20:貴女が好きになった人は、こんなにも愚かで弱くて卑怯な人間なのです
どうしてリエは僕のことを好きになってくれたんだろう。
僕のどういうところに惹かれたんだろう。
彼女の笑顔を見て、僕はふっと考えた。
なぜ、好意を持ってくれたのか。
なぜ、今笑ってくれているのか。
僕には、分からない。
思い当たる節がない。
悪漢から身を持って守ったことも、恋愛相談に乗ったことも、劇的な事件が起こったわけでもない。
もちろん、そんなことが無くても誰かに恋心を抱くことがあることは知っている。
身をもって体験している。
君のこういうところが好きで……なんて言葉、全てが終わった後に振り返った時に使う言葉であって、進行中にはまったく分からない。
ごめんなさい。
貴女が好きになった人は、こんなにも愚かで弱くて卑怯な人間なのです。
まるで詩詠みのような台詞が、頭をかすめていった。
彼女はその夜、とても無邪気だった。
今まであまり見せてこなかった、あどけない子供のように、星を見て喜び、ブランコを漕いで笑い、僕の頭を撫でて幸せそうにしていた。
決心が揺らぐ。
こんなにも僕と一緒にいてくれることで笑ってくれるのなら、僕は今夜別れる必要などないのでは。
霞んだ意識が頭の中を右から左へと泳いでゆく。
あまりにもリエが楽しそうに笑うものだから。
気がついたら僕も笑っていて。
いつの間にか笑っていて。
なんだかとても幸せな気分になって。
僕は間違っているのではないかと思ってきて。
きっと間違えているのだと思う。
月が魅せるようにぼんやりと白く輝いているからだろうか。
月光に濡れたせいで僕は幸せな錯覚を起こしているのだろうか。
真意はつかめないが、でも、僕が今幸せだと感じているのは事実だった。
たとえ幻なのだとしても。
ありがとう。
僕は心の中でリエに呟いた。
一緒にいてくれてありがとう。
こんな僕を好きになってくれてありがとう。
だからこれでさようなら。
未練が無いと言えば嘘になる。
本当は未練だらだら、耳の穴から流れる膿のように濁っている。
僕は、これからリエを傷つける。
自分自身のヒトリヨガリのために。
僕は、罪を犯す。
裏切りの姿に似た罪を、犯す。
良心の呵責が、僕を、苛む。
『……リエ』
僕はベンチから立ち上がり、もう一本、煙草に火をつけた。
白い煙が夜空に燻ぶる。
リエは嬉しそうに近づき、僕の胸にそっと手をあてた。
僕はリエをその腕に抱いた。
彼女の体温が感じられる。
ほっそりと小さなリエ。
ほのかな香水が、薫風と共に僕の鼻をくすぐる。
いい匂い。
僕は、泣きたくなった。
なんで、こんなことをしているのだろう。
最後の晩餐のつもりだろうか。
自分でも、分からない。
リエは泣くだろうか。
泣かせたくない。
だから今夜言うのはやめようか。
いや、時間が経てば経つほど、思い出が増えれば増えるほど、彼女の傷は深く鋭くなるかもしれない。
別れるなら、今夜。
月は、僕達のこの先を知っているのだろうか。
僕はリエの頭を撫でながら、夜空を仰いだ。




