精霊王の息吹の迷惑なお客さま
昼の休憩を楽しんでいた者たちも職場に戻り、ハイネの炭鉱街も静けさを取り戻した、だが一日の仕事が終わればまたここも活況を取り戻す、それまでのしばしの静けさだった。
そのハイネの炭鉱街の繁華街に魔術道具屋が数件集まる場所がある、そこに一際妖しい雰囲気を漂わせた魔術道具屋があった、店の前に精霊占いや精力剤や惚れ薬や毛生え薬の宣伝の看板が立てられている。
その魔術道具屋『精霊王の息吹』の扉が静かに開かれた。
店主はふと入り口に眼を向けて僅かに驚いた。
「あのーよろしいでしょうか?」
扉を開けたのは17歳に届かない程の若い娘、その娘は長く黒い艷やかな髪を真っ直ぐに背中に流し、その瞳は薄い青だったがそこに僅かに灰色が混じっている。
顔が少し日に焼け気味なのが残念だが細面で整っている、体つきは細身で引き締まっていたが色気は乏しく、むしろ清楚な美しさを誇っていた。
化粧気もないがその肌の艶も少し薄めな唇の色も美しく、きつめな目元が硬質な美しさを添えていた。
そして頬には僅かに赤味が差していた。
服装は良家の使用人風のドレスで仕立ての良さとそのセンスもなかなか洗練されている、彼女は貴族か商家の使用人だろう。
だがかなり酷使したのかドレスにほつれや傷があちこちに目立っていた。
そして小ぶりの幅広の剣を佩いていた、女性でも護身の為に武器をもつ事もあるが、その剣は妙に可愛らしく似合っていた。
この店にはあまり筋の良い客はこない、水商売や街の女達が精霊占いや妖しい薬を買い求めにこの店にやってくる。
この店も表向きはそんな客を相手にしているのだ。
その少々場違いな娘は、扉を開けたまま、すこしオドオドとして店内を不安げに見渡していた、あまりこんな店には縁が無いのだろう不安げだった。
だが意を決したのか少女は勇気を出して店の中に入ってきた。
「あのー」
店主に蚊の泣くような細く頼りない声で呼びかけた、その少女はもじもじしながら上目遣いに店主を見つめる。
店主はこの珍しい客に強く興味を引かれた、だがこのままでは話が進まない。
「何かお探しですか?お嬢さん」
「あ、あの、あの」
「まあ落ち着いてください」
「はい、看板に、そのほ、惚れ薬ってありましたので」
少女は顔を赤くして俯いてしまった。
店主は苦笑してしまった、この娘なら惚れ薬などいらないだろうと思ったからだ。
うぶな娘の恋煩いなのかと微笑ましく思う。
「だれに呑ませたいのかな?年齢や体格によって変わるんだよ?」
これはでまかせだ、店主は好奇心からつい知りたくなったのだ。
「は、はい、旦那様は20を少し過ぎたぐらいで、とても背が高いお方ですの」
「旦那様?」
「大きな商会の若旦那様です」
「・・・」
店主は少しだけ焦った、この娘は大商会の若旦那の妻か妾に強引に潜り込むつもりなのかと疑い出した。
そんな客には慣れていたがこの娘の印象とそぐわないからだ。
改めて娘の顔をまじまじと良く見たのだ、ふせ気味のその娘の目が僅かに泳いでいるのを見逃さなかった。
この娘が演技をしていると店主は直感した。
清純そうだがかなりの阿婆擦れに違いない、だがまだまだ若くて詰めが甘いようだ。
「良いお客様になりそうだな」
無意識に小さくこぼした。
「なにか?」
「いえ、お嬢さまなら素敵な奥様になれますよ」
「まあ、はずかしい!!!」
少女は店主の肩を軽く叩く、軽く叩いた様に見えて店主の予想を上回る重い衝撃が理不尽に店主を襲う。
「ぐはっ!?」
肩を叩かれた店主は呻き声を上げよろめき倒れて床に四つん這いになってしまった、肩が痺れる様に痛む。
「あ、ご、ごめんなさい!!」
少女はカウンターの扉を押し開き店主に駆け寄り介抱しようとした、その時少女が跪いた瞬間に床に落ちていた小さな何かを拾ったが店主はそれに気がつかない。
「いいから入って来ないで!!大した事は無い!!!」
店主の語気が荒くなり、少女はしては行けない事をしてしまったと慌てた、少女は慌てて外に戻る。
「勝手に入って御免なさい!!」
店主は肩をさすりながらよろよろと立ち上がった、少女に軽く叩かれただけでよろめくのも男の誇りが許さなかったのか、叩かれたことは水に流すことにした様だ。
「お嬢さん力があるね・・・」
「ごめんなさい・・・」
「店の奥には危険な薬や物が置いてあるから入ってもらってはこまる、いいね?」
「はい・・」
少女は店の奥の黒い厚手のカーテンを興味深げに見ていた。
店主は肩の痛みも引き気持ちも落ち着いたので、気を取り直して商売の続きをする事にした。
「さて薬の強さはどの程度でよろしいでしょうか?お嬢さま」
「あ、あの、強いほうが」
「強すぎるとお相手の理性が失われてしまうかもしれませんよ?」
「旦那さまと結ばれたいの、あの、その、赤ちゃんが欲しい」
最期は蚊の泣くような声だったので聞き取り難かったが店主は聞き逃したりはしなかった。
「おまえ順序が逆だろが!!」
店長は心の中で突っ込んだが、薬を使って玉の輿を狙う使用人の少女説がいよいよ確定してきた。
少女は真っ赤な顔を上げて店主に問いかけた。
「できたらお茶に入れられるもので」
どうやらそこまで計画を立てている様子だった。
「少しお待ち下さい」
店長は店の奥に引っ込んだ、少女は店内をキョロキョロと観察しはじめる。
「『ひらけ胡麻』貴女は私~」
気の抜けた言葉と共に、扉が突然開かれて新たな客が店に入ってきた、少女は驚いて扉の方を見る、向こうも先客がいたので少し驚いた様子だ。
入って来たのは三十代半ば程に見える女魔術師で、痩せ気味でやつれた細面で髪を後ろで束ね垂らしていた、髪も手入れがされておらず、顔色もあまり良くない上に目の周りに隈まである、だが左目の丸い金属縁のモノクルだけが妙に美しく輝いていた。
背は高く使用人の少女より頭半分程高い。
その女魔術師はその使用人風の少女を少し軽蔑気味に眺めやると店の中に踏み込んできた。
「カルロスはいないの?」
店の奥から店長の鋭い声がする。
「リズか?今は入るなと言っているだろ、何度言わせるんだ!?」
おかげで店長の名前がカルロスらしいと判った、そして使用人の少女の顔に「今は?何を言っているんだ?」と言った疑問が浮かび直ぐに消えた。
リズと呼ばれた女魔術師が使用人の少女の脇を通ろうとした時、少女は道を譲ろうとしたが脚をもつれさせて姿勢を崩す。
「きゃ~」
少女の悲鳴が上がり、少女はリズに倒れかかりそのまま商品棚にぶつかった。
「ぐげ!!」
リズがベルに潰される様に棚に押し付けられたのだ、その衝撃で商品がこぼれ落ちて店内に埃が舞い上がる。
商品の上に埃が積もっていたようだ。
「げほ!!ちょっと貴女その手をどけなさい!!」
「ごめんなさい!!ごめんさなさい!!」
使用人の少女はリズのローブの中に手を突っ込んでいたのだ、思わず慌てて手を引っ込めると手に大きな布の袋を掴んでいた。
「すみません!!」
少女はあわあわと慌てふためき袋を返そうとしたが、袋を取り落してしまった、そして最悪な事に口紐を指で引っ掛けていたせいで中身が床にこぼれる。
何か黒く焦げた燃えカスの様な物が床一面に撒き散らかされた。
「何やっているの!?」
「ごめんなさい!!拾いますぅ~」
「いいから!!貴女じゃま!!」
その時何かがぶつかった様な鈍い音が店内に響く、使用人の少女と女魔術師がお見合い状態となり、お互いの頭がぶつかったのだその音だった。
「はにゃ!?」
女魔術師の目の焦点が定かでなくなりそのままフラフラと彼女は倒れて落ちていく、使用人の少女がすかざす抱きとめて床に降ろした、モノクルが外れて床に落ち小さな音を立てる。
使用人の少女は素早く女魔術師の体をまさぐると、小さな布袋を見つけその袋の口を開ける、その中に触媒らしき物が詰め込まれていた、見たことのない小さな羽虫の半透明な羽があったので一枚だけ失敬する。
そして床に落ちた物を拾い集めると袋に戻していく。
「なんだ今の騒ぎは?」
そこに店長が戻ってきた、店長は棚から落ちた商品と店内の埃と倒れた女魔術師を見て事情を察した。
「頭と頭がぶつかってしまいました!!」
お互い頭をぶつけたぐらいなら大丈夫だろうと店長は判断したが、念の為に女魔術師の脈をとる。
「生きている、まあ大丈夫さ、コイツラが死んだらお笑い草だ」
使用人の少女はなぜか不思議な微笑みを浮かべた。
「ご迷惑をおかけしましたわ」
「さあ、ご希望の品が見つかったよ」
ベルは魔術道具屋の『精霊王の息吹』を後にした、周囲の建物が気になったのか一周り廻る『精霊王の息吹』の裏側にある大きな倉庫が気になる。
「あの女は昨日の死霊術師だ」
ベルは独りつぶやいた。
そして改めて手にした惚れ薬を眺めた、顔繋ぎの為に買ってしまったがこれをどうしようかと困惑した。
そもそも本当に効くのだろうか?
試すわけにもいかないし・・・
「そうだカルメラのお土産にでもしようかな?」
などとんでもない事を言いながら例の地下酒場を調べる為に歩き出す。
今頃ルディとアゼルはセザール=バシュレ記念魔術研究所を下見にいっている頃だろう。
だが今だにベルを尾行する男の気配が現れない、コッキーの手がかりは今だに切れたままだった。
そしてベルが『精霊王の息吹』から去ってしばらくたった後の事だ、ピッポが『精霊王の息吹』の入り口を潜っていく、だがそれを知るよしも無かった。