追放聖女は魔王と共に
知っている事と知らない事の間には、天と地ほどの隔たりが存在する。
◆
「ミランダ・ホワイト。貴様の聖女資格を剥奪する」
唐突に拘束され、無理矢理に連れられた私にかけられたのは、そんな言葉だった。
「お待ち下さい! 私が一体何を……っ!」
「黙れ! 言い逃れは通じないものと知れ!」
司祭様は、普段の温厚さからは考えられないほどの剣幕で声を荒げる。
「貴様は禁忌に手を染めたのだ! 今まで育てた教会に背を向ける行為である!」
「き、禁忌!? 私がですか!?」
まるで身に覚えのない事だ。
私がこの教会を訪れたのは、六歳の頃だ。
元々は貴族の生まれだったが、上に三人も姉がいたために不要となって出家した。貴族教育を受けていない私では分からないが、血を分けすぎると争いに発展する場合があるらしい。
そんなわけで、私はその家から外され、この教会にホワイトという名をいただいた。
それから半年後、私に魔法の才能がある事が発覚する。やはり貴族の血がそうさせたのかもしれないが、今の私は教会に尽くすただの修道女である。
表向きは一般から出た魔法使いという事で、とても話題になった。
そこから二年半、私は白の少女と呼ばれるようになった。
特別に得意だった治癒魔法を使い教会に貢献し、誰ともなくそのように呼ばれるようになったのだ。清廉さを言い表すよい呼び名だと司祭様は褒めてくれたが、私は少し恥ずかしかった。
そしてさらに五年経ち、私は正式に聖女の位を賜った。
長年教会の運営に貢献し、人々を心身ともに救ってきた功績への賞賛である。
それから現在まで三年間、私は教会に仇なす事など一度もしていない。
魔法の研究を始め、より多くの民を救おうと尽力してきたつもりである。
「ち、誓って私は禁忌になど手を染めてはいません! 何かの間違いです!!」
「ならばこれは何だというのだ!!」
司祭様が私の目の前に叩きつけたのは、薄灰色をした液体を滴らせる小瓶である。紛れもなく、私の研究していた魔法塗料だ。この物質で陣を描く事によって、私が研究している魔術の効力を飛躍的に高める事ができる。
「これは……」
「貴様の部屋から見つかった! これをどう説明する!?」
「こ、これが禁忌とおっしゃるのですか!?」
「質問しているのは私だ!!」
何の事なのか分からない。
私はただ単に効率的な運用を目指して研究を続けていただけだ。これによって環境が汚染されるとか、生贄が必要だとか、そういったものは当然気を付けている。
そんなものは魔法ではない。私は人々を豊かにしたいだけなのだ。それが果たせないようで、何故研究などできようか。
だが、司祭様の怒りは本物である。
その理由は、間をおかずすぐに知らされる事となった。
「貴様、禁書庫に立ち入ったな!」
「な、何を……!?」
禁書庫。この教会に納められる多くの禁書を封印した一室の事である。
かつて王家が禁忌に触れた書物を焚書しようとしたところ、かけられた呪いの暴走によって多くの被害が出たらしい。それからというもの、禁書を見つけ次第教会が厳重に封印する取り決めなのだ。
「これは、禁書庫に秘蔵された古代魔法の一端だ! これを見たという事は、貴様は他の物にも目を通しているな!!」
「お待ち下さい! 全くの偶然です!」
当然、私は禁書庫になど入っていない。どこにあるのかも知らないくらいだ。本を読むどころか、表紙を盗み見た事すらないというのに、何故その内容を知る事ができるのでしょうか。
ただ全くの偶然で、似た魔法を開発してしまった。それが罪になどなるはずがない。
「今まで育ててやった恩も忘れ! よくもこんな事ができたものだ! この話は既に国王陛下へと届いている! 陛下はこう仰せだ! 『罪人など初めからいなかった』とな!」
「そんな!?」
その言葉の意味が分からないほど、私は愚かではない。
つまり、私など初めからいなかった者とせよ、と言っているのだ。
「その首を晒し物にできぬ事のみが唯一の悔いだ! しかし! 貴様は二度とこの地をその足で踏む事はできん!」
意外だが、涙は流れなかった。
ただ震え、話す事ができなくなり、止めどない吐き気に喘ぐのみだ。
本物の恐怖とはこうも苦しいものなのか。産まれて初めての感覚に、私の心は追いつけそうもない。
対応は、あまりにも早かった。
私は、どうやら戦死した事となるらしい。
王国が先日行った魔族との戦争。それは魔王を退ける大戦果であったものの、こんな時に教会の不手際が発覚するのは国内に混乱を招く。故に、私はその戦争で命を落としたものとして処理し、遺体も回収できなかった。
そういった政治的判断により、私の処罰は定められた。
今、私は馬車の中にいる。聖女である私は有名なので、顔を隠して服もいつもの物よりずっと見窄らしい物を着せられている。その上で乗合馬車のように偽装された古臭い車体に押し込められ、私は戦跡へ赴こうとしている。
鉄と焦げの臭いがだんだんと強くなり、戦士ではない私ですら近づいたのだと理解できる。
「間も無くだ」
付き添いに、司祭様と数人の修道士が乗り合わせている。全員が農奴のような格好をしており、およそ宣教師のようには見えない。
本来であれば罪人の護送などという仕事をする身分ではないが、その罪人が私であるという事実を秘匿するために仕方なくこのような人選になったのだという。
怨めしそうな瞳が、道中ずっと私を見ていた。
「降りろ」
「……はい」
手を縛られ、足を繋がれ、動きにくい格好でどうにか馬車を降りる。
逃げる事などできるわけがない。例え、この命があと数分程度で失われてしまうのだとしても。
「この私自ら貴様の首を刈れると考えれば、このように屈辱的な格好をした甲斐もあるというものだ」
「……最後に一言よろしいですか?」
「いいや? もはや異教徒となった貴様には人としてあるべき権利の悉くが認められん」
ただ一言、今まで育ててくれたお礼がしたかった。恨み言を言いながら死んでいくのはごめんだったからだ。
しかし、それすら許してくれないらしい。私はただ、善人として死にたいだけなのに。
他の誰かが認めなくとも、他の誰もが認めなくとも、たった一人、自分だけは自分を信じたくて。
この瞬間が、一番辛かった。
私はもしかしたら、死の瞬間に恨んでしまうかも知れない。口汚く司祭様を罵るかもしれない。
それが一番恐ろしかった。
司祭様が魔法を使おうとしている事を感じる。
魔力の流れが、私の首筋を狙っているのだ。
目を伏せようと、瞑ろうと、背けようと、これまで研鑽してきた魔術師としての感覚が知らせてきてしまう。命を散らす瞬間が、間違いなく目の前にいるのだと。
そして、私は——
「ウロォオオオオオ!!!」
——そんな、叫びを聞いた。
「なんだ奴は!? 撤退! 撤退ィ!!」
「司祭様! 女は!?」
「あの化け物に殺してもらえ!!」
現れたのは、真っ黒の怪物だった。
獅子のようなタテガミと、山羊のようなツノを持った魔物。そして、特筆すべきはその巨躯である。なんと、馬車を二つ並べて更に三つ積んでも及ばないだろうと思われるほどの大きさなのだ。
司教様は酷く戦いて、一目散に馬車へと走る。修道士たちもそれに倣い、次々に馬車へと乗り込んでいった。
全員が乗ったのを確認する前に馬車は出発し、どうにかそれに乗り込もうと何人かの修道士が魔法を使う。転げるように荷台へと入る様は、とても無様で滑稽だった。
「……まぁ」
逃げ遅れたのは、私だけ。
いや、逃げられるはずなどなかった。私は両手足を鎖で繋がれ、ゆっくりと歩く事で精一杯の有り様なのだから。
「貴方、怪我をしているじゃありませんか……」
「…………」
魔物の屈強な肉体は、至る所が傷ついていた。血液が滴り、自慢のタテガミもベットリと顔に張り付いている。
その目はウツロで、今にも倒れそうだと感じた。
いや、事実倒れてしまった。私がそう感じたその瞬間に。
◆
「……う」
「お目覚めですか?」
「!?」
不思議な事に、魔物は気を失ってしばらくすると身体が縮んだ。最終的に私よりほんの頭ひとつ大きいくらいに収まり、体毛も牙もどこかに消えてしまったようだ。
見た目はまるっきり人間で、ツノの生えている事だけが違っている。それ以外は少々肌が浅黒い程度の、ごく普通の男性だった。
「無理をしてはいけません。怪我をしています」
「さ、触るな人間!」
ツノの方は、ひどく怯えて飛び上がった。
「落ち着いてください。私は危害を加えるつもりはありません」
「信じられるものか! この俺を謀って毒を盛っただろう!」
見るからに混乱している。
私は聖女として多くの人間と接してきたが、人間を嫌う魔物(?)とは話した事がない。どう対応するべきなのか判断がつかないし、なにより初めてこんなに拒絶されたのでかなり傷ついている。
「事情は存じませんが、ひとまず休まれてはいかがでしょう? そんな身体では怒る事もままならないでしょう」
「…………」
納得した……わけではないのでしょう。
ただ、暴れる事はやめてくれたようだった。
顔には出さないが、深く安堵する。いくら私が聖女であったとしても、暴れる殿方を無理矢理に治療する事などできないのだから。
◆
「して、首尾は?」
「ご意志のままに」
王国。王城。玉座の間。
一見して人の良さそうな笑みを浮かべて、司祭は首を垂れていた。
相手は、この国の支配者。司祭に残酷な命令を下した張本人である。
司祭は、事実を正確には伝えなかった。ミランダが死んだだろうと思われた事は間違いないが、それを確認したわけではないのだ。さらに言えば、化け物を見た事も伏せていた。
あたかも完璧な仕事をしたかのような報告は、それが大事である事を知らなかったために行われた。
何が起こるはずもないと、少なくともその時までは信じていた。
「そうか。此度の働き、大義である」
「陛下の慧眼あっての事です」
国王は司祭の言葉に喜ぶでもなく、ごく当たり前な事として受け止めた。狡賢い鷹を思わせるその瞳は、言われ慣れた世辞に一々反応したりしない。
「せっかく魔王を退けたというのに、国内に反乱分子があっては事だ。近いうちに褒美を取らせよう」
「ありがたき幸せ」
魔王を退けた。
実の所、この言葉から連想されるほどの勇ましさは、この国にない。
白旗を振り、魔王を陣に招き入れての不意打ちである。それも、食事と称して毒を飲ませた。
むしろ、服毒した魔王を仕留め損ねた事は失態とすら言える。
しかし、それでいて、あたかも勇ましく、まるで魔王を討ち取ったかのように喧伝した。
それほどまでに、この栄光は魅力的なのだ。現に、多くの国が支援を申し出ており、国内の活気は以前と比べるべくもない。
ただ、それだけに不安がある事も事実だ。
「ならば退がれ。魔王を今度こそ仕留める策を立てねばならん」
「御意に……」
魔王の生存。
その事実がある限り、この栄光は一時的なものでしかない。今度こそ巨悪を討ち滅ぼすのだという一手が、今すぐに必要なのである。
司祭はその事を理解しているため、足早に退出する。
足早に退出しようとし……しかし足を止めた。
気が付いたのだ。自らの地位をより強化とする策。今度こそ魔王を仕留める策。今この時でなくては取れない策。
自らしか打てない策。偉大なる王ですら思い浮かばない策。
あるのだ。たった一つ。
幸運にも、今その事に思い至った。
「どうした?」
「陛下、恐れながら進言のご許可をいただきたく……」
「……ほう、かまわん。申してみよ」
「はい。まず、私が開発した特殊な塗料を用いれば、魔術陣の効果を飛躍的に高める事ができます。我が国の空間魔法と併用すれば、伝説に謳われる『召喚魔法』を再現する事ができるやもしれません」
特殊な塗料。言うまでもなく、ミランダが開発した物である。
これは、禁術に分類されるものであり、当然使用は許可されるはずがない。しかし、それは大した問題ではないだろう。禁書庫の内容は司祭のみが知っているのだから。
すなわち、王を始め誰一人として、禁術である事を指摘する者はいないのである。
「勇者召喚か……」
「はい。薄汚い魔族共を根絶やしにする英雄を呼び出すのならば、今をおいて他にありません」
魔王がまともに戦えない今、魔族に勇者を止める術はない。
魔族を滅ぼす上では、これ以上の好機はないだろう。
しかし、彼らは知らなかったのだ。
魔王が、急速に回復しつつあるのだという事実を……
◆
一休みすると、ツノの方はすぐに良くなった。
私の魔法が効いた事もあるが、そもそもの回復力がずば抜けているのだ。人間ではこういかなかったでしょう。毒によって衰弱しているというのなら、それはなおさらに。
私たちは、暇な時間を互いの事を話して過ごした。他に時間を潰せるものなどなかったし、何故だか彼には何でも話す事ができたのだ。
私が聖女である事も、殺されそうだった事も、彼は驚かずに聞いてくれる。
ただ、私はずっと驚きっぱなしだった。彼が魔族なのは一目瞭然ではあるが、魔族の常識は私のそれとは随分と異なっていたのだ。
ツノの方は、私が驚くたびに嬉しそうに微笑んだ。だからだろうか、私は新しい話を聞くたびにもっと大きく驚くようになってきていた。
そして、一番驚いたのは、彼が魔王であると名乗った事だ。
「でも……私、魔族の方に知り合いがいないので……」
「信じないのか。今目の前にいるというのに」
「比べる対象がいませんから。もしかしたら魔族の皆さんはみんなそのくらい強いのかもしれません」
偶然に出会った相手が最強の魔族であるなどと言われて、はいそうですかと信じられるはずもない。
それに、魔王とはもっと恐ろしい見た目をしていると聞いた。ツノの方は、ツノが生えているだけで、それ以外は普通の殿方にしか見えないのだ。
「俺くらい強い奴がその辺にいたら人間なんて三日で滅ぶが……」
「そうなんですか? それは凄いですね」
「反応が薄いな……あんな不意打ちがなければ、こんな真面目な姿を晒す事もなかったんだが……」
「いけませんよ、立ち上がっては。安静にしていてください。すぐに身体にいい物を作りますから」
戦争の跡地は不衛生なので、私たちは差し当たって森で休息している。ここも綺麗とは言えないまでも、死体の転がる荒野よりは遥かにマシでしょう。
そしてなにより、森の幸がある。料理はあまり得意ではないが、精進料理は多少覚えがある。聖女としての勉強が役に立った。
「動けないというのは中々に苦痛だ」
「我慢してください。包帯がないので、薬草を直接貼り付けるしかないのです。動いたら取れてしまいますから」
「治癒魔法というのは使えないのか?」
「使っています。出血を抑え、痛みを和らげ、薬草の効果を高めているのです」
「使い勝手悪いなぁ」
「こんなに強い毒でなかったならもっと簡単だったんですけれど……」
「そんなに強い物だったのか。道理で俺が死にかけたわけだ」
「普通即死なんですけどね……」
毒で死なない魔王に慌て、大急ぎで斬りかかった。全身の傷を見れば、その光景が見えてくるようだった。
傷は塞がりつつあるとはいえ、常人であれば五度命を落としてなお足りないほどの重体だ。流石は魔族というべきか。
当然、私の治療の賜物ではあるが、それでもこれまで生きていた事自体が驚異的であった。
「本当なら半年は安静にして欲しいんですけれど……貴方なら一週間もあれば動けるようになるでしょうね」
「当然だ。伊達に魔王はやっていない」
「はいはい……」
あと一週間。
その時間が経ったら、私はどうするのでしょう。故郷からは追い出され、行く当てもなく、聖女などという肩書きは何の役にも立たない。
魔族であるツノの方に手を貸すのは、そんな寂しさを紛らわせるためなのだろうか。
そう思うと、少し自分が嫌いになった。
◆
「素晴らしい!」
ミランダの手柄を取り、禁術に手を染め、司祭は高らかに笑う。
独力では決して辿り着けなかった境地。およそ目にする事の叶わないはずの地平。それが今、自らの目の前にあるのだ。
国にその名ありと云われる高名な魔術師が司祭の言葉により動く。この事実に、司祭は言いようもない快感を覚える。
聖女であったミランダ・ホワイトを思う通りに動かしていた時以上の優越感。自分が強大な生物となったような感覚は、性交はおろか薬物にも勝る最高の快楽だ。
司祭が知る中で、最高の娯楽である。
あと一週間。
勇者の召喚にかかる期間は、司祭な想像よりも早そうだ。
伝説の魔術が、たった一週間で完成する。これも全て自らのお陰であると、司祭は信じて疑わない。
例え、他人から奪った功績であろうと。
例え、他人を貶めて得た物を使おうと。
例え、自らは何も苦労してなかろうと。
「私の名前が歴史になる瞬間だ……!」
魔術師たちに命令を下す。
自らよりも遥かに強大な力を持つ者を、顎でつかう。
それでいて、歴史に名を刻むのは司祭なのだ。
たった一週間。
たったそれだけの時間である。
◆
「驚きました……」
「何が?」
私は、自分の目を疑った。
ツノの方の治癒力は人間の常識を上回ったものであると理解していたはずなのに、そんな私の想像をさらに上回るほどの奇跡的な回復である。
一週間もすれば動けるなど、とんでもない。一週間もすれば、ツノの方は完全に回復してしまったのだ。
「あの怪我を二、三日で治し……食欲も旺盛……五日を待たず動けるようになり……一週間で傷跡すら残らない……」
「魔王だからな。それでも、お前の貢献は小さくない」
「いや、別にそこを気にしているわけでは……」
単純に、驚いているのだ。
馬鹿げたなどという言葉では生ぬるい、信じ難い再生である。トカゲは切り離した尻尾が元に戻るというが、ツノの方はそれにすら引けを取らないほどである。
——そして、これで私が彼と一緒にいる理由がなくなってしまった。
これ以上、人間が魔族と共にいる必要はない。
むしろ、迷惑というものだろう。魔族は人間を恨む生き物だというし、違う種族を嫌悪する者は多い。
身を引くのが、礼儀というものだ。
「それでは、私はこれで……」
「ミランダ、我が国に来い。褒美を取らせる」
恩着せがましくなく、気取っておらず、とてもさり気ない。
ごく当たり前という風な喋り方であり、私の悲しみなど知るはずもない。
そんな言葉だ。
そんな言葉が、不意にかかられた。
「あ……えっと……」
「なんだ、魔族の国は嫌か?」
検討外れな疑問をぶつける辺りが、彼に他意はない事を知らせている。
ただ純粋に、私をもてなしたいのだ。
礼を言われた事はある。褒められた事もある。
聖女であれば、そのように評価される機会はいくらでもあった。
しかし、褒美を取らせるなどとは言われた事がない。誰もが口先で感謝を告げて、それだけだ。
決して、それが悪いとは言わない。親切は私がしたいからしているのだから、見返りを要求するなど図々しい行為だ。
ただ……
「お、おい!? なんだ!? なぜ泣いている!」
「ぅう〜……っ!」
「そ、そんなに嫌か!? 流石に傷つくぞ!」
「違うんですぅ〜っ!」
聖女という、神聖不可侵の存在として扱われてきた私は、人の温もりを知らなかったのだ。
誰もが触れようとせず、ただ眺めるだけでありがたがった。
褒美を取らせる。
一見して偉そうにも思えるその言葉は、私が生まれて初めて感じる『人間扱い』だ。手を取られ、その温もりを感じるように、私はツノの方の温もりを確かに感じた。
「あ、りがとうっ、ござい、ますぅ〜……っ」
「え、ええ……? どういたしまして?」
ただ普通に接っされる事が、こんなにも嬉しいなんて知らなかった。
こんな些細な事で、自分がコレほど感激してしまうなんて知らなかった。
そう、私は感動しているのだ。
コレからの人生全てを、たった一人に捧げてもいいと思うほどに。
「ミランダ……」
察したのだろうか、思いが決まったのだろうか。
どちらともつかない表情をしたツノの方が、私の顔を覗き込む。肩を抱き寄せ、今にも鼻が触れそうになる。
「君さえ良ければ、俺と……」
瞬間、私たちを光が包んだ。
ツノの方の言葉は、最後まで聞く事ができなかった。
◆
「とうとう完成したのだな」
「はい、陛下」
鷹のように鋭い目をさらに細くした王が、跪く司祭の背後に描かれた魔術陣を見て息を吐いた。
永きに渡って繰り返されてきた人魔の戦いもじきに終わる。その終わりは、今この場で始まるのだ。
「素晴らしい働きだ」
「はい、何の不備もございません。あらゆる世界で最も強く、勇ましく、雄々しく、賢く、優しく、苦しむ民草を放っておけず、悲しむ人々を見過ごせない。そんな人物が現れるでしょう」
「その勇者が、魔王を討ち滅ぼす。魔界が我が領土となった際には、その半分を其方に与えよう。それからは貴族として、国に貢献せよ」
「はい! ありがたき幸せ!」
魔族の歴史は長い。一説には、人類よりも遥か古くこの大地を治めてきたとも。
しかし、その歴史は今日で終わる。そして、魔族よりも遥かに長く、人類がこの地を治めるのだ。
王城の外には、すでに多くの民衆が集まっている。
召喚された勇者を知らしめ、その場で魔族への宣戦布告を行うためだ。
歴史的瞬間に立ち会う人間は多い方がいい。その方が、偉大な王と国である事を示す事ができるのだから。
「間も無く起動します!」
魔術陣に魔力が注がれる。
集められた魔術師たちは、たった一人ずつでも歴史に名を残す天才ばかりである。そんな賢者が、総勢二十余名。魔力は肉眼ですら確認できるほどの光の奔流となり、儀式の間にいる誰もがその目を開けておく事のできなくなった。
「は?」
「え……?」
やがて光が弱まり、その場の多くの者が辛うじて光を取り戻しつつあるその最中、そんな間の抜けた声が響いた。
それが誰なのか、どんな人物なのか、眩んだ目ではまだ把握する事ができない。しかし、それでも一部の者は、その人物を正確に把握していた。
その声に、聞き覚えがあったからだ。
「まま、まさか……っ!?」
「おうおう、毒盛りの卑怯野郎じゃねえか」
「魔王だとぉ!?」
王がそう叫ぶと同時に、事は起こった。
先程まで人形をとっていたその人物は、俄かに巨大な獣のような姿となり、王に肉薄したのだ。反応などできるはずもない。
その場の全ての人間が視界を完全に取り戻した時には、その獣の爪先が王の首を薄く撫でているところである。
「ま、待ってください!」
声を上げたのは、王の護衛である近衛騎士でも、この場に集まる一流の魔術師でも、ましてや司祭でもない。
魔王と共に現れ、その場に座り込んでいた人物。
他の全員と同じように目を眩ませて、ようやく立ち直った少女。
ミランダ・ホワイト。
かつて、聖女であった者である。
◆
「殺してはいけません!」
「……殺さない。別に、言われなくても生かしておいたさ」
その言葉を聞き、私の肩から力が抜けた。
実際、殺す気なら私が叫ぶより早く王の頭を潰していたでしょう。
そうしなかったのなら、やはりその言葉に嘘はない。
「み、ミランダ!? 生きていたのか!!」
もう会う事もないと思っていた司祭が叫ぶ。
現状は全く理解できていないが、どうやら司祭が何かをしたのだと思われた。
床に描かれた陣に使われている塗料。これは、私が開発したものに相違ないのだから。
「貴様! 魔王を王城に呼び寄せたな! やはり反乱分子だったようだな!」
「呼んだのはテメェだろう。召喚魔法とは随分古い事をやっているようだが、どうにも条件付けをミスったらしいな」
「じょ、条件付け……?」
私には、何が何だかわからないが、どうやらツノの方……魔王は理解しているらしい。
「何を設定したのかは知らねえが、この召喚魔法は俺を対象として召喚しちまったんだよ」
「馬鹿な! 魔王が召喚されるような条件など……っ!」
「どうせ『強い』とか『逞しい』とか、曖昧な事言ってたんだろ? しかも『人間の』って条件をすっかり忘れてやがる」
「……っ!」
魔王は、再び人間の姿に戻った。ツノのある、私が見慣れた姿だ。
完全に萎縮して何も話す事のできない王の首根っこを掴み、引きずって歩く。
その場にいる全員が、王を助けようと動かないでいた。しかし、それも仕方のない事だろう。魔王は、まるで中身の入っていない麻袋を扱うような軽々しさで、人を一人持ち運んでいるのだから。
「ミランダ、ついて来い」
「ど、どこへ……?」
「外を見下ろせる場所だ。どうやら民衆が集まっているらしいからな」
魔王は耳を指さす。民衆の声が聞こえると言いたいのだろうが、私には全く分からない。
しかし、彼が言うのなら間違いはないのでしょう。私は、それほどに魔王の事を信頼していた。
「ほら、王様。アンタのかわいい民草だぜ」
「怖いですよ……」
「魔王だからな」
王城の下を一望できるバルコニーに訪れると、魔王が言うように民衆が集まっているようだった。王都に住むほぼ全ての人間がそこにいるのだろうと思えるほどの人混みは、本来であれば魔王を迎えるはずのなかった人たちだ。
王の横に立つ魔王を指差して、あれは何なのかと訝しげに首を傾げている。
「何をするつもりかわかりませんけれど、迂闊な事を言えば大混乱ですよ」
「言葉は選ぶつもりだ。別に戦争をしにきたわけじゃあない」
「あ、違うんですね、安心しました。もしこの場で魔王だなんて言ったら……」
「私は!! 魔王である!!!」
「おっとぉ……??」
魔王の宣言に、案の定民衆がざわめく。当然である。一見すれば、すでに王が討ち取られているとすら言えるのだから。
「其方らの王は我が手中にある! この国は! 既に落ちたのだ!!」
「な、何のつもりだ貴様!?」
恐怖のあまり口をきけなかった王が、ようやく声を絞り出した。
「何のつもりも何も、事実を伝えているにだけだ。……民衆よ聞け!!」
「話は終わってないぞ!?」
「其方らの王は!! 神聖な戦場を不当な行為で汚した!!! この私に白旗を振り!! 毒を盛って殺そうとしたのだ!! 勇敢な者のする事ではない!」
全てが事実、全てが真実。
民衆が信じた賢王は偽りであり、魔王はそれを暴こうとしている。
ただ、それは決して簡単な事ではない。
どれほどの本当の事を言おうとも、王に対する信頼は決して浅いものではないからだ。偽りの信頼であろうとも、それを崩すのは生半では……
「ここにいるミランダ・ホワイトが生き証人であるっ!!!」
「あ、私ですか」
突如として話題に上がった聖女に、民衆の反応が変わる。
私のこれまでの活動は、なんと魔王の国取りに利用されてしまった。
「聖女はいわれなき罪で裁かれ! なんと、戦場にて処刑されるところだったのだ!」
「い、偽りだ! そんな事実は知らぬぞ!?」
「私は聖女を救い! 私は聖女に救われた!」
「無視するな!」
「私は! 聖女にそのような非道を行った王を許さぬ! しかし! 私はこの国を見捨てたりはしない! 其方らの安寧は私が保証する!!」
魔王が、人を憂う。
その事実は、人間にとって充分な衝撃である。
人魔間の諍いも、争いも、歴史を見れば明らかだ。
手を取り合った記録は過去に一度もなく、どちらかが滅ぶ直前となった事など両手では数えられない。
魔王の言葉は、その過去を覆すなのだ。
「これまでの王家の完全解体をここに宣言する! この国は新たな王家を立て独立! 我が魔国と同盟を結ぶ!!」
「は! 何が独立か! 傀儡を頭に据えての実質支配に決まっている! 民草の安寧などあるものか! 魔族がこの国を真に想う事などできるはずがない!」
「だろうとも! その言葉は最も予想される反論だ! 故にっ!! 私はここに宣言するッ!!」
魔王は大袈裟な仕草で、私を指さした。
「ミランダ・ホワイトを新たな国王とする事をッ!!」
◆
歴史上初の人魔による同盟。
実質的な吸収であると多くの国が批判していたが、私の働きによって少しずつその傾向は薄くなってきている。
魔族と人間の交流に際する問題は多いが、それだけに多くの利点もあった。
他国が決して持ち合わせない技術体系や文化風俗の流入。国際的にみて、我が国の重要度は決して低いものではないだろう。
王と司祭のその後については、私もよく知らない。
噂では他国に渡ったと聞いたが、それも定かではない情報だ。少なくとも王城に姿を現した事はない。それは、現王である私が保証する。
「励んでいるな、ミランダ女王」
「おかげさまで、魔王」
いつの間にやら私の執務室に現れた魔王が、窓に腰掛けて気取っていた。書類に忙殺されそうな私の集中力を乱そうという試みなら、残念ながら大成功であると言わざるを得ない。
国王としての教養など全く持ち合わせない私がここまでやれているのは、ひとえに魔王の尽力によるものだ。
信じられる多くの大臣たちを用意し、私自身の教育にも力を貸してくれた。どれほど感謝してもしきれるものではない。
「何の用ですか? ご覧の通り私は忙しいのですけれど」
「立派になった反面、なかなか言うようになってしまった。用がなくとも会いに来たい時くらいあるさ。お前は俺の親友だからな」
「親友、ですか……」
親友。
その言葉に、私は強い違和感を覚える。
魔王と私は、たしかにただの友人と呼ぶにはあまりにも親しい関係だ。しかしそれと同時に、親友などという一言で片付けられるほど単純なものではないように感じられる。
なぜなら……
「……ねぇ、魔王」
「なんだ?」
「あの時、なんて言おうとしていたんですか?」
書類から目を離し、魔王の瞳をまっすぐ見つめる。
「私たちが召喚される直前。光に包まれるその瞬間。私を抱き止めてくれたあの時に、貴方は確かに何かを言おうとしていました。その続きは……」
「やめておけ」
優しく、しかしあまりに明白な拒絶であった。
「俺は魔王で、お前は女王だ。あの時なら言えた言葉が、今では言えなくなってしまう事もある」
「そう……ですか……」
「そうさ。だが、俺たちは確かに共にある。離れていようと、一緒にいなかろうと。それで充分じゃあないか?」
「なるほど……そう、ですね」
君さえ良ければ、俺と……
それに続く言葉は、もう語られる事はない。魔王は既に王妃を取っているし、私も子孫を残す相手を見つけなくてはならない。そして、私の相手は人間だ。人間でなくてはならない。女王であるならば、これは譲れない前提条件である。
「そろそろ帰ろう」
「ええ、お気をつけて」
私が言うまでもなく、魔王は部屋からいなくなった。
しかし、寂しいとは思わない。その必要がないと知っているのだ。
彼と私は一緒にならずとも、その間にある感情が失われてしまう事はない。
彼が誰と結ばれようとも、私が誰と結ばれようとも、共にあるという事実までなくなってしまうわけではないのだ。
ならば、私たちにはそれだけで充分でしょう。
その事実は、他の誰でもなく、私たちが知っているのだから。




