第16話 牢獄に響く絶望
注意
※この作品には残酷描写やグロテスクな表現が含まれています。
苦手な方は閲覧をお控えください。
深い闇に包まれた地下牢。石造りの壁に囲まれ、空気は湿り気を帯び、苔の匂いと腐臭が漂っていた。
ナタルは一人、冷えた石床に膝を抱えて座っていた。ギーブも同じ牢獄に囚われていたが、二人の牢の間には厚い壁があり、互いの姿は見えない。だが、声だけは届くように設計されていた。
あの革命の失敗から、すでに二週間が経過していた。
それ以来、彼女たちは“ただ生かされる”だけの存在に成り下がっていた。
体はシャドー・マリオネットに操られ、意志に関係なく動かされる。
朝が来れば体が勝手に動き、命じられた仕事──“人の養殖”という悪夢──をこなし、夜には否応なしに牢へ戻される。
生きてはいるが、生きている意味はない。
その夜、ナタルは壁越しに話しかけた。
「……私たち、どうなってしまうのかな」
どこか遠くを見るような、空虚な声だった。
「……希望なんて、持たない方がいい。助からないんだ」
ギーブの声には、すでに諦念が滲んでいた。
彼は毎日、人を解体する作業を強いられていた。今日も自分ではない誰かが“肉”となり、明日は自分かもしれない──そんな恐怖の中で過ごしていた。
「……そうだよね……。でも……皆、ごめんなさい……」
ナタルは震える声で謝った。だがギーブはすぐに返す。
「よせ。あの時、信じて立ち上がったのは俺たちだ。ナタル一人の責任じゃない」
「……でも……」
沈黙が二人を包んだ後、ナタルは意を決したように口を開いた。
「ギーブ……私、あなたのことが……好き。……もし……もしも、生きてここから出られたら──」
「…………」
「……ギーブ?」
返事はなく。
ただ、静寂が広がっていた。
「……ふふ……寝ちゃったか……」
ナタルは微かに笑ったが、その声は哀しみに満ちていた。
翌朝。
ナタルは、人に餌を与えるため“養肥人舎”へ、ギーブは“食肉加工場”へと送られる。
無感情に、淡々と、体に命令される作業をこなす一日がまた始まる。
そして夜、ナタルは牢に戻された。
「……今日も、最悪だった……」
そう呟いても、ギーブの返事はない。
やがてオークの番兵が現れ、不味い食事を運んできた。無理やり口に運ばれる料理は、相変わらず腐臭がしていた。
「うぇ……ほんと不味い……」
だが、今日もギーブの声は聞こえなかった。
「……寝ちゃったのかな……」
ナタルは独り言のように呟く。
だがその胸の奥に、小さな灯火が芽生えていた。
「もしかしたら──生きられるのではないか」
そんな淡い希望だった。
その様子を、遠くから見つめる者たちがいた。
ゲオークとその部下、強欲の中級悪魔ゼニゲバ。
マルカス王は、ゼニゲバにより魂を喰われ、身体を乗っ取られていたのだ。
「そろそろですね、ゲオーク様」
「ふふ……良い頃合いだな」
「生への執着、希望、そして強い欲望……それが絶望に変わる瞬間は、格別の味わいだ……」
悪魔たちは“人間の希望”を熟成させ、その破滅の瞬間、おのれの不甲斐なさに絶望する様子を愉しむ、飽くなき嗜虐の徒であった。
翌朝、ナタルは“食肉加工場”へ向かわされていた。
普段とは違う経路。見上げた遠くの空には、山の稜線がかすかに見えた。
「あれは……トーカチ山……!」
その姿に見覚えがあった。
ナタルはついに、ここがムーカワ城塞の西に広がる大森林の中であることを理解した。
(今のこの情報……どうにか、伝えられないだろうか……)
だが思考も束の間、彼女の体は再び無理やり作業に従事させられ、嗚咽を漏らしながらも人の解体作業を終え、牢へ戻された。
「今までで一番、最悪だった……」
うつろな声でそう呟いた時、いつもの番兵が現れる。
しかし、その日運ばれた食事は、いつもと違っていた。
お盆の上には大きな白い布がかけられ、中身が見えない。
「……珍しく衛生に気を使ったのかしら?」
皮肉を込めて布を取った瞬間――
「……え……嘘……そんな……」
そこにあったのは、ギーブの生首だった。
「……ギーブ……!」
ナタルは叫び、震えながら彼の生首を抱きかかえる。
血に濡れた髪、冷たく閉じた瞳。愛しいはずの顔が無残に変わり果て、腕の中でただの物となっていた。
「いやあああああっ!!」
涙は滝のように流れ、嗚咽はやがて怒り混じりの慟哭へと変わっていく。
なぜこんな事に。なぜ彼が奪われたのか。
胸の奥で渦巻くのは、悲しみ、そして怒りを突き抜けた果ての絶望。
体は操られ、動くことも、暴れることも許されない。
ナタルはただ泣き叫び、ギーブを抱いたまま、嗚咽を繰り返すしかなかった。
――その惨状を、魔術の遠隔視で眺めていたゲオークとゼニゲバは、下卑た笑みを浮かべ、互いに肘を突き合う。
「見てください、この顔を。悲しみと絶望でぐちゃぐちゃですよ。ああ、実にいい……心が軋む音まで聞こえてきそうだな」
「ククク、何もできず泣くだけ――その無力さがまた、最高の肴だ。噛めば噛むほど、実に旨い」
「……それにしても笑えますな。大事そうに抱いてるあれ、ただの肉の塊。仲間だの誇りだの、所詮は腐って消える肉片なのに」
「ブッフッフッ! 英雄気取りのギーブも哀れなものよ。残された女に涙の玩具にされて……死んでなお、笑いものだ」
悪魔たちは人の苦しみを“酒の肴”にし、悲鳴すらも“音楽”として貪る。
希望を与えては奪い、慈悲はなく、ただ心を壊す過程そのものを娯楽とする。
――そこにあるのは、人を人として扱う気配など欠片もない。
ただ尊厳を踏みにじり、魂を餌に変える悪魔の宴だった。




