セザール=バシュレ記念魔術研究所
露天掘り炭鉱と奴隷宿舎を見学した三人組は北側にある製鉄所に向かう。
「もしかして尾行されていないんじゃないかな?僕達を見失っているとか?」
「宿屋を虱潰しにした時に仲間に知らせた奴がいた、それで俺たちを見失っている可能性もあるか」
突然ベルが北西の方角を指した。
「あれを見て!!」
ベルが指し示す方向をルディとアゼルが見てそして唸った。
「あれは墓場ですね」
「そのようだな」
露天掘り炭鉱の北西の端から更に200メートルほど離れた木々の疎らな林の中に墓標が立ち並ぶ粗末な墓地が遠望できた。
「相変わらず目がいいな、力を使ってるのか?」
「そう、だけど視力だけじゃ無い、体の一部に力を集めるといろいろな事ができる、例えば果物を食べて種を吹き出す時に力を使うと武器になるよ」
「な ん だ と ?」
口に含んだ果物の種が武器になると言う、それは熟練の戦士も読めない奇襲攻撃に成るだろう。
「射手魚と呼ばれる魚がいまして、水を吹き付け飛んでいる獲物を堕とすようですが・・・」
「アゼル、僕も種を吹いて鳥を落とした事がある」
「「えっ?」」
「口に釘を含んで口唇と舌で丸く輪に出来るんだ」
ベルはキスを求める少女の様に口唇を尖らせた、何も知らない者が見れば愛らしく見えたかも知れないが、ルディもアゼルも凶悪な兵器を突きつけられた様にしか感じられない。
「ベルこっち向くな!」
ベルはニンマリと笑った。
「クローバーの茎を口の中で結ぶ遊びがあるんだよ、アマンダがとても得意だったな、カルメラは全然だめだった舌が短いみたい」
ベルの語り口からどこか昔を思い出すような懐かしさが滲み出る。
「まさか釘をクローバーみたいに口の中で結ぼうとしたのか?」
ルディが少し引き気味にベルに尋ねた。
「でも輪にするのが限界だった」
あっけらかんとベルは答えルディはまた唸った。
「そうでした!二人とも何をやっているんですか?行きますよ」
そこで我に帰った三人組は墓場に向ってようやく歩み始める。
墓地に近づくに連れ異変が明らかになっていく、ベルは黙ったまま墓地を覆う陽炎のような揺らめきを凝視していた。
「あれは瘴気か?」
「私もあの墓地と同じ僅かな違和感を感じますね」
サビーナとファンニの聖霊教会裏の墓地で見た陽炎のような揺らめきとそれは同じ物だった、半透明の澱んだ空気のような何かに墓地全体が覆われている。
三人はやがて墓地に到着した、瘴気に近づきすぎて陽炎のような揺らめきや淀みが見えにくい、そして同じ様に僅かな気怠さや不快感に包まれる。
「アゼル、墓地は皆こうなのかな?」
「いいえ私は魔術師になってからエルニアの墓地に墓参りに行った事がありますが、このような現象は起きていません」
ベルはそのアゼルの表情に僅かな苦悩の影を感じとった、そして記憶の海を探したがその答えは見つからない。
「神隠しから帰ってから見える様になっただけなのか、サビーナ達の聖霊教会の墓地が変なのかわからなかったんだ」
「俺は半年前に母上の墓参りに行った、こんな事は起きてはいなかった」
「ルディのお母さんか」
ベルもアゼルも今はこの話題に触れるべきでないと感じていた、エルニア有数の豪族クラスタ家と魔術師を排出してきたメイシー家の血を引く彼女を接点にしてこの三人は遠い親戚関係にある、彼女の悲劇がルディガー公子と大公との確執の原因にもなっているのだから。
「ハイネの墓地だけがこんな状態なのかな?」
「まだそうとは言い切れませんが、私には説明できかねます、自然現象ではないと思いますが」
「アゼルでもわからんのか」
「大概の国では死霊術が禁忌とされていますからね、深く研究する事が難しいのですよ」
「これもだいたい南東の方向にゆっくりと動いているな」
「ほんとだ南東の方向に瘴気が動いてる」
「いずれ原因を調査しこの流の先を調べる必要がありますね」
そのとき墓地の管理人らしき男が後ろから現れた、男は三人を胡散臭げに見渡しながら通り過ぎ墓地の中の細い道を入っていく。
ルディがそろそろ行こうかと目で促す、二人も頷き戻ろうとした時の事だ、先程の墓地の管理人の男らしい罵声が静かな墓地に響きわたる。
「くそやられた、また墓泥棒だ!!」
三人はその声のした方向に走り出していた。
三人の目の前に、まだ新しい墓が暴かれた跡がある、そまつな棺桶が穴の側に放り出されていた。
「屍体が盗まれたのか?」
何だこいつらと言った不審な者を見るようにその男は三人を胡散臭げに見渡す。
「なんだお前らは?」
「俺たちは最近世間を騒がす屍体泥棒を調べているのだ」
「ああ、最近増えてきているんだよ、昔は副葬品目当てで貧乏人には関係なかったが、最近は逆になりやがった」
ルディが墓地管理人の相手をしている間に、アゼルとベルは何か見つからないかと周囲を調べていた、
そしてアゼルは変質した触媒が落ちているのを確認し素早く確保する、触媒から使われた術が絞り込めるだろう。
それはピッポ達が慌ただしく『黒い兄弟』から逃げだす羽目に落ち入る少し前の事だった。
オーバンに率いられたやる気の無い輸送隊の一行が商会の裏門を潜り出ていくところだった、荷車を押す人夫達も護衛も全員が昨日の惨劇を知っていてどこか不安気だった、そして護衛が昨日の二人から今日は四人に増やされている。
ジムはその葬式の行列じみた空気が居たたまれなった。
「オーバンさん俺たちどこに行くっすか?」
「黙ってついてこい!!」
「昨日のちびっ娘まだ捕まってないんですよね?」
「それがどうした?」
「向こうから仕返しにこないって言い切れないでしょ?」
護衛や人夫達の空気があからさまに変わった、彼らも密かにそれを心配していたのだ。
そして意気揚々としたオーバンの顔色が急変する、一度誘拐しかけ失敗した上に昨日は肩を掴んで叩きのめされていたのだ、向こうからオーバンのところにやって来ないと誰が断言できようか。
護衛も人夫も大剣を担いだガラス玉の様な目をした美少女が現れたら一目散に逃げるつもりだった、ジムだけがそのガラス玉の様な目をした美少女が今どうなっているか知っていた。
「それにちびっ娘の知り合いらしい黒い髪の娘も今どこにいるかわからないっしょ?俺がエイベルさんに話した事忘れましたか?」
一方的に相手を威圧し暴力を振るって来たこの男には向こうから攻撃を仕掛けて来るかもしれないと言う意識が抜け落ちていたのだろうか。
オーバンがベルに叩きのめされたあの晩の事だ、ジムはジンバー商会会頭エイベルに人間を30メートル投げ飛ばせる事ができる怪物共の話している。
その化け物共と用心棒を一撃で両断したあのちびっ娘を関連付けられないとしたら、オーバンはあまりにも想像力が不足しすぎているとジムは思った。
オーバンの手下の使用人仲間達が気の毒になってきた。
ここにいる連中は黒い髪の少女を意識していなかったが、ジムにとってはこちらの方が遥かに切実な脅威だった。
(あのちびっ娘が居なく成ったら、オーバンも疑われるっす、いざとなったら逃げて良いとお墨付きをもらったし、あの娘が出てきたら俺はそうさせてもらうっすよ)
「余計な事を言うんじゃね!!」
あの話は機密だったとジムは思い出したが、何かオーバンには考えがあるのかと思いそれを待つ、だがその後は何も言葉が続かないオーバンは押し黙ったままだ。
輸送隊はハイネの中央西通りを横断すると北に進んでいく、その先は魔術学院と魔法街を中心にして魔術の私塾や研究所と魔術道具屋が集まる一角だった。
魔法街を北に進むと先日コッキーを誘拐しようとしてオーバンが叩きのめされた場所の近くを通りすぎた、魔術学院の正門まで至るとそこから西に向かう。
やがてハイネの旧市街の西の城壁近く、三階建ての大きな建物の前まで来て止まった。
建物は新しく焼き固めた赤い石材のようなブロックで建築されていた、中央広場のコステロ商会本館と同じ美しい建材だ、様式はいかにも学問を修める場所に相応しい趣だった。
その敷地は鋳鉄製の柵に囲まれて正面の金属製のゲートに看板が掛けられている。
『コステロ商会・セザール=バシュレ記念魔術研究所』
その鋳鉄製の看板に古風な書体のレリーフでそう書かれていた。
荷車は魔術研究所の脇の狭い道に入っていった、そして研究所の裏口に到達するとオーバンが大きな声で門番を呼び出す。
「ジンバー商会の商品の納品にきた」
ジムは相手が門番とは言え取引先に対して尊大な態度だと密かに呆れた、門番の表情が僅かに不快に歪むのをジムは見逃さなかった。
その魔術研究所の三階の窓からジンバー商会の輸送隊を見下ろしている男がいた。
その男は黒いローブの壮年の銀髪で長身の痩せた男だった、その顔の一部に刻まれた火傷の後が目立っている、それでも貴族的な端正な容姿と知的で冷酷な印象を与える薄い灰色の瞳が、彼と会うものに強い印象をあたえる事だろう。
「最近興味深い事件が続くようだな」
何枚かの報告書を読みながらその男は傍らに控える男に話しかけた。
「はい、小さな少女が大剣を振り回しジンバー商会の用心棒二人を両断したとか、警備隊でもそれを確認しているようです」
それに答えたのは同じく黒いローブの若い男で、黒い髪のがっしりとした体格で、精悍でなかなか整った顔つきで一見すると魔術師には見えない程だ。
昨日の朝の事だ、納品が遅れるとジンバー商会から事情説明があった、当然彼らも商館会頭エイベルが知る限りの話は総て知らされている。
「あのエッベの盗賊団を叩きのめした旅人がいたと言う噂が広がっている、噂話は翼や角が生えているようだがな、だがジンバー商会から得た情報から、異常な身体能力を振るう者が二人いて、彼らとその大剣を振り回した少女が知り合いと言う話しだが」
「異常な身体能力ですか」
「まだはっきりとは言えんが、我々の研究と無関係ではない可能性がある、なぜそのような人間が三人も一緒にいると思うかね?」
「まさか!?作り出された狂戦士でしょうか?」
「総ては狂戦士の治療方法の研究から始まった、そこから幽界への通路の制御が研究されはじめ、さらに狂戦士や魔術師を人為的に作り出す研究に繋がっている、あの研究を知っているのは我々だけではないぞ、我々より先に誰かが実用化していないとは断言できなかろう?」
「では魔道士の塔に報告しますか?所長」
「まだ不確定な要素が多すぎる、セザール=バシュレ様に報告する段階ではない、コステロ様がまだ戻らぬ以上勝手な事はできないさ、今は調査をすべき時だ、まずはリネインとゲーラに調査員を送りエッベの盗賊団が壊滅した件を調べさせる、これは俺の権限でもできる事だ今日中に送りだすぞ、あとはジンバーの用心棒殺人事件の警備隊の調査資料を詳しく調べたい、これはコステロ商会に依頼しよう」
「警備隊は資料の提供を渋りますな」
「それは支配人のクレメンテの腕の見せどころだろうよ、違うか?」
その男は皮肉な笑いを浮かべた。