香りから始まる恋の物語
「猫野って、いつも線香の匂いがするのな」
(よしっ!)
人の世で、獣人であることを隠して生きるのは容易ではない。
私の名前は猫野みやこ。
朝、コケコッコウという鶏の鳴き声と共に起床してすぐ、仏壇に線香を焚き、その日着用予定のセーラー服に首固定の扇風機で微風を送り続けて香を焚きしめている。
また、摩訶般にゃー心経をにゃーにゃー唱えることを日課としている。
(線香の匂い、イコール、ノットイコール獣臭!)
望んでいた数式の成立に、えへん♪と胸を張りたいところだが、ここは日々クラスメイトを欺く演技派女優らしく、幾分か申し訳無さそうに少し愛想笑いを浮かべ、僅かでも疑われることがないよう無難にやり過ごすのが得策だろう。
「にゃはははは、臭かったらごめんねぇ?」
「いや、俺も多分似たり寄ったりだろうから、全然気にならないよ。むしろ、イチゴとかピーチとか、女子の間で流行っている甘ったるい匂いの香水よりも、猫野の匂いの方が断然落ち着くから、俺は好きだよ」
(好きって言われちゃった!)
野球部所属にして学区内にある某寺の一人息子、寺坂くんは予想を裏切らない坊主頭がチャームポイント。でも、野球部男子一年生セブン足すイレブン二年生の総勢十八名はみんな坊主頭なので、その中にいると寺坂くんの折角のチャームポイントは掠れてしまうまんとひひ。
この村にはセブンは無いから、野球部員達はよくローソンの前にたむろしている。一口でプレミアムロールケーキを平らげている部員達。ちなみに、一口香は長崎銘菓。ローソンのすぐそばには五百羅漢があって、総勢十八名の坊主頭は背景とよく馴染んでいる。
「……俺さ、この間からずっと気になってたんだけどさ、猫野って、俺のことよく見てるだろ?」
(! バレてる!?)
そう。私、猫野みやこは、よく寺坂くんを目で追いかけている。目だけでなく、手足を用い、四足歩行で追いかけ、こっそり覗き見ている。たとえ寺坂くんが十八分の一の坊主頭と化していても、私はその十八分の一(※寺坂くんのみ)を嗅ぎ分けることができる! たとえ寺坂くんが五百十八分の一の坊主頭と化していても、私はその五百十八分の一(※寺坂くんのみ)を嗅ぎ分けることができる!
なぜならば!!!
∵←なぜならば、寺坂くんからは芳しきマタタビの香りがするのである。(もちろん私の嗅覚も優れている)
なぜ寺坂くんからマタタビ臭がするのかは不明なのだが、あれは紛れもなくマタタビの香り。五百十八体の中にあっても紛れることのない、嗅ぎ間違えることのないマタタビスメル。嗅ぎ分けるスメル、私のスキル、好きにゃ香りだものイェー。(※ラップ調) もしも寺坂くんが二人羽織をしてくれたなら、寺坂くんの服の中にきっと住める、気がする、それくらいに大好きな香り。
「にゃはははは、もう、恥ずかしいよ。気付いていたなら、もっと早くに言ってくれにゃくっちゃ。いつもこっそり見つめていてごめんね。でもね、あのね、みゃーこもね、寺坂くんの匂い、大好きなの」
好きと好きとのぶつかり合い。香りから始まる恋の物語(既に両想い)、想いは多分通じ合い、これにて一応めでたしめでたし。(終)
↓以下補足。
ある日、猫野みやこから浴びせられる熱い視線に気付いた俺、寺の息子の寺坂昇は、逆に猫野みやこを観察するようになった。
まず、猫野みやこが自身のことを「みゃーこ」と呼んでいることに気付いた。
次に、近付くと線香の匂いがすることに気付いた。自分の家と同じ匂い……自分の家でシャワーを使った彼女(妄想上の交際相手)の髪から自分と同じシャンプーの匂いがする、くらいの衝撃。もしや未来の嫁!?
更に、猫野みやこは給食のパック牛乳を汁椀に移し替え、舌でチロチロ舐めて飲んでいることに気付いた。
また、給食のおやつが小魚アーモンドだったある日のこと、尻尾を振って喜んでいることに気付いた。比喩表現ではない。リアルな猫の尻尾である。尻尾が消えてしまうまでの僅か数秒の間チラチラと盗み見て、本数を何度も数えたが、尻尾は数えるまでもなく見たままに一本だった。妖怪の猫又であれば、尻尾は分かれているはず……。となれば、猫野みやこは、この村に古くから伝わる獣人伝説に登場する、猫科獣人一族の末裔……。尾と胴体との接続部分、桃源郷に実る禁断の果実、猫野みやこの桃尻の構造を細部まで妄想してしまう思春期真っ只中、想像力豊かな坊主頭の俺。
他の誰も、猫野みやこが獣人である可能性に微塵も気付いていない様子だが、俺だけは気付いたのである。
それからも観察を繰り返し、見られ、見て、見られ、見て、見られ、見てという視線の捕逸キャッチボールからの、……ついに、とうとう、視線の、かつ言葉のキャッチボール!! ビバ線香の匂い!!!
「好き」と投げた言葉は「大好き」に昇格し返球された!
俺だけが知っている彼女の秘密。
他の男子(もちろん女子も)は知らないだろう秘密を俺だけが知っているという優越感。
彼女にとって、俺という存在がもっと特別になるように。もっともっと彼女が俺を、俺だけを見つめてくれるように。
猫野みやこに好かれたい一心で、俺は寺の線香をこっそりマタタビのお香に変えたのだった。