中
イスラに連れられて、イシュタムはアンジェロ国王都の軍施設まで着いた。
「ラグエラは立派な翼を持っているね。長距離飛んでも疲れ知らずだ。」
イスラは笑ってそう言った。
「まるで軍に鍛えられた騎士のようだ」
イシュタムはピクリとその言葉に引っ掛かりはしたが
「でも、こんな綺麗な女戦士がいたら、みんな黙ってないだろうね」
やはりイスラは気づいてなさそうなので、イシュタムは適当に流す事にする。
トリマルはずっと抱えられて体か固くなったのか、イシュタムの肩にのり毛繕いに余念がない。
部屋の中に案内されると、数人の騎士が寛いでいるようだった。
「みんな、例の侍女様を見つけてきたよ!」
慣れた様子で部屋に入るなりイスラは呼びかけている。
イシュタムは騎士達に周りを囲まれてしまった。
「早速だけどサジェッサ様を呼んでくるから、後はよろしくね。」
イスラは適当な指示を出すと足早に部屋を出て行った。
周りの視線がイシュタムに集中する。
よく見ればみんな戦場で顔を見た事があった。
「肝の据わった娘だなー」
無遠慮にがたいの良い男がイシュタムの顔を覗き込む。
イシュタムは目を細めて鋭い眼差しを送ると
「はっ、確かにイスラは度胸あるレディーを探してくるとか言っていたが」
また別の男が顔を覗かせる。
「レディーというより、敵陣に乗り込んできた軍人だろ、すんげー目つき。」
先程のがたいの良い男が答える。
「それに烏丸なんて連れていやがる」
椅子に座る男は明らかにふざけていた。
「ラファエロ様はきっと気に入らないぜ」
横から別の男がトリマルに手を出そうとしたので
「な、何を!」
男が唸った。
イシュタムは素早く男の腰に差していた剣を抜き取り、切っ先を鼻先にあてたのだ。
「アンジェロ軍の騎士はゴロツキと変わらないようね。女性が部屋に入ってきても挨拶もなしに物色なんて。」
まさか小娘に剣を抜かれるとは思わなかった男の顔が青くなった。
「なんだと、偉そうに!」
後ろからひとりが押さえ込みに来たのでイシュタムは素早く身を屈めて握っていた男の剣の柄頭をそいつの腹に押し込んでやった。
「うぐっ」
男は痛みで屈み込む。
「なんだこいつ!イシュタムみたいな野郎だな!」
椅子に座っていた男まで来た。
イシュタムは彼の言葉につい反応してしまう。
イシュタムみたいな野郎?
「何だって?」
イシュタムの殺気立つ迫力にぶるっと震えた男は
「そりゃ、あんな野蛮な王女程ではない、ないですよ」
と、まるでイシュタムのご機嫌を伺うかのように手のひら返しだ。要はもう男は白旗を上げているのである。
「そうそう。あんな戦場にまでしゃしゃり出てくる女と一緒な訳がない!イシュタムの野郎、何でも野蛮すぎて婚約者は皆辞退しているらしいじゃないか!」
別の男も雰囲気を変えようと空元気に声をかけてきた。
「王女の身分でな!」
「悪魔の野郎どもが逃げ出すなんて、よっぽどアンタッチャブルな変人だ。」
ガハハとたくましい男たちの笑い声。
それが逆効果になっているとも露知らず。
「ははは」
一瞬イシュタムも一緒に笑って
「とんだ王女様だね」
と震える声で低ーく言ったかと思うと
「全員歯を食いしばれぇ!」
その場にいた騎士は彼女の声を聞くや否や、部屋の中を四方八方に勢いよく飛ばされた。
「でぇぇ!」
すると直後に余程急いでいたのか、老体の魔導師が窓を突き破り部屋に入ってきた。
「侍女はどこじゃー?」
息も切れ切れに興奮している。
(あー、厄介だわ)
イシュタムは心の中で舌打ちをする。
この魔導師の事をよく知っている。
ラファエロの侍従、サジェッサだ。
サジェッサはイシュタムを見るや否や
「おっほん」
咳払いをしながら渋い顔つきで倒れ込む騎士を跨ぎながら近づいてきた。
イシュタムの顔を訝しげに見ると
「どこかで見たことがある顔だな・・」
サジェッサの言葉にイシュタムの心臓が激しく動く。
「よくある顔ですので」
イシュタムはうつむき加減に視線をそらして答えた。
「まあ、いい。今回の依頼の内容は聞いているな」
と言ってジロジロと見るサジェッサの目付きが自分を値踏みをしているかのようだ。
またこんな緊張感を味わうなんて。
幼い頃の記憶はなかなか消えないらしい。
イシュタムはいつサジェッサに怒られるのかとドキドキが止まらない。
彼女は昔からこのサジェッサが苦手だった。
彼は底無しの神力を持つラファエロの世話をするために幼い頃から遣わされた大魔導師だ。
ラファエロに兎に角ご執心で、全てにおいてイシュタムを理不尽なまでに悪者にしてきた侍従だった。
そんなサジェッサの前では生きた心地がしない。
「ラファエロ様の後宮に悪魔が出ると言って辞めていく侍女が後をたたなくてな。勿論そんなことはない。が、どういう状況であるか調査をして欲しい。」
話をしながらまだサジェッサはじろじろとイシュタムを見ている。
「悪魔らしき者が出たら捕まえよ!」
「はい!」
イシュタムはつい力強く返事をしてしまう。
「ラファエロ様に悪魔の件は内密にな」
「はい!」
「あくまでも新人の侍女としてご奉仕なされよ!」
「はい!」
何だか幼い頃を思い出す。
ラファエロと遊びに行く前にいつもこんな感じでやり取りをしたものだ。
「そして、まあ、これは、できれば・・の話しだが・・」
サジェッサの声の調子が変わった。
「せっかく後宮に入るのだから、その、つまり、ラファエロ様をその気にさせても良いのう」
「はい!え、は?」
サジェッサはイシュタムを睨み付けながら前へゆっくり歩み出た。
「お妃様からのお申し出が回を重ねる毎に厳しくなりましてのう・・」
ジリジリ歩みよるサジェッサの圧力がすごい。イシュタムは歯を食い縛り立ち尽くすしかなかった。
すると突然サジェッサに手を掴まれた。
「なっ何を」
イシュタムが言うより先に
「頑張ってくれぇ!」
上気させたサジェッサの顔が近い。
「正直なところラファエロ様は全く女性に興味がないのだ!」
サジェッサの握力がますます強くなる。
「なな何ですか、いきなり」
イシュタムも顔が真っ赤だ。
「お妃様からは私の教育の不届ききであるが為に、未だにラファエロ様にお世継ぎができないのであるとっ・・あるとっ・・」
よほど悔しいのかサジェッサは声を詰まらせ目をギラギラと光らせている。
「は、はあ?世継ぎ?」
イシュタムは両手を揺らして手を解こうとしてみたが駄目だ。びくともしない。
「お茶会に次ぐお茶会、舞踏会や観劇、あからさまな婚活パーティー、スリムも豊満も美女も醜女も年増も少女まで!私があらゆる手段を尽くし努力してきたのをお妃様が存じない筈などないのだ!」
だんだんサジェッサの目つきが怪しくなる。彼は口調を更に低くし
「他の王子様達の後宮は満帆だと言うのに、大事な聖君の後宮はスッカラカンである!しかし!重要なのは人数より濃い色事・・・」
サジェッサは重大な事案を命令する軍隊長のようだ。
「お世継ぎが産まれれば良いのじゃ!」
瞳を鋭く射抜くサジェッサの不気味な笑顔が恐ろしい。
「心してかかられよ!」
「ちょっと待ってく・・」
イシュタムが手を振りほどこうと必死になっていると。
「わざわざ此方まで足をお運び下さる事はないですから。新しい侍女を呼んでいるだけで。わっ、何?何?この部屋?」
後ろからイスラの声がする。
窓は割られ家具足る家具が乱雑に、そして部屋中に飛び散る気を失った騎士、とその中で手を取り合って立つ2人・・変わり果てた光景を見て驚いたのだろう。
そんなイスラに反応せずに、サジェッサはイシュタムに夜の誘いについての秘技を教え込もうと必死で気がつかないらしい。
「すまない、レディー。こちらの手違いでね。今回の依頼はなかった事にしておくれ。もちろん報酬は・・・」
ラファエロの声に反応したサジェッサがやっと手を放してくれた。
イシュタムは振り返ってラファエロを見る。
「・・・!」
イシュタム、サジェッサ、イスラは雷に打たれたかのようなラファエロを見た。
「あ・・君、名前は・・」
ラファエロがイシュタムに近づいてきて、そっと尋ねる。
顔が赤くなっていて、イシュタムまで伝染しそうだ。
「ラグエラです。」
イシュタムが答えている後ろで、サジェッサが無理やりイスラを抱き込み小躍りしている。
「離してくださいよ!もう!」
2人の揉み合いのような喧騒で騎士達も意識を取り戻したようだ。
ラファエロは周りの様子など気にもとめずにイシュタムの頬を優しく擦り熱い瞳で見つめて
「綺麗な君に相応しい名前だね、ラグエラ」
と甘く息を吐くかのように言った。
ラファエロの視線から逃れられない。
イシュタムの胸が激しく揺さぶられるかのようだ。
(しっかりして、イシュタム!)
(相手はあのラファエロよ!)
イシュタムは呪文のように繰り返すのだが、胸の鼓動は治まりそうにない。
「あっ、ラファエロ様!」
意識が戻った騎士達は、場を読まずに敬礼をしだした。
「ぎぃやぁ!」
サジェッサの唸り声を聞いた気がした。
ラファエロは、はっと我に返ったかのようにイシュタムから離れて
「既に依頼をしてしまったなら、仕方がないか。ラグエラ、後宮に入りなさい。身のまわりの世話をしておくれ」
いきなり態度を変え、偉そうだ。
まあ、偉い立場ではあるが。
「はい」
イシュタムはさっきの胸の高まりはどこへやら、冷静さを取り戻した。
「ラファエロ様、ご機嫌よろしゅう」
騎士達はラファエロをすぐに取り囲む。
やはりアンジェロ国のスターらしく、人気なのだろう。
しばらく騎士達と話し込んでいたラファエロはふと
「ラグエラ、その肩の烏丸はどうした?実に悪趣味だな。」
と言ってきたのだ。
イシュタムの肩でトリマルはびくりと体を震わせた。
「その烏丸は人語を話す珍しい鳥です。」
イスラが空かさず助け船を出す。
「イスラ、君もよくあんな小悪魔を軍に入れたな。」
ラファエロは呆れたとばかりに答えて
「まあいい、処分しておきなさい。間違っても後宮には入れないように」
と言った。
イシュタムの顔が曇る。
「トリマルは後宮に連れていきます。」
イシュタムはキッパリと言った。
「ここでの決定権は私にある。」
ラファエロはにこやかに答えて退かないらしい。
「イスラ、頼むよ。」
ラファエロはイスラにトリマルを渡そうとイシュタムの肩に手を伸ばしてきたので
「偉くなったもんだね、ラファエロ!」
イシュタムはその手を思い切り払い、そのまま握りこぶしでラファエロの前にかざした
「わー、ごめんなさい!」
すかさずラファエロは手を頭に屈み込んだ。
アンジェロ国のスーパーヒーローの咄嗟の行動にその場にいた全員が凍りついた。
場が異様なまでに静まり返る。
イシュタムは握りこぶしの手をおろして腰にあて、努めて冷静に
「お許しいただけたなら結構です」
とだけ答えた。
ラファエロは自分の反射的な行動に少し衝撃を受けたか、直ぐに立ち上がり何事もなかったかのように、軽く咳払いをして
「好きにすれば良い」
とだけ言い残して去っていった。
「ありがとうございます」
肩に乗るトリマルはまだ震えが止まらない。
「大丈夫よ。誰もトリマルに危害を加えさせないから」
イシュタムは優しくトリマルを撫でた。
部屋を出て行ったラファエロの後ろ姿を見ながら思う。
「ラファエロ、全然変わってない・・」
幼いラファエロを思い出してしまい、ニヤニヤが止まらない。可笑しな気持ちになってしまうのだった。
「ラグエラー」
ラファエロの声がする。
「・・・はぁ」
ため息が先に出た。イシュタムは返事をするのにも疲れてしまったからだ。
身の回りの世話をする侍女として確かにこの後宮に連れてこられたが、ラファエロは事あるごとにイシュタムを呼びつけ仕事をさせるのだ。
人使いが兎に角荒い。
ひどいのは後宮に限らずにラファエロは常にイシュタムを同行させる。
城での仕事の調整はサジェッサがするが、
何せアンジェロ界ではスーパースターなラファエロ様だけあって城にいると次々に要人が引切り無しに訪ねて来た。
客人は皆、側で控えるラグエラを見て驚きを隠さない。
ラファエロは本当に浮いた話等無かったのだろう。
聖君の側に控える女性は誰か。
しばらく噂が絶えなくなるネタらしい。
そんな客人の好奇な視線に耐えているのに、ラファエロはいちいちラグエラを紹介し手元から離さなかった。
これでは相当顔を知られてしまう。
常にうつむき加減で愛想笑いを浮かべ疲れているラグエラについてはお構い無しだ。
気疲れで精神的な消耗が激しいのに更に消費させる事がある。
ラファエロが湯浴み好きであるのにも困った。
「ラグエラ、湯浴みを手伝っておくれ」
始めにその指示を聞いたラグエラは固まってしまった。
「ははは、ラグエラ殿ー、頑張りたまえ!」
サジェッサの威勢のいい明るい笑い声が場違いに部屋に響いた。
湯場でイシュタムは目のやり場に非常に困る。
「マッサージを頼む」
と言って慣れた様子でラファエロはうつ伏せになるのだ。
イシュタムはやり方が分からず、とりあえず手元にあった香油をつけながら背中を擦る。
筋肉質な大きな背中だとイシュタムは思った。
ラファエロと最後に遊んだのはいつだったか?イシュタムはしみじみ思う。
まだ15歳の時だろうか。
その後、戦いが始まった。
戦禍で会う事はあっても互いを注意深く見る事はない。
ラファエロは少年から男性へと変化していた。
「ありがとう、ラグエラ」
ラファエロが起き上がってきた。
イシュタムの顔が赤くなる。
(そんな、裸で近寄らないで)と心の中で思っているだけでは伝わらないようだ。
ラファエロの挑発的な視線が目の前に迫ってきた。
「とても気持ちが良かった」
ラファエロはイシュタムの頬にキスをした。
「!!!」
驚いて固まっているイシュタムを見て、ラファエロの顔が一瞬歪んで笑う。
イシュタムの背筋が凍る。
「ぷっ、ははは」
ラファエロは堪えきれずに笑いだした。
何かにつけてラファエロの体に触れる事が多くなった。
着替えから、洗顔から、髪を整えるまで。
イシュタムは必要以上に体力、精神力を消費していると思った。
更にラファエロはあちらこちらに動き回る。イシュタムはその度に呼びつけられるので、ここ数日この城と後宮を飛びまわっている。
夜になると疲れてベッドに直行だ。
悪魔に戻る方法を探す暇など全くなかった。
「ラグエラー!」
もう一度名を呼ぶラファエロは、バルコニーのカウチソファで寛いでいた。
「何か御用で?」
イシュタムはイライラを隠さずに現れた。
「肌が乾燥している。そこにある香油をつけておくれ」
(日に何度香油をつけさせるんだー!)
イシュタムは心の中で毒を吐いた。
先ずは手に香油を塗っていると、気持ち良さそうにしているラファエロは遠くのモンテ・インフェルノを眺めている。
「半時もあればモンテ・インフェルノは越えられるのに・・」
切なく呟いた。
イシュタムは内心ラファエロの翼なら本当に可能だろうと、底無しの能力に呆れてしまう。
悪魔だった頃の自分の自慢の翼でも優に一時は超えてしまう距離だ。
「開戦から5年・・」
ラファエロは話続けていた。
「もうそんなになりますか」
イシュタムがラファエロの手をモミモミして答えると
「愛しい人がモンテ・インフェルノの先にいるんだ。」
ラファエロは事も無げに言った。
「え?」
イシュタムのマッサージをする手が止まる。
モンテ・インフェルノの先に愛しい人がいる?
それって相手は悪魔しかいない。
イシュタムの鼓動が早くなった。
ラファエロの手はいつの間にかイシュタムの手を握りしめていた。
「お互い、一生離れないと誓った」
ラファエロの美しい瞳がイシュタムを見抜いていた。
ドジな子供だとばかり思っていたラファエロは、いつの間にか悪魔の女性と難しい恋に落ちていたのか。
だから後宮に側室の一人も入れずに、愛しい人を待っている。
イシュタムの知らない間にラファエロは大人の男性になっていた。
「会いたくて会いたくて、堪らなかった」
優しくイシュタムの頬を擦るラファエロの大きな手。
彼の手の温もりが心地よい。
イシュタムの顔は赤くなった。
美しい顔が近づいてきて、彼の吐息まで感じるくらいだ。
「ああ・・・」
ラファエロの唇が甘く震えた気がした。
イシュタムは「うぉい!」と紙一重でラファエロの唇をかわした。
驚いた顔をしているラファエロに向かって
「愛しい方が怒りますよ。」
はははーっと、イシュタムはできるだけ距離を置いてラファエロの腕をすり抜けた。
ラファエロの顔がニヤリと歪む。
ゾゾゾと背筋が凍る。
今のは?今のは何だったのだ?
「ははは」
ラファエロの笑い声に引き戻されたイシュタムはカウチソファーの隅で固まっていた。
その夜、ラグエラは疲れてベッドの中に入る。やっと落ち着いて眠れそうだ。
「ラグエラ」
耳元でラファエロの声を聞いた気がした。
後宮に来てからというもの、四六時中、名前を呼ばれるものだから、きっと耳から離れなくなってしまったのだろう。
イシュタムもついラファエロの事を思い描いてしまう。
ドジで後ろからいつもイシュタムについて来ようとした少年は、今では立派な大天使である。
知らない間に悪魔の娘と恋に落ちていた。
きっと後宮にたまに呼び寄せていて、それが噂の原因なのかもしれない。
自分から離れていくラファエロに少し寂しい気持ちがした。
胸が予想以上に痛む。
「ラグエラ・・」
美しい瞳に見詰められて、身動きが取れなくなってしまった昼間の出来事を思い出した。
何だか体が熱い。
また、体中を優しく擦られているようだ。
頭がくらくらとしてきた。
「ラグエラ・・」
そういえば、いつも彼の瞳は優しくて名を呼ぶ声は甘い・・
ラグエラ・・ラグエラ・・
イシュタムの胸がきゅんと鳴り出した。
ラファエロの美しい顔が近づいてくる。
たくましくなった腕に支えられて、イシュタムはいけないと思いつつ、それでも期待をしてしまう・・・
「ラグエラさまー!」
かん高い声が頭上からした。
「トリ・・マル?」
イシュタムはパチリと目を覚ます。
「ラグエラ様、大変でございます!」
トリマルはバザバザとイシュタムの回りを飛びながら急いでいるかのようだ。
「一体どうしたの?」
イシュタムはガバッと身を起き上がらせた。
「今です!トリマルは見ました!悪魔の娘を!」
トリマルはイシュタムを促して
「裏庭の木の影からなら部屋の様子が少しわかります!」
トリマルの言葉にイシュタムの気持ちは複雑だ。しかし、悪魔の娘が誰なのかも知りたい気持ちがある。
「わかった。確認しよう。」
イシュタムはそっと部屋を抜け出した。
トリマルに案内された木の影から、本当に部屋の様子が見れた。
鳥目線でないと気がつくのが難しいだろう。
「あっ」
こんな時にイシュタムの体はまた熱くなってきてしまった。
「んんっ、まただ」
イシュタムは必死によがる体を堪える。
トリマルは気がつかないらしい。
「あ、今です」
トリマルの言葉にはっと顔を上げると、髪の長い華奢な角を生やした後ろ姿の悪魔の女性が見れた。
ラファエロに抱えられているようだ。
「んんっ」
熱い声が聞こえた気がした。
ラファエロは悪魔の娘の後ろに重なっている。
彼の抱きついている逞しい腕だけが動いているのが見てとれた。
するとそのまま娘を押し倒して窓から姿を消した。
「やった!見れましたね。しかし、あの後ろ姿だけでは、誰かまでは突き止めようがありませんが、ラファエロが悪魔と通じていたのは事実!ここは・・・」
「・・・」
イシュタムはトリマルの言葉が入ってこなかった。
「あ、ラグエラさまっ」
イシュタムはそっと部屋に戻るとベッドに座る。
「ラグエラ様?」
トリマルが追ってきた。
「ごめん、トリマル。明日あの部屋を確認しましょう。あの悪魔の娘の羽が落ちていたら、誰かも特定できる。イスラへの報告はディアボロ様の一部がまだ見つかっていないし、少し待ちましょう。」
と力なく言って、直ぐに横たわった。
イシュタムは予想以上にショックを受けていた。
ラファエロの恋の相手が自分ではないことに。
翌日、昨夜の事などおくびにも出さないラファエロはイシュタムをいつものように使役させる。
用事をいっぺんにこなすイシュタムは頭に布をひっさげ片手にハープ、もう片手には大きなロット、口に巻物を咥えて走っていた。
「ラグエラ殿」
柱の影からにこやかにサジェッサが呼んでいる。
「んなんすんか?」
イシュタムは巻物のせいで上手く話せない。
「後宮はいかがですかな?最近、ラファエロ様はとても機嫌が良い」
そう話すサジェッサの顔がいかにもニヤニヤといやらしい。
「んん?」
イシュタムは急いでいたので、そのまま返事をせずに走りだそうとしたのを止められた。
「本当に機嫌がよろしく何よりだよ」
イスラも来たのだ。
「こんなにお側に控えさせる侍女なんて初めてだ。」
イスラはイシュタムの口から巻物を取る。
「特に今日なんて朝から張り切っていらっしゃる。」
イスラもそしてサジェッサもお互いに目を合わせて
「瓢箪から駒」
2人でニヤニヤと笑う。
「だから、それは昨晩・・」
悪魔の彼女と逢い引きを成功させたからだと言いたかったが、イシュタムは顔を赤くして、はたと言うのを止めた。
まだサジェッサにもイスラにも昨晩の事は話さない方がいい。
そんな様子のイシュタムを見てサジェッサは涙を流してうおーと叫んだかと思うと
「ラファエロ様にご忠言しなければ!ラグエラ殿に今後重い荷物等は持たせないように!」
そしてサジェッサはイスラに荷物を全部持たせる。
イスラも満更でもない様子で
「ラグエラは後宮で寛いでいなよ」
と言ってきた。何か誤解を生んだようであった。
サジェッサとイスラはきゃっきゃっと去っていく。
誤解をさせたままでは非常にまずいと思ったが
「今がチャンスよ」
イシュタムは後宮へと飛んだ。
後宮にて、イシュタムは昨晩の逢い引きの部屋へと急ぐ。
部屋には簡単な結界が張られていたが、元々後宮の侍女が間違って入らないように掛けられていたと思われる程度の代物だから、簡単に解除できた。
「何だがドキドキするわ」
他人の恋路の邪魔をするようで気が引けたが、呪いの手掛かりがあるかもしれない。
意を決してイシュタムは部屋の中へ入った。
「えっ」
イシュタムは部屋に入るなり、驚いた。
「ええーっ!」
頭を抱え込む。
「これは、ラファエロに取られた腰当てベルト・・」
部屋の中央に綺麗に並べられた品物は、どれもこれも見たことがある物ばかりだ。
「やだ!このピアス何処で落としたのか、お気に入りだったのにー」
イシュタムは他にも靴やグローブや色々と見て回る。
「これは全部私から奪ったもの・・」
ラファエロはこんな戦利品コレクション部屋に悪魔の彼女を呼んだのか!
「うううっ」
イシュタムは項垂れた。
益々ラファエロがわからない。
その直後、はっと人の気配を感じた。
「うそ・・」
ベッドの横の豪華な椅子に座る、人影。
良く見れば角がある。
イシュタムは恐る恐る近づいて、そして卒倒しかけた。
「ら、ラファエロ・・まさか・・」
椅子には生身の人のような人形が置いてあったのだ。
華奢な角に黒くて長い髪、漆黒の瞳がキラキラと光り、赤い唇が少し開いて笑っている。
「私の人形!!」
悪魔の姿のイシュタムの人形だ。
イシュタムは衝撃を受けたように体中が震えて力が出ない。
「ラグエラー」
遠くからラファエロの声がした。
イシュタムは震える体を押さえて棚の奥に身を隠す。
「ラグエラー」
声が近づいてきた。
カチャっと扉を開ける音がする。
「・・・」
ラファエロが部屋の中へ入ってきた。
中の様子を見ているようだ。
「イシュタム・・」
ラファエロの艶のある声にイシュタムは思わず声を出しそうになったが、どうやら人形に話しかけているらしい。
ラファエロが人形を慣れた手つきで愛おしむ。甘い口づけにイシュタムの方まで頭がくらくらとしてきた。
「ん?」
ラファエロの逞しい腕が優しく人形を愛撫する。
「んん?」
まるでイシュタムまで抱きしめられているかのように生々しく感じる。
「ああ、イシュタム・・」
ラファエロの柔らかい唇の感触が首もとを伝う。
「イシュタム・・」
ラファエロの吐息まで感じる。
「ラグエラ、そこにいたのか」
いきなり呼ばれたラファエロの声が、イシュタムをそのまま刺すかのようだ。
イシュタムは震えて動けない。
「いけない子だね、ラグエラ。勝手に部屋に入ってきて」
ゆっくりとラファエロが近づいてきた。
棚からラファエロの手が延びる。
「見てみて、ラグエラ。良く出来ているだろ?」
イシュタムを後ろから抱き抱えてラファエロは人形を披露した。
「最初は只の蝋人形で味気がなかったが、今では本物と紛うくらいだ。」
ラファエロの息が耳許にかかる。
「このっ変態野郎」
イシュタムは声を震わせながら絞り出した。
「なぜ?気に入らない?人形でも違う女を抱くのは嫌?」
ラファエロは後ろで笑ったのがわかる。
きっと顔を歪ませて。
イシュタムの背筋が凍る。
「ここまでにするのに相当苦労したんだよ。ご覧」
ラファエロが指をさすと人形の胸元が赤く光りだす。
「悪魔の力核だよ。モンテ・インフェルノで培われた魔石のひとつだ。人の能力を奪う。」
イシュタムは自分の姿の人形から目が離せない。
「イシュタムの悪魔の力も入っているよ。」
ラファエロの腕に力が入って、より強く抱きしめられた。
「悪魔の力を奪いつつ、天使の力を入れて、上手に調整するのに苦労したよ」
まさか、イシュタムはぞっとした。
この人形が呪いの道具!
「ラファエロ・・」
イシュタムは身動きできない。
「でも、もうこの人形の役目も終わりだね」
ラファエロの声が明るい。
「ラグエラとして君が来てくれたから」