黄金の瞳
「今度は我らを尾行している奴を逆に尾行してやろう、奴らの住処を暴き出すのはどうか?」
ルディは満面の笑みでベルの肩を軽く叩いた。
「えっ?僕がやるしか無い?」
「ベルサーレ嬢、やはり貴女が適任だと思います」
宿屋『黒い兄弟』を後にした三人は、今後の方針を相談しながら炭鉱街の繁華街に向かう。
旧市街の繁華街とは比較にならないが、昼の休憩を終えた人々が職場に戻る人の波で溢れかえっていた、そしてこの三人は街から妙に浮いていた、道行く人々が時々振り返りながら通り過ぎていった。
先程通り過ぎた傭兵の男も一瞬彼らを見て驚き去って行った。
「どうも目立つな」
「旧市街で動くには良いのですがね、殿下」
「ベル、我々を尾行している奴はいるか?」
「ここは人が多すぎるよ、でも僕達が宿屋を虱潰しにした時にそれを仲間に知らせた奴がいたはずだ」
「こちらからハイネの総ての宿屋を虱潰しにするのは現実的ではない」
「ええ、彼らが何をしようとしているのか判れば、こちらも絞り込めるのですが、わからない事が多すぎますねえ」
「意外とコッキーが力に目覚めて強引に戻ってくる方が早いかも」
ベルが適当な事を言いだしたが、ルディもアゼルもその可能性が無いと言い切れない事に思い至った。
「露天掘り炭鉱と製鉄所の周りを見ておきませんか?」
アゼルが二人に提案する。
「そうだな一回りしてみるか?炭鉱の周囲なら尾行している奴を見つけやすいかもしれん」
遠目に見るだけでも炭鉱の周囲は荒廃しており住居も少なく木々も疎らだ。
「そうだね」
ハイネの炭鉱街の西に大きな露天掘り炭鉱が広がっていた、その穴は巨大なもので直径300メートル以上で穴の深さも20メートル以上あるだろう。
穴の内側に螺旋状に道が穴の底まで設けられ、その穴の底で鉱夫達が石炭を削り出していた、その中に足に鎖をはめられた人夫の集団がいるが彼らは奴隷だろう、すぐ側に監視人がいるようだ。
そして石炭袋を運ぶ人夫が螺旋状の道をそのそと動き回っていた。
周辺には排水用のロープウェイが数基設けられていて、そこに吊り下げられれた桶で穴の底に溜まった水を汲み上げている、排水の汲み上げも奴隷の仕事で、ロープの巻き上げも奴隷の仕事の様だった。
また穴の周囲では石炭を砕き選別する作業が行わている、ゴミは遠くに運ばれ捨てられて行く、そのゴミ運びをする者達の中には老人や女性や子供の姿まであった、穴から離れた場所にそんなゴミの山が幾つも築かれていたのだ。
そして選別された石炭は北にある製鉄所に運ばれてそこで乾燥させて燃料になるのだ。
そんな露天掘り炭鉱を遠くから眺めながら三人は時計回りに廻っていく。
近くのゴミの山の周りでは燃料になりそうな石炭のクズを回収しようと子供や婦人達が群がっていた、子供達は騒ぎ婦人たちはおしゃべりに興じている、それらは自由民の鉱夫達の家族の役得になっているらしい。
子供達がアゼルの肩の上のエリザを指さし騒ぎ立てた。
「二十人に一人が奴隷かな?」
ベルが炭鉱全体を観察して答えを出した。
「だいたいそんな所でしょうかね」
アゼルもそれに同意する。
「よくこれだけ奴隷がいるもんだな、犯罪者がそれだけ多いのだろうか」
ルディが疑問を挺する。
「殿下、人攫いや捕虜で身代金が払えない者が売られて来る事もあるそうですよ」
「なるほどな・・・」
露天掘り炭鉱の西側に木の杭を打ち込んで作られた柵で周囲を囲まれた異様な建物の群れがあった、内部には粗末な長屋が何軒も連なっているようだが、柵のせいで長屋の屋根しか見えない。
「あれは奴隷の宿舎か?」
ルディはその異様な建物を観察しながら呟いた。
三人は予定を変更してその奴隷の宿舎らしき建物の外側を大きく廻ることにした。
柵の外側に見張り櫓がある事から、中の者を外に出さない為の仕組みだ、警備隊らしき宿舎が柵の外にある、柵の内部はわからないが当然中にも警備の者がいるはずだ。
「ベルよ尾行している奴がいるか判るか?」
「ねえ、ルディ?」
どこか拗ねたような苛つきを感じさせる声でベルが返してきた、それに驚き思わずベルを見つめた。
「どうした?」
「少しは努力して?」
「努力だと!?」
ルディは目を見張り驚いた。
「いい?自分を中心に網を広げる様なイメージを浮かべてみて、力を薄くして周囲を探るんだ、僕はこれで気配を探る」
「そんな事をやっていたのか?」
「森のなかでぼんやりしていたら、近くにいる生き物の動きがわかる事に気がついたんだ、あとはそれを意識して使える様にした、力を薄く広げる感じにね」
「逆に一点に力を絞る感じにすると詳しい事が判る、ランタンで照らすようなイメージで、でもこれは魔術師が近くにいると見つかる危険がある」
ベルは精霊力を網のように薄く広げその中の生き物の気配をつかむ、その中で不審な動きをする者を捉えていたのだ。
魔術師と同様に精霊力の届く範囲でしか効果は無いが、力の密度を変える事でかなり柔軟に範囲を変える事ができた、どんな凄腕の尾行者でも生きている限り逃れられなかった。
人混みのノイズに紛れるか大きく距離を取る以外に対処方法は無い、弱点は精霊力すら遮断する高位の隠蔽魔術は見抜け無い、薄められてはいるが精霊力が存在するので鋭敏な者ならば逆察知される可能性があった。
「やはり俺は力を使いこなしていなかった様だな」
「魔術師や聖霊拳とも違う精霊力の使い方ですね、ですが城の中で力を使うのは危険すぎますからね」
「あと限界まで精霊力を導く事もできる」
「見てルディ」
ルディが何事かとベルを再び見たその瞬間に足が止まった、ベルの精霊力が異常なまでに高まり溢れ始めた、それは不可視の嵐のような精霊力の氾濫だった、ベルの青い瞳の奥が徐々に光を帯び始めやがて瞳が黄金の光りで満たされる。
「ベル!?」
それはゲーラに降臨したベルの姿を借りた土地女神メンヤを思い出させた、おもわずルディは一歩後ろにさがる。
力の高揚感の高まりと共にベルの表情が不敵に歪み始める、それはまるで凶暴な魔獣の様にも見えた、その精霊力の高まりはアゼルにもはっきりと感じる事ができた。
「ベルサーレ嬢!?」
やがて徐々に精霊力が潮が引くように弱まり、ベルの瞳の奥の光が弱まって行く。
「これはあまりやりたくない、人間じゃなくなる様な気がするから、感情が爆発するとどうなるかわからないんだ」
ルディはベルが今まで限界まで精霊力を導いた事がなかった事を知る。
「ねえ、ルディも僕と同じ力を持っているはずだ、バーレムの森で再会した後から強くなってるよ」
彼も何かに気が付いた様に顔が変わった。
「遠慮なく力を使い出したのは最近の事だ、だが剣士としての使い方しか意識していなかった、使い方が狭かったか」
既にベルの瞳は完全に元に戻っていた、だが周囲には拡散した精霊力がまだ残っている。
「これは凄い精霊力の濃度ですね、これが神隠し帰り、いえ幽界からの帰還者と言うわけですか」
アゼルの呟きは小さかった、そして凶暴な魔獣の様に変わったベルに密かな恐れを抱いた。
「それに僕も旅に出てから力が強くなっている」
三人は再び歩きだした、だがしばらくは無言のままだった。
ハイネの旧市街の魔術学院前の通称魔術街を一人の修道女が北に向って歩んでいた、ゆったりとした修道女の服は彼女の体全体を包み体の線を隠している、そして降ろされたベールで顔も隠されていた、だが隠されるとかえって興味を惹かれるのか、隠してもその修道女の豊かな体の線を隠しきれないのか、通行人の男達がまれにベールの奥をのぞき込むようにして通り過ぎていった。
「さて一仕事ね」
ベールの下から漏れ出る声はテヘペロその人だった。
彼女は魔術道具屋『風の精霊』の前で立ち止まる。
そして店のドアを開けるとドアについた小さなベルが来客を告げた、テヘペロはベールの下からつまらなそうに店内を見渡していた、やがてカウンターを仕切る薄水色のカーテンが揺らめき奥から店主のエミル=ヴラフが姿を現す、だが修道女を見かけて困惑した表情を浮かべた。
修道女にも精霊術の使い手が多く居る、だが聖霊教会や聖霊教会指定の魔術道具屋を利用するからだ。
「私よテヘペロよ」
テヘペロがベールをはね上げた、エミルの表情が喜色で崩れる。
「ほんと暑苦しいわねこれ」
修道女のローブの前を開け放ち空気を入れ替えるように手で扇いだ。
聖霊教の修道女は食事も普段から節制している、若くして豊満な修道女はまず居ない、着崩した修道女姿のテヘペロはなにか禁忌に触れるような危うさに満ち溢れていた、それにエミルは一瞬だけ言葉を失い見惚れる。
「おおそうだ、貴女か!?してその恰好は?」
「いろいろ面倒事にまきこまれちゃって変装しているのよ」
「さては先日のアレがらみか?」
一瞬エミルは迷った色々噂のあるジンバー商会とトラブルは起こしたくはない。
「ええそんな処ね、本当に困っているの、貴方にいろいろお頼みしたい事があるのよ?」
「込み入った話ならば奥で話そう?」
テヘペロは顔を伏せた、エミルは恥ずかしがっていると勘違いしたようだが、そのテヘペロの表情を見る事ができるなら、彼女がどこか馬鹿にしたような、何かを期待するかのような笑みを浮かべていたのを見る事が出来ただろう。
カウンターの後ろは店主の執務室になっていた、この店は一人で切り盛りしているようで、客用の小さなテーブルと椅子が二つだけ、壁際に小さな執務机があるだけだ。
そして奥に小さなキッチンまで設けられていた、その隣に地下に降りる階段と上に昇る階段がある。
テヘペロはそれを軽く見渡してから懐から紙を取り出しテーブルの上に置いた、そこにエミルが薬草茶を淹れたカップを二つ持ってきた。
「あら、いただくわね」
内心何が入っているか知れた物ではないわと思いながらも礼を言う。
そしてテヘペロが置いた紙に気が付いたエミルが尋ねた。
「これは?」
「この触媒を直ぐに欲しいのよ」
エミルはその用紙に書かれた触媒のリストを見て困惑した。
「大部分はここにある、だが幾つかは希少な物でここには無い、しかし何の為にこれを?」
「事情があって言えないわ」
「ここには無いが手に入れられそうな場所にコネがある」
「本当なの?お願いよ助けると思って」
テヘペロはテーブル越しにエミルに迫った、テーブルの上のテーィカップが彼女の重量の有る胸に押され倒されて薬草茶が机の上に溢れて広がった。
「あら!!ごめんなさいね」
「君こそやけどはしなかったか?」
エミルが半ば椅子から立上りテヘペロに触れようとした。
「ええ、少し濡れたけど大丈夫よ」
テヘペロはそれに微妙に距離を置きながら立ち上り、エミルが慌てて持ってきた雑巾でテーブルの上の茶を拭う。
「煎れなおそうか?」
「いいのよ気になさらずに」
テヘペロはポケットから小さな布を取り出して少しばかり濡れた胸を拭い始めた、その胸にエミルの目が吸い付けられる。
「・・・だがそこはいろいろ面倒な処でな」
その時テヘペロの視線が後ろの二階に上がる階段に注がれている事にエミルは気がついた。
「ゆっくりお話したいですわね」
「わ、わかった、そこにコネが多少あるので紹介してもいい」
「いいの?助かるわ!!」
テヘペロは艶然と微笑みエミルに顔を近づけた。
エミルが思わずつばを飲み込む音がする。
「コステロ商会の魔術研究所だ、この街では魔術学園と聖霊教会に並んで水準が高い」
「貴方を頼って正解だったわ・・・」
テヘペロの瞳は僅かに潤んでいた。
「おお、そうだった!!閉店にして無かった」
エミルは店のドアに閉店の看板を出すために慌てて店頭に出ていった。
テヘペロはそのエミルの姿を見送り一人呟いた。
「こっちはこれでなんとか成るかしら?あいつがコステロ商会とコネがあるなんて思わなかったわね」