1 『白ずきんと獣の呪い』
「初めのお話は赤ずきんだ。君もよく知っているだろう。赤ずきんと呼ばれる少女が狼に騙されて道草をする、その間に狼は少女のおばあさんを食べて、おばあさんに変装して赤ずきんを出迎える。赤ずきんは食べられてしまうが、通りがかりの猟師に助けられ、みんな助かってめでたしめでたし。いやはや、なんとも中身のないものに書き換えられてしまったよ」
呆れたように語り部は呟いた。
「元の話を知ってるかい? 原型は違った。誰も助からないし、狼だけが肉を食らって得をした。猟師だって存在していたけど狼を撃っちゃいない。後付けなのさ。ペローの赤ずきんが最も真実に近い。赤い頭巾はペローの創作だが間違ってはいないしね。そのあとルートヴィヒ・ティークが猟師を登場させ、グリムが赤ずきんたちが助かるようにした。どんどん大衆が読める作品になっていったわけだ。狼に気をつけろという警告から、作品として洗練されていったんだね」
悪いことではないけどね、と語り部は笑う。しかし良いことでもない、とも言って、また笑った。
「真実を伝えるべきか、物語は君たちの言葉でいうフィクションでいいのかっていうのは、これも大きな問題なんだよ。例えば君が、通常の客人なら僕はグリムが書き換えたものか、ルートヴィヒ止まりにすると思う。しかし君は違う。僕は真実を伝えなければならないね。だからこそ話そう。これが、本当の赤ずきんだーー」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
昔々、昔と言っても銃が普及し始めた頃、歳のほどおよそ二十を回る女がいた。女は小さい頃からその容姿を変えることなく歳を経て、知らない者が見たのなら、きっと子供に見えただろう。女は幼いまま姿形の変わらない自らを隠すように、いつも白い頭巾を被っていた。村の人間たちは、初めのうちは白ずきんちゃん、白ずきんちゃん、と悪意なくあだ名をつけて呼んでいたが、いくら話しかけても素っ気ない女に、次第に愛想を尽かして語りかける者は減っていった。
そんな白ずきんに話しかけ、優しく接する人が数人だけいた。まず母親、村の神父、それから山に暮らす猟師、そして森に住むおばあさん。父親はと言えば、言ってしまえば白ずきんが頭巾を被る要因だった。散々白ずきんに『お前は呪われている』と言い続けた挙句、あろうことか娘に手を出して神父に咎められ、村から出ていった。
ある日、白ずきんは猟師の小屋に行くと、猟師からとある話を聞いた。
「白ずきんちゃん、お前さんが嫌っているその容姿だがね、もしかしたら獣の呪いかもしれないぜ? うちの師匠がこの間話してたんだけどよぉ、獣の中でも力のあるやつは子供の肉ってのを好むらしい。んで、刻印てのを刻んどいて子供のまま保存するってわけよ。数十年放置することもザラにあるらしいからすぐ心配する必要はねえけどよぉ、白ずきんちゃんに呪いを掛けた獣ってのを倒してみねえか? そこでだ、ちょうど今、賭けで勝って良い銃を三本ほど手に入れたんだ。一本貸してやるからよ、見つけたらコイツをぶっ放すと良い」
赤ら顔でそう叫んだ猟師は楽しそうにケタケタと笑って随分と失礼な発言をしたことにどうやら気が付いていない。
一方で白ずきんだが、彼女の精神は二十とは言い難い。父親からの執拗な虐待のせいか、はたまたその容姿のせいか、時折賢い気配もあるが基本的に子供のそれと大差なかったのだ。
今白ずきんの頭にあるのは、自分に掛かった呪いの原因を倒せるかもしれないということだけ。白ずきんは猟師の差し出した重い猟銃を掴んで、その子供の容姿からは想像できないほど軽そうに、その銃を担いで出ていった。
白ずきんはそれから何日も、森を歩いて獣を探した。どんな姿かは全く知らない。猟師も半分酒の勢いで言ったのだから。しかし白ずきんの頭の中にはひとつの情景が浮かんでいた。
それは10年ほど前のある日のこと。森に散歩に出掛けている時に、何やら背後から木の枝が折れるバキバキという音が響いた。咄嗟に振り返ると、口を血に濡らした大きな白い狼の姿。きっとそれから成長が止まったんだ。白ずきんは確信めいたものを感じずにはいられない。あの狼こそ元凶だと。白ずきんは狼を探して森をひたすら歩いた。
ところで白ずきんに対して優しく接する人間は、何かしら理由があった。母親はもちろんのこと、猟師は不思議なものを見慣れているし、神父は全ての人間を分け隔てなく大切に思っていた。では森に住むおばあさんはどうだろうか。
この森に接する村にはとある土着の信仰が残っていた。それを守るものは誰もいなくなって、今ではキリストを信じるものがほとんどである。しかし、伝統は伝統であり、土着の信仰はうまく宗教に取り入れられていたのである。
とある獣の神、それがこの村の守り神であった。かつて人々から信仰され、捧げ物と引き換えに村を守っていた獣は、いつしか巨大な宗教に呑まれ、遂には神ではなく悪魔の獣として、年に一度その獣を狩る、という祭りにとって代わっていた。獣は何千年もの時を生き抜いた神獣だったが、人間の信仰は形骸化し、今となっては悪魔呼ばわりである。かつての力はとうに失い、今はただ大人しくその体を休めていた。
さて、森に住むおばあさんとは数少ないその獣を信仰する人間、祈祷師であった。既に村に獣を信仰する人間は片手で数えるほどになっていたが、おばあさんはその中でも最も獣に近い人間であり、数十年前では巫女として大切にされていたのだ。
信仰がなくなった現在では悪魔を信仰している年寄りだと、森の端に半ば追い出されるように暮らしていたが、おばあさんは白ずきんが特別な子供だと知っていた。成長が止まっているのではなく、子供の魂を無くさずに保っている、最も純粋な存在だと。獣が関係していることも分かっている。
おばあさんは近頃、自らの死期を感じ取り、白ずきんに全ての知識と信仰を与えるために自らの家に来るように呼びかけた。白ずきんの母親も獣を信仰する一人であり、白ずきんにおばあさんの家に行くように言って、手土産として葡萄酒を持たせた。
白ずきんは猟銃を片手に、もう一方の手に葡萄酒の瓶を抱えた家を出た。いつもの道をてくてくと歩いてゆくと、道が倒木で進めなくなっていた。仕方がなく遠い方の道に出ると、いつも話しかけてくる猟師に出会った。
「あれ、白ずきんちゃん。一体何しに行くんだい?」
白ずきんは、拙いながらもおばあさんが土地の神様について全てを教えてくれることを猟師に伝えた。
不幸なことに、白ずきんに優しく接する者たちはお互いに仲がいいかと言えば違った。漁師からしてみれば獣は狩るべき相手であったし、神父からすれば獣は異教の悪魔。母親とおばあさんだけは仲が良かったが、他は仲が悪かったのである。
そこで白ずきんから土地の神と聞いて猟師は考えた。おそらく白ずきんは呪いを掛けた獣と、その土地神が同一の存在だと知らないのだろう。でなければ獣を狩るための猟銃を持ち歩いているはずがないのだから。
特に猟師はおばあさんが悪い神を信仰していると信じていた。そこに行くということは生贄になるようなものだ。
猟師は猟師なりの正義でもって、白ずきんに助言をした。
「白ずきんちゃん、おばあさんの家に行っては駄目だぜ。悪い神様がいるからよぉ。あのおばあさんは悪魔の手先って話だし、どうせ魂を悪魔に売ったんだろうよ。俺がどうにかしとくから今日はお家に帰るといい」
これまた不幸なことに、白ずきんは自らに優しくしてくれる人間の中で、母親よりもおばあさんを信用していた。父親から助けてくれなかった母親よりもおばあさんを信じていたのだ。
猟師がおばあさんを悪魔の手先呼ばわりしたことに、白ずきんは激昂した。そして唐突に、そう、本当に唐突に猟師に猟銃を突きつけて、そのまま引き金を引いた。
撃鉄がカチリと鳴って、続いて鳴り響く破裂音。火薬の臭いとむせ返るような死の匂い。ゼロ距離で猟銃に撃たれた猟師は、驚きの表情を浮かべて頽れた。
「な、んでーー」
「おばあさんを、悪くいうから。大丈夫寂しくないわ、また後で会いに来てあげるから」
白ずきんは、人が銃で撃たれたら死ぬということを理解していないかのように言い放つ。無造作に猟師を跨いでから、弾を装填しようとするが上手くいかない。白ずきんは銃を捨て、代わりに血に濡れた猟師の銃を二丁、手に取った。
「借りていくね」
白ずきんは再びおばあさんの家を目指して歩き出した。
初日なので赤ずきん編を一気に投稿しちゃいます!
色々よろしくです^_^