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3 『赤ずきん』

 白ずきんは目の前が真っ暗になった。おばあさんを殺した狼に何かされた。撃っても死ななかった。





 怪物だ。怪物だった。手に負えない怪物。





 視界が開け、何事かと顔を上げた白ずきんは、何年も昔の情景に立っていた。目の前にはもっと幼い自分の姿。


 四歳の私だ。


 四歳の私に優しい視線を落とす父親の姿。こんな光景はあり得ないはずだ。白ずきんは再び頭巾の内側に目を向けようとするが、既に頭巾を被っていないことに気がつく。


 四歳の私は、突然お父さんの首に噛み付いた。


『痛いっ、何をーー』


『だってね、お父さんの首を噛み切ったらいいって夢で聞いたの!』


「お、お前は、一体どうした!?』


 それから情景は一変して、十歳の私が立っている。目の前には首を押さえるお父さんの姿。


『えへ、お父さん、早く私にお父さんをーー』


『こっ、この呪われた人狼が!』


 白ずきんは思い出す。あの時私はお父さんを噛み切ってしまいたいと、本当にそう思ったんだ。お父さんは私に恐怖して拳を振り上げた。そこで、


『何をしている!』


 当時の神父様だ。一緒にお母さんもいる。本当に完璧なタイミングで止めに入った。そう、あり得ないほどのタイミングで。まるで部屋の外で待っていたのではないかと思うくらいに。


 ……もしそうだったら?私の知ってたはずの過去と違う。けどこれが真実なのは本能で分かった。それなら今までの記憶は嘘?


 お父さんが部屋を飛び出して行く。それから帰ってくることはなかった。


 それからは目まぐるしく変化する景色。祭壇に血を注ぎ、残忍な笑みを浮かべる神父様。神父様とお母さんが恋仲にあったこと。人が気遣って掛けてくれる声を無視する私。徐々に優しさが失われるお母さん。


 濡れる手を見下ろす。私の手は赤く染まっていた。森で倒れる神父様。傍に転がる斧。遠くからそれを見ているお母さん。それから目の前はどんどん暗くなって、人の目が怖くなった。いつも頭巾を被って目をやり過ごす。人にバレてしまう恐怖だけが蝕んでゆく。罪悪感はなかった。寧ろ自分の思い通りにことが進んだ喜び。罪悪感は無いはずなのに、周囲にバレてしまわないかと言う恐怖。


 起こり得ない感情の矛盾の板挟みになって、それからお母さんを見た。お母さんの顔には引き攣った笑顔が張り付いていた。


 それからお母さんが私に何かを諭したり、説教することは無くなった。ただ私の機嫌を取るように立ち回って、親子としてのやりとりは減って行った。


 私は頭巾の内側だけを眺めて生きるようになった。罪悪感なんてないと、自らに確認をとって、それから人の目を気にするように避けて、自分の罪を知っているお母さんと、悪いことをいっぱい知ってる猟師さん、それから他所から来た神父様、最後に不思議なおばあさん。他の人の前では殆ど口を開くことはなくなった。


 お父さんのことを悪く言って、私を知らない村の人たちを見ていて、私もお父さんが悪かったのだと思うようになった。思うようにした。それで都合よく忘れたふりをしていたんだ。


 再び景色は移り変わり、猟銃を担いで道をゆくさっきの私がいる。


 猟師さんが私に言った。


『白ずきんちゃん、おばあさんの家に行っては駄目だぜ。悪い神様がいるからよぉ。あのおばあさんは悪魔の手先って話だし、どうせ魂を悪魔に売ったんだろうよーー』


 私は目の前が真っ暗になるのを感じた。それはおばあさんを悪く言ったから。猟師さんだって悪いこともしてるはずなのに、それでおばあさんを悪魔の手先って言ったんだ。私が一番大切にしてるおばあさんのことを。


『だからって殺すの?』


 背後からかけられた声に振り向く。そこには赤い頭巾の女が立っていた。


『酷いことを言ったら殺していいの?』


 そのまま赤い頭巾はこっちに近づいてきた。


『気に食わなかったら殺していいの? お母さんを取られたら殺していいの? 森の神様を、殺していいの?』


 赤い頭巾の女が私の顔を覗き込んだ。


『自分の心を、周りのせいにしてその白い頭巾で隠した気になって、都合よく忘れて頭がおかしい子供のふりを演じて。自分には呪いがかかってるから仕方がないって、そうやっていつも自分は悪くない、何もやってない、そうやって正当化して。その白い頭巾が答えでしょ?』


 何を、何を言ってるの、この女の人は。私が悪いことをしたはずが、ない。一歩後ずさると、足元に柔らかい感触。下を見れば死んだ猟師さんだった。


「うわぁぁぁああ!!!」


『いい加減に気づいたらどう? あなたの白い頭巾が答え。周りにバレるのが怖いって言うのを理由に頭巾に顔を隠して、自分は悪くないけど周りの人からすれば自分が悪いからって記憶を封じて。あなたがそれを被ってる理由なんてひとつしかないじゃないーー』


 赤い頭巾の女は、それから私の顔をもう一度覗き込んだ。


『ーー罪悪感が、あるからでしょ』


 白ずきんは気がつくとおばあさんの部屋に戻っていた。


 そして、自らがやってきたことを知覚した。


 なんてことを、してしまったんだろう。


 膝から床に崩れ落ちて、目の奥に鋭い痛みが走った。何かから隠れたくて頭の頭巾を剥ぎ取って顔に押し当てると、それはもうすでに白い頭巾ではなくなっている。


 猟師と狼の血に染まった頭巾は、もう白くはない。赤く染まった死の塊。


「手に負えない怪物は、私だ」


 堰を切ったように記憶が流れ出して、真実を思い出したのだ。


「私は、罪悪感に……ほんとは罪悪感でいっぱいだった。それを忘れようとして、忘れて、周りが悪い、自分は悪くないって。人のせいにして呪いのせいにして。私はもう」



 白ずきんなんかじゃない。



「これじゃ、赤ずきんね。早く、死のう。私は、随分と汚くなっちゃった」


 赤ずきんは、狼に目を向ける。


「狼さん、あなたを撃ってごめんなさい。私は、ほんとは悪い人なの。全部全部全部、私が悪かった。出来ることなら、私を食べてくれる? もう生きる資格はないんだ。だって私は誰かの人生を奪っちゃった」


 狼は、悲しそうに言った。


「ようやく理解、したのか。君に死の救済は与えられない。その罪に、人の闇に、向き合わなければならないのだ。背負え。背負って歩け。きっと君の行く先には安らぎがある。人に尽くせ。人を助けろ。奪ったものは戻らずともその身を捧げて人に仕えよ。そうして何年も何年も、何十年も経って、それから死ね。自分が生き延びた理由を最後に知って、それから人に任せればいい。だから君は、生き延びる。今名乗ろう。俺の名前はヴァルウス。過去も今もこの先も、この土地を守る神の名だ」


 白ずきん、いや、赤ずきんは意識が遠のくのを感じる。最後に見えたのは、覚悟を決めたような狼の顔だった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 ヴァルウスは、森に隠された古い巨石の前に立った。腕には眠る赤ずきんを抱いて、決意する。


「神よ。物語の神よ! かつて私を神にしたあなたに願いがある!」


 一度だけ、物語の神に会った。それ以来この石に語りかけてもなんの返答もなかったが、今ならわかる。今がその時だ。


 再び呼びかけた時、石の表面に紋様が浮かんだ。ヴァルウスは手のひらを石につけ、言った。


「叡智こそ全能の力なり」


「やぁ。久しぶりだね」


 神が、やってきた。ヴァルウスは神に語りかける。


「この世界の、この村の物語を書き換えてくれ。罪は俺と、この子供が背負うんだ」


「随分と本題に入るのが早いね。久しぶりに呼ばれたって言うのに、まあいいよ。僕は知ってると思うけど簡単に干渉することはできないんだ。新しい物語を書くとき以外ね。しかし今回はしてあげなくもない。だけどーー」


「分かってる!」


 ヴァルウスはもどかしく思った。そんなことはわかっている。この世界の人々の同意がなければ書き換えられない。


「おや、じゃあ君は僕に住人を消せと? でも住人がいる限り書き換えることはできないよ」


「……全員が、村の住人がいなければいいんだな」


「……そうとも言えるね」


「今から俺は、この村を壊滅させる。このたった一人の少女のために」


「その子は犯罪者だよ?」


 ヴァルウスは、躊躇いがちに言葉を吐き出す。


「……被害者でもある。それもあなたの。彼女から悪魔の気配がした。かつてこの村にいた神父の仕業だろう。いや、そもそも仕組んだのはきっとあなただ。この子は人を殺めた。その過ちを正すことはできない。ならばこの子と、俺が背負うしかないんだ」


 一見楽しそうに、そしてどこかつまらなそうに神は嗤った。


「そうかいそうかい。止めはしないけどね。僕は世界の人々には自由に生きてもらいたいから。君が全員殺したってそれもまた真実なのだろうよ。じゃあ、いいんだね本当に」


「彼らは救うに値しない住人たちだから。通行人を殺して生計を立てる人間たちなら、自分たちが殺されても文句は言えない。だから俺はこの子のために、全員を潰す。神よ、願いを聞いてください」


 やはり神はつまらなそうに愛想笑いを浮かべた。


「じゃあ、早くやってきな。その子は見ていてあげるから」


 ヴァルウスは、森の神として、この世界の住人として最後の仕事に出た。通行人を殺して金品を奪い、生計を立てる犯罪者だらけの村だ。罪には罪をぶつけねばならない。


 村の入り口に立つ。それから杭を一本抜いて、門に叩きつけた。木の折れる鈍い音に何事かと村の男衆が出てきた。


 村の入り口に立つ狼を見て、男たちは口々に叫んだ。


「「「悪魔だ! 悪魔が来たぞ!」」」

赤ずきんになりましたねえ。そして神が登場しました。これはもしかして、というところで、赤ずきん豆知識!


赤ずきんとしてよく知られるのはグリム童話に収録されているものですが、作品として最初期のものは、フランスの詩人、シャルル・ペローが書いた、ペロー童話集に、収録されています。


ちなみに、ペローが考え出したわけではなく、スウェーデンに伝わる民話【黒い森の乙女】や、フランス、イタリア、オーストリアなどにも類似した物語が語り継がれています。ペローもグリムも、創作ではなく聞いたお話を纏めたんですね。


それでは、続きをお楽しみください!

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