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勝利の鐘を鳴らす者

 アラセナはテレーゼの最南東部にあり、周囲を山に囲まれ一年の気温の変化が激しい豊かな盆地だった。

傭兵隊長達の暴政が始まって一年、見た目ではまだ荒廃が表には現れては居ない、その美しい農村を縫うように走る細い道を一人の薬の行商人が東に進んでいく、日も高く昇り気温も上がり始め旅人の目の前にはエドナ山塊が大きく迫る。


その旅人が村外れの森に入ると古い時代の聖霊教会の石の祠の遺跡が残されていた、その側に倒れている石柱に腰をかけて休息を取りはじめる。

風が林の中を通り抜け木々が静かにざわめく。


その旅人はふと何か気づいた様に辺りを見回し石の祠を凝視した。

「そこにいるのね?」

それは若い女性の声だった。


「お気づきでしたか?アマンダ様ここからは我々がご案内いたします」

それに応えたのは若い男の声だ、我々と言う事は他に複数いるはずだが姿は見えない。

薬の行商人は白いフードを後ろにはねのけると真紅の赤毛が露わになった。

やがて祠の後ろから一人、アマンダの後側の林の中から二人の男が現れた、彼らは旅行中の商人の様な出で立ちだったが全員見覚えがある、アマンダは彼らに導かれるまま森の奥に進んでいく。


「森を抜けますと商隊が待機しております」

突然森が開け小さな草地に三台の二頭立ての幌馬車で編成された商隊が待機していた。

幌馬車の御者台にいる者たちがアマンダに目礼をする、そして先頭の幌馬車の御者台から一人の男が降りて来た。

その男はエステーべの密偵頭のライオネルだった。


「アマンダ様、非常時ゆえにこのままの無礼お許し下さい」

「かまわないわ、お久しぶりねライオネル、でもよくこれだけ揃えたわね」

「予定通り集結いたしましたお嬢さま」

アマンダは感心してその商隊を眺めながら褒めた、敵地の真ん中でこれだけの物を用意をするのだからその苦労は並大抵では無いだろう。


「アマンダ様は先頭の馬車にお乗りください」

「わかりました、いそぎましょう」


「ああ、そうだわ」

アマンダは薬箱を降ろして残りの芋飴を全員にくばる。

「戦の前だからお酒は無いけど、これが戦勝祈願よ!!」

「お嬢様、俺辛党なんですけど?」

若い密偵が冗談で苦情を述べる。

「じゃあ私が食べるわ」

「いえいえ、頂きます、頂きます!!」

緊張感がほぐれ笑いが幌馬隊の中から沸き上がる。

「ははは、お嬢様のお心使いありがとうございます」

ライオネルも笑った。


アマンダが先頭の幌馬車に乗り込むと、御者台に飛び乗ったライオネルが号令をかける。

「行くぞ!!」


商隊はしばらく森の中の道を南に向うと本街道に出る、商隊はそこから東に向かう。

すぐ目の前にエドナ山塊の山並みが迫る、街道はアラセナからウルム峠を越えてグラビエに抜ける街道だが、ウルム峠にはウルム砦があるのだかつてはテレーゼの国境の守りの砦だった。


だが砦と言ってもその先は未開のグラビエ湖沼地帯、それほど強固な砦ではなく盗賊や不審者を取り締まる為の関所に近い。

それでも最大数個小隊の兵を詰める事ができ、両側を険しい岩山に囲まれた狭い谷を封鎖する砦なので軍隊でもそう簡単に突破する事はできない。

現在この砦は三人の傭兵隊長の一人オレノの支配下にある、通行人に法外な通行税を取り立てている事から評判は極めて悪い。


馬車の中にはエステーべの密偵達と家に昔から仕える壮年の男の下位魔術師の姿があった、かれらは二年前からアラセナの情報収集に従事していた者達だった、アマンダは顔なじみの者たちと僅かに歓談を楽しむと、芋飴をかじりながら幌の隙間からエドナ山塊を見上げた。








クラビエ湖沼地帯を西に進む大集団の先頭はすでにエドナ山塊の山道を昇り始めていた、日の出前に動き出した作戦だが、集団の進む速度は遅く日はすでに正午を廻り傾き出している、このままでは峠を越える頃には日没近くになっているだろう。


荷駄部隊を含めると2000近い数になるが兵の質は低い、この中で職業戦士と言えるのはクエスタとエステーべの家臣団だけで300に満たないだろう、残りはグラビエの自由開拓村を護る為に残しているがこれも必要最低限以下しか居ない。

この家臣団が徴募兵で構成された小隊の指揮を担当していた。

先陣に随伴する荷駄隊は梯子や移動式の大盾などの攻城兵器を運んでいる、ウルム砦の正面突破は可能と判断していたが、ブラスもエリセオもそれは避けたいと考えていた、アラセナ側からの奇襲で砦を制圧し無傷で峠を越えたかった、その奇襲部隊の強化の為にアマンダを送り込んだ、狭い戦場では個の力や質が物を言う、その意味では最適な人選と言えるかもしれない。

それでも僅か20名程の奇襲部隊と本隊が連動しなければ成功する確率は大幅に下がるだろう。


やがて山道を登り始めて二時間程で本陣を置く場所に近づいた、ここにエリセオは予定通り本陣を設営する。

だが長く伸びた荷駄部隊の最後尾は今だに山道にすら入っていないだろう。

エリセオは馬を降りると少年従者が老いた乗馬の世話を始めた、エリセオは伸びをして体を休める。


本陣ではクラスタから借り受けた下位魔術師が精霊通信の用意を始めていた、あとはアラセナ側の奇襲部隊からの連絡を待つだけとなった。

もし失敗したら強攻策でウルム砦を落とす事になる、その為の準備もしなければならない。

隷下の部隊は予め指定された場所に次々に移動していった。


「今の時間は?」

エリセオは側にいた自分の老いた乗馬を労っていた副官に声をかけた、副官は魔法の測時機を取り出し目測した。


「お館様、只今15時半でございます」

「少し遅れているな」

エリセオは傾きかけた太陽とエドナの山肌を見比べた。









御者台から声がかかる。

「お嬢様ウルム砦が見えました」

アマンダが幌馬車の前に寄ると幌の隙間から遠くに砦の石垣が見えてくる。

砦は高さ5~6メートルの石組みの城壁が幅30メートル程の谷底を封鎖するように築かれている。

街道の両側には兵舎と倉庫が立ち並ぶ。街道上には城門があり今のところは開かれていた。

そこで二人の密偵が最後尾の馬車から密かに降りた、彼らは伝令を始末する為にここに置かれる。


そして向こう側の兵達が砦に近づく商隊に気づいた様だ。


魔術師がうっそりと通告する。

「ただいまから精霊通信を送ります」


「ライオネル、魔術師が精霊通信を始めたわ」

アマンダが御者台の上のライオネルに報告する。


「了解しました、奴らとの交渉は私がいたします」

アマンダは黙ったまま頷いたが、御者台の上にいるライオネルに通じないと思い直し苦笑いを浮かべながら声をかけた。

「わかったわ」

しばらくすると商隊はウルム砦の兵舎の前まで進み出てそこで止まる、オレノの傭兵達に道を阻まれたからだ。


ライオネルと砦の指揮官との話し合いが始まるが、指揮官は幌馬車の中の確認を要求しライオネルはそれを適当にごまかそうとしている様だ、しだいに相手の指揮官が苛ついてきたと見たその時、城門の上の監視塔の警鐘が鳴り響き始めた。


「武装した集団が向ってきます!!」

見張りが絶叫した!!

「何だと!!城門を閉めろいそげーーー!!」

兵舎から待機中の兵が10数人程飛び出して来た、訓練中だったのか倉庫の裏からも数人の兵が飛び出してくると、兵舎の前の武器棚から弓や槍を取り出し緊急時配備に付いていった。

アマンダの見立てでは報告にある通り全体で60人近くになると見積もった。

指揮官は城壁の上に登ると伝令を呼び出したが、商隊の幌馬車に気が付きまさかと言った顔をしたのをアマンダは見逃さなかった。

だが指揮官はまず伝令をウルム砦への敵襲を伝える為にオレノの本拠に向かい走らせた、だがその伝令が目的地に着くことは無いだろう。


「敵の指揮官が怪しみだしたわね」

アマンダが誰ともなく語りかける。

「このタイミングです、少し頭が廻る奴なら怪しむでしょうな」


だが再び見張りが絶叫した。

「敵が大盾を並べ向ってきます!!後ろから梯子が多数追従、その後ろから歩兵多数!!!」

悲鳴のような叫びに指揮官は砦に向ってくる敵軍に気を取られた。


台車に乗せた移動式の大盾が数台と、それに追従する様に梯子部隊とそれを護る歩兵が盾を斜め上に掲げて接近してくる、その後方からは多数の歩兵部隊が追従してくる。


「どこの軍だ?旗印がないではないか!?エルニアか?」

砦の指揮官には敵の所属がわからなかった、後方の歩兵部隊の装備が貧弱に見えたが、その数に危機感を募らせ始めていた。

「敵の数はどのくらいいるのだ?」

砦に接近すると大盾は横一列に展開し移動する壁を作り始めた。


そして商隊から指揮官の注意が完全にそれてしまっていた。


その時指揮官の左側がにわかに騒がしくなる、何が起きているのか不審に思いその騒ぎのする方向を見た。

「ん?」

そうだ何が起きているのか判断がつかなかったのだ、敵兵が向ってくるのであれば驚いたろうが何が起きているのかは判断できたに違いない。

だがそれは指揮官を思考停止させるには十分な情景だった。


一人の赤毛の大柄なそれでいてとても美しい女性が、城壁の上を大股に歩きながらこちらに向ってくるのだ、槍を突き込み剣で斬りかかる兵たちを城壁から無造作に払い落としながら。

その威圧感は本能的な恐怖を呼び覚ました、指揮官を始め兵達はジリジリと下がり始める、そして城壁の南側に追い詰められていった。


城門の上の一抱えもある大きな鐘楼の鐘の側を通ろうとしたアマンダは、急に何かを思いついたのか演舞のように美しく舞うと警鐘に拳を叩き込んだのだ、それは凄まじい轟音を奏でながら鐘楼から引きちぎられてアラセナの空に向って飛んで行く、その鐘の音は数十キロ四方に渡って鳴り響いたと語り草になったものだ。


「凄い音ね、この鐘の音が聞こえた範囲からお金が取れたら大儲けね」

などとアマンダは暴君の様な事を考えていた。


砦の生き残っていた守備兵達は完全に士気が死んでいた。


商隊に扮した密偵達は城門周辺の兵たちを全滅させ城門を開け放ち確保した、攻略部隊から歓呼の声が上がる、そして攻略軍が砦になだれ込み始めた、アマンダが城壁の南端に迫ると彼女から逃れようと有るものは城壁から飛び降り有るものは武器を捨て降伏した。

ウルム砦はこうしてあっけなく陥落した。


城壁の上で辺りを睥睨するアマンダを見上げた辛党の密偵は一人呟いたものだ。

「お嬢様一人いればよかったんじゃ?」

「口を慎め!!」

ライオネルが叱責した。





グラビエのエステーべ屋敷のカルメラはふと何かが聞こえた様な気がした、おもわず窓辺に駆け寄り窓を開け放つ。

「お姉さま・・・なぜかしら、鐘がなったような気がしましたわ」


カルメラは戦いが始まるテレーゼの空を見つめていた、それは徐々に黄色く赤く染まろうとしていた。

それを何時までも眺めていたかった、だがそれを精霊通信の鈴の音が打ち破った。









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