第4話 発動しない力とスキルの秘密
リゼットがゴブリンの洞窟から帰還して数日。
リューンの冒険者ギルドでは、もっぱら「深紅の鎧」とその持ち主である赤毛の剣士の話題で持ちきりだった。
「おい、聞いたか? あの赤毛の嬢ちゃん、推奨シルバーの依頼をソロで、しかも無傷でクリアしたらしいぜ」
「ああ。なんでも、見たこともないような赤い鎧を着てたとか……」
「どこで手に入れたんだ、あんな凄いもん」
噂は尾ひれをつけて広まり、いつしか「謎の凄腕職人が街にいるらしい」という話にまで発展していた。
そして、その噂はついに、カイの小さな工房の扉を叩くことになる。
コンコン、と控えめなノックの音。
「はーい」
カイが扉を開けると、そこには屈強な体格をした、いかにもベテランといった風貌の男性冒険者が立っていた。
歳は三十代半ばだろうか。
顔には古傷があり、使い込まれた戦斧を背負っている。
「あんたが、カイ・クラフトか?」
男は少し疑うような目でカイを見下ろした。
「は、はい、そうですけど……」
「噂は聞いたぜ。あんた、とんでもねえ装備を作るそうじゃねえか。あの赤毛の嬢ちゃんが着てた、赤い鎧みたいなやつだ」
男はニヤリと笑う。
どうやらリゼットの装備の噂を聞きつけてやってきた、最初の本格的な依頼者のようだ。
「ぜひ、俺にも作ってくれ! 素材も金も、できる限り用意する! あの嬢ちゃんみたいな、最高のやつをな!」
男はそう言って、上等な魔物の皮や金属素材が入った袋をドンとカウンターに置いた。
カイは戸惑いつつも、初めての実力を買っての依頼に、胸が高鳴るのを感じていた。
「わ、わかりました! お任せください!」
工房の隅で様子を見ていたリゼットも、嬉しそうにガッツポーズをしている。
カイは依頼者の要望――頑丈さと動きやすさを両立させた重鎧――を細かく聞き取り、最高の素材を使って、持てる技術のすべてを注ぎ込むことを約束した。
それから三日間、カイは工房に籠りきりになった。
依頼者の持ち込んだ素材は一級品だ。
カイは寝る間も惜しんで、ハンマーを振るい、革を縫い、金属を磨き上げた。
リゼットも時折、差し入れを持ってきたり、作業を手伝ったりしてくれた。
そして、ついに鎧が完成した。
見た目は完璧だ。
依頼者の体格に合わせ、頑強ながらも動きやすさを考慮した、カイの現時点での最高傑作と言っていいだろう。
「よし……あとは、仕上げだ……!」
カイは完成した重鎧の前に立ち、深呼吸する。
リゼットが固唾を飲んで見守る中、カイは両手を鎧にかざし、意識を集中させた。
リゼットの時と同じように、「最高の鎧になれ」と強く念じる。
だが――。
何も起こらない。
掌から光は溢れず、古代文字のような紋様も浮かび上がらない。
ただ、目の前には、カイが技術だけで作り上げた、高品質なだけの重鎧があるだけだ。
「……あれ?」
カイはもう一度、強く念じてみる。
目を閉じ、リゼットの時の感覚を思い出そうとする。
彼女を守りたい、輝かせたい、というあの強い思いを。
しかし、やはり鎧に変化はない。
「なんでだ……!? 素材も腕も問題ないはずなのに……!」
カイは焦り始めた。
約束の受け渡し時間はもうすぐだ。
依頼者は「最高の装備」を期待している。
それなのに、肝心の《神器錬成》が発動しない。
約束の時間通り、依頼者の男性冒険者が工房にやってきた。
「おう、カイ! できたか? 例の、すげえ鎧!」
男は期待に満ちた目で、作業台の上の重鎧を見る。
しかし、そこに特別な輝きや気配がないことに気づくと、訝しげに眉をひそめた。
「……これが? なんだ、普通の鎧じゃねえか」
「い、いえ、これは最高の素材を使って、俺が全力を……」
カイは必死に説明しようとするが、男は鎧を手に取って重さを確かめ、軽く叩いてみると、失望したようにため息をついた。
「なんだ、噂は嘘っぱちか! がっかりさせやがって……!」
男は吐き捨てるように言うと、代金の一部だけをカウンターに叩きつけ、鎧も受け取らずに工房を出て行ってしまった。
「…………」
工房に重い沈黙が落ちる。
カイはカウンターに突っ伏し、自分の不甲斐なさに打ちひしがれていた。
初めての実力を買っての依頼だったのに。
期待に応えられなかった。
「なんで……なんでなんだ……!」
何が足りなかった?
技術か? 素材か? それとも……。
カイは必死に考えた。
リゼットの時と、何が違ったのか。
あの時は、確かにスキルが発動した。
彼女を守りたい、輝かせたいと、心の底から強く願った。
そして、彼女は……女性だ。
(まさか……)
一つの仮説が、カイの頭に浮かんだ。
自分のスキルは、単なる装備強化の能力ではないのではないか?
発動条件に、対象が関係しているのでは?
対象が……女性であること。
そして、自分が対象に対して、特別な感情――守りたい、輝かせたい、といった強い思いを抱いていること。
それがトリガーになっているのではないか?
(まさか……俺の力は、女の子にしか……? しかも、俺が本気で……守りたいとか、そういう……?)
その突拍子もない仮説に、カイは愕然とした。
もしそうだとしたら、あまりにも都合が悪すぎる。
普通の職人としてやっていくことなんてできないじゃないか。
「カイ、元気出してよ」
落ち込むカイの背中に、優しい声がかかった。
リゼットが心配そうにカイの顔を覗き込んでいる。
「失敗なんて誰にでもあるって! あの人も、ちょっと期待しすぎてただけだよ」
「でも……俺は、最高の装備を作るって約束したのに……」
カイは力なく呟き、自分の立てた仮説――スキルの制約について、おそるおそるリゼットに打ち明けた。
「……え? 女の子にしか、効果がない……かもしれないって?」
リゼットは目をぱちくりさせた後、ぽん、と手を打った。
「なんだ、そういうことか! なーんだ、心配して損しちゃった!」
「え? そ、そういうことって……」
カイがきょとんとしていると、リゼットは悪戯っぽく笑った。
「じゃあさ、これからは女の子専門の装備職人になればいいんじゃない? カイの作る装備は本当にすごいんだから! 困ってる女の子、きっとたくさんいるよ!」
「女の子……専門……」
リゼットの前向きすぎる発想に、カイは呆気に取られた。
しかし、その言葉は不思議と、塞ぎ込んでいたカイの心に光を灯すようだった。
その時。
「カイ様、コレ、使イマスカ?」
工房の隅でガラクタを整理していたナットが、キラリと鈍い光を放つ、黒っぽい鉱石のようなものを持ってきた。
それは以前、ナットがどこかから拾ってきたもので、カイもただの石ころだと思っていたものだ。
しかし、よく見ると、その石には微かな魔力が宿っているような気がする。
そして、どこか……カイの持つ力と似たような、不思議な気配を感じた。
(この石は……もしかして……)
カイはその石を手に取り、じっと見つめる。
リゼットの励ましの言葉と、ナットが持ってきた謎の石。
それは、カイに新しい道を示しているのかもしれない。
「……そうだな」
カイは顔を上げ、小さく頷いた。
「俺にしかできないことが、きっとあるはずだ」
自分のスキルの特性を、今はまだ仮説だとしても、受け入れてみよう。
そして、それを活かす道を探してみよう。
落ち込んでいる暇はない。
カイの瞳に、再び職人としての光が戻り始めていた。