうなずくと、フードを深くかぶったまま老人へと歩み寄る。
その姿が人混みに紛れて消えていく。胸の鼓動がやけに大きく響いた。
「すみません、お爺さん。その話、もう少し詳しく……」
奈々の声が聞こえた次の瞬間――。
風が止み、音が消えた。
奈々がフードを脱ぎ、目隠しをたくし上げ、老人と目を合わせる。
私は息を呑む。
灰色の波が、老人の体を瞬く間に侵していく。
――メデューサの眼。
バリバリと乾いた音を立て、老人はそのまま石像と化した。
広場全体が凍りついた。
叫ぶ者も、逃げる者もいない。誰も、何が起こったのか理解できていなかった。
私はその一瞬を逃さず、懐から転移の巻物を取り出す。
――ザイアックから託された禁呪。
震える指先で印を結び、石像となった老人をシールド城塞のアジトへと転送する。
直後、下級悪魔の一体が老人の姿に変身し、何食わぬ顔で広場の若者たちにデタラメを語り始めた。
こうして、勇者育成計画の最初の歯車を狂わせた。
夜。
町外れの宿屋の一室で、私と奈々は下級悪魔たちと合流した。
黒いマントを羽織った彼らは、各地で人間に取り憑き、勇者候補を探し、勇者育成計画を監視している。
各地の情報をもらった私は、テーブルの上に地図を広げ、指でルートをなぞった。
「これがアレスが示した理想的な勇者の旅路だ」
ハジメの町でナビゲーターに導かれ、
ドリード王国で戦士を仲間にし、
ミラー城塞で魔法剣士を迎え、
トーカチ山北の神殿で不死鳥と契約。
そして、各地に散らばる魔族領への鍵を手に入れる。
私は唇を噛みしめ、言葉を絞り出した。
「……このルートを潰す」
下級悪魔たちがざわめく。
「魔族領に入る鍵に関して偽の情報を流すんだ」
「御意。すぐに仕込みましょう」
窓辺に立つ奈々が、外を見ながらぽつりと呟いた。
「……彼らの目の光が、少しずつ曇っていく」
その声に、胸の奥が痛んだ。
彼女も分かっている。この行為がどれほど残酷かを。
それでも――やらなければならなかった。
ザイアックとの契約。
勇者の成長を阻害し、仲間たちを引き合わせないこと。それが、私たちに課せられた任務だった。
逆らえば、魂ごと奪われる。永遠に闇へ囚われる。
つまり――奈々とは二度と会えなくなる。
私は震える手で地図を指し示した。
「ハジメの町の偽情報に引っかかれば理想だ。だがもし突破されたら……ドリード王国で、海沿いの町に怪物が出たと言い、戦士を連れ出し、勇者とのすれ違いを誘発させる」
「ミラー城塞では?」
「不死鳥の神殿が、トーカチ山の東にあると噂を流せ。ダンジョンにはコカトリスの雛を置いておけ。神鳥に見せかければ十分だ」
誰かが問う。
「鍵については、どうするか?」
私はしばらく沈黙し、乾いた声で答えた。
「現段階では探しても無駄だ。……だがもし私たちが先に見つけ持ち去ろうものなら、勇者は必ず奪いに来る。だから鍵には手を出すな。これはザイアック様への報告事項だ」
──そして、一ヶ月後。
いつ現れるか分からない、勇者に欺瞞情報を伝える下級悪魔たちを各地に配置し、ミホロ町の自宅に戻った夜、ザイアックが現れた。
冷たい笑みを浮かべたその悪魔に、私は報告を終える。
「ふむ、なるほどよく考え付きましたね。さすがは異界の知識を持つ者、ではお前たちは、ここで今まで通り暮らしても良い。だが、勇者候補を見かけたら報告するのだ。私は従順な者に手出しはしませんが……逆らえば、どうなるかは分かっていますね?」
背筋が凍る。
私は頭を垂れ、絞り出すように答えた。
「……かしこまりました。協力は惜しみません」
「分かれば結構」
ザイアックが消えたあと、部屋の静寂に押し潰されそうになった。
奈々を守るために従うしかない。
だが、その従順こそが、彼女との日々を少しずつ蝕んでいく。
私は机の上の地図を見つめた。
奈々と幸福を掴むはずだった旅路は、今や悪魔に魂を握られた恐怖と、勇者の旅路を阻む後悔の念でできた鎖の道に変わっていたのだった……。
その頃、冥界では――。
ペコが各地の報告を持ってきた。
「主様、ミホロ町に気になる人間がいると報告があったよ。なんでも異世界から来た者らしく、別の悪魔どもと接触しているみたい」
サーティーンは片眉をわずかに動かし、視線を遠くへと向けた。
「異世界の人間……か」
ペコのフェアリーサークルが映し出したのは、静かな町の一角にある小さな家。
灯りの下で地図を広げる男性と、目隠しをした女性が静かに家事をしている。
ふたりの時間は、ごく普通の夫婦のものに見えた。だが、その影には確かに――悪魔の鎖が絡みついていた。
サーティーンはほんの一瞬、興味を宿した眼差しを向ける。
だが次の瞬間、ふっと鼻で笑った。
「……くだらん。俺の手を煩わせるほどの価値はない。――が、あの辺りはアスモタンの配下、ザイアックが関与している可能性が高いな」
口では関係ないと言いながらも、彼の脳裏には探している極悪魔アスモタンと、その配下の影――そして、かつて授かった女神の願いがよぎった。
(女神の願いは、人と魔族の融和……。
異世界の知識を持つ者なら、それを成し遂げられるかもしれん。
そして、奴が復活すれば――彼らを探しに来るだろう。つまり彼らの存在は、ナンバーⅦ・上級悪魔ザイアックの居場所を知る鍵となるし、奴との接点にもなるという事か……)
サーティーンは短く息を吐き、思考を切り替えた。
「それとなく、監視と報告をたのむ」
「了解でーす、主様」
ペコにそう命じると、サーティーンは静かに眼を閉じた。
こうして――惑星ガイアから転移してきた悠馬と奈々は、ザイアックの策略に巻き込まれ、知らぬ間にサーティーンの視線に捉えられる存在となった。
ザイアックの策と、サーティーンの思惑。
そして奴と呼ばれる、もうひとつの影。
すべてが交わる時、失われた光が再び蘇る――。
その運命を、この時まだ誰も知らなかった。




