11:今日の眠りは浅いまま続きそうだった
『なんや、えろう落ち込んどるな。何かあったんか?』
『……いや、最近忙しくてね。あんまし寝れてないんだよ』
ユリと引き合わせてくれた友人にも、彼女のことを話せなかった。
彼は気づいているのだろうか、僕のユリに対する想いを。
『そういや、的場さんな、大学辞めるらしいで』
『…………え?』
一瞬、頭の中が真っ白になった。
『な、なんで?!』
『いや、俺も分からへん。ただ3月いっぱいで退学するらしいで。単位数、足りてへんかったんかな? すでに五年生が決定していて、それで嫌になって辞めたとか』
そんなことはない。
彼女の話を聞く限り、ある程度の単位は取れているはずだ。
『ま、俺も本人から直接聞いたわけじゃあらへんからな。信憑性があるかも分からへん。ただ、そういう話を的場さんの友達から聞いたってだけやし』
分からない。
なぜ、彼女が大学を辞めるのか。
ユリが大学を辞めるということ。
それはユリと会える確率が激減するということ。
嗚呼、なんて女々しい。
でもしょうがないのだ。
僕にはそうとしか考えられなかったのだから。
『仲間がいなくなるって結構寂しいもんやな……おい、どうした、そんなにショックなんか?』
『そりゃ、ね』
僕は、ひどく動揺していた。
『知り合いが大学を辞めると聞くのは穏やかじゃない』
もう彼の言葉も届かない。
その日の講義の内容も覚えていない。
気がついたら部屋に帰ってきていて、ユリにメールを送信していた。
今日大学を辞めるって話を聞いたんだけど突然どうしたの、本当なの、びっくりしたよ、と。
彼女からメールが返ってきたのは、三十分ほどしてからだった。
いつもよりもすこし長い。
『驚かせちゃったみたいでゴメン。その話は本当で、三月付けで大学を辞めることにしたの。まあ、いろいろと理由はあるんだけど。主な理由は二つかな。
一つは単位数、実はそんなに足りてなかったの。自分ではうまくいってたつもりなんだけど、思ったよりも取れなくて……ほぼ五年生って感じかな。語学の単位が取れなかったのが一番痛かったかも。
もう一つは、これが一番の理由なんだけど、私、音楽やりたくて。昔からピアノやってたし、音楽好きだったし。音楽について勉強したいなって思ってたの。だから、音楽関係の専門学校に入学しなおすことにしたんだ。この間合格発表が出て、見事合格してました! 少し遠い場所になっちゃって、一人暮らしをしなくちゃいけなくなっちゃったけどね。笑。
ヴィジュアル系の話とかよくしたよね? ライブに行ってヘッドバンギングしたり咲いたりするのは楽しいんだけど、やっぱり自分もバンドやりたくなっちゃったし。楽屋でバンドさんたちのお世話するのも楽しそうだし。作曲家でもいいし。ピアノの調律師でもいいし、音楽の先生でもいい。とにかく音楽に関係した仕事に就きたくて。
うちの大学って、あまり音楽をがっつり勉強するって環境じゃないでしょ。どっちかっていうと鑑賞程度で、例えば音楽理論とかそういうのを勉強するには不向きなの。まさか大学に入って真剣に音楽に携わりたいって思うとはって感じ。自分でもびっくりだけど、悩んで考えた末に出した答えだから、迷いはないかな。
そういうわけで、私は大学を辞めることにしました』
嘘であってほしいと、これほど願ったことはなかった。
しかし、全てが紛れもない真実で、僕がいくら違うと叫んでも、それを覆すことなどできなかった。
『そっか。頑張れよ』
そう短く返信すると、僕はパタンと携帯を閉じて、目をつぶった。
このまま眠ってしまって、目が覚めるとこのやり取りは全部夢の中の世界で、僕はなんて愚かな夢を見ているんだろう、と笑いたかった。
場所は聞かなかったけれど、片道一時間半かかっても自宅から通っていたユリが一人暮らしをするということは、結構遠いところなのだろうと思う。
もうしばらくしたら、本当にユリと会う機会がなくなってしまう。
大学の構内ですれ違うこともない。
涙を見せないように背を向けて手を振ることもできない。
……嫌だ。
だから、僕は最後にユリと会いたかった。
一生の別れではないにしても、それでもしばらく会えないのが辛い。
このまま別れてしまうのが、辛い。
僕は前へ進めなくなってしまうだろう。
誰かを愛することができなくなってしまうだろう。
ユリのことが忘れられないから。
想いを告げることもできずに去られてしまったら、僕のこの想いはどこに向ければいいと言うのだろう。
他の女性なんて馬鹿馬鹿しいことはできない。
それは、ユリに対しても、その女性に対しても、失礼極まりない。
前に、サウンドノベルをやってみたことがある。
『手紙~以下略~』という名前のそのサウンドノベルでは、女の子は直接会えない代わりに、手紙を彼の元へ送っていた。
手紙じゃダメだ。
不器用でも、うまい言葉が見つからなくても、僕は直接会って、本心を自分の口から言いたかった。
好きなんだ、と言いたかった。
同じ後悔するにしても、言わないで後悔するよりも、言って後悔したい。
もちろん、きっと僕は後悔しないと思う。
何に対して後悔する?
彼女を好きになってしまったこと?
彼女に好きだと告げてしまったこと?
どちらも違う。
他に理由が見つからない。
だから、僕はきっと後悔しない。
出会えてよかった、楽しい時間をありがとう、と言えるだろう。
彼女は二股をかけるような人間じゃない。
だからきっと、僕が告白したところで、玉砕するに決まっている。
僕は割り込んだ者。
勝てるはずがない。
明日、ユリに会いたいとメールを送ろう。
どうしても伝えたいことがあるから、と。
決めた。
迷わない。
ユリと今までの関係でいられなくなるかもしれない。
本当のことを言えば怖い。
でも、何もできないままでいたくない。
だから、言う。
もう夜の帳が落ちきっていた。
気がつけば、午前三時。
なのにあまり眠くない。
脳が麻痺してしまったのだろうか。
僕はとりあえずパソコンの電源をつけ、いつもやっているSNSの自分のページを開いた。
新着メッセージが一件、届いていた。
発信者はリエで、三十分前に送られたものだった。
『ごめん、ちょっと愚痴聞いてもらってもいいかな? あのさ、私、今週の土日のお仕事無くなっちゃったー! またNikonのキャンペーンで入るはずだけど、行くはずだった店舗から来なくていいですって言われたんだって。おかげで暇になっちゃったよー。もう、勘弁してほしいよね』
僕の方は、実は先週から一ヶ月程度、休みをもらっていた。
理由は特になくて、単純に土日で遊びたかったから。
予定が入ってるわけでもないけれど、僕は時々休みをもらってのんびりとした週末を過ごしたかった。
だから、今週の土日も僕は休みで、のんびりと過ごそうと思っていたところだった。
ふーんと思いながら、キーボードを叩く。
『それは残念だね……どんまい。僕は先週から休んでるよ。来月くらいまでかな。もしよかったらどこか行かない? 僕もちょっと聞いてほしいことがあってさ。お茶でもしながらのんびりしようよ』
なんだかプチ傷心旅行になりそうだな、とメールを送信し終わってから苦笑した。
泣かなければいいだろう、リエに迷惑はかけたくない。
メッセージを送ってから、五分もしない内にリエから返信があった。
『え、本当に? もちろんいいよー。どこに行く? 遊園地? ドライブ? ゲーセンでもカラオケでもなんでもいいよー。好きなところに行こうよ』
まるでデートするみたいだな、と思った。
遊園地、ドライブ、ゲーセン。
仮にデートだとしたら、どれも経験したことのないデートだった。
デートと言ったら、公園に行ったり、美術館に行ったり、喫茶店に行ったりというのが僕のプランだった。
車は持っているが、リエの住む町田はいささか遠いし、都内二十三区を走るのは嫌だった。
首都高も渋滞になるのが怖い。
遊園地はあまり好きではなかった。
嫌いではないが、アトラクションを回るのに疲れてしまったり、三十分並んで待ったりというのが気に入らない。
『とりあえずお茶してから考えようか。その後飲みに行ってもいいし?』
『あ、それもいいねー。お酒強そうだよね』
『そこそこかな? リエはお酒強いの?』
『私はあんまり。サワーを二杯も飲んだらけっこう酔っ払っちゃう』
メッセージをやり取りしていたらいつの間にか眠くなってきて、僕はリエに『もう寝ますおやすみなさい』とメッセージを送って、布団に潜った。
じょじょに意識が飛んでいく。
今日の眠りは浅いまま続きそうだった。




