水の国 ⑮失敗と本能
「もう諦めたらどうですか? あ、聞えないんだった。でも諦める気はないみたいだね」
「がっっ! づあぁぁ!!! 」
シクロはビートビーの撃墜ができなくなってしまうがまだ諦めていない。目がまだ戦士の目をしている。シクロは自分の思い通りにならないと怒りを噴出し、自分の思い通りに物事を粉砕してきた。それは水の国の文化なのか本人の性格なのかはわからないが、つまるところ負けず嫌いなのだ。その負けず嫌いの精神が己を常に高めてきているのは確かなことだった。だがケラはそんなことは知らない。ケラどころか雷帝丸すら知らない。その知らなかったことが、ケラにとっての不幸だったのだ。
(ビートビーみたいな音に関する魔虫の扱いは僕にとっては容易だけれど一歩間違えれば僕も襲われる。それは僕が操り続けていれば問題ない。でも能力とかで逆転される可能性も考えたら結局早めに決着を付けないといけない。まだ早い気がするけれど、動けない今のうちに矢で仕留めた方がいい! )
ケラは確実に勝利するために最後の一撃を放つ準備をする。攻撃指令を出し続けないといけないため琴は手放せない。そのため戦闘中にも関わらずその場に座り込んだ。琴の音を絶やすことなく器用に琴を両脚で挟み込んで固定する。固定した琴を右手に付けている演奏用の爪で鳴らしながら、左手で準備を進める。
「魔力を左手に少し流して…琴を展開! 」
琴の柄が展開して弓のように変形し、それと同時に弓用の弦が現れてスルリと張られる。展開前の琴の弦と枠は変形機構が施されていないためそのまま演奏が続けられるが、弓を引く際に両手がふさがってしまう。それを気にせずに弓に使用する黒い鏃を付けた矢を一つ取り出す。
「よし、うまくいった。この鏃は僕がビートビーとはじめとする多くの動植物から抽出して調合した猛毒が数種類仕込まれている。まともにくらったら全身から血が噴き出て、出てきた血が瞬時に固まるから真っ赤なオブジェみたいになる悪趣味すぎる矢だ。危険すぎるから1発しか用意してないけど僕の必殺の武器。お姉さんには悪いけど……僕の秘密を暴いた罪を償ってもらうよ」
ケラは自分の必殺の武器の解説を誰に向かって言うわけでもなく呟いているとふつふつと出会った日の夜のことを思い出して殺意が込み上げる。立ち上がって弓状にした琴に矢をに装填しようとするが、琴を展開している間にビートビーは撤退を始めていて既に集団としての統率は取れなくなっていた。
「な!? 攻撃指令は出しているんだよ!? なんで逃げているんだ!? 」
「ぐ…ふ……! た…た…! 」
シクロは服が破れ、ビートビーに刺された全身の箇所が大きく腫れて毒々しい紫色に変色し、まともに立ち上がれず音も聞こえない。だがシクロは食い下がる。
「数が少なすぎる…まさか! ビートビーの群れが壊滅状態!? 500 匹はいたはずのあの群れが!? どんな種でも絶滅を免れるために逃亡するのはよくあることだけど、群れがそんな状況になるまで殴り殺されたのか!! 」
(し、死なずに済んだ…ただでさえ耳とか頭とか痛いのに刺されて全身が痛いのよ!! 趣味の悪い魔虫を何とか引かせたけど毒が……背中に脇腹、お尻、太もも、ふくらはぎ……あちこち痛い! しかも腕から毒が回って手が腫れててもう殴れないし! ふらふらするのにさらに毒でふらふらする。ああもう!!! ほんっとふざけんな! あの男はぜぇぇぇぇぇぇぇぇたいにぶっ殺してやる!! あたしを毒で犯してるんだから股間を潰して女の子にしてやる!! 顔は女の子並にかわいいからそれをエサに性的な目で見て近づいてきた男をコイツもろともぶっ殺す!! )
シクロは自分が死の縁にいてもサイコパスな思考回路をしているが、男を殲滅し、女を堪能して我が物とする。この狂気に満ちた発想がシクロの原動力である。
「さては良からぬことを考えているなシクロさん」
なにかを察してしまった雷帝丸は頭を抱えて対戦相手のケラに心の中で謝るが、誰もその謝罪に気が付かない。雷帝丸は疑問を持ち始めたコハクにシクロのようになってほしくないと願う。
「くッ、もう待てない! この矢を、喰らえ! ……はっぁ!? ぁはあっ!? げほっげほっ!! 」
動こうにも動けないシクロに怖気づいてケラは当たれば即死も免れない矢で弓を引く。だがうまく弓が引けない。怯え、焦り、緊張が正常な構えを許さない。自分の策が破られたことに動揺して思考が止まり始めて動きが鈍り、手元が狂う。幾度となく人間と魔獣を見て、観察して、戦い続けたシクロはそれを見逃すわけがない。身体は動かなくともケラが失敗した時のことを異常に恐れるそれは、もはや戦う戦士ではなく生存本能に従って逃げ惑う魔獣だった。
「ぜー、ぜー…はぁぁぁぁあああ…! ぜー、ぜー、はぁぁぁぁあああ……! 」
過呼吸のような、喘息のような不安定な呼吸に震えて力がしっかりと入らない腕。魔力の供給が追い付かなくて琴に戻ろうとしている弓。世界が終わるかのように涙を浮かべるその少年に手を差し伸べたくなる者もいれば罵声を浴びせる観客もいて、ケラは余計にパニックに陥って何もできない。そんなケラにピシャリと水のような言葉が突き刺さる。
「男だろ! 立ち向かえ!! 」
快活で力強く、どこか繊細な声の主はシクロだった。
ケラはとある事情で異常に失敗を恐れます。まだ10歳とはいえ、だいたいこのくらいから授業中に先生から指されないようにするために手を上げなくなった人も多いでしょう。皆様もいつしか失敗を恐れてできなくなってしまったことってありませんか? 作者は山ほどありますし、今も生産中です……。




