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出来れば、先に短編『登場人物』をお読み下さい。
(投稿の仕方をちょっとミスりました)
忙しい伝令の仕事の合間、ヘルメスはふいにアルテミスに呼び出しを食らった。
何かと思えば、「最近、弟の様子がおかしいから慰めて貰えないか」とのこと。
…また、女性にフラれたんでしょ。
ため息一つ吐いて、アポロンの神殿に赴いた。
「おーい、アポロン、居る?」
居ないわけがない。アルテミスにちゃんと裏を取ってきたのだから。
勝手に部屋に上がりこむと、ヘルメスは暇つぶしにその辺の棚のものを適当に漁る。
「…盗るようなものはなにもないぞ」
ややあって聞こえた不機嫌そうな声に驚きもせず、にっこりと振り返る。
「やだなぁ。君のものは盗まないって誓っただろう」
ははは、と笑って見せるが、目の前の…『天界美男コンテスト』でも行ったら、ぶっちぎりで優勝しそうな男…アポロンは、眉筋一つ動かさなかった。
「…で、この間付き合ってたニンフは?」
「別れた」
数時間後、ヘルメスが持参した”ディオニュソスお勧めのワイン”を飲み交わしつつ、アポロンの舌も少しほぐれ始めていた。
「いや…ちょっと早くないか?出会ってから2ヶ月もたっていないだろ?」
ヘルメスがエメラルド色の瞳を瞬くと、アポロンはぷいっと幾分か子供っぽい動作でそっぽを向く。
「所詮、運命の恋ではなかったということだ」
「君の理想の女性は姉上だからね…。でも、偶には理想とか考えずに付き合ってみればいいと思うよ」
「だが、美しく聡明で…それでいて、一緒に居て楽しい女性となると、そう出会えるものじゃない。まぁ、美しければ男でも女でも私は構わないんだが」
「…君は間口が狭いのか広いのか、微妙に判らないね」
う~ん、とヘルメスは視線をめぐらす。失恋の痛みなど、新しい恋をすればすぐに忘れるだろうが、アポロンに釣り合う相手となると、そういないのも確かだ。
「…お前は」
「ん?」
目を逸らしていた間に、アポロンがじっと自分を見つめていたことに気付く。
「この間、アレスが「ヘルメスに貞操を奪われた」とかなんとか嘆いていたが」
「ああ…自分は人妻のアフロディーテと関係を持っておいて、貞操って柄じゃないよね、アレスってばさ」
アレスの慌てっぷりを思い出し、ヘルメスはくくくと忍び笑いを漏らす。
「あいつを抱いたのか?抱かれたのか?」
「いや、それはひ・み・つ」
「…ふ~ん」
アポロンの声が、ほんの僅か低まった気がした。
気がした、というのは、それを確かめる間もなく、ヘルメスの身体が床に叩きつけられたからだ。
濃緑の分厚いマントが衝撃を和らげ、彼はなんとか目を開いて、自分をそこに押し付けたものを見上げる。
「お、重いからどいて、アポロン。もう酔っ払ったのか?」
しかし、それが動く気配はない。
長い金髪の巻き毛が、自分の顔の横まで垂れ下がった時、ヘルメスはアポロンが笑っていることに気付いた。
酔ってふらついて倒れるのに巻き込まれたのではなく、彼が己の意思で自分を床に引き摺り下ろしたことも。
「偶には理想とか考えずに付き合ってみるのもいい、んだろう?」
「…付き合うイコール押し倒す、というのはちょっと即物的だと思うけどなぁ」
にへら、と緊張感のない笑みを浮かべては見せるが、ヘルメスの頭にはこの上なく警報が鳴り響いていた。テーブルに立てかけたケリュケイオンの位置を確かめつつ、額に冷たい汗を感じる。
「いや、ほら、僕は確かにいい男だけど、君の好みからいくとちょっと薹が立ってるし。君が好きなのはもっとこう、淡い色の髪の、出来れば瞳は透き通るようなブルーで、抱きしめたら折れそうな華奢な体のラインが堪らないっ!ていう美少年だろ?」
「よく知ってるな」
アポロンは、片腕を抑えつつ、もう片方の手でヘルメスの癖のない砂色の髪を解いた。
ゆっくり、いとしむように自分の髪を梳く指を視界にいれぬよう、ヘルメスは微妙に視線をずらす。
「生後2日目からの付き合いだからね」
「それなら」
アポロンが静かに微笑む。
「私が本気かどうかぐらい判るだろう?」
に、逃げられない…。
長年親友をやってきた異母兄が、急に自分にこんな仕打ちを仕掛ける理由もわからずヘルメスは混乱する。
彫刻家が羨む長い指先が、チュニックの脇を潜って素肌へと伸ばされる。
「いや、ちょ、ちょっと待って…!」
「アレスには許したんだろう」
「ちが………ぁんっ…」
カリ、と軽く胸の中心を引っかかれただけで、自分でも聞いたことのない艶かしい声が喉をつく。
ヘルメスは内心舌打ちした。
こんな声を上げてしまえば、相手が止まらなくなるのも予想が付く。
事実、自分の反応を楽しむように、アポロンの青い瞳が細められる。指先は服の下で自由に動き回り、何度も小さな突起を掠め、それが次第に硬くなるのを確かめるように弄んだ。
もはや、顔に貼り付けていた薄笑いも維持出来なくなったヘルメスは、唇を噛み締めて声を漏らすのを耐えた。
「長い付き合いだが、そういう顔は斬新だな」
ふっとアポロンが笑う。
…いや、おかしい。絶対おかしいって。
ヘルメスは背中に冷たいものが這うのを覚える。
酒に何か入っていたのか…それとも、エロスあたりの悪戯か。
とにかく、正気だとは思えない。
胸で遊んでいた手が腰紐を緩め、やがてそろりと下腹部に伸びる。
「止め…っ!」
ヘルメスは激しく身を捩り、指の先で辛うじてケリュケイオンを掴む。
眠りをもたらすこの黄金の杖は、元々はアポロンが所有していたもの。
しかし、ヘルメスが葦の笛とそれを交換してから、新しい持ち主の意を反することは一度たりともなかった。
アポロンの体が凍りついたように停止し、やがて力尽き床に崩れ落ちた。
ヘルメスの口から、長い長いため息が漏れる。
「…危なかった……!」
まさに、貞操危機一髪!とか軽口を叩いてみるのは、本当に自分が追い詰められていたことを隠すため。
乱れた服を直し、髪を縛りなおして、床に落ちた帽子を被り直すと、ふと、アポロンの彫りの深い横顔を見つめる。
…こんなに綺麗な男は他にいない、と思う。
ヘルメスにとって、いつも眩く、光の中に立っていた友。
それでも…
「原因が判るまで、暫く逢わない方がいいかもね」
ぽつりと言った呟きに、寂しさが混じっていたことを知るものはなかった。