4 『少女と若い狼の、廻る世界の物語』
村人たちは各々、斧や鍬を携えて打って出てきた。ヴァルウスは男たちに最初で最後の一撃をくれてやる。誰一人としてその毛皮に得物を触れさせることはできなかった。男たちが十人ほどやられてからは、皆武器を捨てて逃げ出した。男も女も関係ない。ヴァルウスはその杭を、かぎ爪を、太い腕を、人間たちに与えてゆく。それぞれに一度だけ、確実に頭を撃ち抜くように、素早くとどめを刺してゆく。
一刻ののち、村は地獄の様相を呈していた。阿鼻叫喚の有様に思わず顔を顰めるヴァルウス。自らの行いを嫌悪しながら、血に濡れた体を引きずって森に向かった。
流石に、もうすぐ死にそうだ。
あの子供のために、倒れるわけにはいかない。
ヴァルウスが巨石に着くと、神は石に腰掛けて本を読んでいた。こちらの気配に気がついて顔を上げると、今度は少し面白そうに笑った。
「良くやるね。神経を疑うよ」
「まともな神経なんざ持ち合わせちゃいない。さぁ、邪魔はもうなくなった。この世界を、書き換えてくれ」
神は本をパラパラと捲って、それから最初のページを見た。
「ふむ、なかなか上出来なシナリオだったけどなぁ。しかし登場人物が思惑を超えて動いてくれるのも、作家冥利に尽きるってものかもね。よし、承った。それじゃあ、こう言うのはどうかな。まずあの子の年齢を十歳に戻そう。それで数十年前のーー」
「それでいい。俺の記憶は確かに覚えている。思い出したんだ、あの日のことを」
ヴァルウスは、自らが名前を手に入れた日を思い出す。神から、ヴァルウスになった日のことを。長い一生の中で、最悪かつ最高の日のことを。そして今、この物語は終わろうとしている。
これで、いいんだよな、エルザ。
そうだよヴァルウス。これで、いいんだ。
まだこの世界に残っているエルザの魂が言った。
そう、これでいいんだ。
そこで神がパタンと本を閉じる。
「さて、準備は終わったよ。お話はクライマックスだ。ヴァルウスと言ったかな、そろそろ君は死ぬだろう? 再び過去の役目に戻るのだから、今は休むといい。また何十年か経ったら再び会おうじゃないか。今と全く同じ光景を拝む日まで、その赤ずきんのことを守るといい。さーて、僕は次の仕事に行かなくちゃならない。そろそろお暇させてもらうよ」
「感謝します」
「されても困る感謝さ。さぁ、お終いの時間だ。じゃあね、狼さん」
神はそう言って、新しく頭巾を被せられた少女を指さした。少女の体は白く光って、それから跡形も無くなった。同時に神もかき消えた。
ヴァルウスは石を背に座り込む。
流石に、疲れたな。
あたしも最後まで見守ってしまったよ。
任せると言ったのは誰だったんだろうな。
ふふ、あなたが草臥れて失敗するかも知れなかったから。
失敗はしないさ。俺の記憶が知ってるよ。
そうだね。それじゃあ、そろそろ目を瞑ろう。きっとすぐに会える。
俺は、君に感謝している。
あたしもだよ。
緩やかな風が吹きやんだ。
俺は、僕はーー
二度目だけど、私も言おう。
狼は目を閉じる。森の匂いを胸一杯に吸い込んで、呟いた。
「「ありがとう」」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
若き神は、村を守っていた。もうすぐ収穫祭だ。捧げ物をもらわないといけないし、村の人たちを無事に冬越しさせなくちゃならない。
しかしまあ、仕事に取り掛かるのは明日でいいか。
すると、草原に寝転ぶ若き神を覗き込む者がいるではないか。
「な、なんだなんだ、って、人間!?」
赤い頭巾のかわいい少女が覗き込んでいる。目は泣き腫らしたように腫れているし、血の匂いがするけど、それでもかわいい少女だ。
「君は、ここの神様だよね」
人間に話しかけられて驚いて、神とは思えない変な声をあげて立ち上がる。
「僕が見えるのか?」
「見えるよ。今度はちゃんと、見るんだ」
少女は赤いずきんをむしり取って、遠くに放り投げた。
「人間、物をぞんざいに扱うなよ」
「いいの。あれはもう、きっと必要ないから」
少女はくるりと踵を返して目の前に立った。
「な、なんだよ」
「あなた、名前は?」
名前なんて、無闇に語る物じゃない。それに若い神には名前がなかった。ただ、狼という種族の神であるだけだ。
「名前なんてねえ。僕はこの森の神だ」
「そっか。じゃあ私が名前をつけてあげるよ」
血の匂いのする少女は笑って言った。
「それじゃああなたの名前はヴァルウス。白い狼って意味よ」
「安直だな」
「恩人の名前だよ。きっとあなたも気にいるわ」
ヴァルウス。何度か口に出して言ってみる。
「悪くは、ないな」
ヴァルウスとなった神は、少女の名前を聞いていなかったことを思い出した。
「人間、名前は?」
すると少女は悲しそうな顔をした。
「私はね、とっても悪いことをしたの。名前も忘れちゃった」
そうか。血の匂いがするもんな。
だけど、どんな人間からも匂う匂いがしない。人の心の闇の匂い。悪い心の匂いが。
「君は、いい人間なんだな」
「そんなことないわ」
「いいや、君はいい人間だ。少なくとも今は、いい人間になったんじゃないかな」
それにしても。
「名前が思い出せないのに僕に名前をつけたのか」
「ヴァルウスに名前をつけることは決まっていたから」
「じゃあ僕からも君に名前をあげよう」
名前をつけるってのは、神との誓い。森の神の僕と、世界の神と、それからこの少女の誓いだ。
神は少女に名前を告げる。
「決めたよ。君の名前は、エルザだ。君はきっと、僕にとって大きな役割を果たす。その時まで、僕が君を守ろう」
狼が、ヴァルウスが立ち上がる。澄んだ小川が流れ、人々が空を見上げて暮らす草原を、森を、大地を、大いなる自然を眺めて、呟いた。
「うん。今日もいい日になりそうだ」
はい、ということで赤ずきん編の本編がここで一旦終了になります。次話で、ストーリーテラーさんのお話が少し入った後に、また新しい話が始まります。
といっても、この長編のラストの構想は既にあるんですが、どの童話を順番に投稿するかは全く決めていないという……。とりあえず、以前投稿したジャックと豆の木を少し改変して投稿しようかな……。無計画でお恥ずかしい限りです。
狂炎のヴェガ、テンポは遅いですが丁寧に書いているので、よかったら是非、おねがいします!