第18話 冥土の土産はⅩⅢ
交配人舎の前に立つサーティーンは、無言で見張りの者たちへ指先を向けた刹那、彼らは意識を失い音もなく地に崩れ落ちる。誰一人声をあげることもできない。サーティーンはそのまま扉を押し開き、なま暖かい空気の流れる内部へと足を踏み入れた。
広間には石造りの床が広がり、そこに女たちが無造作に横たわっている。天井に埋め込まれた魔石から、淡いピンク色の光が落ちていた。華やかさよりも不気味さを増すその照明の下、空気は墓所のような静けさに支配されている。
最奥――出入口に背を向けた場所で、上級悪魔ゲオークが数名の女を相手に耽溺していた。女たちは虚ろな瞳を見開いたまま、声ひとつ漏らさない。精神を深く支配され、長期の呪縛に囚われていることは明らかだった。
サーティーンは霧のように気配を消し、静かに近づく。そしてブラックビットを収束させ、ゲオークの背中に巨大な七芒星の魔法陣を描き出した。精緻な線は瞬く間に紡がれ、魔術は起動寸前まで仕上がる。
そして、低い声が空気を震わせた。
「……おい」
振り返ったゲオークの目が、不機嫌から驚愕へと変わる。
「なんだ小僧……! この私の聖域に何の用だ」
「スケベ豚が臭い息を撒き散らすな」
「なんだと? ブヒャヒャ! 生意気で世を知らぬ小僧に良い事をおしえてやる」
ゲオークは額の刻印を誇示し、勝ち誇ったように笑った。
「この『Ⅹ』が見えるか? 上級中の上級の悪魔のみ与えられる証よ! そして誰の許しを得てここにいるマルカスか? 名を名乗る事を許してやるぞ」
しかしサーティーンは一歩も動かず、冷たい瞳で言い放った。
「お前のような下劣な存在に、許可を求める理由はない」
ゲオークの目が細まり、嘲るような笑みが浮かぶ。
「名も名乗れぬ腰抜けか? いや、わかったぞ! どうせ下級の使い魔崩れだろう? ご主人に捨てられ、ここへ迷い込んだか! ブヒャヒャ……可哀想にな! ならば我が飼ってやろう。檻に繋ぎ、牝豚と交配させてやるわ!」
サーティーンは微動だにせず、無表情のまま返す。
「よくしゃべる豚だ……冥土の土産に教えておいてやる。俺は――ⅩⅢ」
その名を聞いた瞬間、ゲオークの笑いが一拍止まる。しかしすぐさま腹を抱えて哄笑した。
「ⅩⅢ……!? そんな番号は存在しない! ⅩⅡまでだ、ⅩⅡで終わりなのだよ! ブヒャハハハ! ⅩⅢなど悪魔の体系にありはせん! 落書きか? 空想か? はっ、笑わせる!」
狂ったように笑い転げるゲオークを、サーティーンは氷のような眼差しで見据えた。
「…………笑っていられるのも今のうちだけだ」
次の瞬間、背中に書いた七芒星が赤く輝き、焼けつく熱がゲオークの肉体を貫いた。
「ぐっ……な、なんだ背中が……!?」
「お前は欲に溺れ、理を失った。命を弄び、民を売った。報いを受ける時が来た」
「黙れえええ!! 私は選ばれしⅩだ! 貴様のような小僧に裁けるはずもない! 今すぐミンチにしてくれるわ!」
咆哮と同時にゲオークが大きな右腕を振り上げた刹那、サーティーンのデモンズブレイクアイで、ゲオークの右腕が後方に吹き飛ぶ。サーティーンは無表情のまま人差し指をゲオークの太腹に突き出した。
「デブレイク」
指先から高密度の衝撃波が放たれ、ゲオークの太腹に大穴が穿たれる。露出した、ゲオークの悪魔核〈デーモンコア〉は、抵抗も虚しくサーティーンの手元へ吸い寄せられていった。
「か、返せ……っ、それは……私の……!」
コアを抜き取られ、ゲオークの情けない声が響く
「お前に未来などない……愚か者が」
サーティーンの呟きとともに、七芒星魔法陣発動の呪文を唱える
「セプテント・デストラクト《七星崩壊》」
ゲオークの背中に描かれた七芒星が回転し、ゲオークの肉体は七芒星の中心へと音もなく吸い込まれていく。残されたのは首だけだった。
「欲に目が眩めば、真実を見失う。お前も例外ではなかったな」
その首を拾い上げ、ブラックビットへと吸収させる。サーティーンは一切振り返らず、静かに踵を返した。
――ゲオーク討滅の余波は、すでに広がっていた。
ゲオークの支配に縛られていた魂魄から、次々と呪縛が解けてゆく。
北側居住区の大屋では、一人のハイオークが豪快ないびきをかいて眠っていた。小太りで大柄な体が床板をきしませるほどに上下している。
名をゲオラークと言いゲオークの息子であった。そしてゲオラークの額に刻まれた黒い呪紋が、不意に赤黒く光り、ひび割れて消滅した。
「……う……?」
まぶたを開いたゲオラークの視界に、漆黒の男――サーティーンが立っていた。息を呑むと同時に、自分の額から呪縛が消えていることに気づく。
「まさか……父上を……倒されたのですか?」
「そうだ」
短い返答に、ゲオラークは膝をつき、深々と頭を垂れた。
「ありがとうございます……父は悪魔と契約し、オークの民を縛っていました。誰も逆らえず……私はただ夢のように、いつか誰かが止めてくれると願うしかなかったのです」
「その誰かが俺というわけか」
「はい。――どうかお仕えさせてください」
「俺も悪魔なんだが?」
「構いません。あなた様は破滅ではなく、新たな道をもたらすお方と感じます。名を……どうか」
「……サーティーンだ」
その名を聞き、ゲオラークが契約の文言を言った瞬間、ゲオラークの額に黒い七芒星が浮かび上がる。焼けるような痛みに呻きながらも耐え続け、やがて冷気が心臓を包み、不思議な力が全身へと流れ込んだ。最後に「XIII」の刻印が額に淡く光り、静かに消える。痛みは消え、代わりに熱い忠誠が胸奥に芽生えていた。
――主従契約、成立。
息を荒げながら、ゲオラークは再び深く頭を垂れる。
「これで……私に役目ができました。サーティーン様、どうかお使いください」
こうしてゲオラークは、自ら望んでサーティーンの配下となったのである。




