表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

悪女ですが、なにか?

作者: 歩芽川ゆい

ちょっと長いですが、一話完結です。

 アンティーコ王国は古い歴史を持ち、そして穏やかな国だった。過去には周りの国を相手に大戦争をしたこともあった(そして勝ちはしなかったが、負けもしなかった)が、今はその頃の好戦的な思想はまったくなくなり、穏やかな平和な、そして革新的な技術を開発する国として押しも押されもせぬ国家として君臨している。

 まあ、あまりに穏やか過ぎて他国からスパイを送り込まれても、お土産を持って帰らせるくらいゆるすぎて、将来的には心配なのであるが。


 そんな王国に、最近不穏な噂が出回り始めた。


 アンティーコ王国は名の通り王政で、周りを貴族階級が取り仕切っている。

 周りの国が大統領制だとか民主主義だとかを取り入れる中、今だに古いと言われようと、王政と貴族社会を維持している。いくつか理由はあるのだが、優秀な人材を国の中で保護するにはその方が都合が良いのだ。貴族社会と言っても、不正を働いたり悪事を働いた者は容赦なく降格または奪爵される。そして庶民であろうと優秀な者は叙爵を受けることが出来るのだ。はじめは準男爵からだが、次第に上がることも可能だ。そうやってこの国は優秀な人材の流出を防止している。

 だから貴族は大切な存在なのだが、その中の一つ、平民出身からたった3世代で公爵家まで上り詰めてきたストラヴァガンテ公爵家の令嬢が酷い悪女であるという噂が流れてきているのだ。


「ストラヴァガンテ公爵家のアマービリタ令嬢が、悪女?」

「はい。それはもう暴君で手が付けられないとか」

「暴君? 彼女はまだ18歳、成人したばかりと記憶しているが」

「はい、別名、文字通りの深窓の令嬢、誰もその姿を見たものがいないとまで言われていましたが、去年のデビュタントでようやく社交界に姿を現しました。父親に伴われて登城し、群舞のダンスだけ参加して、すぐに帰りましたが」

「ああ、私たちには挨拶をして行ったが、他の貴族は全て無視したと言われているな」

「そのように聞き及んでおりますございます。公爵夫妻がすぐに連れて帰ったと」

「正直、全員同じような白いドレスに花飾りで、あまり覚えていないのだが、どんな娘だったかな」

「それが、皆様同じような感想で、特に目立ったところもなかったようです」

「それなのに、悪女なのか?」

「手の付けられない娘だから、粗相のないうちにと早々に連れて帰った、と言うのが、公爵夫人の言い分でして」

「それが本当だとして、家族の問題だろう?」

「そうとばかりは言っていられません」


 渋面の執事にアクアレル第3王子は眉をひそめた。


 ここは王宮の東屋だ。アクアレル第三王子(20歳)は公務の合間に、天気の良い日はここで茶を飲むのを楽しみとしている。周りは庭師が丹精を込めたバラ園だが、東屋近くには匂いの強い花はなく、茶の香りを邪魔することはない。

 薔薇の色も赤だけではなく特に東屋付近には白が多く、さわやかな雰囲気を醸し出している。


 アクアレル第3皇子の後ろには警備の騎士が一人立っているだけで、あとは先ほどから話をしている執事と、控えているメイド1人だけだ。

 メイドは今年で30歳近いはずだが、アクアレルが幼少時から仕えてくれているメイドで、本来はもっと上の役職になっても良いのだが、アクアレルが結婚するまではメイドのままで! と世話を焼いてくれている。おかげで茶を出すタイミングも完璧だ。


「悪女という話だが、何をしたと言うのだ?」

「素行が悪く、家では家族だけでなく家庭教師や使用人にまで暴力を振るったり、文字通り暴れたりしているようです。気に入らない使用人はすぐに解雇、浪費家で公爵家の金はアマービリタ嬢が散財して傾いているとか」

「ふうん。でも公爵家だけの話だろう? 娘一人正せないなら、破産すればいい。だいたいそれで他にどんな問題があると言うのだ?」

「年齢からして王子の婚約者候補にもなりますし、第4王子タンティーノ様の婚約者候補にもなります」

「タンティーノはまだ10歳だぞ?」

「それでも、候補のお一人には変わりません」


 いくら国が貴族を保護していても、その数には限りがある。そしてその中から同世代の男女となると数が減る。しかも王族との婚姻を結べるのは、伯爵以上。出来れば公爵以上が望ましく、その公爵家は現在7家しかない。ついでに言えば、王族と結婚したくない令嬢たちは早々に婚約を澄ましているのもある。その状況で適齢期に限定すると、伯爵家を入れても令嬢は5人しかいない。


「……もしかして王家に嫁ぎたくないからの、悪女説なのでは?」

「それならば、早々に他の令息と婚姻を結べば良いのです。ですがその気配はありません。それにアマービリタ嬢の妹のシーミレ嬢が公爵家にて開いた茶会にアマービリタ嬢が乱入し、テーブルクロスを引き抜いて、茶や軽食をすべて落としたそうです。幸い参加者には茶も掛からず被害はありませんでしたが、シーミレ嬢はお茶と軽食まみれになったとか。そこでシーミレ嬢が何をするの、酷いじゃないのと苦情を言ったところ」

「何と答えたんだ?」

 

 執事はそこで言葉を止め、アクアレルの促しで言葉をつづけた。


「『だってわたくし、悪女ですもの』」


 ぶは、とアクアレルが吹きだす。


「アマービリタ嬢は高笑いしながら去っていったそうです。もちろん茶会は中止になりました」

「たいした令嬢だね。そんな悪女だから、結婚相手が見つからないわけだ」

「おそらくは」


 ふうん、と興味なさそうに相槌を打って、カップをチラリと見れば、すぐさまメイドが新しいカップに茶を入れてくれる。先ほどとは違う銘柄で、アクアレルは一口含んで、香りと温かさとのど越しを楽しんだ。


「それだけなら問題ないだろう? 悪女ならなおさら僕たちの婚約者候補にはなれないのだから。他に何か気になることがあるのか?」

「ストラヴァガンテ公爵家は、発明家でも知られています。万一、その悪女が他国の者と婚約でもして、ストラヴァガンテ家の知能が他国に流れるのは好ましくありません」

「それは先代までの話だろう? 今の公爵はそんな才能はないはずだし、娘二人も特に才能があるとも聞いていないけれど。それでも可能性があるから何としても国内にとどめておけと言う事か。それで比較的暇な僕のところに、お父様から話が来たんだな?」

「……ご推察の通りでございます」


 執事が慇懃に腰を折る。アクアレルはふう、と一息ついて、自分の後ろで姿勢も表情も一つ変えずに立っている警備兵を見た。


「ゼクエ、調査を頼む」

「……は?」

「君も気になるだろう? だから、調査してね」

「私の仕事は殿下の警備です。調査ではありません」

「警備も出来る、文武両道の優秀な僕の幼馴染だろう。それに君はテンペラタメンテ公爵の息子。僕と同じ20歳、独身、婚約者なし。噂の悪女と縁があるかもしれない」

「ありません!」

「うんまあなんでもいいけど、僕の命令。やれ。探れ。なんなら婚約しろ」

「最後のは受けおえませんよ!」

「働きによっては免除してやる。だからやれ。行け。ほら」


 アクアレルは片肘を突いた王子らしからぬ姿勢で、笑いながら手を振ってゼクエを追いやった。

 警備が云々と喚くゼクエを、執事も王子と一緒になって追い出しながらも、執事は代わりの警備を呼ぶように、と少し離れたところにひかえていた警備に声を掛けた。


 面倒な命令を受ける事になったのは、テンペラタメンテ公爵家の令息ゼクエ。アクアレルよりも半年遅く生まれた。同い年だからと遊び相手に抜擢され、将来の補佐にと一緒に教育も受けてきた。

 ゼクエは剣技に秀でていたので毎年開かれている国主催の剣技大会に参加していたところ、幼い頃から何度も優勝したので、騎士の称号も貰っている、将来有望な若者だ。


 国内で数少ない騎士であり、忠誠心もあついゼクエはアクアレル専属の警備兵に指名されたのだが、そのアクアレルの命令でそばを離れなければいけない。しかも面倒な女の調査とか、心からやりたくない。だが命令だから仕方がない、とゼクエはため息をついた。



 ゼクエは身分を隠して、ついでに顔も替えて、問題のストラヴァガンテ公爵家に、執事見習いの侍従として潜り込んだ。王子の手を借りれば、身分を偽って雇われるなど造作もない事だ。

 顔を変えてというのは、別に本当に変えたわけではなく、いつもあげている前髪を降ろし、髪の色も

ブラウンからダークブルーにしただけだ。それだけだが、いつもは王子の後ろで騎士服を着用し、眼光鋭く見下ろしている姿しか知られていないから、従者服に着替えてその鋭い眼光を前髪で隠してしまえば、そんな人がこんな場所にいるはずがないという思い込みも手伝って、案外と気が付かれないものだ。

 実際にこの格好で市井に降りて、好き勝手に買い物をしたり外食していてもバレたことはない。そうして潜入してみたストラヴァガンテ公爵家だが、問題のアマービリタ嬢は、なんと公爵家にはいなかった。どうやら茶会での悪評を気にした当主が、王都から自分の領地内の屋敷に移したらしい。そして外聞が悪いからと、その事実をひた隠しにしていたのだ。


 ゼクエは執事に連れられながら、こっそりとため息をついた。これでは調査しようがないではないかと。だが来てすぐに配置換えを頼むわけにもいかない。アマービリタ本人はあとにして、ストラヴァガンテ公爵家そのものを調べることにした。


 証言1:家庭教師の令嬢


『まったくあり得ませんわ! わたくしは去年からアマービリタお嬢様をお教えしていましたけれど、お嬢様は毎回わたくしの授業など何の価値もないなどと叫んで、机の上の物を全て落とすのですよ! わたくしが出した問題も全く解けませんでしたし、何よりも淑女としてなっておりません! ですからわたくしは妹のシーミレ様の家庭教師だけ続けておりますの。シーミレ様は素晴しいですわ。幼少期からわたくしの教えを全て理解してくださるのですから』


 証言2:マナー担当の家庭教師


『アタクシも去年からアマービリタお嬢様にマナーをお教えしておりますけれども、いくらアタクシが教えても、まったく出来ないんざます。あんなに出来の悪い生徒は、今まで見たことがございません! しかも注意しようものなら、殴りかかってくるんざますよ。か弱いアタクシにどうしろとおっしゃるの? シーミレ様はアタクシの教えた通り、素晴らしい令嬢になられたというのに!』


 証言3:令嬢付きの侍女


『私はお嬢様がデビュタント前にお嬢様担当になりました。アマービリタお嬢様はいつもピリピリしていて、私がお茶をお入れしても、気に入らなければ私に中身を浴びせかけます。熱くて泣いていたら、部屋から蹴り出されました。ええ、本当に蹴られたのです。ドレスもお持ちしたものが気に入らないと、目の前で破かれますし、お食事だってお部屋で取る時には、だいたいわたしたちに投げつけてくるんです。それでも解雇されなかったのは、シーミレお嬢様が雇ってくださっているからですわ』


 証言4:料理担当者


『アマービリタお嬢様は昔から好き嫌いはないんですが、ご家族で食事をされることはほとんどありません。去年位からたまには一緒にと旦那様が声を掛けることが年に1~2度ありますが、そのたびに全て残されるか、途中で公爵夫人や妹のシーミレ様に投げつけたり無理やり口に入れたりするので、大騒ぎになるんですよ。お部屋で摂られた時は残されたことはないですよ』


 証言5:出入りのドレス屋


『あのお嬢さんのわがままったらねえぜ! 去年なんて自分でデザインしておきながら、実際に作って持ってきたら「こんなものを頼んだ覚えはありませんわ!」だぜ? あとは自分用にと頼んでおきながら、気に入らないものはシーミレ様にあげなさいと言うし。まあ結局、シーミレ様も気に入らないらしくて、廃棄されているらしいんだ。まったく、金持の考えることはわからんね』


 証言6:食器磨きの下働き青年


『僕の話じゃないんですけど、前任者のカトラリーの磨き方が気に入らなかったらしくて、アマービリタ様が、前任者にフォークやらナイフやらを投げつけたらしいです。どうなったか、ですか? 詳しくは知りません。皆さんあまり話したがらないので。まあ誰も怪我はしなかったようですけど。そのまま解雇になったんじゃあないですかね。僕が雇われたんですから』


 証言7:庭師


『ここの庭は、前任者が薔薇を育ててたんだけどな、ある日アマービリタお嬢様が珍しくも庭に来たと思ったら、いきなり花に手を伸ばしたんだ。控えていた前任の庭師が慌てて止めようとしたんだが、お嬢様は茎を握ってしまわれた。当然だがトゲが刺さってな。それで前任者はクビだってきいたよ。それでここの薔薇も全て撤去されたって話さ。今咲いているのは、アマービリタお嬢様に指定された薔薇だよ』


 証言8:出入りの宝石店


『アマービリタお嬢様にはほとほと困らされたよ。宝飾品持ってこいと言うから一流の品々を持ち込んだのに、「こんなおもちゃなんていらないわ!」って、見せていた宝石を部屋にぶちまかれたんだぜ。慌てて回収していたら、「そんなもの、捨てなさい」って、本当に拾い上げた一粒を窓の外に放り投げやがったんだ。しかも一番デカイ石をだぜ! 慌てて庭を探したけれど、それは出てこなかったんだ。え、それで泣き寝入りかって? いや、公爵に言いつけて、その石の代金はしっかり貰ったさ』


 ちょっと聞き込みをしただけでも、出るわ出るわ、アマービリタの所業の数々。どうやら悪評は本当のようだ。


 公爵と夫人、妹令嬢のシーミレとは直接会話を交わしてはいないが、執事見習いとして執事の後ろに控える形で会う事は出来た。食事の席では3人でアマービリタの愚痴を散々こぼしていた。それはほぼ使用人たちの証言と同じで、散財が過ぎる、またしても作ったドレスを破いた、もしくは妹に押し付けてきた、勝手に使用人を解雇した、などだった。

 公爵は頭を抱えていたし、夫人とシーミレ嬢はうんざりとした表情を隠すことなく、領地の端の別荘に追いやったけれど、そちらでも好き勝手をして、とこぼしていた。

 これはほぼ毎日の夕食時に、誰も聞きもしないのに夫人とシーミレ嬢がどこから聞いてきたのかその日のアマービリタ情報を話し始め、公爵がそれを聞いて頭を抱えて終わる。


 そんなに毎日、別荘で問題を起こしているのだろうか。ゼクエは疑問に思い、それとなく執事に聞いてみたが、答えは『あの方たちがそう言うのなら、そうなのでしょう』だった。

 もっと突っ込んで聞いてみたいが、いまのゼクエは『将来伯爵以上の貴族家につかえる執事となるために、修行にきた伯爵令息(某伯爵の隠し子)』という設定でここにきているので(あのバカ王子、どういう設定を考えているのだ!)、アマービリタ嬢の事ばかり探るわけにはいかない。


 ちなみにゼクエは王子の元にずっと付いていたので、騎士になる前に従者の勉強もしていた。ただ剣の腕が良すぎたから騎士として扱われているだけで、将来は護衛でも補佐でもゼクエの希望で選べるくらいには知識がある。ただその知識をひけらかしては修行に来ている意味がないので、大人しく教わっているわけだが。


 そして見習いとして執事について回っているうちに、2週間もしたら少しずつ仕事を任されるようになり、一月もしたら使用人の管理をするようになっていた。

 お陰で情報は集まったが、これはまずい。このままでは本当に執事になってしまう。と焦り始めた時、公爵に呼ばれて部屋に行くと、アマービリタ嬢のいる別荘に、令嬢の執事候補として行くようにと言われた。どうやら令嬢があちらで雇われていた執事を辞めさせたらしい。渡りに船、とばかりに二つ返事で了承し、ゼクエはその1週間後には、執事に惜しまれながら(わたくしめの優秀な跡取りがぁぁぁと滂沱の涙を流していた)伯爵家を後にし、田舎の別荘へと向かったのだった。


 **


 

 アマービリタ嬢が居るという領地外れの別荘へは、王都から馬車で1週間の距離だった。ゼクエ本人は馬に乗れるが、荷物と立場を考えたら馬車で向かう方が良く、のんびりと1週間かけて移動した。その間、揺れる馬車の中で今までの情報をまとめ、王子に報告すると同時に、まだ見ぬアマービリタ嬢という人となりの情報を整理していた。



 公爵家では暴君のように言われているアマービリタ嬢だが、幼少時にはそんな様子は噂でも聞いたことが無い。この位の年齢の令嬢は、王子の遊び相手として何度か城に呼ばれているはずだ。その時の様子はどうだったのだろうと王子に連絡をして調べて貰ったら、やはり3度ほど城に来ていたことが判明したが、ゼクエも王子にも彼女の記憶はないのだから、城に来た時に問題行動を起こしたと言う事はないだろう。

 それに彼女が暴君であると言われ始めたのは、アマービリタ嬢が10歳になった頃からだ。


 アマービリタ嬢の母親は、アマービリタ嬢が5歳の頃に、流行病にかかって亡くなっている。その後、シーミレ嬢の母親で、男爵家の令嬢だった現公爵夫人が後妻に収まった。ちなみにシーミレ嬢はその時に3歳。連れ子ではなく、どうやら前公爵夫人が亡くなる前から、現公爵夫人と公爵は関係を持っていたらしい。

 母親を亡くしたアマービリタ嬢の前に、新しい母親と幼い妹がいっぺんに現れたのだ。荒れてもしかたがないとゼクエは思い、古くからいる使用人に話を聞いてみた。


 アマービリタ嬢は、母親が生きていたころは実に静かな令嬢で、暇さえあれば本を読んでいるような大人しい子供だったらしい。しかし現夫人と公爵が再婚した6歳辺りから散財するようになり、それを咎めた夫人に暴力を振るうようになり、金遣いもけた違いに荒くなったらしい。やはりそうだったのかと思いつつも、あの屋敷にはいくつか腑に落ちない点があった。


 それらはきっと本人に会えばわかるに違いない。ゼクエは揺れる車内で書類を読んでいたことによる車酔いに苦しみつつ、馬車の窓からのどかな景色を見て吐き気を紛らわせた。



**



「あんた、クビ」

「お、お嬢様、そればかりはご勘弁を!!」

「なら、死ね」

「お、お嬢様あああああ」


 ゼクエが車酔いで瀕死になりながらようやくたどり着いた別荘で、何とか身なりを整え、青い顔をしながら使用人たちと顔合わせを終え、侍女頭に連れられてアマービリタ嬢の部屋に行き、今まさに部屋の扉をノックしようとしたときに、バシンドスンという音に続いて聞こえた会話に、思わず手が止まった。

 しかしそんなゼクエを他所に、侍女頭は扉をノックして、返事を待たずに開けた。ちょっと待てそれはいくら何でもマナー違反だろうと唖然とするゼクエをその場に残し、侍女頭は部屋に入っていく。


「お嬢様、新しく赴任してきた執事見習いを連れてきました」

「あら、タンティーノ。ご苦労様。それと、こいつはクビにして。屋敷に送り返して」

「かしこまりました」


 タンティーノと呼ばれた侍女頭は、綺麗に礼をした。


 アマービリタがいる部屋は、この屋敷での応接間だった。そこには従者服を着た若い男性が一人、床に転がっており、明らかに顔には殴られたような跡がある。この部屋にはアマービリタとその男しかいないので、先ほどの音は彼女が男を殴り、男がしりもちをついた音だろうと推察される。

 タンティーノは表情一つ変えずに、床に座り込んでいる男の腕を取り、立たせて引っ張りながら部屋を出て行ってしまった。

 扉口でかたまっていたゼクエだが、それを思わず見送って部屋の中に視線を戻すと、アマービリタは書斎机にもたれて腕を組んでゼクエを見ていた。


「そんなところで間抜け面晒していないで、入ったら?」


 思わず口をポカンと開けていたことを指摘され、ゼクエは己の失態を恥じながら扉を開けたまま部屋に入った。女性一人の部屋に男が入るのだ、扉を閉めるわけにはいかない。


「お初にお目にかかります、執事見習いのゼクエンツと申します。以後よろしくお願いいたします」


 ゼクエは執事としての礼をした。まさかゼクエと本名を名乗るわけにはいかない。しかしまるきり違う名前にしてしまうと反応が遅れる場合がある。なので似たような名前にしているのだ。

 アマービレから声を掛けられるまで、使用人は頭をあげることは出来ない。そのままの姿勢で待っていると、ふうん、という声と共にお許しが出た。


 初めて見るアマービレは、深い赤色のドレスを着て、その光り輝くブロンドヘアをハーフアップに簡単にまとめ、綺麗な薄化粧の、実に公爵令嬢としてふさわしい女性だった。

 顔はすぐに扇で鼻から下を隠してしまったが、美人の部類に入る容姿と言って良いだろう。


「ゼクエンツとやら。まずはこの屋敷の作りを覚えなさい。王都の屋敷に比べたら小さいものだから、すぐに覚えられるでしょう。敷地内どこをうろついても良いわ。敷地内と屋敷、全てを把握しなさい。それが出来たら私の元へ。それまでは来なくて良いわ」

「……はい?」


 もちろん屋敷の把握は大切だ。だがそれが終わるまで来るなとはどういうことだ。


「今のところ執事の仕事は特にないの。ああ、さっきの使用人を屋敷に送り返して、新しい人を手配して。それが次の仕事ね。そこまで終わったら来なさい」

「……かしこまりました」


 なるほど、傍若無人なお嬢様だ。そう思いながらゼクエは頭を下げ、部屋を出た。


 しかし思ったよりも馬鹿ではなさそうだ。いきなり現れた執事候補を、屋敷から送り込まれたとはいえ信用しないあたりに慎重さもうかがえる。


 屋敷のつくりを把握しろとはどういう意味なのだろうと思いつつ、部屋を探れるのは好都合だ。ゼクトはさっそく一人で屋敷のあちこちを見て回った。



 

***



 半年後、ストラヴァガンテ公爵家の令嬢が結婚するという話が、王都に流れてきた。シーミレ嬢かと思いきや、まさかのアマービリタ嬢の婚姻だという。地方に飛ばされても相変わらず好き勝手に散財しているアマービレのせいで、公爵家は今や破産寸前とのうわさも流れている。その元凶である悪女を貰ってくれる男とはいったい、と調べてみると、どうやら使用人らしい。

 公爵家の令嬢が使用人と結婚などと言う話は殆どあり得ないが、しかし悪女ならば父親である公爵が行き遅れないようにとその使用人に押し付けたのでは、とまことしやかにささやかれていた。


 その噂を聞いたアクアレル第3皇子は、その柳眉を顰めながら真偽を確かめるよう命じ、報告を聞いて顔を覆って大きなため息をついたという。


 ストラヴァガンテ公爵家は、アマービリタ本人から結婚するという手紙を貰い、すぐさま王都の屋敷に帰るように伝えた。そしてアマービリタが結婚するのを機に、アマービリタを廃嫡して、正式にシーミレを跡継ぎに指名しようと考えていた。

 夫人もシーミレもそれに同意し、アマービリタが戻り次第、手続きを進めることにした。これで公爵家も破産しないで済む。それでも、いくら悪女でも公爵家の娘なのだ。最後に結婚式くらいは上げてやろうと、王家に婚姻の儀式の申し込みも行った。


 この国では、貴族が結婚するときには、王家の認証が必要となる。また王族立会いのもとで婚姻の儀式を執り行う。王族の誰が立ち会うかはその貴族の立ち位置と、スケジュールの都合による。

 ストラヴァガンテ公爵は、ちょうどいい厄介者払いが出来るとばかりに、すぐさま儀式の申し込みをし、その後に行われる屋敷での結婚披露のパーティ、そしてアマービリタの婚姻用ドレス一式の手配を執事と夫人に命じた。


 アマービリタがいなくてもそのサイズは分かっている。田舎に行く前のものだが、そんなに寸法は変わっていないだろう、とシーミレと相談しながら夫人はドレスのデザインを決め、業者に注文をした。

 さらには市井に下がる娘のパーティだからそんなに大きくはしないし、招待客も少ないが、一応はパーティをするのでその計画をして、実行は執事に任せた。


 大急ぎで準備をしていると、10日後にアマービリタが婚約者を伴って帰宅してきた。その冴えない使用人がアマービリタをエスコートしながら屋敷に入ってくる。

 公爵と夫人は大袈裟に目出度いと叫びながら二人の婚姻の意志を確認し、ちょうど王家からの返信もしていたので、最速で、次の日に婚姻の儀式を行うことにした。アマービリタは流石に早すぎると文句を言ったが、お肌と髪の手入れと、ドレスなどの試着だと侍女たちがアマービリタを取り囲んで自室に連れて行ってしまった。


 ひとりその場に残された婚約者である使用人は、公爵夫妻から平民などと会話ができるかと無視されていたが、礼をすると自分の家に報告に戻ると帰っていってしまった。

 

** 


 次の朝早く、大きな声がしているとの報告を受けて、年老いた執事は慌ててアマービリタの私室に駆け付けた。中からは怒鳴り声と鳴き声が響いている。扉を開けてみると、アマービリタが用意されていたドレスをシーミレに投げつけ、さらに宝飾品を力いっぱいぶつけている所だった。


「こんなドレス、着られるものですか! それになんなのこの安っぽい宝石は! こんなものを私に身につけろと言うの!?」

「ひ、酷いわお姉さま! お姉さまの為にお母様と私が一生懸命選んだのに!」

「あんたたちのセンスと目は壊滅的に悪いわね! こんなもの、よく選べたものだわ!」

「ひどいわ!」

「やっぱり自分で用意しておいて良かったわ。シーミレ、このドレスはあなたに返してあげるから、自分で着たらいいわ。その宝飾品もね!」

「どうしてそんなにひどい事ばかり言うの!」

「何が酷いの? あなたの趣味で作ったドレスと選んだ宝石なんでしょう? サイズを直してあなたが着ればいいじゃない」

「お姉さま用に作ったのに!」

「いつも言っているけれど、私はあなたたちの選んだドレスなんて、絶対に着ないから無駄よ。さっさと持っていきなさい」


 そこでシーミレはようやく執事に気が付いたようだ。捨てられたドレスを掴んで、悔しそうに部屋を出て行った。


「お嬢様」

「まったく、夫人もシーミレも、もう私に近付かないようにしてちょうだい」

「しかしながら、お式ではご家族として参列いたしますから、そういう訳にも……」

「あんなのが家族なんて最悪だわ。けれどまあ、それも今日で終わりと思えばいいかしら。ああもうこんな時間。まったくあの子が邪魔をするから! ここで食べるから軽食を持ってきてちょうだい。用意が出来たらすぐに出るわ」

「お持ちしております。すぐにご用意いたします」

「ありがとう」


 食事係のメイドがちょうど押してきたワゴンを、執事が合図して部屋の中に運び込む。サンドイッチと紅茶をテーブルに並べている間にも、アマービリタは身支度のメイドに囲まれて化粧や髪の手入れをしてもらっていた。


 **


「お父様! お姉さまったら酷いの! 私とお母様が一生懸命に選んだドレスと宝石をこんなものいらないって投げつけたのよ!」

「せっかくわたくしたちで準備をしたのに。ドレスも宝石も、婚姻用だから豪華なものにしてあげたのに。ねえあなた、早くアマービリタを家から追い出してちょうだい!」


 アマービリタの部屋を出た二人は、その足で父親の部屋になだれ込み、そこにいた母親を巻き込み涙ながらに状況を訴えた。公爵は大きなため息をついてソファに腰掛けた。


「何と言う事だ。あの子はまだそんな事を……」

「あなた、アマービリタを早く家から出さないと、本当に破産してしまうわよ」

「そうだな、明日にでも荷物をまとめて出て行ってもらおう。どうせ田舎から戻って来たところで、荷物はまだまとめてあるだろう。儀式が終わればもううちの娘ではなくなるのだから、それをそのまま持って行かせればいい」

「ええ!? お姉さま、あちらで購入したドレスや宝石も持ってきているのよ? それを全部持って行かせるなんてもったいないわ。お父様、それを回収して一部を売れば、お姉さまが散財したお金を少しは取り戻せるのではないかしら」

「シーミレ。いくらこれから市井に下るとはいえ、まだ公爵家の娘なんだ。嫁入り道具としてある程度持たせないわけにはいかない。荷物だってそんなに多くなかっただろう。それくらい手切れ金として持たせてやらないと、うちの評判が落ちてしまう。なあに、これからはムダ金使いがいなくなるんだから、大丈夫だ」

「……そ、そうかしら」

「そうとも。さあ二人とも。今日一日の我慢だ。お前たちも準備をして、王城の婚姻の間に向かうぞ」

「はあい。あ、せっかくだから、お姉さまに作ってさし上げたあのドレスを着ちゃおうかしら」

「シーミレ、それではどちらが花嫁なのか分からなくなってしまうわ」

「ふふふ、それも面白そう」

「おいおい、流石に王族がいる前でそれはまずいだろう。せめて儀式後のパーティにしておきなさい」

「あらお父様、良いの? でも私のドレスも新調したから、やっぱりそっちを着るわ」


**


 儀式は王城の敷地の一部に、婚姻用の建物で行われる。

 天井が高く、窓は少ない作りだが、高い部分にある明かり取りの窓から、柔らかい光が建物内を照らしている。壁は白で、装飾が施されているが華美すぎはしない。そして入り口からまっすぐに赤いじゅうたんが敷かれ、その先に3段ほどの階段があり、その上の広間に目に優しい木製の聖壇が置かれている。じゅうたんのある通路の脇は参加者が立って見守る空間となっている。

 婚姻を結ぶ二人は、参加者に見守られながら入り口から新郎のエスコートでじゅうたんを進み、聖壇に立つ王族と言葉を交わし、婚姻届けにサインをして、それに立ち会った王族の認可のサインをしたら、儀式は終了だ。


 短時間であるが厳かな儀式なので、立ち合いの王族(+関係者)と家族以外は立ち会えない。


 だがアマービリタは家族の立ち合いを希望しなかった。儀式の間の前でそれを聞かされた公爵夫妻と妹は激怒したが、そういう制度なのだから諦めろと言われ、あの悪女がと文句を言いながら仕方がなく屋敷に戻っていった。


 新郎新婦よりも先に戻ってきた公爵夫妻たちは、儀式に立ち会えなかったことは隠して披露パーティの会場である広間にて二人の到着を待つことにした。


 この場にて新郎が初めて披露されるのもあって、ほとんどの貴族がパーティに参加した。その人数の多さに、この時ばかりはいつもは閉鎖しているバカでかい広間があって良かった、と公爵はホッとしていた。

 今日の為に夫人とシーミレが調度品を買い替えたりして整えた広間の一角には立食用の軽食が並ぶ。また弦楽隊も手配してある。あとはアマービリタが暴れずに大人しく披露されてくれればいいのだ。それで公爵の親としての義務は終わる。あとは市井に降りて好きなように生活すればいい。

 

 本来、そのような娘の披露パーティに人が集まることなどない。降格するなど不名誉な事なのだから。それがこんなに集まるのは、ほとんど公の場に姿を現した事のないアマービリタの婚姻だからだろう。どんな娘なのか一目見たいし、噂の悪女ぶりもみられるかもしれない。何よりもそんな悪女と結婚する相手も見てみたい。そんな思惑で、急遽決まった披露パーティなのに、大勢が来る事になっているのだ。


 ストラヴァガンテ公爵と夫人は、次々にやってきた各貴族から挨拶と祝いの言葉を貰っていた。まったく、なんという参加人数だ。これが全て心からの祝福に来ているのではなく単なる野次馬なのだから、公爵らしく顔を作って対応しているが、内心はうんざりしている。

 アマービリタの友人でもないのに、各家の令嬢たちまでが集まっているのがその証拠だ。貴族同士の結婚なら、その家の女主人として茶会やパーティを開くから顔をつないでおきたいというのはわかるのだが、アマービリタが没落する様を見にきたのか、相手の顔を見たいのか。まあ両方なのだろうが。


 参加者全員が会場に入り、思い思いに会話を交わし、ほとんどの貴族の挨拶が終わった段階で、新郎新婦の二人が戻ってきたと連絡が入った。公爵夫妻とシーミレは上座に移動し、入り口から進んでくる新郎新婦の為に参加者たちは通路の両側に移動した。


「これより新郎新婦と、本日の儀式を執り行ってくださいました、アクアレル第三王子のご入場です」


 扉の脇で礼をしながらの執事の発言に、一同から驚きの声が上がった。

 これはまた大物が引き受けてくれたものだ、とストラヴァガンテ公爵だけでなく、参加者一同が思った。高位貴族同士の婚姻の儀ならば当然なのだが、今回はこれから市井に下るという令嬢だ。普通なら王子ではなく、王位継承権を持たない王の兄弟の息子や、兄弟の配偶者あたりだろう。それがわざわざ第三王子とは。ちょうど手が空いているのが第三王子だけだったのだろうか、と全員が心の中で思っていると、閉められていた正面扉が開かれた。


 まずは白い儀式用装束に身を包んだアクアレル第三王子が入ってきた。参加者全員が臣下の礼を取り、王子が歩みを進め、新郎新婦用の高座に上がって、向きを変えるのを待つ。

 公爵夫妻たちは第三王子が入ってくると同時に、高座の中央から下に下がっていた。その公爵夫妻たちには目もくれず、第三王子は高座に上がると入口の方に向き直った。


「本日婚姻の儀式を執り行ったアクアレルだ。新郎新婦の希望もあり、同席させてもらうことになった。それでは本日の主役の登場だ」


 アクアレルがそう宣言すると、再び扉が開いて、アマービリタたちが入場してきた。そうして全員が驚いた。白い清楚でありながら豪勢なドレスを身にまとった美しいアマービリタ嬢もさることながら、それをエスコートしているのが、凛々しい美青年だったからだ。


 そしてその顔には全員見覚えがあった。


 普段は感情を表に出さない貴族たちだが、あまりの驚きに息を呑む者、目を見開く者、口をポカンと開ける者。女性陣は思わずまあ、という言葉を漏らした後は絶句しながらその口元を扇子で隠している。若い令嬢たちはその頬を赤く染めて、口元を手で隠しながら青年を目で追った。

 

 二人はゆっくりと進み、ストラヴァガンテ公爵と夫人、妹の前を目を合わせることもなく通り過ぎた。その様に夫人があからさまに不満な態度を取り、シーミレは美青年に目を輝かせている。


 そして二人は高座にあがり。アクアレル第三王子の隣に一歩下がって並んだ。


「本日婚姻の儀を行った、ストラヴァガンテ公爵家アマービリタ嬢と、テンペラタメンテ公爵家の令息ゼクエを、ここに披露しよう」


 新郎の名前に、室内がどよめいた。前髪をきちんと上げて、騎士の正装姿の美青年は、いつもはアクアレル第三王子の後ろに控えている騎士なのだ。

 彼が入ってきた時から多くの者たちがそれに気が付いていたので唖然としたのだ。令嬢たちは気付いた者よりもその美貌に見とれていたものが多かったが。


「そ、そんなはずはない! 新郎はわが地方屋敷の執事だと聞いている!」


 思わずストラバガンテ公爵が声を上げた。あり得ない失態に、周りが鋭い目で公爵を見るも、公爵の目は娘とその相手の二人しか見えていなかった。


 公爵が驚くのも無理はない。彼は娘から執事と結婚すると聞いていたし、昨日屋敷に来た新郎はしばらく前に屋敷に執事見習いとして来て、その後アマービリタのいる地方屋敷の執事として異動した者だったし、確かに前髪で目元を隠しており、髪の色も今と違っているが、そんな人物には見えなかった。大体騎士でありアクアレル第三王子の専属護衛が、何故執事見習いなどとして家に来たのかも理解できないし、アマービリタと結婚するなどと言う事も理解できない。


 侯爵の疑問には、アクアレル第三王子が返答した。


「アマービリタ嬢とゼクエの二人から、正式に婚姻の儀の申し込みを受けてた。公爵が申し込んでくる前にね」

「し、しかし私はゼクエンツといううちの執事見習いとの結婚だと、アマービリタから聞いております! それに昨日娘と共に屋敷に来たのは、確かにゼクエンツでしたし!」

「公爵がきちんと相手を確認しなかったのでは?」

「し、しかし! 田舎の屋敷に引きこもっていた娘がゼクエ殿と知り合う場所などあるはずもなく! それにゼクエ殿は殿下の護衛で、間違ってもうちの執事候補などではないでしょう!」

「ああ、それは僕が公爵の家にゼクエを執事見習いとして派遣したから」

「は?」

「噂の悪女がどんなものなのか、確かめてこいと派遣したんだ。まさか結婚するとは僕も思わなかったけれど、どうやら気が合ったようだね」

「……殿下」

 

 ゼクエが小声で話しかけると、アクアレルはごめんごめんと笑って咳払いをした。


「先ほどの儀式にて、二人の婚姻の意志を確認した。アンティーコ王国第三王子アクアレルの名において、二人の婚姻を承諾した」


 その言葉に、アマービリタはカーテシーで、ゼクエは騎士の礼を取った。それにアクアレルも尊大に頷く。


「もちろんテンペラタメンテ公爵家も承認済みだ。以降、アマービリタ嬢はテンペラタメンテ公爵家に入る」

「そんな、ばかな!!」

「あり得ないわ! その女がゼクエ様と結婚なんて! ゼクエ様に似合うのはお姉さまじゃなくて私でしょう!? お姉さま、その場所、変わりなさいよ!」

 

 本来、新婦しか着用しないのがマナーの白いドレスを着たシーミレが、令嬢にあるまじき地団駄を踏みながら叫ぶ。


「シーミレ? 何を言っているのだ、やめなさい!!」

「いいえ、シーミレの言う通りよ! あんな悪女にゼクエ様は似合わないわ! シーミレの方がふさわしいですわ! ゼクエ様、あなた様はその女に騙されているのですよ。そんな女との婚姻は破棄して、シーミレと結婚してください!」


 激昂する夫人と娘をアワアワしながらも押さえようとする公爵の姿を見て、アマービリタは薄く笑った。


「お母様にシーミレ。なんてみっともない」

「なんなのその口の利き方は! ゼクエ様、アマービリタに騙されてはいけません! その女は本当に手のつけようのない悪なんですから!」

「ええそうね、お母様。だからわたくし、お母様の言う事なんて、何一つ聞かないわ」


 アマービリタに自分の言葉を肯定されて夫人は一瞬言葉を失ったが、すぐに激昂して叫んだ。


「な、なに様のつもりなの! アマービリタ!」


 アマービリタが美しく微笑み、ゼクエと視線を合わせ、二人で微笑みあってから、夫人たちを見た。


「悪女ですけど、何か?」



 **



「いいだろう。この件には僕も関係しているし、少し説明しよう」


 そういうとアクアレルはゼクエの隣に立った。


「僕はアマービリタ嬢の悪評を不思議に思っていたんだ。幼少期に会った時には大人しい普通の令嬢だったし、そのあとはぴたりと話を聞かなくなった。それが次に名前を聞いた時には悪女だという。どんな変化があったのか。それを確認すべくゼクエを公爵には内緒で派遣した」


 アクアレルの声は張り上げているわけでもないのに、部屋の中によく通った。


「簡単に説明すると、アマービリタ嬢は現公爵夫人とシーミレ嬢が公爵家に来てから、屋敷の片隅の物置小屋で暮らしていたそうだ。おっと証言もたっぷり取れているから否定しても無駄だよ。食事は1日1回。パンと野菜スープの残りのみ。暴力を伴うような虐待行為はなかったそうだけど、お付きの者もいない、湯あみもさせない。服は使用人が捨てるものを着させていた」

「う、嘘ですわ! そんな事は!!」

「公爵夫人、否定しても無駄だと言ったはずだよ。それに今は僕が話をしているんだけど?」


 思わず夫人が叫ぶが、アクアレルにピシャリと止められた。王族の言葉を遮るなど、不敬も極まりない。さすがに夫人が青くなる。


「物置小屋に閉じ込められているのに、その頃からアマービリタ嬢の金遣いが荒いという噂が出始める。これらを調べてみたら、実際にその頃から多額の買い物をしているのが確認できた。豪華なドレス、宝石、それに調度品の数々。ただし購入したのは物置小屋にいたアマービリタ嬢ではなく、夫人とシーミレ嬢だった」

「う、嘘よ!」

「や、やめなさい!!」


 またしても悲鳴に近い叫びをあげたのは夫人で、公爵が青くなってその口をふさぐ。先ほど王子に警告されているというのに、何をしているのかこの女は。引責で自分にまで飛び火したら敵わない。

 シーミレは大丈夫だろうかとみると、真っ青になって震えている。


「このふたりの散財は現在まで続いていて、公爵家の財政がひっ迫しているのは、このふたりのせいであった」

「まさか、そんな! アマービリタが使いこんでいると聞いていたのに!」


 余りの事に思わず叫んだのは公爵本人で、本人には叫んだ認識はない。壇上の3人は公爵家の3人をジロリと睨みつけた。


「この僕が承認した調査結果を疑うのかな? ゼクエの調査能力はとても優秀なんだよ。まあ調査報告書はこのあとお見せしよう。……続けるよ。大体たった7歳の子供が物置に閉じ込められて散財できるはずがない。本当にアマービレ夫人のせいだと思っていたとしたら、公爵がなんで不自然さに気が付かなかったのか、全く理解できないよ。同時に徐々に使用人たちにも乱暴を働くという噂が出ているけれど、これも物置でやせ細った彼女が使用人に乱暴を働くのは無理だね。それで本人にも確認した。夫人と妹に嫌われて物置小屋に閉じ込められたけれど、いつかは仲良くなれると頑張っていたそうだ。ところがデビュタントを控えて、ようやく屋敷に戻れたと思ったら、すっかり自分の悪評が定着していたそうだ。それで、その評判通りに振舞うことにしたそうだ」


 アクアレルはアマービリタに目配せをした。アマービリタは目礼すると、口を開いた。


「わたくしはドレスをその時点では一枚も持っておりませんでした。夫人とシーミレが作ってくれたドレスはあまりにも悪趣味で、とても着用できるものではありませんでした。デザインもさることながら、素材もわざと下着に使う綿を使っていたり、破れたレースを配置してありました。それに渡されたアクセサリは、すべて子供のおもちゃでした。それでもようやく家族で食卓を囲めると喜んでおりましたが、カトラリーがなかったり、食事に異物を混入されているのです。侍女は、真冬に冷たい水を、夏に熱湯をいれた洗顔用のボウルを持ってきました。その水を頭から掛けられたことなど、日常茶飯事です。お茶の時間には熱湯でいれてきました。今までがまんをしてきましたが、屋敷に戻れてからも変わるどころか、わたくしへの態度が酷くなる一方。それならば噂通りに、期待されているように振舞って悪女になってやろう、と思ったまででございます」


 そういうと、アマービリタはアクアレルとゼクエを見て、微笑を浮かべた。続けてゼクエが発言する。


「私は殿下の命令で公爵家に潜入し、財政状況を含めた調査を開始しました。確かに初対面でアマービリタは使用人を殴って、その場で解雇するという場面に出くわしました。しかし話を聞いてみれば、その使用人は屋敷の備品をかってに売り払っており、さらにはアマービリタを貶める発言をしたので制裁を加え解雇したということでした。屋敷の女主人として当然の事をしていただけです。先ほどおもちゃのアクセサリという話が出ましたが、公爵家に出入りしていた宝石商は、質の悪いくず石を高額で夫人とシーミレ嬢に売りつけていました。それに気が付いたアマービリタが宝石商の出入りを禁止したのです。……その場でおもちゃの石を投げつけたのは、悪女らしく振舞った結果だそうです」

「そ、そんな事はあり得ないわ! あの宝石商は、それは見事な大きさの宝石をいくつも優先的に持ってきてくれたのよ!」

「公爵夫人、私が見習い執事として屋敷にいる間に見せてくださった、あなたが購入した自慢の宝石の数々は、市井の子供たちのおもちゃレベルでしたよ」

「そんなはずはないわ! 王族も欲しがる高品質の石だって言っていたのよ! 違うのなら詐欺じゃあない!」

「そうですよ、彼は詐欺師ですから」

「は……?」

「庶民相手にやらかしていた詐欺師です。それらも含めて、現在司法局が逮捕して取り調べています。公爵夫人におもちゃの宝石を高額で売りつけた件も、素直に白状していますよ」


 ゼクエの言葉に、夫人は呆然とした。今まで自分が身に着けて周りに自慢してきた宝石が、全て偽物だったとは。


「それにドレスも。シーミレ嬢がアマービリタ用にと注文したドレスは、デザイナーも悪乗りして貴族が着用しないようなドレスを作っていたと証言しています。それらを見せられたアマービリタは、何度も止めるようにシーミレ嬢に忠告したようですが、一向に止めないのでシーミレ嬢に突き返したそうです」

「う、うそよ!!」

「シーミレ嬢、全て証拠は挙がっているのです。諦めなさい」


 真っ青になったり怒りで赤くなったり忙しいシーミレを、公爵は何とか押さえつけた。それを見てアクアレルは場をおさめにかかる。


「アマービリタ夫人の行動には全て理由があったと言う事が分かってもらえたと思う。これ以上はここでは語らない。しかしアマービリタは根っからの悪女ではない。そして本日、ただいまを以てストラバガンテ公爵家を離れ、テンペラタメンテ公爵家の人間となる事を宣言する」

「当、テンペラタメンテ公爵家もそれを了承いたします。アマービリタ嬢、ようこそテンペラタメンテ家へ」


 そう発言したのは、実は参加していたテンペラタメンテ公爵だった。

 アクアレルはぐるりと参加者を見回し、最後に二人に話しかけた。


「二人とも、結婚おめでとう。幸せな日々になるよう、たくさんの幸せが二人のもとに訪れるよう、心から願っているよ」

「「ありがとうございます」」

「せっかくの披露パーティだ。さあみんな、二人を祝福しようじゃないか」


 そして会場からは割れんばかりの拍手が鳴り響いた。



**


 アマービリタは母親を亡くしたが、執事をはじめとした使用人たちが気を使ってくれたおかげで、寂しいながらも日々を乗り越えることが出来ていた。公爵はもともとあまり娘に関心を持たなかった上に、すぐに新しい夫人とその子供を家に引き入れた。

 アマービリタは多少複雑ではあったが、貴族の間では再婚は珍しくなかったし、父親が幸せならばそれで良いと思ったし、妹が出来たのが何よりうれしかった。これでまた、母親がいてくれた時のようににぎやかで楽しい日々が始まると思ったのだが、ある日夫人は彼女の腕を掴んで、無理やり部屋から連れ出して敷地の隅にある荒れた小さな小屋に彼女を放り込んだ。


「あんたにはここがお似合いだよ! 食事は運んでやるから心配しないで良いわよ! でもここから出たら食事もやらないからね!」


 夫人はそういうと、扉に外から鍵をかけて去っていった。


 何が起きたのか分からず呆然とするアマービリタだったが、周りを見回してさらに唖然とした。


 埃っぽいのは当然として、綺麗なカーテンも、柔らかいベッドも、座り心地の良いソファーも何もない。あるのは窓と汚らしい布団のようなものと、硬いイスと毛羽だった小さなテーブルだった。

 口をぽかんと開いたまま、アマービリタは小屋を調べて回った。


 後年『物置小屋』と評されたこの小屋は、元々は庭師など作業員の休憩場所だった。古くなったのと休息するには不便な場所だったので、もう少し便利な場所に小屋を作り、こちらは放置状態だったのだ。一応休憩用の小屋だったから、小さいながらもトイレや風呂場、水飲み場やかまどもついていた。つまり生活は出来るのだ。ただし、今まで使用人に囲まれていた令嬢が、一人で出来るかというのは別問題だが。

 さらにはここには本が大量に運び込まれていた。アマービリタが退屈しないように夫人がいれた、わけではなく、屋敷の書架スペースにあったものを、本など読まない夫人が邪魔だからとこちらに運び込ませただけだ。ちなみに本をどけた書架スペースは、夫人のコレクションを飾る棚になっている。


 いくらボロイ小屋とはいえ、子供の、しかも女の子の力ではどこも開けることは出来なかった。窓には木の柵があり、子供でも体を出せるような空間はなかった。雨風を凌げるように雨戸が付いていたので、アマービレは中からその戸を上げ下げして、陽を取り入れたり、そこから食事を受け取っていた。

 アマービリタを救出しようとした使用人たちは夫人によって即解雇されたため、アマービリタを助け出したい使用人たちは、大人しくせざるを得なかった。

 そしてそのような状況を面白がる使用人たちは、どうどうと嫌がらせ行為を始める始末。執事は何度も公爵に現状報告をしたが、そのたびに夫人が邪魔をした。そのうちに夫人は、アマービリタが敷地の離れに作らせた別棟で一人暮らしをしていると嘘を吹き込んだ。

 あまり子供に関心のなかった公爵は、それを確認することもなく、一人だから必要な物を買いこんでいるという夫人の報告を信じて、散財しているのはアマービリタだと思い込んだ。


 そうなると可愛くない娘だから、自分に懐いてくるシーミレばかりをかわいがる。お姉ちゃまにばっかり買ってずるい、私にも買って、とねだられたら「好きなだけ買いなさい」というしかない。そのうちには顔を見せないアマービリタなど可愛くなくり、放置してしまった。


 しかもアマービリタはその離れで、使用人に乱暴を働き、勉強もせずに好き勝手に暮らしているのだという。ことあるごとにお姉さまにドレスを破られた、茶を掛けられたと泣きながら抱き着いて来るシーミレをなだめつつ、あのお荷物な娘をどうしたものだろうと、公爵は減り続ける資金と共に頭を悩ませていた。


 しかし貴族の子供には社交界デビューが必須だ。この国では17歳でのデビューとなるので、その前には準備をしなくてはいけない。夫人はしぶしぶ小屋からアマービリタを屋敷に戻した。


 前置きもなくいきなり屋敷に戻されたアマービリタは、まずは侍女たちから水風呂に入れられて、汚い臭いと罵声を浴びせられ、冷たさに震えながら乱暴に洗われ、痩せすぎてみっともないと3食出るようになった食事も、使用人たちの食事とすり替えられた上に分量も減らされた。

 それでも屋敷に戻してもらえたのだからと感謝するアマービリタだったが、家庭教師にも覚えのない事で罵倒され、滅茶苦茶な問題を出されたり、あからさまに嘘を教えられた。マナーも古すぎて今そんなふるまいをしたら失笑される、というものばかり。


 ある日、メイドが淹れた茶が熱すぎて口を付ける事が出来ず、冷めるのを待っていたら、そのメイドに「あたしの淹れた茶が飲めないって言うの!」といきなり熱々の茶を掛けられた。


 それでアマービリタは覚醒したのだ。


 やられっぱなしで大人しくしていたって、この状況は変わらないと。


 このままでいては駄目だ。自分は公爵令嬢として、公爵令嬢らしく振舞わなければいけない。

 不当に扱われて小さくなっていてはいけないのだ。自分はこの家の跡取り娘なのだから、こんなダメな使用人から家族を、そしてこの家を守らなければいけない。


 アマービリタにはそのための十分な知識があった。なにせあの小屋には膨大な書物があった。そしてアマービリタには時間もあった。基本の文字はすでに習得済みだったし、知らない言葉や難しい言葉があっても辞書で調べられた。その独学でマナーも勉強もしていたのだ。出来なかったのは楽器とダンスの練習くらいのものだ。それも歌を歌う事で淑女教育としてはクリアしているし、ダンスもホールドしてくれる相手はいなくても、女性側の動きはマスターしている。


 そう決意して周りを見始めたら、まずは庭に毒のある薔薇に似た花が植えてあることに気が付いた。毒を持つ植物という本に載っていた、花にも葉にも枝にも根っこにも毒のあるという、薔薇に似た美しい花が。

 それを大切そうに手入れしていた庭師に指摘すると、馬鹿にしたように「そんなわけがないじゃないですか。毒だと言うのなら手入れしている僕は、何故生きているんです?」と言ってきたので、手袋をはめた手でその花びらを摘んで、その庭師に食べるように言ってみた。

 

「そんなもの、食えるか!」

「誰に口をきいているの? 毒じゃないと言うのならそのくらい出来るでしょう」


 そういうと、庭師は「基地外娘が!!」と叫んで逃げ出したのだ。


 あとで調べて貰った結果、やはり毒花だったので、新しく雇った庭師に処分させて、アマービリタが自ら選定した薔薇を植えなおしてもらった。


 そんな事があったので毒に敏感になっていたら、ある日の家族の食事に珍しくもカトラリーがきちんとついていた。しかも食事も見た目は問題ない。料理人はアマービリタを昔から心配してくれている人なので、彼が嫌がらせするとは思っていなかった。だから食事担当のメイドたちの仕業だと考えていた。それが何もしていないと言う事は少しは考えを改めたのだろうか、と少し嬉しく思いながらスプーンを手に取ったら、それが変色していることに気が付いた。


 銀食器の腐食。普通に考えても毒が塗ってあるとしか考えられない。よく見れば他のカトラリーも全て変色している。家族の分はと慌てて顔を上げたが、自分のものとは明らかにデザインの違うものを使用していた。

 その日の食事には手を付けずに早めに退席し、そのまま炊事場隣の保管庫にいるというカトラリー担当者のもとに向かった。令嬢自ら使用人のもとに来るなど普通はないのに、侍女一人だけを伴って現れた令嬢を担当者はジロジロと見た。

 アマービリタは隠して持ってきたスプーンを彼の前に突き付けた。


「ええと、何ですか? いきなり」

「この汚れは何?」

「汚れ、ですか? あのねえ、使えば汚れるに決まっているじゃないですか」

「使っていないわ。使う前に気が付いたの。それにこれだけじゃない。全てのカトラリーが同じように汚れていたわよ」

「ええ? まさか私が洗ってないとでもいうつもりですか? ちゃんと洗いましたよ。自分で汚しておいて文句を言いにくるとは、聞きしに勝る悪女ですね」


 薄笑いを浮かべて馬鹿にしたように言う担当者に、アマービリタは目を細めた。


「あくまで私が使用して付いた汚れと言うのね?」

「ええ。私はきちんと仕事をしていますから」

「そう、それなら、これを舐めてごらんなさい」

「……は? いやいや、そんな使用済みのカトラリー舐められるわけがないじゃないですか!」

「使ってないと言ったでしょう。何も、一口も食べていないわ。もちろんスプーンを舐めたりもしていない。それは食事の場にいた使用人全員が証言してくれるわよ。なんなら今から行ってみる? 食事に手を付けていないのがわかるわよ」

「いやいやいや……。あり得ませんから。そんなもの舐めるなんてあり得ませんから!」

「ならば公爵家の者として命令するわ。舐めなさい」

「あんたに命令する権限なんて!」

「私はこの家の跡取り娘よ。その私に権限がないとはどういうことかしら? 何よりも使用人の分際で、公爵令嬢であるこの私に逆らおうと言うの?」

「そ、それは……」

「舐めたって死ぬことはないでしょう? ほら。舐めなさい」

「い、いや、それは……!」

「それとも命にかかわるような毒を塗ってあるのかしら?」

「へっ!?」


 その言葉に担当者は真っ青になった。


「銀食器の変色。毒物を塗ってあるとしか考えられないわ。まさかこんな分かりやすい手で私を殺すとは思えないから、せいぜいお腹を壊す程度かしらと思っていたけれど、その態度だともう少し強い毒を塗ってあるのかしら?」

「そ、そんなもの、塗っていない!」

「なら舐められるわよね? 未使用でただ汚れている、管理不行き届きのスプーンなのだから」


 担当者は口元にスプーンを突き付けられて、冷や汗をダラダラと流しながら、スプーンとアマービレの顔を何度も見た。アマービレはほらほらと言いながらスプーンをちらつかせる。

 動けない担当者に業を煮やして、思い切ってスプーンを口に突っ込んでみたら、担当者はアマービレの手を思い切り振り払って、すぐさま水場で何度も口を漱ぎ始めた。

 アマービレは赤くなった手を擦りながら、ため息をついた。


「お前、クビよ。明日から来なくて良いわ」

「……えっ! そんな横暴な!」

「私に毒を盛っておいてよく言うわね。即座に口を漱いだのが証拠でしょう?」

「ど、毒なんて持ってない! ただ使用済みのスプーンを突っ込まれたら誰だってこうします!」

「他のカトラリーも取ってあるから、いくらでも調査出来るわよ」

「ひっ!」

「それ以前に公爵令嬢への不敬罪よ。お前はクビ。執事に言って、紹介状には公爵令嬢への不敬と毒を盛った事実を書いてもらうわ。もうどこの屋敷でも雇ってもらえないようにね」

「そ、そんな……!!」


 担当者が呆然と崩れ落ちる間に、アマービレはその場を後にした。



 公爵夫人が散々事前にアマービレの悪口を吹き込んだ家庭教師は、最初からアマービレを見下した態度で、様々な問題を解くように言ってきた。だがアマービレはあの小屋で豊富な知識を身に付けている。だから家庭教師が出してきた問題などあっという間に解けた。だが絶対に解けるはずがないと思い込んでいた家庭教師に、答えを盗み見ただとかインチキだとか罵声を浴びせられたので、堂々と反論した。その途中で手が当たって紙とインクが落ちたら、家庭教師は暴力を振るわれたと泣きながら部屋を飛び出していったのだ。


 マナー講師も田舎の一昔前のマナーだったので、そう指摘したら激昂してつかつかと目の前に来て口づけできそうな距離で「出来ないのをひとのせいにするんじゃありません!」と金切り声を上げたので、思わず手で押したら、バランスを崩して倒れた。そうして家庭教師同様に部屋を飛び出していった。


 こんな二人に教育されているシーミレは、マナーも知識も古くて酷いものだった。たまに令嬢たちを茶に誘っているようだが、彼女たちに失笑されているのも気が付かないで、おもちゃの宝石を自慢したり、カップの取っ手に指を突っ込んで茶を飲んだりしていた。


 その宝石が偽物である事に気が付くことができたのは、やはり書物のお陰だった。実物と書物は違うが、唯一隠し持っていた母親の形見のネックレスと指輪についていた石を書物で調べ、知識として見分け方を身に着けていた。ただでさえ輝きが全く違うと思ったが、それだけでは証拠にならない。しかし例えばその煌めきと硬さが宝石1の輝石は、透過率の影響で書類などの上に置いてみるとその文字が見えなくなるのだが、宝石商が偶然に輝石を紙の上に置くと、その模様がくっきり見えているどころか、なんなら大きくなって見えた。

 まあそんなものを知らなくても、その他の石もどう見ても煌めかない安っぽいものばかりだったので、気が付かない夫人と妹の方がどうかしているだけだ。

 口の上手い宝石商にお世辞をたっぷり言われて、石を見ることもなく言い値で買っているのだろう。


 論破したうえで、持って帰れ、二度とここに来るなとおもちゃを投げつけてやると、宝石商を名乗る詐欺師は、石を拾い集めて帰っていった。だが一番大きな石は忘れて行ったらしい。どうせ子供のおもちゃだ、必要なかったのだろう。もちろんそれは証拠として部屋に隠してある。


 これで夫人とシーミレも宝石の購入を控えるだろうと思っていたのだが、彼女たちはアマービリタを非難し、おもちゃの石を言い値で買い続け、それもアマービリタが購入したことにしたのだ。


 ああもうだめだ。アイツらには何をしても無駄だ。


 何とか仲良くしようと努力していた心が折れた。 



 それで決心したのだ、


「言われているような悪女になってやろうじゃないの」と。


 そんなある日、メイドがあり得ないほど熱々の茶を出してきた。噂で『茶が不味いと言ってはメイドに掛ける』と言われているアマービレは、それを実行に移した。


 ニヤニヤと嫌な笑いを浮かべるメイドに、その茶を流石に顔にはかからないように引っ掛けた。


 やられたメイドが呆然とした後に「このガキ何をしやがる!」ととびかかってきたので、咄嗟に避けると彼女はそのままじゅうたんに倒れ込んだ。

 そのままアマービリタは左手を腰に、右手をメイドに突き出して言ってやった。


「こんな飲めない茶を淹れた上に、使用人の癖に主人に逆らうとはいい度胸ね!」

「はあ? 主人はシーミレ様よ! あんたじゃないわ!」

「わたしはこの家の長女、あんたは使用人よ。 使用人が貴族にそんな口をきいて良いと思っているの!?」


 言いながら先ほど茶を浴びせかけたカップが目に入ったので、投げつけてみた。薄いカップは彼女に当たって、落ちて割れた。


「あら、カップを割ったわね! 弁償なさい!」

「はあ? 投げつけたのはあんたでしょう!」

「主人に向かってその口の利き方は何? 立場を弁えなさい!」


 続いてソーサーも投げたが、これはメイドの後ろの方に落ちて割れた。その音に彼女はビクリとし、いきなり態度の変わったアマービリタにも怯え、「シーミレ様に言いつけてやる」と絶叫しながら部屋を飛び出て行った。


 興奮と恐怖で立ち尽くしているのを、長年そっと助け続けてくれた執事が通りかかり、状況を聞いて「よくぞ御決心なさいました。私たちも協力します」と言ってくれた。

 だがいきなり夫人やシーミレを敵に回すのも良くない。だから執事と味方になってくれる使用人には、目立たないように補佐してくれればいいと伝えた。


 メイドに言われてドスドス音を立てながらやってきたシーミレは、昔からいるメイドが新しく淹れた茶を飲んでいるアマービリタを見て、目を丸くした。

 

「あらシーミレ、何をしに来たの?」

「は? お姉さまにお貸しした、私のメイドに乱暴したというから」

「あら、公爵令嬢ともあろうものが、メイドに命じられて私の様子を見に来たの? どちらが主人なのか分からないわね。まったく、使用人のしつけも出来ていないのね」

「……はあ!?」

「あんな使えないメイドは要らないわ。あなたのだと言うのなら、返すわ」

「な、何を言っているの? ああ、お姉さまは今まで一人で暮らしていたから、メイドがいなくても良いのかしら」

「そうね、あんな使えない、邪魔ばかりするメイドはいない方がマシだわ」

「ひ、酷いです! 一生懸命お仕えしているのに、あんまりだわああ!」

「誰が発言を許したのかしら」


 いきなり割り込んできたメイドを一喝すると、メイドもシーミレも目を丸くした。


「……お、お姉さま、一体どうなさったの?」

「何が?」

「いきなり、なんか、違い過ぎない……?」

「何も違わないわよ。だって私」


 アマービリタはその髪をファサリと後ろに流して目を細めて行った。


「悪女だもの、当然でしょう?」



**


 披露パーティのあと、宝石商やカトラリー担当者、庭師、色々と屋敷の物を勝手に売り払っていたメイドたちは、アマービリタが集めた証拠を突き付けられて、全員解雇された上に、司法局の取り調べを受けた。

 夫人とシーミレが使い込んでいた資金も、全て証拠を突き付けた。

 あまりの散財内容に、公爵は言葉もなく座り込み、二人は私たちは悪くないと叫び続けたが、アマービリタに毒を盛ろうとしていたことが、カトラリー担当者と庭師が証言し、またアマービリタが物置小屋にずっと住まわされていたことも、長く勤めている使用人たちが証言した。


 また、公爵家で行われた茶会で、アマービリタがテーブルクロスを引っ張って茶器を落としたのは、シーミレがそれらをアマービリタが手配したことにして、わざと低級の茶葉や、傷んでいる食材で作ったものだったからだ。そんな事を直接言った所で、誰も信用しない。だからお客人には被害の無いように気を付けつつ、絶対に手を付けられないようにしたのだ。

 それらも使用人の証言ですべて明るみに出た。


 それにより、夫人とシーミレは着の身着のままで公爵家を追放された。

 彼女たちはまず夫人の実家である男爵家に救いを求めたが、元々夫人は男爵家から勘当されていた。

 公爵と結婚まえに実はすでに夫がいたのだ。それなのに独身だといって公爵と浮気をした。夫人にしてみれば身分の上の者と結婚した方が良いという打算だったのだが、当然それで家を勘当された。

 それならばせめてシーミレだけでも、と頼み込んだが、公爵家でしでかした数々がすでに知れ渡っているため、そのような罪人は引き取れないと拒否されてしまった。


 結局、頼れる人もいないまま、二人はさ迷い歩くことになった。



 アマービリタは地方に飛ばされた時も、領地経営をおろそかにしていた公爵に代わって精力的に運営し、1年に満たない短い間で農地や林業を立て直しの計画を立てていた。本格的な立て直しはこれからになるだろうが、その道筋を完成させていたのだ。

 公爵は、それを知って、結婚して家を出たアマービリタに泣きついた。もうアマービリタしか跡取りはいないのだ。どうか公爵家に戻ってくれないかと。


 だがテンペラタメンテ公爵家もゼクエも許すわけがなかった。


 ゼクエは地方の屋敷でアマービリタに会い、言われたとおりに屋敷を隅々まで把握して、クビを言い渡されていた使用人に事情を聞き(馬鹿正直に全てを話した。どうやらゼクエを味方につけようとしたらしい)、即座に解雇して、次の日にはアマービリタに報告に言った。

 仕事の早さにアマービリタは一瞬目を丸くし、すぐにゼクエがただの執事見習いでないことを見抜いたが、少しの間様子を見ていた。


 ある日、ゼクエを伴って領地を見回りに行った時、森から出てきた暴れ牛に遭遇、それを一刀両断したゼクエを見て、その正体を正確に当てて見せた。

 その明晰さにゼクエは驚き、正体を明かした。

 

 そのあと、アマービリタが悪女と言われている理由を聞き、きちんと裏付けも取ったうえで、アマービリタの正当性を信じた。それを第三王子に報告しようとまとめている間に、ゼクエは本当のアマービリタの優しさと聡明さにほれ込んでしまった。


 アマービリタもまた、知識豊かでそのうえ強く、執事見習いを装えるほどに臨機応変なゼクエに惹かれた。だがゼクエほどの人物が自分を望んでくれるとは思えなかった。だからゼクエが期間限定ではあるが、一緒にいてくれている間に少しでも領地を良くしようと、アマービリタは精力的に活動した。それをゼクエが近くで補佐している間にその絆は強くなり、ゼクエは思い切って婚姻を申し込んだ。

 それにアマービリタも了承し、テンペラタメンテ公爵家とアクアメンテの許可を取って、正式に婚約をした。


 だがそれがストラヴァガンテ公爵家に伝わったら、夫人とシーミレが邪魔をしてくるのは目に見えていた。だから執事との結婚という報告をしていたのだ。


 それにアマービリタにはその知識を生かした発明の能力もあった。王家としてもテンペラメンテ公爵家としても、アマービリタとゼクエの結婚は喜ばしいもので、アクアメンテが主導しながら婚姻の儀式の予定を立てた。

 ストラヴァガンテ公爵がアマービリタから連絡を貰って婚姻の儀式の申し込みをした時には、実はすでに日程も決まっていたのだ。それに合わせてドレスやアクセサリも用意してあった。それに事前に何度もテンペラタメンテ公爵家をゼクエと共に訪問し、良い関係も築いていた。


 婚姻の間ではテンペラタメンテ公爵が立ち会っていた。アマービリタはストラヴァガンテ公爵たちに立ち会ってほしくなかったので拒否したのだ。

アクアメンテと、テンペラタメンテ公爵家に見守られてあたたかい雰囲気の中、二人は結婚した。


 結局、ストラヴァガンテ公爵の力では、夫人とシーミレに食い尽くされた資金の回収も出来なかったし、立て直すことも出来なかった。だがそんな落ちぶれた領地など誰も欲しがらないし、長年のアマービリタへの仕打ちも知れ渡ったため、誰も手も金も貸してくれなかった。

 没落寸前になった時にアマービリタの提案で、テンペラタメンテ公爵家がストラヴァガンテ公爵家を吸収する形で手を差し伸べた。

 すでに単なるやせこけたジジイになっていたストラヴァガンテ公爵は、テンペラタメンテ公爵に縋りついて感謝したが、ストラヴァガンテ公爵は、自分がかつてアマービリタを飛ばした田舎の屋敷に隠居するように言われ、生涯そこに引きこもって暮らすこととなった。


 ストラヴァガンテ公爵は、一人になった寂しさから、今さら夫人たちを呼び戻して一緒に暮らそうとしたが、彼女たちが領地外の街に移動したのまでは確認できたのだが、その後は誰も知らない。


 ストラヴァガンテ家に長年勤めてきた執事と使用人たちは、そこに引っ越してきたゼクエ次期公爵とアマービリタ夫人にそのまま仕えることとなった。


 幼少時のアマービリタが粗末な食事と小屋で生き延びられたのは、執事と一部の使用人のお陰だった。使用人たちの一部は朝、昼、夜の三交代で勤務をしており、その夜の担当者向けに夜食が作られていた。それを執事やアマービリタに同情していた警備員の一部が、毎日アマービリタの小屋に運んでいたおかげで、十分とはいえなかったが飢えずに済んだのだ。


 公爵と夫人たちが出かけている間は、使用人のだれかがアマービリタのいる小屋に行き、窓越しではあるが会話を交わしていた。

 また公爵夫妻が読みもしないのに取っていた情報誌をこまめに差し入れていたおかげで、アマービリタは情報に取り残されることもなかった。


 そんな優しい使用人たちにアマービリタは感謝しており、堂々と次期公爵夫人として屋敷に帰ってきて、彼らを引き続き雇ったのだ。ストラヴァガンテ家が落ちぶれて彼らに出す給料がなくなったときも裏からこっそりと渡していた。

 「だって、みんな、私にそうやって差し入れをしてくれたでしょう?」と言いながら。


 アマービリタはその後、公爵夫人として、テンペラタメンテ公爵家に資金を援助してもらいながら、元ストラヴァガンテ家の領地を建て直し、発展させ、援助してもらった以上の資金をテンペラタメンテ公爵家に返還した。

 ゼクエはアクアメンテの侍従兼護衛となり、第三王子の日々を支えている。


 第三王子は第一王子の補佐としてこの国を支え続けた。


 もちろん、第三王子も公爵も、場面によっては非情に振舞わなければならないときもある。公爵夫人となったアマービリタにも。


 そんな時、相手に悪女が!と罵られたアマービリタはにっこりと笑って言うのだ。


「ええ、悪女ですが、何か?」



おわり。



最後までお読みいただきありがとうございました。

面白かったなとおもっていただけましたら、イイネを押していただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ