第19話 悪魔の定義
オークの代表ゲオークは、強欲の極悪魔マモンに魂を売り、上級悪魔ゲオークとなった。サーティーンはゲオークを討ちデーモンコアを回収し、ゲオークの息子ゲオラークを配下に加え、サーティーンはムーカワ国西の、大森林内に残されたオークの町の行く末を見つめていた。
(オークたちは、たとえ元いたヨウバリ町に戻ったとしても、同じ道を辿る……ここにいる人間の奴隷たちは――ムーカワ国を片付けてからだな)
「ゲオラークついて来い」
「はっ!」
簡潔な命令に、ゲオラークはすぐさま従う。
サーティーンは北の居住区を後にし、西方の養人場へと歩を進める。
そこには空っぽの養肥人舎があった。
サーティーンはその中に、冥界で生み出した、生きたトンブーを二百頭、次々と解き放っていった。
トンブー――。
温和で従順な性質を持つこの動物は、肉も出汁も骨までも余すことなく利用できる、貴重な家畜である。
「これは……!」
思わず声を漏らすゲオラークに、サーティーンは淡々と告げる。
「今日からこいつらを育て、加工し、出荷の準備を整えろ。ムーカワには後で話を通す」
「……ありがたき幸せ。精一杯、務めさせていただきます」
「ペコ、いるか」
「はいっ、主様!」
呼ばれて即座に現れたのは、サーティーンの配下・ペコだった。まるで気配を感じさせぬ速さで姿を現す。
「この地に、お前の仲間を呼び監視をつけろ。目を離すな」
「了解。で、この町の名前は?」
「……は?」
唐突な質問に、サーティーンは眉をひそめた。面倒くさそうな顔をする。
「名前?……適当に決めておけ」
「じゃあ……そうね。ヒラーク町ってことでどう? え〜と」
「ハイオークのゲオラークです。以後、お見知りおきを」
「よろしくね、ゲオラークくん」
「ペコ様、よろしくお願いいたします」
「……様ってのは、ちょっとくすぐったいね。ペコさんでいいよ」
「了解いたしました、ペコさん」
「じゃあ、俺は冥界に戻る。任せたぞ」
「はっ!」
「任せて。やるべきことは、きっちりやるわ」
ペコを残し、サーティーンはヒラーク町を後にして、冥界の自宅へと帰還した。
静まり返った自宅。
リビングでは、ルサールカの膝に頭を預け、ナタルが眠っている。
その目元は腫れ、乾いた涙の跡が残っていた。
「お帰りなさいませ、サーティーン様」
「あぁ……相当、泣いたようだな」
「無理もありません。……それで、結果は?」
「片付けてきた。残るはマルカス王とムーカワ国だ」
「それなら――ナタルが目覚めた後、儀式を執り行いましょう。復讐の時を、彼女に」
「……それでも構わん。部屋で待つとするか。……まったく、呼ぶならもっと早くに呼べばいいものを……」
その小さな呟きは、眠るナタルへと向けられていた。
気遣うような声音に、ルサールカの目が細められる。
彼女は口元に笑みを浮かべ、わざと聞き返した。
「えっ? いま、何か仰いました?」
「……何も言ってない!」
サーティーンは慌てたように顔をそむける。ルサールカの視線が妙に刺さり、心を乱されるのが自分でも分かる。
「そうですか? ……ふふっ、残念ですね〜」
「……部屋にいる。起きたら連れてこい」
短く言い残し、そそくさと立ち去っていくサーティーン。
ルサールカは、その背を見送りながら、そっと頬を染めた。
(……いまの反応、あれはツンデレというものですわね。ふふ……やっぱり可愛い)
ドアが閉まる音が、静寂の中へと溶けてゆく。
かすかに揺れるカーテン。
机の上には手つかずの書物と、すっかり冷えた茶器。
誰も迎えない空間の中に、サーティーンはひとり身を沈めていた。
――悪魔とは何か。
人を災厄へと導く存在。
罪の象徴であり、欲望の化身。
その本質は、六つの大罪に根ざしている。
色欲、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食――そして、新たに加わった傲慢。
人がこれらに呑まれ、堕ちていくほどに、悪魔の力は増していく。
だが――。
(俺は悪魔だ……人を堕とし、破滅へ導く者。だが……)
(だが何だ? 手を差し伸べた俺は……偽善か? 否、契約による支配だ。これは傲慢そのもの。正真正銘、俺の糧だ)
(それでいい……いや、いいはずだ。そうだろう、俺?)
……その奥底で、あの頃の声がまた囁く。
『それが、本当に望んだ世界か?』
(……うるさい。黙れ……!)
「これは俺のためにしていることだ……」
そう言い聞かせるように、サーティーンは自らに笑みを浮かべた。
「そうだ……俺のためだ! ハーハッハッハ!」
こだまする笑い声。その中で、彼の意志とは関係なく目元に一筋、熱いものが流れる。
だが彼は、それを涙だとは認めようとしなかった。
思考の奥底で、かすかな記憶がよみがえる。
――かつて、下界の空から世界を見渡していた。
まだ悪心が分かれる前、ルシフィスが穏やかな笑顔をたたえていた頃の記憶だ。
「救いたい。すべての存在を――」
その言葉を思い出し、サーティーンの胸に苛立ちが走る。
「……甘すぎるんだよ、お前は。だからこそ、俺が生まれた」
――あの時代、誰もが信じていた。最高位天使ルシフィスのもとで、すべての存在が救われると。
だがその信念を否定し、止めたのは他ならぬ悪心、サーティーンだった。
そして今、思考の底でルシフィスの魄(善心)がざわめき始める――。
サーティーンが独り言を言っている最中、部屋の外ではナタルを連れたルサールカが、そっとドアに耳を当てていた。
サーティーンの高らかな笑い声が漏れ聞こえると、彼女の顔は紅潮し、息が荒くなる。
「ルカたん様?」
ナタルが不思議そうに尋ねる。
「ごほん……このように、サーティーン様は時折、独り言を叫ばれます。……気をつけなさいね」
「……は、はぁ」
ナタルは困惑しつつも、どこか不思議な安堵を覚えていた。
――サーティーン……この人も、何かを抱えているんだ。
そんな直感が、微かな共感となって、ナタルの胸をそっと打った。




