第一章 第六話
「で、しんそって?」
「そうだそうだ」
ゴウキは口にある肉を一気に飲み込んだ。
「神素っつうのはな、一言で言えば聖術を買うための通貨だな」
「誰から?」
「まあ、神様、てことになるだろうな」
「そっか。え、神様っているの?」
神様。世界を作った存在。喜ばしきことがあれば神へ感謝し、苦痛、苦難があれば神を恨む。神の命でもって自身を高め、正しくあろうとする。
「おう!この世界があるわけだしな!」
「へぇ」
「なんだ、これまでずっといないもんと思ってたのか?」
「なんていうか、いたらだめかなって」
それは多分、一部の人間にとっては揺るがない価値基準で、それがなければ生きていけない人が山ほどいる。
そんな概念が一つの存在としてあるなんて、あまりに不安定だ。人々の憎しみやら願いやらを一心に受けて、それを避けることもできずいつまでも存在している。そんなの、永遠に続く拷問のような苦痛を伴うに違いない。
いや、よく考えればそうとも限らない。ゴウキも、そんな様子は無いけれど、神に縋る人間の一人なのかもしれない。ならば、存在しない神を実在すると信じ切っていることは全く有り得ないことではない。
「そんなことねえぞ。優しい人、いや神だったしな」
「……会ったんだ」
「おう!十五年前くらいだな」
「ん?でも、神様に会わなくても聖術とか使える?」
「おうよ!ああ、買うっつてもな、なんつうか、例え話というか、そういうイメージなんだよ」
最近になって理解したことなのだが、ゴウキはあまり頭の回転が速い方じゃない。
「神様が直接聖術を起こすわけじゃない?」
「いや、聖術を起こすのは神様だ」
ユウリはじっと考えた。集中するために、いつもの癖で目を閉じる。五感を全て閉じて、思考を加速させた。
神様にしんそ、多分神素、を渡して代わりに起こしてもらえるのが聖術。でも神様に会う必要はなくて、じゃあ神素はどうやって渡している?いや、あの白い紐が神素ということもありえるか?だとしたら神様に渡せてなんかいない。だって、あれを燃料に火が燃えていた。じゃあ、あ、そうだった、ゴウキたちには見えていないんだった。だったら説明しようがない。
あ、それに、紐が燃料になってるように見えるだけで、実際は遠くから神様が火を発生させているかもしれないのか。
通貨、通貨。ゴウキは、少なくとも神素や聖術に対して十分に知っているように見える。質問に対してわからないとは答えなかったし、どちらかと言うと表現に困っているのだと思う。じゃあやっぱりゴウキの言葉にヒントがある。通貨、それでいて、買うというイメージ。
「神素は目印で、神様はその目印めがけて聖術を使う。そのとき目印の神素を回収するから神素は通貨?だから遠隔でも誰が聖術を必要としているかがわかる?だったら辻褄が合うか」
「おーい、ユウリー。大丈夫かー?」
「えっ、うん」
「それで、神素の認識なんだが、ユウリが言ってたので間違いねえ。なんなら俺よりも正しくわかってると思うぜ」
「本当?」
いつの間にか声に出ていた。
そしてそんなことよりも、ユウリは先程の捉えで合っていると判明したことで、もう一つ分かったことがあった。それは聖術を使うときの詠唱と陣である。それらは神にどの聖術を使いたいかを示す手段だ。ただ、火を使いたいと伝えるだけでは、どんな火を、どれくらい、といったことが伝わらない。かといってそういう情報も全て言葉で伝えようとすると時間もかかるし、人によって言葉と認識のずれは異なる。正確性にも欠けるのだ。
それなら、聖術専用の言語を作ってしまえばいい。聖術専用という前提であれば無駄な情報は入る余地がなく、必要なことだけを短時間で伝達できる。ユウリはゴウキの詠唱を聞き取れなかったが、聞こえたところで詠唱そのものに意味はないのだろう。
「じゃあ、ずっと話してんのもなんだし、実践してみるか」
「実践?」
「おう!まあ先ずは飯だな!」
ユウリが自分の手元を見ると、全く食べ進んでいないことに気が付いた。そういえば朝食中だった。
ちなみにゴウキは、もう何分も前に完食している。
「すぐ食べる」
「がっはっは!喉詰まらせるんじゃねえぞ!」
ユウリが小さな口と手をせかせかと動かしている様子を、ゴウキは感慨深い目で眺めていた。
「ん?……なに?」
「ああいや。随分強くなったな」
「弱いけど」
多分そこらのリスにも勝てない。本気でそう思う。
「そうじゃねぇ」
「?」
「……あの村で初めてお前を、今にも死んじまいそうなお前を見たとき、助けねえわけにはいかなかった。でもな、俺は医者じゃねえ。俺は、なんも食うことすらできないお前に、なにもできなかった」
ユウリはもぐもぐと話を聞いている。どうして急に、と思わないではなかった。
でも思えば最近は、こうして丁寧に時間をとって話す機会がなかった。食事中も、すぐに狩りに行かなきゃだったり疲れていたりで、最低限しか話していなかった。
「やっと口が利けるようになっても、ずっと体が弱かった。ユウリは覚えてねえかもしれねえけど、何度も何度も死にかけた」
ユウリは噛んでいた肉を飲み込んだ。
「覚えてる」
「そうか。すまなかった。ずっと苦しい思いさせちまって」
「ううん。その謝罪は受け入れない」
ゴウキは小さく笑った。
「やっぱりお前には敵わんなぁ。……俺ぁ、時々思うんだ。お前を育てるのが、俺自身の使命なんじゃないかって」
ゴウキがこんなにも弱みを見せるのは、初めての事だった。
「あのとき、神様から託された使命は終わった。それからずっと、なんのために生きているのか、わからなかったんだ」
「何年も同じ生活を続けて、とっくに心は死んでいた。でもな」
ユウリは手元の器から顔を上げた。
「今はずっと、毎日楽しいんだ。全部ユウリのおかげだ」
「……うん」
ゴウキはいつもの笑顔で、顔の筋肉を目一杯に使って笑っていた。
空になった器に、雫が落ちる音がした。