光の影絵
「殿下、ベルサーレ嬢は先に部屋に入ったようですね」
精霊の眼でハイネの野菊亭の二階の窓から中を調べたアゼルが隣にいるルディに報告した。
「そうか、様子はどうだった?」
「椅子に腰掛けてテーブルにうつ伏せて寝ています」
すでに酒場も閉まり街路を照らす灯りも絶えて商店街は死んだように夜の闇に閉ざされていた。
「ではいくか」
ルディはその神隠し帰りの身体能力を発揮し屋根のひさしに手をかけて音もなく一階の屋根に飛び上がる、ひさしが僅かに軋む音がした。
アゼルは魔術を行使し体を風の精霊力で浮かせて屋根の上に跳び上がる、二人は魔術結界に守られた部屋に静かに入り込んだ。
部屋に入るとアゼルがさっそくランタンの灯りを灯す、ベルがその淡い光を感じたのか僅かに身動いだ。
「ベル起きてくれ」
ルディがベルの背中をさするとそれを手で無意識に払い除け、寝ぼけたまま半身をテーブルから起こす。
「あれ?帰ってきてたんだ?寝てた」
ルディがベルの対面の椅子に座りアゼルはベッドに腰掛けた、そして薄暗がりの中で三人は情報の共有を進めて行く。
「その二人が『精霊王の息吹』に入っていったわけですね?」
「うん、中までは調べていないけどね」
「ベルそれでいい」
「そっちは?」
「奴らは北にある農園に向かいました、そこで荷馬車と護衛は中に、残りの護衛二人がハイネに戻り炭鉱街の地下酒場に入っていきましたよ『大酒飲みの赤髭』と言う名の宿屋の地下です」
「いろいろわかってきたけど、コッキーの手がかりが得られなかったね」
「尾行者が見つからなかったからな」
「ねえジンバー商会を調べてみよう?コッキーと関わりがありそうな情報があるかも?」
「たしか人身売買の噂があるところだが・・・コッキーに斬り殺されたのはそこの連中だったな、だがコッキーを操っている連中とは直接関係が無いのではないか?」
「でも・・・」
「明日、尾行する者が見つからなかったらそれを考えるのはどうですか?彼らも今日一日我々を見失っていた可能性が高いですよ」
アゼルの言う様に三人組の行動力は普通の人間の体力の限界を遥かに越えていた、一度見失ったら探す事も難しいしだろうし、追跡するだけでも厳しい。
本気で尾行するなら数人の人員を投入してチームとして張り付く必要があるだろう。
「明日かー、もう何もしたくない」
ベルはテーブルに突っ伏した。
「明日はゆっくりしようか、俺ものんびりしたい」
「殿下?お昼間まで休みますか?」
「さんせー」
ベルはテーブルの上で体をうねらせて賛同したのでテーブルの脚がガタガタと鳴り軋しむ。
ルディは自分のベッドの上に仰向けに寝転がり目を瞑った。
そこにアゼルがベッドから離れ部屋の隅に向う足音が聞こえてきた。
「精霊通信を確認します」
ルディの意識が僅かに薄れたとき、なにか自分であって自分ではない意識と視点を感じたのだ。
なんだ?慌てて眼を見開く。
そして再び眼を閉じ先ほどの不思議な感覚を思い出そうとした、やがてその自分であって自分ではない意識が二つの薄っすらとした光の靄のような何かを捕らえかけていた。
「カルメラ嬢からの返信がありませんね」
部屋の隅で精霊通信盤を操作するアゼルの一人言とベルの寝息が聞こえてくる。
ふたたび眼を空けてもう一度テーブルの上で寝息を立てているベルを見た、そして光の霞の位置を頭の中で重ね合わせる、その光の霞がアゼルとベルが占める空間と一致する事を把握したのだ。
「これか・・・」
眼を閉じなければ見えないがベルの気配を光の靄のような物として捕らえたのだ、手近なベルの光の霞を強く意識する、やがて光の霞がはっきりとした輪郭を現しそこに更に意識を集中していった。
「うわっ!?」
ベルの驚いた叫びが部屋の中に響きわたった。
ルディの意識の中に水晶人形のような透明な光り輝く人の姿が写しだされていた、それは細身の女性が何かに腰掛けていたが今まさに上半身を起こした姿だった。
その水晶人形が奮然と立上りこちらを振り向いた、それは細身で均整の取れた美しい女性の姿をした光の影絵だった、思わず見とれてしまったが直ぐに眼を逸らそうとした、だがそのイメージは肉眼で捉えた物では無いので消えない、ルディは焦り軽く狼狽した。
その水晶人形がいきなり襲いかかって来る、ルディはいきなり胸ぐらを掴まれて激しく揺すられた。
「ルディ!!見たね!?みたでしょ!!」
ルディが眼を開くと目の前に顔を真っ赤にした怒り顔のベルの顔が間近に見える。
「ベルよ、ついに見えたぞ!!」
ルディは精霊力による探知のコツを遂に掴んだのだ。
「なっ!?見るな!!」
ベルは両の手の平でルディの両目を思わず塞ぐ。
「こらベル、何も見えないじゃないか!?」
「だから見るな!!!」
ルディはベルの手を振りほどこうと手首を掴んだ、そうはさせじとベルが抵抗する。
「殿下、ベルサーレ嬢、そろそろ休みませんか?夜も遅いですし」
どこか朦朧とした疲れきったアゼルの声が二人を窘めた。
『キキッ』
眠そうなエリザがアゼルのベッドの下で小さく鳴いた。
そこは新市街の炭鉱街に程近い倉庫街にある隠し宿屋の一室だ。
ベルが精霊拳の上達者と死闘を繰り広げていた頃、ここは猥雑な繁華街の喧騒が届く事もなく、周辺の倉庫で働く人夫達も引き揚げて静かな時を過ごしていた。
その部屋にはテオとベッドに腰掛けたテヘペロ、彼らに背中を見せてベッドに横たわるコッキーの三人がいるだけだった。
「奴ら魔法街に居たのか、奴らが宿に引き揚げてくるまで居場所が解らなかった」
「・・・ごくろうさまねテオ」
ルディ達三人が露天掘り炭鉱を一周りしていたとは思いもよらず、テオは新市街の炭鉱街周辺で一日中探していたのだから、もちろん副業で金を稼ぐ事は忘れなかったが。
「俺と同じ事が出来る奴があと二~三人欲しいところだ」
彼の言うことも当然でテオが二~三人いたらあの三人を見失わずに済んだかもしれなかった。
「奴らが宿に戻るのを確認してから引き揚げてきたのね?」
「ああそうだ」
「うーん、そうするしかないか・・・」
「先生はどうした?」
「今仕事に出ているわ、久しぶりに腕がふるえるって張り切っていたわよ」
テオがテヘペロの反対側のベッドの上で背中を見せて寝転がっている少女に目線を投げ、そして指を差した。
「準備はできたみたい、ピッポがそう言っていたわ、私の方は必要な物を手に入れたからピッポに渡すだけね」
「そうか、俺は明日も早いそろそろ引き揚げさせてもらう」
「本当にお疲れ様ー」
「ああ、またな」
「じゃあね」
テオはテヘペロの部屋から出ていった、彼は近くの新市街の安宿を根城にしている。
テヘペロはベッドに寝たまま何も話さずに向こうを向いて横たわるコッキーの背中を見つめた。
この娘はけっこう強情で気が強いようね、内心で苦笑いをした。
「ベルさん達を見張っているのですか?」
コッキーが振り向きもせず突然話しかけて来た。
「あら、眠っていなかったのね」
「眠れるわけないじゃないですか!!!」
大きな声でコッキーは叫ぶ、それは怒鳴り声と言っても良いだろう、音精遮断の術がなければ苦情が殺到するに違いない。
「ベルさん達が私を探しているのですね?だから引っ越したんですよね?」
「あら魔剣を探しているのかもしれなわよ?」
テヘペロは少し意地悪な気分になったのだ。
コッキーはベッドの上でテヘペロに向き直ると叫んだ。
「そんな事わかってます!わかっているのです!!」
コッキーの叫びは悲痛な響きを帯びていた、それはテヘペロに届いたのだろうか?
テヘペロはこの娘をどうやって自然に逃がすか思案を初めていたのだ。
「あしたは荒れるかしら?」
遥か西の空に厚い雲が立ち込め白い月はその雲に隠れてその姿は見えない、頭上には小さな青白い月『天狼の目』の輝きがアマンダを冷たく見下ろしていた。
焚き火がはぜる音がする、その焚き火からはとても良い匂いが立ち昇っていた。
「そろそろね、良く焼けたわ」
満面の喜色を浮かべ、焚き火で焼いていた大きな芋を棒で突き刺した、ホカホカのそれを取り出すと岩塩を砕いた物を振りかけてかぶりついた。
「あっ、熱っ!!」
水筒の水で喉を潤しながら、総ての芋は次々とアマンダの腹の中に収まって行く。
「うーん五本は多すぎたかしら?」
敷布の側に置かれた彼女の薬箱の仕切り板が外されていて、大きな荷物を格納できるように改造されている事が良くわかる、箱の中は食料と着替えと彼女の好みの嗜好品で満たされていた、もちろん非常用の薬の準備に手抜きはない。
そこから小さな薬箱を取り出し蓋を開ける、中には茶色い固形の塊が入っているがそれは薬では無い、それは芋飴で甘く栄養価も高くそのまま食べても湯に溶かしても良い優れた保存食料だった。
それが彼女の食後のデザートだ、それを口に放り込んで味わい始めた。
消えかけた焚き火が音を立てて崩れる。
「さていよいよ始まるわね」
アマンダは敷布に包まり眠りについた。