第7話 緊急依頼と赤毛の奮戦
工房『クラフト・クローゼット』を開店してから数日。
カイとリゼットの期待とは裏腹に、工房の扉を叩くのは相変わらず、噂を聞きつけた冷やかしの男性客か、あるいは全くの無人か、という状況が続いていた。
「うーん……やっぱり、ちゃんとした実績がないとダメなのかな……」
カイは作業台で新しいデザイン画を描きながら、ため息をついた。
あの後、リゼットは何度かギルドで「女性向け装備、作ります!」と宣伝してくれたのだが、どうも「あのセクシーな鎧の店」というイメージが先行してしまっているらしい。
本当に困っている女性冒険者に、どうアピールすればいいのか……。
「何か大きな依頼でもあれば、カイの実力も、この工房の評判も一気に上がると思うんだけどな……」
工房の隅で大剣の手入れをしていたリゼットが、ぼやくように言った。
彼女もここ数日、目ぼしい依頼がなく手持ち無沙汰なのだ。
「そうだな……。でも、焦っても仕方ないか」
カイが苦笑した、その時だった。
カン! カン! カン! カン!
街に、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。
それは、リューンの街に緊急事態が発生したことを知らせる合図だ。
「な、なんだ!?」
「カイ様、タイヘンデス!」
カイとリゼット、ナットは顔を見合わせ、慌てて工房を飛び出した。
冒険者ギルドへ駆けつけると、ホールは既に冒険者やギルド職員でごった返し、騒然としていた。
「どうしたんですか!?」
カイが近くにいた職員に尋ねる。
「西の森だ! ゴブリンが大量発生したらしい! 近くの村が襲われて、街道も封鎖状態だと!」
職員は険しい顔で答えた。
ホールの奥、依頼掲示板には、ひときわ大きな紙が貼り出されている。
『緊急依頼:リューン近郊・西の森にてゴブリン大量発生! 討伐隊至急求む! 推奨ランク:シルバー以上推奨、パーティ参加推奨!』
「ゴブリンの大量発生……!?」
リゼットが息をのむ。
ただのゴブリンでも、数が集まれば脅威だ。
ましてや「大量発生」となると、シルバーランクの冒険者でも単独では危険すぎる。
「誰か腕利きのパーティはいないのか!?」
「シルバーランク以上は、今ほとんど遠征に出てるぞ……!」
「くそっ、どうするんだ!」
ホール内には焦りと不安の色が広がっていく。
報酬は破格だが、危険度が高すぎる。
誰もが二の足を踏んでいる、その時だった。
「……私が行く!」
凛とした声が響いた。
声の主は、リゼットだった。
「リゼット!?」
カイは驚いて彼女を見た。
「お、おい嬢ちゃん、いくらアンタが最近腕を上げたっつっても、単独は無謀だ!」
近くにいたベテラン冒険者が諌める。
「でも、誰かが行かないと、被害が広がるだけでしょ! それに……」
リゼットは自分の胸――深紅の軽鎧に手を当てた。
「私には、カイが作ってくれたこの鎧があるから!」
その瞳には、強い決意が宿っていた。
妹のリリアを守るためにも、この街の平和を守りたい。
そして、カイの作ってくれた装備の力を、今こそ示す時だと。
「……リゼット、待て! 無茶だ、数が多すぎる!」
カイは必死に止めようとした。
しかし、リゼットはカイに向かって、力強く微笑んだ。
「大丈夫。行ってくるね」
そう言うと、リゼットはギルドの人混みを抜け、西の森へと走り出した。
カイは、その後ろ姿を呆然と見送ることしかできなかった。
工房に戻ったカイは、落ち着かない様子で部屋の中を歩き回っていた。
窓の外は既に日が傾き始めている。
リゼットが出て行ってから、もう数時間が経っていた。
(頼む……無事でいてくれ、リゼット……!)
心の中で何度そう繰り返しただろうか。
あの鎧は確かに強力だ。
だが、相手はゴブリンの大群。
数には限りがない。
もし、囲まれたら……?
悪い想像ばかりが頭をよぎる。
「カイ様、心配デスネ……」
ナットが、カイの足元で心配そうに見上げていた。
***
その頃、リゼットは西の森で、まさに死闘を繰り広げていた。
「はあっ! たあっ!」
深紅の鎧を輝かせ、リゼットは大剣を振るう。
森の中は、見渡す限りのゴブリン、ゴブリン、ゴブリン!
一体どこから湧いてくるのか、倒しても倒しても数が減らない。
キシャァァッ! グギャァァッ!
醜悪な叫び声が、森中に木霊する。
カイの作ってくれた鎧は、驚異的な防御力でリゼットの身を守っていた。
ゴブリンの棍棒や石礫を受けても、鎧は傷一つ負わない。
強化された身体能力のおかげで、リゼットの剣技も冴え渡り、序盤は面白いようにゴブリンを薙ぎ倒していた。
(すごい……! やっぱりカイの鎧は最高だ!)
しかし、それも長くは続かなかった。
敵の数が、多すぎるのだ。
斬っても斬っても湧いてくる緑の悪鬼たち。
リゼットの呼吸は次第に荒くなり、大剣を振るう腕が重くなっていく。
鎧は無傷でも、中のリゼット自身のスタミナが限界に近づいていた。
「くっ……!」
一瞬の隙を突かれ、横から飛び出してきたゴブリンに体当たりされる。
バランスを崩し、地面に倒れ込んだところに、容赦なく棍棒や短剣が振り下ろされる!
ガキン! ガン! ガン!
鎧が攻撃を弾く甲高い音が響く。
致命傷は避けられている。
だが、衝撃で体が痺れ、すぐに立ち上がれない。
(まずい……囲まれた……!)
周囲には、おびただしい数のゴブリン。
その目が、ギラギラと獲物をいたぶるような光を放っている。
逃げ場はない。
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸を繰り返しながら、リゼットは必死に立ち上がろうとするが、足に力が入らない。
疲労と、数の暴力による絶望感が、心を蝕んでいく。
(カイ……ごめん……私、もう……)
カイの顔が、妹リリアの笑顔が、脳裏をよぎる。
守りたいものが、まだたくさんあるのに。
ここで、終わりなのか……?
リゼットの翠色の瞳から、光が消えかけた、その時――。
***
「カイ・クラフト! いるか!?」
工房の扉が、勢いよく叩かれた。
びくりとしてカイが扉を開けると、そこには血相を変えたギルド職員が立っていた。
「大変だ! 西の森へ向かったリゼット嬢が……!」
職員の言葉に、カイの心臓が凍りつく。
「リゼットが……!? リゼットがどうしたんですか!?」
「後続の討伐隊からの報告だ! リゼット嬢は奮戦していたが、ゴブリンの大群に囲まれて……もう、もたないかもしれない、と……!」
絶体絶命。
その言葉が、カイの頭の中で響いた。
リゼットが、今まさに、命の危機に瀕している……!
「リゼットが……!!」
カイの顔から血の気が引いた。
今すぐ助けに行かなければ。
でも、自分には戦う力がない。
どうすれば……どうすればリゼットを救える!?
カイの頭は真っ白になった。