14:ねえ
その静閑な間は、ずいぶん長いようで、しかしきっとほんの一瞬だったんだと思う。
ユリと過ごした日々の、とてもささやかな幸せが、頭の中で瞬いて、消えてゆく。
とうとう、言ってしまった。
破滅への序曲、始まりへのプレリュード。
戻れない、一線を越えるための言葉。
今までの僕と決別するための、これからも続く長い関係の、一つのピリオド。
僕は思わず泣き出しそうになった。
後悔とも違う、懺悔とも違う、かと言って諦めでもなければ郷愁の念でもない、哀の慰めとも違うし二人の讃美とも違う、そこに佇むだけの偽りのない感情が、僕の涙腺から溢れだしそうになっているのだ。
だけど、泣かない。
かわりに僕は体をユリの方に向けて、しんなりと細くて白い彼女の首を、艶やかになびく彼女の髪を、少しだけ見え隠れしている彼女の耳を、少し赤らんでいる彼女の頬を、小さくて申し訳なさそうにちょこんと飛び出した彼女の鼻を、アイラインがひかれてはっきりとも力強く濡れる彼女の目を、見た。
数度、ユリは小きざみに瞬きをすると、すっと視線だけ地面に移し、そしてまた前方へと戻した。
『……あはは、言われちゃった』
彼女は照れくさそうに笑うと、ゆっくりと僕の方に体をむけた。
顔は俯きかげんに、僕からは彼女の表情を見ることはできなかった。
『言われるだろうと思ってたけど、いざ言われると、恥ずかしいものがあるね』
彼女は伏目がちに笑いながら、右手の人差し指で、頬を軽くひっかいた。
僕は動くこともできず、彼女の言葉を待った。
今までにも、告白をしたことはある。
でも、こんなに緊張したことはなかった。
こんなにも胸が詰まる感覚をおぼえたことはなかった。
『びっくり、ワッカくんが私のことをそういう風に見てたなんて』
『……自分でもびっくりしている』
少しおどけてみせるも、僕の緊張も、その場の空気も変わることはなかった。
まるで二人ともこの先が分かりきっているかのように。
いや、きっとユリもわかっている。
僕がどういう想いでこの場に呼び出したのかも、自分のいる立場も、何もかも。
『この先、言わなくちゃダメ?』
少し困ったような声で、彼女がおとすように呟く。
戸惑いが混じっているような、細い声だった。
『できれば言ってほしい。その方が、いい』
『…………そっか』
彼女はうん、と小さく一度頷くと、そこで初めて顔をあげて、僕の顔だけを見た。
目が潤んでいる。
今にも溢れだしそうなほどに。
『私、大学辞めちゃうから、頻繁に会えないんだよ』
『知ってる』
『彼氏いるんだよ』
『それも、知ってる』
言葉がなくなる。
しかし彼女の視線が僕の目から外れることはなく、ずっとずっと、僕だけを見ていた。
ずいぶんと長く思える。
戻らなくていい、進まなくてもいい。
今この時間が、ずっと続きますように。
願って、やまなかった。