上
大天使ラファエロは神術で無数の光の矢を放つ。
まるで空から流れ星が落ちてくるかのようだ。
イシュタムは一瞬、敵ながら放つ彼の神術の美しさに目を奪われた。
しかし、こうしてはいられない。
イシュタムは地を強く蹴り飛び出した。
「全軍、撤退だ!全力でモンテ・インフェルノまで戻れ!」
黒い大きな羽で戦禍の空を駆ける。
無数の矢を素早く避けながらイシュタムは指示を出した。
するといきなり角に痛みを感じる。
「うっ」
まさかと思ったがラファエロにイシュタムは自分の角を後ろから握られていた。
いつから追い付いたのだ?
まるで気配を感じさせない。
「イシュタム王女、まだルチフェロ軍を率いていたとは!戦場は遊び場とは違う」
獲物を前に笑いを堪えたかのような口調だ。
「離せっ」
イシュタムは全力で暴れたが角を捕まれていては逃げられない。
ラファエロの腕がイシュタムの首に巻きついた。
いつの間にか逞しくなった腕に絞められて、更に動きが取れなくなってしまった。
「幼なじみとして忠告しているだろ?君は昔から人の言うことなど聞かないからな。」
耳元でラファエロが囁いた。
「うぐぐっ」
イシュタムは悔しさに抵抗しているが、首を圧迫され声も出ない。
「イシュタムさまー!」
味方の軍勢がイシュタムとラファエロの前に乗り出す。
後ろでラファエロがニヤリと笑っているのがわかった。
「に、にげっ」
イシュタムは逃げろと指示を出したいが言葉にならない。
「敗軍よ、良く聞け!イシュタム王女の尊い犠牲により今回は逃がしてやる。」
ラファエロの言葉にイシュタムは体に電流を流されたかのように恐怖が走り出した。
ばさっと音がしたかと思うと
「おおー!」
敵のアンジェロ軍から声が上がる。
イシュタムは長く美しい黒髪をバッサリと切り裂かれていた。
「首をはねられなかっただけ感謝して欲しいな」
ラファエロは大きな手に溢れんばかりのイシュタムの髪を握りしめて、その綺麗な顔を一瞬歪ませて笑う。
イシュタムはいつもそのいびつな笑みを見ると背筋が凍る。
ラファエロに放り投げられ、イシュタムは地上に倒れこんだ。
「イシュタム様ー!」
すぐに仲間の騎士達が駆けつける。
イシュタムは辱しめと己の無力さに、目には涙が溢れていた。
上からラファエロの勝利の笑い声が聞こえてきた。
「イシュタム、まだ懲りないようであれば次はその自慢の角でも貰おうか!」
その言葉にアンジェロ軍の指揮が上がった。
「隊長、急いで引き上げましょう」
イシュタムの参謀、ロノウェが手を引く。
「すまない、ロノウェ」
他の騎士もイシュタムを庇うようにして引き上げていく。
「ラファエロを前に命があるだけ良かった。」
味方の一人が呟いた。
これはアンジェロ国に住む天使とルチフェロ国に住む悪魔の物語。
両国は昔から領地の小競り合いはしていたものの、5年程前に破壊神ディアボロの復活により本格的に開戦をした。
ディアボロの復活は正に全世界を手にしたも同じ事、ルチフェロ国の悲願である。
しかし、当時僅か15才のラファエロによってディアボロの完全な復活は阻止された。なんでもラファエロはディアボロの大切な一部を奪い復活を妨げたというのだ。
モンテ・インフェルノ山脈のどこかでディアボロは奪われた一部を求め動けずにいる。
ルチフェロ軍はラファエロが奪ったディアボロの一部を求めて戦いは終わらない。
「しかし不思議ですね。」
撤退の最中、ロノウェが口を開いた。
「ラファエロはなぜイシュタム様の髪をお切りになったのか?」
ぶつぶつと言いながら考えにふける。
「性格の悪い奴だ。私に恥をかかせたいのだろう。」
イシュタムは寒気を感じなから答えた。
考えるだけでも恐ろしい。
「以前は戦利品だとしてイシュタム様の羽をむしりとられた。」
ロノウェは額に指を指して考えている。
「次は角だと言っている・・」
ぶつぶつと言っているロノウェを制して
「変態なんだよ!」
いきなり副隊長のウーザが割り込んできた。
「はあ?」
イシュタムやロノウェはラファエロを変態扱いするウーザに呆れる。
「そうだ、絶対奴は変態だ!前にはイシュタム様の靴を奪い、その前は腰当てベルトだ。」
ウーザの大きな声が軍隊に響いてこちらが恥ずかしい。
「それはないでしょうねぇ」
ロノウェは呆れた口調を隠さずに言った。
「イシュタム様は人望も厚く素晴らしい隊長で在られるが、如何せん女性の色気はないですよ。」
ズバリというロノウェの発言に
「ロノウェー!」
イシュタムは怒りを隠せない。
「確かにラファエロ様の周りには女性の噂が絶えねぇな、毎晩お茶会やらパーティーやら開いてウハウハやってるそうじゃないか」
ウーザの顔がデヘヘと崩れた。
「そんな女性選びに苦労等しないラファエロがわざわざイシュタム様を狙うような変態な訳がない。きっとおぞましい呪いの線を考えた方が・・」
ロノウェのいたく真面目な回答を前に
「お前たち、黙って空を飛べ!」
イシュタムは口を閉めさせるしか己を守る方法がなかった。
「ラファエロめっ」
イシュタムは唇を噛みしめた。
イシュタムは知っていた。ラファエロは今でこそ大天使と呼ばれ聖君の様に崇められてはいるが、決してそんな奴ではないことを。
本当は・・・
気が弱くて根暗で性格のすこぶる悪い奴なのだ!
イシュタムとラファエロは幼なじみのくされ縁だ。
イシュタムはラファエロの事ならよくわかる。
そうイシュタムが幼い頃、まだ天使と悪魔も今みたく断絶せずに多少の交流があった時。
「イシュタム、イシュタム」
いつも会うと後ろからついてくるのがラファエロである。
厄介な事しか運んでこないラファエロにイシュタムはいつも手を焼いていた。
ある時、遊んでいるとラファエロが池で溺れてしまった。池で遊んでいないのに落ちるというドジぶりである。
イシュタムはさっと飛び込みラファエロを救う。
「イシュタム~」
泣きながらしがみつくラファエロが疎ましい。
しかしその後、叱られたのはイシュタムだ。なんとラファエロが突き落としたのはイシュタムだと言ったからだ!
いくらラファエロの嘘だと言ってもアンジェロ界だと信用してもらえなかった。
罰として納屋に閉じ込められていると、
「イシュタムと悪ふざけをしたのは僕も同じだから」
とか何とか言って大人の羨望を受けながら納屋に自ら入ってくるラファエロ。
納屋の扉を開けて光を背に立つラファエロは、丸くなって座るイシュタムを見て、一瞬その綺麗な顔を歪ませて不気味に笑う。
そんなラファエロの狂気染みた顔を見ると背筋が凍らずにはいられない。
しかし、イシュタムは負けず嫌いだ。
ラファエロへの悔しさと苛立ちがムクムクと体を伝わり、彼女を震い立たせる。
「また嘘をついたね!ラファエロ!」
イシュタムは拳を握り手を振り上げた。
「わー、ごめんなさい」
ラファエロは頭に手をあてて、体を屈める。
納屋に入ればこうなる事は分かりきっているのに、同じことを繰り返すから不思議だ。
「イシュタム~」
イシュタムにどんなにお仕置きをされても、ラファエロはイシュタムにピタリとくっついて離れない。そして泣くのを止めないのだ。
イシュタムは疲れて根負けして、いつも最後には何故か2人仲良く眠ってしまう。
ラファエロはその体に途方もない神力を宿しているらしく、小さな内はとかく不安定で体をコントロール出来ずにいるらしかった。
故に大病だと思っても翌日にはケロリと治ったり、笑っていたと思うといきなり大樹を爆発させたり、幼い時の不安定さが彼の性格に大きく影響しているのだろう。
ある時は鳳凰の卵が見れると聞いて森に入った。素晴らしく大きな虹色の卵が地上に置き去りにされていた。
「すごーい!」
イシュタムは初めてみる鳳凰の卵に感動していた。自分の背丈を優に超える大きさ、虹色の卵が光輝いて見えたのである。
「僕が見つけたんだ!」
ラファエロは胸を張った。
「親鳥が放置したか、事故で地上に落ちてしまったか・・」
興味深くイシュタムが卵を観察しているのを見てラファエロは気分が良かった。
本当はずっと前に卵を発見していたのにイシュタムがいないと怖くて近づくことすら出来なかったのだ。
しかし今はそんな事はどうでもよい。
イシュタムの喜んでいる姿を見て素直に嬉しかった。
ニコニコしながらラファエロは卵をポンポンと軽く叩いた。
すると・・静止していた卵が左右にビュンビュン揺れ始め動き出した。
「な、何だ?」
泣き出すラファエロを抱いてイシュタムは卵を見るとその中央からピリピリと音がした。
「あーあー!」
と2人が叫ぶ刹那に卵が真っ二つに割れて、なんと鳳凰の雛が誕生した。
「ピェーピェー」
と泣きまくる雛を前に2人は踊り始めた。
「すごいや!僕、卵が孵化する瞬間を初めてみたよ!」
ラファエロがイシュタムに誇らしげに話す。
「私も初めてみた。餌をやらないとね。雛はお腹が空いて・・」
まで言いかけると急に空が曇りだした。
不思議に思い空を見ると
「ギィエイ!ギィエイ!」
と母か鳳凰の姿が2人を覆い尽くしていた。ラファエロがガタガタと震え出す。
「卵泥棒はお前かと言っている・・」
不吉なラファエロの言葉を聞いてイシュタムは走り出した。
もちろんラファエロはお得意のイシュタムにガッチリしがみつく技を発動中なので、全然先に進めない。
「あ、あーあー!」
「ギャー!」
と2人が慌てふためいていると、大木をなぎ倒しながら鳳凰が空から物凄い勢いで襲いかかってきた。
逃げきれないと悟ったイシュタムは、泣きじゃくるラファエロを隠すように抱き抱えた。
「坊っちゃまー!」
ラファエロの侍従が突如現れて、その大きな杖を一振りすると、縮まる2人の前に幕ができた。
鳳凰が鋭いくちばしでいくら刺しても2人には届かなかった。
「鳳凰よ、雛はラファエロ様のお力で誕生できたのだ。卵泥棒ではない。」
侍従の言葉に冷静さを取り戻した鳳凰は雛をくわえると飛び去っていった。
「サジェッサー!」
泣きじゃくるラファエロを侍従は優しく抱き上げた。
「ありがとう、助かった」
イシュタムもお礼を言うとサジェッサと呼ばれた侍従の目がキリリと吊り上がる。
「またルチフェロ界の厄介王女だな!ラファエロ様を危険な目に合わせおってからに!二度と皇子には関わらないでもらいたい!」
またまたイシュタムが怒られる羽目になる。侍従は城に帰ると罰として納屋にイシュタムを閉じ込めた。
いくらラファエロから誘いを受けて森に入ったと説明しても信じてもらえないのだ。無論、ラファエロはその事についても真実を話さない。
納屋の扉が開く。顔を歪ませて笑うラファエロが入ってくるのだ。
「イシュタムの誘いを受けたのは僕だ。一緒に遊んだ事には変わらないから、僕も喜んで罪を受けるよ。」
これを聞いた侍従は、なんとお優しく寛大な皇子だと涙を流して感動したそうだ。
その後、アンジェロ界では絶滅危惧種の鳳凰を蘇らせた神童としてラファエロの功績は瞬く間に広がった。
全てを知るイシュタムにとっては嘔吐が出る話だ。
幼い頃のラファエロの言葉が響く。
お腹が空いた、イシュタム。
林檎が固いよー、イシュタム。
なんで僕を待ってくれないの、イシュタム。
手を繋なごうよ、イシュタム。
眠れないよ、イシュタム。
「僕はね、イシュタムと少しでも一緒にいたいから嘘をつくんだ」
ラファエロの顔が歪む。
イシュタム、イシュタム、イシュタム、イシュタム、イシュタム・・・・
「イシュタムー!」
「だぁぁー、うるさい!!」
イシュタムは爆発してしまった後に声の主に気づく。
そこには黒い大きな角と大きな黒い羽をもつ青年の驚いた顔があった。
そう、イシュタム達は無事にモンテ・インフェルノ山脈を越えてルチフェロ国に戻っていた。
部屋で休んでいるイシュタムを青年はすぐに見舞いに来ていたのだ。
「あら、アスタルト兄様。すみません、考えごとをしていて・・」
ほほほと笑顔で取り繕うも束の間
「イシュタム!髪はどうした?何故切り裂かれているのだ?」
アスタルトと呼ばれたイシュタムの兄は彼女の肩に手を乗せて取り乱した。
「ラファエロと戦いまして・・お恥ずかしい限りですわ。」
イシュタムは事情を説明した。
「またラファエロの野郎め!」
アスタルトは怒りで歯をギリギリとさせた。
少し深呼吸をして冷静になると、アスタルト兄は真顔でイシュタムを見つめて
「十分に気をつけてくれ、イシュタム。」
と言ってイシュタムを抱き締めた。
「心配なさらないでお兄様。相手はあのドジで泣き虫のラファエロよ。」
イシュタムはアスタルトを励ますつもりで言ったのだが
「それが心配なんだ。ラファエロはいつもイシュタム、お前を狙っているようだからね。羽といい、髪といい奪っていくなんて変な呪いにでも使われていないか心配だよ」
兄の言葉を聞いて、イシュタムの胸にも不安が広がった。
一体、奴は何を企んでいるのだ?
その夜、イシュタムはベッドの中にいた。
「んっ・・」
悩ましげな声が漏れた。
最近、夜になると体が疼くようになった。
「なん・・でぇ?」
顔を赤くさせながらベッドの上で体を揺らしている。
毎晩、似た時間に誰かに体中を優しく擦られているような感覚が日に日に強くはっきりと感じるようになってきた。
「はぁっ」
とイシュタムは甘い息を吐いた。
何か欲求不満なのだろうか?
「ああ・・」
イシュタムは腰を左右に揺らした。
どうして?イシュタムの身体は熱くなってきた。
こんな感覚は初めてだ・・
「ああ、イシュタム」
ラファエロのいやらしい声が耳元で聞こえた気がした。
「だぁぁー、止めろっ!」
イシュタムは急いで身体を起き上がらせた。
「な、何だ、悪夢か」
はあはあと肩で息をしながら、イシュタムは落ち着こうとした。
体がまだ熱く火照っている。
「ああ、イシュタム・・」
先ほどのラファエロの声が耳元で繰り返す。それに反応するかのように体が切なく疼いてくるのだ。
「だあああ」
イシュタムは髪をかき回した。
「悪夢だ、悪夢だ、悪夢だー!」
枕に顔を打ち付けた。
「?」
イシュタムは自分の頭の違和感に気がつく。
いつもより軽い。
角がまるで消えたかのようだ。
とりあえず触ろうと恐る恐る手を伸ばす。
「ない!ない!」
イシュタムはベッドから飛び上がった。
鏡で自分の姿を確認するとそこには
「て、天使!!」
赤い瞳と漆黒の髪が、今や金色の瞳と黄金の髪に変化しキラキラと輝いている。
もちろん角はなく、真っ白な大きな羽が背中を覆っていた。
まるで別人を見ているようだ。
「な、なんでぇー!!」
叫びだしたい衝動を寸前で止めた。
今ここで叫び出してしまっては城の者が来てしまう。
正直に話したところで誰にも自分がイシュタムだと信じてもらえなければ、侵入者として明日の朝には処刑されてしまうだろう。
「どうしよう」
イシュタムは頭を抱えたまま途方にくれた。
「きっとおぞましい呪いの線を考えた方が・・」
突如、昼間のロノウェの言葉を思い出した。
「ラファエロはいつもイシュタム、お前を狙っているようだからね。羽といい、髪といい奪っていくなんて変な呪いにでも使われていないか心配だよ」
そういえばアスタルト兄様も言っていた。
「ラファエロ!」
イシュタムの鼓動が早くなる。
漠然とした確信があった。
厄介事を運ぶのはいつもあいつだ。
ラファエロの顔が歪むのを見た気がした。
イシュタム、イシュタム、イシュタム!
「あああ!」
イシュタムはうつ伏せになり悔しがる。
「ラファエロ、ラファエロ、ラファエロめぇ!」
枕をあて叫び声を殺した後に、むくりと顔を上げ冷静さを取り戻すと、イシュタムは静かに荷造りを始めた。
こうなったらアンジェロ国に殴り込みだ。
この呪いを解く方法を必ず探し出す!
ついでにディアボロ様の奪われた一部を手にして帰れば万々歳だ!
それにはラファエロに会って直接問いただすのが早そうではあるが・・・一番関わってはいけない相手のような気もする。
本能が危険を知らせているかのようだ。
やり方を考えなくてはならない。
「本当に厄介者だ」
イシュタムの胸に怒りがふつふつと沸いてきた。
イシュタムは急いで筆をとる、訳あって外出するが、必ず戻るので心配しないでほしいとの置き手紙を書いて城をこっそり抜け出した。
夜の森に独り飛び出す。
涙が出てくる。
「お父様、お母様、兄様達・・ごめんなさい。ロノウェなんて心配性だからきっと私を血眼になって探しに回るわ・・」
暗闇を裂くように進む白い輝き。
ぐずぐずはしていられない。
悪魔にでも見つかれば仲間と戦わなくてはいけないからだ。
イシュタムは猛スピードでモンテ・インフェルノ山脈を越えた。
モンテ・インフェルノ山脈を越えたイシュタムはアンジェロ国に入った。
アンジェロ領地の外れの村らしい。
ひとまずここからは天使になった自分の姿を見ても襲って来る者はいないだろう。
イシュタムは安堵した。
村に入ると甘い香りや美味しそうな香りがした。露店が並べれていて食べ物、衣類に雑貨まで色々あった。敵国との国境の村なのに豊かで活気がある。イシュタムは山越えの緊張が解れたか珍しい物たちに興味津々だ。
露店を次々に顔を出していると、少し疲れてしまった。とりあえず温かな飲み物でも飲んで、落ち着こうと思った矢先、
「さあ、見ていってくれぇ!珍しい小悪魔の烏丸だよー」
露店主の威勢の良いかけ声が聞こえてきた。
烏丸は賢い鳥だ。躾が上手くいけば伝書鳩以上に使える。人間の顔を認識できるからだ。ルチフェロ国では悪魔の使いとして良く飼われている。
しかし、アンジェロ国には烏丸は生息しない。
「雑用として使えないなら煮ても焼いても旨いぞー」
パンパンと調子よく手を叩くニコニコ顔の店主の後ろで顔を隠しながら震えている烏丸が目に入った。イシュタムは考えるより先に体が動いていた。
「おい、露店商」
イシュタムは睨みを効かせて店主の前に立つ。
「その烏丸はまさか密猟じゃないだろうね?小悪魔の売買は法で禁止されているはずだ」
イシュタムの言葉を聞いた店主は一瞬口を閉めた。アンジェロ国とルチフェロ国は交戦中だが奴隷含めまだ売買は禁止をされている。
「構わないだろ、戦争は激しくなるばかりさ。近いうちに合法になるぜ。」
ガハハと店主は笑う。
「烏丸を解放しろ。そうしないと通報するぞ!」
イシュタムは殴りたい気持ちを抑えて言った。
「なんだ、この尼!偉そうによう。商売の邪魔だ!」
いきなり導線の短い店主の拳がイシュタムの顔を殴りつけようと襲いかかる。
イシュタムはその拳を真正面で受け止めた。
そして露店商の出っ腹を拳返しで一突きしたら
「うぐぅぅ」
露店商は予想以上に派手な音をたてて後ろへ飛んだ。
烏丸は余程怖いのか益々顔を隠して震えている。
人集ができてきた。
「すまない、加減したつもりだったが」
イシュタムは露店商に歩み寄ろうとした時
「ちょっとー、何事う?」
アンジェロ軍の騎士らしい男が近づいてきた。
(やばい!)
イシュタムはその騎士を知っていた。
「イスラ様!」
アンジェロ軍の参謀役だ。
ラファエロが不在の戦いでは火力が弱いのか、いつも嫌らしい戦略を立てる。
煮え切らない男。ひと癖もふた癖もある奴。ルチフェロ軍の評判も悪い。
きっと腹黒い奴に違いない。
イシュタムはいきなり嫌な奴に出会ってしまう自分の運の無さを呪った。
露店商の男は素早く起き上がり、イスラに向かい頭を下げっぱなしだ。
「これはこれはイスラ様。いや、なんですかね。全然大した事じゃありませんぜさ。よくあるイザコザでして。」
イスラはふーんとばかりに口をすぼめて
「そこのあんたは・・・」
まで言いかけたら止まってしまった。
イシュタムはまさかもう正体がバレたかと思った矢先
「どんな怪力男かと思ったがレディーでいらしたか!」
と言っていきなりイシュタムの手を取ると甲にキスをした。
「あ、あの。」
これがあの戦場で見るイスラかと思うと調子が狂う。
「露店商、その烏丸は処分なさい」
イスラはキスを終えると空かさず指示を出した。驚く露店商に後ろでは烏丸が丸くなって飛び上がった。
「美しいご婦人の仰る通りです。例え小悪魔であろうと、悪魔がアンジェロ国にいるのは良いことではない」
目をキラキラとさせてイスラは紳士的に振る舞いを変えた。
イシュタムに虫酸が走る。
「鳥に国境はないはずだ、野に放ってやれないならば私が烏丸を預かろう」
イシュタムは頑とした決意で言った。
イスラは驚いた顔をしている。
「気味の悪い烏丸ですよ。美しいレディーが所有するものではありません。しかも烏丸は人を認識できるらしく、我々天使の言う事など聞きませんよ。」
イシュタムは益々イライラとした。
「烏丸は賢い鳥だ。天使だろうが悪魔だろうが従いたい者だけについてくる。」
丸くなっていた烏丸は初めて顔を出してイシュタムを見ていた。
「烏丸、命が欲しければ私の肩においで」
イシュタムが烏丸に話しかけると、空かさず烏丸はイシュタムの元に飛んでくる。
周りは烏丸の扱いが上手い天使に興味津々だ。
「烏丸は悪魔の使い魔だ。ここで処分させて頂く。」
イスラが剣を構えた。
「鳥に天使も悪魔もなかろう。やるなら私を倒してからにして貰おうか。」
イシュタムも剣に手をかざすと
「ううう」
肩からすすり泣く声がした。
「お優しい天使様、もう十分でございます。あなた様までお命を危うくさせるわけには参りません。」
イシュタムは目を丸くして烏丸を見た。
ルチフェロ国でも人語を話す烏丸は珍しい。
視界に露店商の悔しい顔つきが目に入った。それもそうだろう、人語を話す鳥だと知っていたら露店等では売らない筈だ。
闇の取引なら軽く3年は遊んで暮らせる金が手に入っただろう。
「はははは」
イスラの笑い声がした。
「これはこれは、レディーに剣を向けるほど私は愚かではありませんよ。それに烏丸と言えど人語を話す鳥ならば殺さない方がいいでしょうね。」
あまりにあっさりしているので、イシュタムは拍子抜けしてしまった。
しかし、あのイスラだ。
何かを企んでいそうな気がして仕方がない。
イシュタムは急ぎ人集りを抜けて村を出た。
カラスを抱いてモンテ・インフェルノ山脈に向けて飛ぶ。
「どちらにお向かいで?」
腕のなかで烏丸が驚きながら聞いてきた。
「ルチフェロ国の近くまで送るよ。それからは自由だ。烏丸。」
イシュタムの言葉に烏丸は涙を流した。
「なぜそれほどまでに私の事を」
イシュタムは烏丸にならと素性を話した。
「イ、イシュタム王女!!」
烏丸の大声に急いでくちばしを押さえる。
「だから私達は仲間だよ、烏丸。ルチフェロ国で穏やかに暮らしておくれ。」
イシュタムがそう言うと
「イシュタム様、私はトリマルと申します。私は本当はディアボロ様の使い魔なのです。」
突然の告白にイシュタムはカラスを抱える腕が緩くなった。
「え!ディアボロ様の!」
イシュタムは今度は震えがくる。
「はい。ディアボロ様は今はモンテ・インフェルノ山脈の地下で動く事ができません。私目が代わりにラファエロに奪われたディアボロ様の一部を取り返すように命じられたのです。」
トリマルは恐れている目付きだ。
「ならば目的はほぼ同じか。」
イシュタムはトリマルを撫でてやった。
「ディアボロ様が完全に復活されたら、私の呪いも解いてくださると思う。問題はどうやってラファエロからその一部を奪うかだ。」
イシュタムの言葉にトリマルは頷いた。
「ディアボロ様の何が奪われたのか誰も知る者がいないのも厄介です」
とトリマル。
「本当にラファエロは厄介な奴だ。」
イシュタムのため息混じりの言葉にトリマルは何かを思い出したようだ。
「本当でございます。ラファエロ様は今から5年前にディアボロ様がほぼ復活される時に突如現れまして交渉をしたのです。」
思いがけないトリマルの言葉が続く。
「ディアボロ様を封印しない代わりに自分を悪魔にして欲しいと・・・」
「な、なに??」
イシュタムは思わず叫んだ。
ラファエロが自ら悪魔になりたいだって?
「トリマルもラファエロは気が狂われているかと思いました。しかし、ディアボロ様はラファエロを悪魔にすることができず、それで逆にラファエロの怒りを買いモンテ・インフェルノに再び封印されてしまったのです。」
トリマルの言葉を聞いてイシュタムは開いた口が塞がらない。
ディアボロ様を再封印するのもすごいが、自ら血を変え悪魔になろうとはクレイジーだ。
「なぜラファエロは悪魔に・・・」
イシュタムは言いかけて止めた。
後ろら放たれた矢を交わし上に跳ね上がると回転して後方の奴等を確認する。
「本当にイスラ様の仰る通りだ。」
先程の露店商の店主とその仲間達がいた。
「まだ何か要か?」
イシュタムはトリマルを胸に抱いている。
「その烏丸の御代を頂いてませんぜ。」
露店商は仲間もいるのかニヤニヤと余裕そうだ。
「密猟者にやる金はないね。」
イシュタムの腕にトリマルの早い心臓の音が感じられた。
「なら烏丸は力ずくで返して貰うぜぇ!」
露店商が言い終わる前に仲間の1人がイシュタムに斬りかかった。
イシュタムはそれを素早く避けて男のみぞおちに蹴りを入れた。
「うっ」
そのまま男を掴み力任せにもう1人の仲間へ跳ばしてやる。
男をぶつけられた仲間はバランスを失った瞬間にイシュタムは魔波をおくり二人は地上へ真っ逆さまに落ちていった。
「ひぇぇ、とんだ女戦士だよ!」
あっという間に仲間を2人失い、1人はそう吐き捨てると、きびすを返して逃げた。
残るは露店商一人のみだ。
「お助けくださいぃぃ」
先程の余裕は何処へやら、羽まで震えて飛んでいる。
「もう密猟は止めろ。また露店で売っているのを見たら・・・」
イシュタムは剣を抜こうとした。
「しませぇん!しませぇん!絶対ですー」
露店商の店主は一目散に逃げて行った。
「お噂には聞いておりましたが、あっぱれでございます。」
良く見るとトリマルは放心していた。
「はははは」
嫌らしい笑い声が聞こえイシュタムはため息を隠さなかった。
「お強いレディーだ。ゴロツキでは全く話しにならないね」
何処からか姿を現したイスラは、ふわりふんわり飛びながら笑っていた。
「ご親切に奴等をけしかけたのはイスラ様でしょう。」
イシュタムは皮肉をあびせる。
「悪く思わないで欲しい。ちょうど君のような人材を探していたのさ。」
イスラは悪びれもなく言ってのけた。
「度胸があって腕っぷしの良いレディーがなかなかいなくてね」
イスラは軽く片目を閉じる。
「イスラ様が何の御用です?」
イライラとしながらイシュタムは言った。
するとイスラは周りを確認しながら声を潜めて
「ラファエロ様の後宮に入って欲しい」
と言ってきた。
「は?後宮?」
イシュタムの顔は赤くなる。
兄様達も後宮は持っているし、確かにラファエロにあってもおかしなことではない。
「ははは、別に妾や側室になってくれとは言わないよ。」
イスラは笑っている。
こちらの反応を楽しんでいるかのようだ。
やはりくせ者だな、奴は。
「後宮は男性の立ち入りができないからね。君に侍女として入って欲しいのさ。」
イスラと目が合った。
「で、後宮に入って何をするんです?」
イシュタムはイスラの目を離さない。
食えない奴の考える事だ。
「ラファエロ様の後宮に悪魔が出るとの噂があってね。本当か調べて欲しい。」
イスラは全く予期しない話をした。
「悪魔がでる?」
イシュタムは驚きを隠せない。
そもそもアンジェロ国の英雄ラファエロが悪魔と繋がっていたら大問題だ。
「詳しくは城で話すよ。引き受けてくれたら、お礼はご要望のままさ。」
イスラはそう言うと軽く手を回した。
確かに良い話ではある。
ラファエロの近くに行けばディアボロ様や悪魔に戻る手がかりが掴めるかもしれない。
イシュタムはトリマルをぎゅっと抱き締めた。トリマルは頷いた。
「わかったわ。引き受けましょう。面白そうな話じゃない。」
イシュタムの言葉にイスラは満面の笑みで返す。
「ありがとう。助かるよ。名前を聞いていなかったな、レディー。」
イスラの言葉にドキリとした。
本当の名前を名乗るのはまずい気がする。
「ラグエラ」
イシュタムはとっさに別名をだした。
「ラグエラです。よろしく、イスラ様。」