21:嗚呼、こんな結末、望んでなんかいなかったのに
とても、静かな、夜だった。
僕たちだけが住む世界。
僕がこの先歩むであろう未来が、風に揺られてすぐそばまできていた。
僕たちは公園を後にして、車で、リエの家の前まできた。
高台にある、見晴らしのいい場所だった。
リエは車を降りる。
僕もリエを見送るために、車から降りた。
街明かりが、ほのかに世界を染めている。
リエは僕の腕を掴んで、微笑んだ。
『ねえ、おやすみのキスを、して?』
さようなら、リエ。
『……どうしたの?』
僕は、動けなかった。
薄く目を閉じる彼女の細い体を抱き寄せ、その唇を重ねることが、どうしてもできなかった。
僕は、泣きたくなった。
これで、本当に、終わる。
リエの顔を見ていられなくなって、僕は目を背けた。
『もう、リエを抱きしめることは、できない』
リエの眉がはっと歪む。
彼女が俯くのを、横目に見えた。
『………』
彼女が薬指につけていた指輪を、そっと外す。
『……今日、会った時からね、ふられるんじゃないかって、ずっと思ってたんだ』
そっと指輪を返してくる、リエ。
『ねえ、お願い。理由を、教えて?』
リエが一歩後ずさり、僕とリエの距離は三メートルほど空いた。
風がひどく冷たい。
夜が、静寂が、突き刺さるように辛い。
僕は一度目を閉じて、深呼吸をした。
言おうとしていたことは、全て頭の中に鮮明としている。
それを、自分の持てる誠実さいっぱい使って、きちんとリエに話そう。
それが、彼女を傷つける僕の、最後でできる限りの『優しさ』だった。
『リエと付き合う前に、好きな人が、いたんだ』
告白してふられたんだけどね。
誤解しないでほしいのは、リエのことは、本当に好きだったし、リエと付き合うことができて、とても嬉しかったんだよ。
ただ、先日、その子からメールが来たんだ。
別れたんだって。
そのメールを見たら、もうリエと一緒にいることができなくなったんだ。
『……ひどい人』
『待って、まだ言いたいことが』
『聞きたくないッ!!』
リエは、ばっと後ろを向いた。
『――さよなら』
リエはぽつんと恨めしく言い放って、とぼとぼと歩きだして。
僕は、またしても言葉がうまく出てこなくて。
彼女を引き止めることもできなくて。
さよならさえも言うことができなくて。
『……おやすみ、リエ』
僕は、門の向こうに見えなくなるリエの背中に向かって、静かに言うことしかできなかった。
見下ろした町田の街は、とても静かに霞んだ明かりが、揺らめいていた。
きちんと、言えなかった。
まだ、言いたいことがあったのに。
引き止めて、腕を掴んででも制止して、全部、聞いてもらえればよかった。
僕は、リエの携帯に電話をした。
繋がらない。
『こちらは、auです。お客様のおかけになった電話は、電波の通じないところにおられるか、電源が入っていないため、かかりません』
きちんと話をしたいのに。
リエ。
ごめんなさい。
そう、僕は、リエに『ごめん』すらも、言っていないんだ……。
なんて、なんて、なんて、なんて。
僕は、最低だ。
そんなことは、もう分かりきっている。
ユリからのメールを見て、リエから離れようと思った時点から、ユリのことが忘れられないのにリエと付き合いだした時点から、ううん、もっともっとずっと前から、僕は誰かを傷つけることしかできない男だったんだ。
ごめん、リエ。
本当にごめん。
できることなら、早く僕みたいな男は忘れてください。
僕は、君を愛しきることができなかったから。
僕みたいな男といた時間を、思い出にしないでという僕は、きっと卑怯なのでしょうね。
最後まで、ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめん。
僕はリエの去った門をしばらくずっと眺めて。
一度深く頭をさげた後、車に乗って逃げるようにその場を離れた。
嗚呼、こんな結末、望んでなんかいなかったのに。




