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尖塔からの景色

 「ブラス様、城内は完全にも抜けの空です」

アラセナ城を制圧した奇襲部隊はエミディオが作成した緻密な城内図を元に徹底的な調査を行っていた。

「明日からは城下と周辺を洗うぞ」

騎兵で編成されたブラスの奇襲部隊は夜間はその行動力が大きく制限される。

「かしこまりました」


そこに伝令が飛び込んできた。

「ブラス様、地下の財宝庫の解錠に成功しました」

「早かったな、案内してくれ」

敵はわざわざ鍵を判りやすい場所に残してはくれなかった、おそらく嫌がらせで持ち去ったか捨てたのだろう、その財宝庫の鍵が開かれたのだ。

オルビア使節団の使用人に紛れていた辣腕(ラツワン)の錠前職人がその腕を振るっていた、予め調べ上げられていた鍵を次々にその職人が解錠していた。


ブラスは地下の財宝庫に案内され中を見て苦笑した。

帝国銀貨や銅貨が木箱に詰め込まれ溢れていたのだから。

この財貨こそが傭兵団の仲間割れの大きな原因だったと調べは付いていた。


だがブラスはこれを領民に分配する気は無かった、分配しても物不足のアラセナに金だけ大量に流通させたら酷いインフレになるだけだ。

ブラス達は荷駄隊で大量の食料を持ち込んだが、それは収穫期までに必要な量でアラセナ領民から飢餓の不安を取り除くのに必要な量しかなかった。

これらの財貨で食料品や農具や来年の麦の種、岩塩や油などの生活必需品を領外で買い、農具や来年の麦の種などは必要な者に無償でわけ与える予定だ。


アラセナ各地で領民の逃散が起きその多くがグラビエに逃げ込んでいた、彼らの存在は自由開拓村にも重い負担になっていた、彼らを元の場所に戻すにしても、農具も来年の春にまく種もなければ来年の収穫期までの食料も無かった、重い負担だが村の復興は将来の為にやらなければならなかった。


だがブラス達はそのまま物資を配る気は毛頭なかった、大規模な事業を農閑期に行う予定だった。

アラセナの西の玄関口であるマルセナ山地の砦の修復、グラビエからテレーゼに抜ける裏街道のマルセナ側に新しく砦を築く予定だった。

これを最優先に進めその後に放置されていた各種事業を進めていく、すでに洪水で落ちた橋の修復など急がなければならない案件が山積みだった。


これらの事業に動員した領民達にこれらの物資を報酬として支給する、金を物に変えてそして労働力に変換する、アラセナが疲弊していなければ報酬は現金でも良かったのだがそれは今はできない。




そしてブラスが財貨の山に苦笑したのにはまだ深い理由があった。


アラセナに限らず人口の八割以上は農民だった、そして生産物の多くは農産物なのだ、これらは最終的に人が消費する。

領主や家臣団とその家族だけで消費しきれるものではなく一部は売られる、農業に適した地域ならば領外にも売られる。


だが多くの領主達は必要以上の税を取り立てていた、それは農閑期に事業を行う為だ、それで賃金として小麦やほかの物資を支給する岩塩などが特に好まれる。

それにより必要な食料が最終的に行き渡り、灌漑や治水や街道や橋などの整備が行われる仕組みになっていたのだ。

そして最大の事業こそ農閑期に行われる『戦争』だった、これは領地の疲弊をもたらすが。


ブラスは領主として学び教育を受けてきたが、商人や小領主と大領主や国では根本的に考え方が違うのだ。


商人や小領主ならば勤勉に働き質素に倹約し将来に備えて蓄える、それは正しい事だし美徳だろう、

だがアラセナのような大領でそれをやると話はまったく違ってくる。

領地が大きくなるほど領主の経済と領地の経済が大きく乖離していくのだ。


傭兵団は税として収められた穀物を自分達で消費する以外を総て領外に輸出したのだ、アラセナは市場経済が未熟でそれを吸収しきれない上に工業も未熟だった、そして必要な武器や物資を領外で買い込み、残りを万が一に備えて溜め込んだのだ、それが目の前に山となっていた。


傭兵団は愚かさと無知故に飢餓輸出をやっていた、その上に傭兵団の内輪もめが重なり領地が痩せ始めた後から暴力的な徴発も始まっている。

財宝庫の金こそ農民たちの口に最終的に入るべき食料だったのだ、当然、治水も灌漑事業も行われず道路も橋も街の整備も放置されていた。

彼らにとって道路や橋はいつの間にか造られいつの間にか修理されている物で、自分達がそれをやらなければならなくなった事に気がついていなかったのだ。


おまけに飢餓輸出により周辺諸国に通年より多くの穀物が出回り価格が暴落していた、農民以外は歓迎したが農民と領主達はこれに苦しんでいる。

ブラス達は暴落した穀物を急いで買い漁らなければならなかった、すでに麦酒の生産が盛んになっている兆候が出ている。

大豊作の時には麦酒の生産も増えて酒が飲める、本来はめでたい事なのだが、今の彼らには死神の影に等しかった。


ブラスは去年の『狩猟感謝祭』で娘のベルサーレが麦酒を飲む姿をふと思い出した、久しぶりに合った娘は飲酒を覚えていた。

娘は蒸留酒に手を出しそのままぶっ倒れて寝息を立てていた、麦酒は水の様に薄くあまり酔わない水代わりに飲む地方もある。

「馬鹿めが・・・」

ブラスはフッと笑った。


「御館様何か?」

護衛が不審を抱いた様だ。

「おお、なんでもないさ」



とにかく食料は最終的に領民の口に入る様にする予定だったが、その時は領民達には大いに働いてもらう予定だった。

とにかくやらなければならない問題が山積みになっていた、狂った物と金の流れを整えてアラセナに盤石の基盤を作らなければならない。


「もう良い、新しい鍵を用意しろ」

「手配いたします」


「これだけではとても足らんな・・・」

財宝庫の扉が再び閉じられれる、ブラスはため息をつくとそこを離れた。




ブラスは城で一番高い塔に昇り東を遠望した、すでに光は幾筋にも分かれ、アラセナを徐々に制圧しようとしている。

本隊は夜半には追撃をやめて野営に入るだろう、ここに到着するのは明日の正午前、明日中にはアラセナを完全に制圧する事になる。


アラセナには大きな村が17ほどある、小さな集落も数多く存在するが数軒の規模しか無い。

村の支配はクラスタが11、エステーべが6で分割され、両者の勢力比に近いがエステーべに少し有利になっている。

アラセナ城と小さな城下町は共同統治とする、なかなか繊細な問題だった。

アラセナの生産力はエルニアのクラスタ本領の四倍近い経済力がある、ここを固めればクラスタの家臣団を余裕で維持できる経済力が得られる。

湖沼地帯の隠し領地では先細りになるのが見えていた、アラセナを後背地としてグラビエを支える体制を早急に整える必要があった。

アラセナは周囲を山地で取り囲まれた自然の要害だ、重要拠点を押さえればそこで外敵を防ぐ事ができる。


ふとブラスは心に秘めた計画を改めて検証する、これは家臣達にも明かしては居ないし誰にも明かせない計画だった。

エルニアの豪族の家臣の多くは領地内の小地主達で郷紳階級を形成していた、彼らは貴族と農民の中間でその土地に根を張っていた、ルディガー公子の反逆事件で取り敢えずクラビエに難を逃れたが、時間が立てばクラスタ家から離脱して帰郷する危険が極めて高かった。


ブラスはそれをアラセナ攻略と言う大目的と夢とカリスマで繋ぎ止め、動揺する暇も与えず短期間でアラセナを制圧して見せた、この事情はエステーべも同様だろう。

ブラスは彼らをクラスタの内臣に再編成しようと考えている、土地から彼らが切り離された今こそそれを実行する機会だった。


幸い領地が倍化したためパイは大きくなった、だが彼らにとってはアラセナはしょせん余所者の土地でしか無い。

「いつかエルニアに帰ろう」

これをクラスタ家のスローガンにしようと考えている、そして彼らを代官として新領地に配置する、彼らには十二分に報いるつもりだ。


僭称伯が傭兵に頼る事になった原因の一つに、アラセナ伯から簒奪する際にアラセナの郷紳の多くと敵対し軍事的な協力が得られなかったからだ。

さらに傭兵団の暴政で多くの郷紳が滅んだり国外に逃亡していた、特に三ヶ月前の一揆に失敗し多くの郷紳が滅んでいるのだ。

生き残った郷紳はクラスタの家臣に取り込み人心の安定を図りつつ、エルニアからの譜代の家臣はすべて内臣化していくそれがブラスの計画だった。

アラセナの領土は父祖の地に帰るまでの仮りそめの物に過ぎない、それを暫くは語り続ける事になるだろう。

それにこれは嘘ではないブラスも可能ならばクラスタの本領を取り戻したかった。


だがブラスは気が付いているのだろうか?ブラスの考えはエルニア公国宰相ギスランが考えている事と同じと言うことに、これは先代エルニア大公デギオンが胸の内に秘めていた大計だったと言う事を。











暗闇に閉ざされたアラセナは地獄と化していた、数時間前まで傍若無人に支配者として君臨していた傭兵達は狩り立てられる獲物になっていた、優れた指導者が軍を取りまとめる事ができれば、クラスタ、エステーべ連合軍に対抗できたはずだが、今や烏合の集に過ぎなかった。


エリセオは徴募兵たちにこう命令していた。

「五人一組となり一人か二人のはぐれ者だけを取り囲んで斃せ」

彼らは討たれた傭兵達から武器を剥ぎ取りながら武装を強化していく。

松明で当たりを照らしながら獲物を探し追い詰めて行くのだ、普段は純朴で温厚な農民達だが今や彼らはハイエナの集団と化していた、その徴募兵の中には近年アラセナから逃れてきた流民の志願兵もいた、彼らはとりわけ情け容赦が無かった。


「良いか、アラセナ人相手に奪略したものは打首だ忘れるな!!」

クラスタ、エステーべの家臣達が休みなく警告を発する、だがそれ以外への言及は無い。



最も悲惨なのは傭兵達が呼び寄せた家族達だった、彼らは三派閥の根拠地に集まっていた、アラセナ城の守備隊長に率いられた部隊は統制も取れ数も多く彼らと行動をともにする者達は恵まれていた。


それ以外の者たちは暗闇の中で道に迷い離散し、復讐に燃えるアラセナ人に略奪され斃れて行く。

なまじ財産を持って逃げようとした者が怒りに油を注いだのだ。

彼らを哀れんだ住民に匿われる者もいたが、それは幸運に恵まれた僅かな者にすぎない。


だが仮にアラセナから逃れてもその先には絶望しかない、彼らはほとんど身一つで逃げ出して来たのだ、明日食べる物も無く寝る家も無い。




エスタニア大陸の東の端の混迷のテレーゼ、その一伯爵領で起きた政変は大きな大乱の始まりの予兆に過ぎなかったと後世の人々は語る。

しばらくは傭兵団の滅亡は田舎の変事とされ大した注目も浴びる事もないだろう、テレーゼではこの程度は当たり前の出来事だった、多くの人々は口々に語った。


「ああ、またか・・」







数日後、リネインの広場でアラセナ解放軍を募集していた気の触れた男が忽然と姿を消した、だが誰も大した興味も持たずに直ぐにその男の事は忘れ去られていった。



そして舞台は再びハイネに戻る。




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