第3話 深紅の疾風、ダンジョンを駆ける
翌朝。
朝日が工房の窓から差し込み、作業台の上に置かれた深紅の軽鎧を照らし出していた。
昨日の今日で、まだ現実感がない。
カイは、これからダンジョンへ向かうというリゼットの姿を、心配と期待が入り混じった複雑な心境で見送っていた。
「それじゃ、行ってくるよ、カイ!」
リゼットは深紅の軽鎧――カイが《神器錬成》で生み出した装備を身に着け、少し緊張した面持ちで振り返った。
体にぴったりとフィットした鎧は、彼女の活発な魅力を引き立てている。
……同時に、昨日は気づかなかったが、朝日の中だと胸元や脇のカットがより際立って見えて、カイは思わず視線を逸らした。
「お、おう……気をつけてな! 絶対に無茶はするなよ!」
「わかってるって! この鎧があれば大丈夫だよ。……多分」
リゼットは自分の鎧を見下ろし、少し頬を染めながらも、力強く頷いた。
腰には、カイが昨夜のうちに研ぎ直しておいた大剣。
準備は万端だ。
「じゃあ、行ってきます!」
リゼットは元気よく手を振ると、工房を飛び出していった。
扉が閉まり、工房に静寂が戻る。
「……大丈夫、だよな?」
カイはぽつりと呟いた。
あの鎧には、自分の持てる全てを込めたはずだ。
それでも、心配は尽きない。
「カイ様、シンパイスギ」
足元で、カイが作った小型の修理ゴーレム、ナットがカタコトの声で言った。
小さな金属の体が、カイの足にこつんと頭をぶつけてくる。
「……そうだな。俺はリゼットと、自分の作った装備を信じるしかない」
カイはナットの頭を撫でながら、作業台に向き直った。
彼女が無事に帰ってくるのを、ここで待つ。
それが今の自分にできることだ。
***
一方、リゼットはリューン近郊にある「ゴブリンの洞窟」と呼ばれるダンジョンの入り口に立っていた。
ひんやりとした空気が、洞窟の奥から流れてくる。
入り口付近には、他の冒険者の姿もちらほら見えるが、皆リゼットの姿を見て、一様に驚きの表情を浮かべていた。
「なんだあの鎧……見たことないな」
「えらく派手だが……大丈夫なのか、あんなんで」
ひそひそとした声が聞こえてくる。
リゼットは少し顔を赤らめたが、すぐに気を引き締めた。
(見た目はともかく……すごいんだから、この鎧は!)
一歩、洞窟の中へ足を踏み入れる。
中は薄暗く、湿った土と黴の匂いが鼻をついた。
壁からは水滴が滴り落ち、不気味な反響音を生んでいる。
リゼットは慎重に歩を進めた。
驚いたのは、鎧の軽さだ。
見た目の重厚感とは裏腹に、まるで何も着ていないかのように軽い。
それでいて、体に吸い付くようにフィットし、動きを全く阻害しない。
(それに……なんだか、力がみなぎってくる……!)
体の内側から、ふつふつと力が湧き上がってくるような感覚があった。
これがカイの言っていた、装備の力なのだろうか。
その時、前方の暗がりから、複数の甲高い声と、ガサガサという足音が聞こえてきた。
緑色の醜い肌、大きく裂けた口、手には粗末な棍棒や錆びた短剣。
ゴブリンだ。
数は三体。
(よし……試してみる!)
リゼットは腰の大剣を抜き放ち、地面を蹴った。
以前の自分なら、重い剣と動きにくい鎧で、ここまで素早く動けなかったはずだ。
だが今は違う。
体が、羽のように軽い。
「キシャァァッ!」
ゴブリンの一体が棍棒を振りかぶってくる。
リゼットはそれを最小限の動きでひらりとかわすと、すれ違いざまに大剣を一閃させた。
ズバッ!
鈍い音と共に、ゴブリンの体が真っ二つになる。
手応えが、軽すぎる。
「ギィ!?」
「グギャ!?」
残りの二体が、仲間の無残な姿に怯みながらも襲い掛かってくる。
一体の短剣がリゼットの脇腹を掠めた――かに見えたが、深紅の鎧が火花を散らしてそれを弾き返した。
傷一つ、ついていない。
(すごい……! 全然効かない!)
驚きながらも、リゼットは反撃する。
強化された身体能力で、面白いように剣が振るえる。
まるで舞うようにゴブリンたちの攻撃を捌き、的確に斬り伏せていく。
あっという間に、三体のゴブリンは動かなくなっていた。
「はぁ……はぁ……すごい……! これが、カイの作ってくれた鎧……!」
リゼットは自分の手を見つめ、鎧に触れた。
まだ信じられない、という気持ちと、確かな手応えが入り混じる。
(これなら、いける!)
自信を深めたリゼットは、洞窟のさらに奥へと進んでいった。
道中、現れるゴブリンを次々と薙ぎ倒していく。
鎧の防御力は完璧で、多少攻撃を受けてもびくともしない。
動きやすさは抜群で、スタミナの消耗も以前よりずっと少ない。
やがて、洞窟の最深部と思われる広間に出た。
そこは明らかにゴブリンたちの巣になっており、十数体のゴブリンがうごめいている。
そして、その中央には、一回りも二回りも大きな体躯を持つ、ホブゴブリンと思しきリーダー格が棍棒を構えていた。
「キシャァァァッ!」
リーダーの号令一下、ゴブリンたちが一斉にリゼットに襲い掛かる。
(数が多い……!)
さすがに囲まれると厄介だ。
リゼットは深呼吸し、大剣を構え直す。
深紅の鎧が、彼女の決意に呼応するように、微かな光を帯びた。
リゼットは疾風のようにゴブリンの群れに突っ込んだ。
右に左に剣を振るい、迫る棍棒を鎧で受け止め、蹴りを叩き込む。
赤い残像が、緑の群れの中を駆け抜ける。
一体、また一体とゴブリンが倒れていくが、きりがない。
その時、リーダー格のホブゴブリンが、地響きを立てて突進してきた。
巨大な棍棒が、リゼット目掛けて振り下ろされる!
「くっ……!」
リゼットは大剣で受け止めるが、そのあまりのパワーに体勢を崩される。
まずい、追撃が来る――!
(カイ…リリアリリア……!)
脳裏に、カイの真剣な眼差しと、妹――リリアの笑顔が浮かぶ。
ここで負けるわけにはいかない!
「うおおおおぉぉぉっ!!」
リゼットが叫ぶと、深紅の鎧が眩い光を放った。
全身に、今まで以上の力が漲る。
弾かれた体勢から無理やり立て直し、渾身の力を込めて大剣を薙ぎ払った。
「シャイニング・スラッシュ!!」
リゼットが咄嗟に叫んだ技名と共に、大剣が光の軌跡を描く。
ホブゴブリンの棍棒を砕き、その巨体を両断した。
「……やった」
ホブゴブリンが崩れ落ちるのを確認し、リゼットはその場に膝をついた。
残っていたゴブリンたちは、リーダーが倒されたのを見て、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
静寂が戻った広間で、リゼットは荒い息をつきながら、自分の鎧に触れた。
激しい戦闘だったのに、鎧には傷一つない。
それどころか、カイの温もりすら感じられるような気がした。
***
「……まだ、帰ってこないな」
工房でカイは、窓の外を見ながらそわそわと歩き回っていた。
リゼットが出て行ってから、もう半日近く経つ。
「カイ様、シンパイスギ。リゼット様ナラ、キット大丈夫デス」
ナットが慰めるように言うが、カイの不安は消えない。
その時、ギルドの方角から、何やら騒がしい声が聞こえてきた。
まさか……!
カイは慌てて工房を飛び出した。
ギルドホールに駆け込むと、そこには人だかりができていた。
その中心にいるのは――
「リゼット!」
無事だった!
深紅の鎧は泥や返り血で汚れていたが、彼女自身に目立った怪我はなさそうだ。
リゼットはギルドカウンターで、山のようなゴブリンの耳(討伐証明)を提出しているところだった。
「こ、これは……! まさか一人で!?」
ギルド職員が目を丸くしている。
周囲の冒険者たちも、信じられないといった表情でリゼットと、彼女の纏う異様なまでに美しい鎧を見ていた。
「おい、あの赤毛の嬢ちゃん、無傷だぞ……」
「推奨シルバーの依頼を、あんな軽装で……?」
「あの鎧……見たことないな。一体どこで手に入れたんだ?」
ひそひそとした囁き声が、ホール全体に広がっていく。
リゼットは少し照れたように頬を掻きながらも、誇らしげに胸を張った。
「カイに報告しないと!」
高額の報酬を受け取ったリゼットは、人混みをかき分けてカイの元へ駆け寄ろうとした。
その背中に、冒険者たちの驚嘆と興味の視線が突き刺さっている。
リューンのギルドで、「謎の赤い鎧」と「それを纏う赤毛の剣士」の噂が広まり始めるのは、時間の問題だった。