第1話 落ちこぼれ職人と赤毛の剣士
新連載初日は5話程度更新します。
「はぁ……また失敗か」
薄暗い工房の片隅で、カイ・クラフトは手にした革鎧の切れ端を放り投げ、深くため息をついた。
窓から差し込む午後の光が、作業台に散らかった工具や素材の埃をキラキラと照らし出している。
物を作るのは好きだ。
素材に触れ、形を与え、誰かの役に立つものを作り上げる。
その瞬間は何物にも代えがたい喜びがある。
カイは心の中で呟く。
俺にできるのは、結局これだけか、と。
この世界で一人前と認められるのは、魔物を討伐し、ダンジョンを攻略する力を持つ冒険者か、彼らを支える卓越した技術を持つ職人だ。
カイには、そのどちらもなかった。
戦闘能力は皆無。
魔力も人並み以下。
手先の器用さには少し自信があるが、父親のような一流の鍛冶師や仕立て屋と比べれば、まだまだ見習いレベルだ。
それに……あの力は一体なんなんだ……?
ふと、脳裏に数年前の記憶が蘇る。
初めて自分の意志で防具を作ろうとした時、掌から溢れ出した淡い光。
一瞬だけ見えた、複雑で奇妙な、まるで古代文字のような紋様。
あの時、完成した小手は、なぜか驚くほど手に馴染み、微かに温かかった。
だが、それだけだ。
特別な力が宿ったわけでも、性能が劇的に上がったわけでもない。
ただ、気味の悪い感覚だけが残った。
以来、カイはその力について誰にも話せず、一人で持て余していた。
「……気分転換に、ギルドでも覗いてみるか」
これ以上工房にいても気が滅入るだけだ。
カイは埃っぽいエプロンを外し、工房の扉を開けた。
リューンの街は、今日も活気に満ち溢れていた。
石畳の通りを、屈強な冒険者、荷物を運ぶ商人、ローブを纏った魔法使い、そして様々な種族の人々が行き交う。
道の両脇には露店が並び、威勢のいい呼び込みの声や、武具のぶつかる音、香辛料の匂いが混ざり合って、街全体が生きているように感じられた。
道の脇には、この街が古い遺跡の上に築かれたことを示すように、苔むした石碑がひっそりと佇んでいる。
やっぱり、ここは賑やかだな。
少しだけ気分が晴れたカイは、冒険者ギルドの大きな木製の扉を押し開けた。
ギルドホールの中は、外の喧騒に輪をかけたような熱気に包まれていた。
酒場のカウンターでは昼間からジョッキを呷る者たち、テーブルでは次の依頼について相談するパーティ、そして巨大な依頼掲示板の前には、一攫千金を夢見る冒険者たちが群がっている。
その掲示板の前で、カイは一人の少女に目を留めた。
陽の光を吸い込んだような鮮やかな赤毛をポニーテールに揺らし、歳はカイと同じくらいだろうか。
活発そうな印象を受けるが、その表情にはどこか必死さが滲んでいる。
そして何より、彼女が身に着けている装備は、お世辞にも良い状態とは言えなかった。
革鎧は擦り切れ、所々ひび割れ、肩当てのバックルは片方ちぎれかかっている。
腰に差した大剣も、刃こぼれが目立つ。
あの装備で、何を……?
カイが訝しんでいると、少女が依頼掲示板の一枚に手を伸ばしたのが見えた。
それは「緊急依頼:ゴブリン前線基地の討伐」。
推奨ランクはシルバー。
駆け出しや装備の整わない者が受けるには、あまりにも危険な依頼だ。
「おいおい、嬢ちゃん、まさかそれを受ける気か?」
「無謀だぜ、そのナリじゃゴブリンに嬲り殺されるのがオチだ」
周囲の冒険者たちから、心配とも嘲笑ともつかない声が飛ぶ。
少女は唇をきつく結び、それでも依頼札を掴もうとする。
その細い指が、微かに震えているのをカイは見逃さなかった。
放っておけない……!
気づけば、カイは人混みをかき分けて少女の前に立っていた。
「待ってくれ! その装備じゃ無茶だ!」
突然現れたカイに、少女は驚いたように目を見開いた。
大きな翠色の瞳が、カイを警戒するように見据える。
「な、なによ、あんたに……関係ないでしょ!」
「関係なくない! その装備は危険すぎる! それに、その鎧じゃ防御なんて期待できない。剣だって……!」
「うるさいっ! 放っておいてよ! 私にはこれしかないんだから!」
少女は叫ぶように言うと、再び依頼札に手を伸ばそうとした。
カイは咄嗟にその腕を掴む。
華奢な腕だ。
こんな腕で、あの刃こぼれした大剣を振るっているのか。
「どうしてそこまで無茶をするんだ!? 何か理由があるんだろう!?」
食い下がるカイに、少女は一瞬言葉を詰まらせ、俯いた。
長いまつ毛が震え、ポニーテールから覗く白い首筋が痛々しいほど細く見える。
やがて、絞り出すような声が聞こえた。
「……妹が……病気なの」
ぽつり、ぽつりと語られる言葉は、悲痛な響きを帯びていた。
故郷の村で流行り病にかかった幼い妹。
日に日に衰弱していくが、特効薬は非常に高価で、今の彼女には到底手が届かない。
だから、危険を承知で高報酬の依頼を受けるしかないのだと。
「妹が……薬を待ってるの……だから、私、稼がないと……!」
顔を上げた少女――リゼットの瞳には、涙こそ浮かんでいないが、悲壮なまでの決意が宿っていた。
自分の無力さを呪うような、それでも諦めきれない強い光が。
その瞳を見て、カイの中で何かが弾けた。
落ちこぼれだと思っていた自分への苛立ち。
何もできないと思っていた無力感。
そして、目の前の少女を、彼女の妹を、このままにはしておけないという強い衝動。
この力……あのよく分からない力が、もし誰かのために使えるなら……!
カイは掴んでいたリゼットの腕を、今度は力強く、しかし優しく握りしめた。
「だったら!」
大きな声に、リゼットがびくりと肩を震わせる。
周囲の冒険者たちも何事かとこちらを見ている。
「だったら! 俺がお前に最高の装備を作ってやる!!」
宣言すると、カイの胸の中に、不思議な熱が込み上げてくるのを感じた。
あの、初めて小手を作った時と同じような、淡い光が灯るような感覚。
「え……?」
リゼットは目を丸くしてカイを見つめている。
その表情は、驚きと、戸惑いと、ほんの少しの……期待?
周囲の冒険者たちは「なんだあいつは?」「口だけだろ」と訝しんでいる。
だが、今のカイにはそんな声は届かなかった。
「さあ、行くぞ!」
カイはリゼットの手を引いた。
まだ半信半疑といった表情の彼女だが、カイの真剣な眼差しに何かを感じ取ったのか、小さく頷き、その手についてくる。
「最高の装備、見せてやる!」
カイはギルドホールを後にした。
目指すは、自分の小さな工房。
まだ何が出来るか分からない。
あの力が本当に役に立つのかも分からない。
それでも、カイは走り出していた。
赤毛の少女の手を、強く握りしめて。
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